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県南エリア

  • 長崎歴史文化博物館 2014年03月27日
    長崎歴史文化博物館
     長崎歴史文化博物館を訪ねました。ここは、約400年にわたる長崎貿易に関する貴重な資料が収蔵され、オランダ・中国・朝鮮などとの多彩な海外交流を知ることができる博物館なので、長崎観光の前にチェックしておくと、より深い旅に役立つかも。  館内には歴史文化展示ゾーン、長崎奉行所ゾーン、企画展示室のほか、長崎歴史情報コーナー、資料閲覧室、伝統工芸体験工房、ミュージアムショップ、レストランがあって、じっくり見るなら一日中楽しめます。  なんとここには、かつて長崎奉行所立山役所があったんだって。博物館建設時の発掘調査で、当時の石段や井戸、庭などの遺構が出土したので、それらを活かして一部を復元したそう。長崎奉行所ゾーンには、奉行所の成立や変遷の歴史や出土品の展示、奉行所の職務や歴代長崎奉行の紹介、犯科帳など貴重な資料が公開されていて、とっても面白かったよ。  「おいでよ!長崎歴史文化博物館へ!!」 歴史文化展示ゾーン  歴史文化展示ゾーンでは、大航海時代やオランダ・中国・朝鮮との交流、長崎貿易に関する資料が展示されています。パネルの説明文章を読むばかりでなく、CGによるバーチャルやゲーム感覚で体感しながら楽しく学ぶことができるというのも特徴のひとつで、大人だけでなく子どもにとっても歴史に親しめる展示となっています。  当時の長崎貿易に関しても、オランダ・中国・朝鮮との国々からどんな物を輸入していたのか、通詞や通事がどんな役割をもっていたのか、歴史の教科書には深く掲載されない面白い歴史をこの博物館で知ることができるのです。<>幕末当時、坂本龍馬や各藩の志士らがなぜ“長崎”を訪れていたのでしょうか?  その理由が、この博物館の資料で「なるほど!」と感じさせてくれます。  海外に開かれた長崎は、西洋の最新の学問や技術、文化などを受け入れた地であり、また日本国内に発展していく重要な地でもありました。新しい文化や技術を一日でも早く吸収しようとした志士らは、長崎を目指したのです。どんな文化や技術が長崎にあったのか・・・その内容は、ぜひとも博物館へ足を運んでその目で確かめてください! 亀山焼  長崎県内で製作されている陶磁器や17世紀に中国から製法が伝えられたという長崎べっ甲、大名への献上品にもなっていたという銀細工、ガラス製品がたくさん展示されています。その中には、江戸時代後期に長崎で作られていた陶磁器・亀山焼があります。  亀山焼は、1807年(文化 4)に大神甚五平・山田平兵衛・古賀嘉兵衛・万屋古次吉によって開窯されました。祖門鉄翁(てつおう)や木下逸雲(きのしたいつうん)、田能村竹田(たのむらちくでん)など文人による絵付の作品があり、文人画風の絵付けが特徴のひとつです。文政・天保年間に全盛期を迎え、質の高さが評価されました。しかし 1865年(慶応元)に廃窯、製陶期間わずか約50年と短く、伝世品が比較的少ないそうです。廃窯後、坂本龍馬ら亀山社中が亀山焼工房跡地の一部を借りて活動したことでも知られています。龍馬も亀山焼の茶碗を愛用していたといいます。この博物館に立ち寄ったのなら、ぜひとも見ていってほしい展示コーナーです。 (写真:染付山水割山椒向付 そめつけさんすいわりさんしょうむこうづけ) 上野彦馬使用写真機  感光剤に用いる化学薬品の自製に成功し、写真術を研究した日本初の職業カメラマン・上野彦馬が使用していた写真機です。 1862年(文久2)に長崎の中島川側に「上野撮影局」を開業しました。この上野撮影局では、坂本龍馬や高杉晋作など幕末に活躍した志士を多く撮影しています。1877年(明治10)に起こった西南戦争では戦地に赴き報道写真を撮影しています。  写真は、上野彦馬が使用した現存する唯一の写真機です。現在博物館3Fで開催されている「幕末長崎古写真展」にて展示されています。  「幕末長崎古写真展」は、平成5月末までの嵐閧ナしたが、好評につき、6月30日(水)まで延長することになりました。   「幕末長崎古写真展」 【観覧料】 大人500円(15名以上の団体の場合400円)小中高校生250円(15名以上の団体の場合200円) 詳しくは長崎歴史文化博物館の公式サイトをご覧下さい。 資料閲覧室  博物館1Fにある資料閲覧室では、長崎の歴史文化に関する図書資料、絵図、古文書など歴史史料を閲覧することができます。展示物を見た後に、もっと深く知りたいことがあったらこの資料閲覧室で調べてみると、より理解できるという環境が備わっています。  本など多くの所蔵史料の閲覧から、マイクロフィルムに収められた情報など幅広い情報が揃っており、設置されたパソコンを使って史料を検索することもできます。  博物館を訪れたお客様の他にも、研究者や調べものをしている子どもまで幅広く利用されています。 長崎歴史文化博物館 〒850-0007 長崎市立山1丁目1番1号 TEL 095-818-8366 FAX 095-818-8407 E-mail info-his@nmhc.jp ○開館時間 8:30〜19:00 ○資料閲覧室 9:30〜18:00 ○レストラン銀嶺 10:30〜21:00 URL: http://www.nmhc.jp
  • ちゃんぽんを作ろう! 2014年03月28日
    ちゃんぽんを作ろう!
    〜長崎の郷土料理(8) 中華編〜  長崎の代名詞ともいえるほど全国的に有名な「ちゃんぽん」は、野菜たっぷりでヘルシーな料理です。  ちゃんぽんが長崎に登場したのは明治時代。中国料理店を営む福建省出身の陳平順さんが、華僑の人びとや勉学に励む中国人留学生のために、安くてボリューム満点のおいしい料理を提供したいと考案した麺料理がルーツといわれます。この新メニュー「ちゃんぽん」は、安さと味の良さが評判を呼び、長崎じゅうに広まりました。  ちゃんぽんの語源は、福建で挨拶代わりに使われる言葉、「ご飯は食べた?」という意味の「吃飯(シャポン)」だといわれています。  いろいろな素材をミックスさせて新しいものを生み出すことを「ちゃんぽん!」という言葉で形容することがあります。ちゃんぽんは、もはや料理だけにとどまらず、大衆文化のひとつになっていきました。  春夏秋冬、いつ食べてもおいしいちゃんぽん。長崎っ子は月に2〜3回はちゃんぽんを食べるのだとか。中華なべひとつでできる手軽さもうれしい母の味でもあります。  今回は、ちゃんぽんの作り方をご紹介します。 材料(1人分) ・ちゃんぽん麺 1玉   ・豚バラ肉の薄切り 25g   ・いか 25g   ・はんぺん(赤と緑) 10g   ・牡蠣(またはアサリ) 15g   ・芝エビ 10g   ・たまねぎ 20g   ・キャベツ 30g   ・キクラゲ 1/4枚   ・もやし30g ○調味料 ・ラード(またはサラダ油) 小さじ1   ・ガラスープ 400cc   ・塩 少々   ・薄口しょうゆ 小さじ2   ・酒 少々   ・コショウ 少々   ・ごま油 少々 ○用意するもの ・ちゃんぽんの器、中華なべ 作り方 (1) 材料を食べやすい大きさに切りましょう。 豚バラ肉は一口大に、いか・はんぺん・たまねぎ・キクラゲは短冊切り、キャベツはざっくりと切りましょう。牡蠣は塩水で汚れを洗い落とします。芝エビは殻を取って身だけにします。もやしはひげ根を取り除いて水洗いしておきます。 (2) 材料を炒めましょう。  中華鍋を熱して、ラード(またはサラダ油)を入れましょう。豚バラ肉、たまねぎ、えび、はんぺん、キャベツ、もやしをさっと炒めてスープを加えます。ひと煮立ちしたらイカを加えて、酒、薄口しょうゆ、塩、コショウで味付けをします。 (3) チャンポン麺をゆでましょう。  (2)にちゃんぽん麺を加えましょう。  麺をほぐしながら、残りのキクラゲ、牡蠣を入れてひと煮立ちしたら、火を止めてごま油を入れます。 (4) 盛り付け♪  完成です。お好みでチャンポンに白コショウをかけて、さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ ガラスープですが、長崎のスーパーでは"ちゃんぽんの素"なるスープが売ってあります。市販の中華スープでも代用できます。 関東で「はんぺん」と言えば、白くて四角いもの。でも、長崎で「はんぺん」と言えば、赤と緑の鮮やかな細長いものをいいます。長崎の郷土料理にはかかせない材料となっています。 牡蠣やアサリ、エビやイカなどの全部の魚介類がそろわなくても大丈夫です。チャンポンは、冷蔵庫にある材料で手軽に作れるのも魅力のひとつです。 参考文献 長崎県栄養士会
  • 長崎てんぷらを作ろう! 2014年03月28日
    長崎てんぷらを作ろう!
    〜長崎の郷土料理(7) 長崎編〜  てんぷらは、約400年前に南蛮貿易とともにポルトガルから長崎へと伝わった料理です。語源はポルトガル語のTemperoで「調理する」という意味。キリスト教では、肉食を絶って魚を食べる期間をTemporasというそうです。キリシタンたちは、その習慣に習って魚や野菜をフライにして食べていたことから、油で揚げた料理をまとめて「テンプラ」と呼びはじめたようです。  キリシタン文化とともに海を渡ってきた長崎てんぷらは、小麦粉に砂糖などを加えて練り混ぜた衣をつけてカリッと油で揚げます。フリッターに似ていて、衣に味がついているので冷めてもおいしい一品として楽しまれています。天つゆはいりません。アツアツをそのままパクリといただきましょう。  今回は、長崎を代表するお魚のひとつ"アマダイ"を使ってみたいと思います。アマダイは、延縄や以西底曳網などの沖合や遠洋漁業で漁獲され、長崎県は全国の主産地となっています。調理すると風味が出て、柔らかな白身魚の淡泊な味わいを楽しむことができます。 材料(2人分) ○ネタ 季節にあわせて旬の食材で作りましょう。今回はアマダイを使います。 ・アマダイ 1匹  ・鶏のささみ 2本  ・インゲン 4本 ○調味料 ・油 適量  ・塩 少々 ○衣 ・小麦粉 40g  ・卵液 大さじ2  ・酒 大さじ2  ・水 大さじ4  ・砂糖 大さじ1  ・塩 少々 ○用意するもの 天ぷら鍋 作り方 (1) ネタの下ごしらえ  アマダイは3枚におろし、インゲンは半分に切ります。鶏のささみは筋を取り除きましょう。  そして、それぞれのネタに軽く塩をふります。 (2) 衣をつくる  ボールに小麦粉、卵液、酒、水、砂糖、塩を加えます。粘りがでるくらいかき混ぜましょう。 (3) 油で揚げる  (1)のネタに、(2)の衣をつけて180℃の油で揚げましょう。 (4) 盛り付け♪  器に盛り付けて完成です。  さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ 旬の食材として、たまねぎもおすすめです。長崎てんぷらでオニオンリングもいいかも。季節の味を楽しんでください。 鶏のささみは、いわゆるナゲットです。お好みのソースで楽しんでください。お子さまにも大人気!お弁当のおかずにもピッタリですよ。 参考文献 長崎県栄養士会 「旅する長崎学1 キリシタン文化機 特集-第4章 400年前につたわった南蛮文化を味わう 企画/長崎県 制作/長崎文献社 「長崎の西洋料理 -洋食のあけぼの-」 著/越中哲也 発行/第一法規 ゆめとびネット 長崎県水産部ホームページ
  • パスティを作ろう! 2014年03月28日
    パスティを作ろう!
    〜長崎の郷土料理(6) 長崎編〜  パスティは、鎖国時代、長崎にオランダ人から伝わった料理のひとつです。鶏ガラスープで煮込んだ具材を大鉢に盛り付け、パイ生地をのせてオーブンで焼いた調理法は、鎖国時代のレシピ本『南蛮料理書』にも紹介されています。パイ生地を用いた西洋の調理方法を活かして、中国から伝来したもやしを加え、長崎っ子の嗜好にあうよう、しょうゆを使った和の味付けにアレンジされています。現在、パスティは和・洋・中が一体となった郷土料理として卓袱料理の円卓に並び、長崎の食文化と歴史を味わうことができる一品です。今回は、パスティのつくり方をご紹介します。 材料 ・鶏肉 100g  ・やまいも 100g  ・キクラゲ 1枚(2g)  ・ぎんなん 5個  ・もやし 100g  ・ゆで卵 2個 ・鶏ガラスープ 200cc  ・塩 少々  ・薄口しょうゆ 小さじ1  ・砂糖 小さじ1  ・酒 大さじ1  ・冷凍パイシート 1枚  ・卵黄 少々 ○用意するもの ・大鉢の耐熱容器 作り方 (1) 材料のしたごしらえと準備をしましょう。  鶏肉を食べやすい大きさに切りましょう。やまいもは乱切り、キクラゲは水にもどして一口大にちぎります。ぎんなんは殻を除いて茹で、ゆで卵は縦半分に切ります。  もやしはひげ根を取り除いて、水洗いします。 (2) 煮ましょう。  鍋に鶏ガラスープを入れ、沸騰したら、鶏肉、キクラゲ、ぎんなん、やまいも、もやしを加えて煮ましょう。やまいもがやわらかくなったら、薄口しょうゆ、塩、砂糖、酒で味をつけて、しばらく煮ます。 (3) 耐熱容器に具材を盛り付けましょう。  煮込んだ材料を大鉢に盛り付けましょう。彩りよくゆで卵を飾ります。 (4) パイ生地でフタをしましょう。  パイ生地は1センチの幅でひも状に切ります。耐熱容器の上に、少し隙間をあけながら斜め格子状に編みこんでいきましょう。耐熱容器のふちにグルリと一回りしてパイ生地を押さえます。 パイ生地に卵黄を塗りましょう。  少量の水を加えて混ぜた卵黄をハケで塗ります。 (5) オーブンで焼きましょう。  250℃のオーブンで軽く焦げ目がつく程度に焼きあげましょう。 完成です! さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ スプーンでパイをザクザクと割って、お皿にとり分けていただきます。  こんがりキツネ色に焼きあがったパイが、パッと咲いたひまわりのようにテーブルを華やかにしてくれます。パスティは、いわば"和のパイ包みスープ"といったところ。意外な組み合わせとその味は、長崎の歴史を感じさせてくれるのです。みなさんもパスティを作ってみませんか。 参考文献 長崎県栄養士会
  • トラベル・スタディへようこそ! 2014年03月28日
    トラベル・スタディへようこそ!
    〜旅する長崎学講座〜 ようこそ、長崎県へ! 2月17日(日)からの2泊3日、東京・福岡方面から40名の皆さんがやってきました。実はこのツアー、県が「ながさき歴史発見・発信プロジェクト」の取り組みのひとつとして、平成19年に県外で開講した「旅する長崎学講座」の受講修了生を対象に募集したトラベル・スタディ(現地講座ツアー)なのです。  平成19年の講座は、歴史ガイドブック「旅する長崎学 キリシタン文化編」をテーマにした内容で、次の3箇所で開講されました。中央区民カレッジ〔東京、全5回:平成19年5月〜7月〕、西日本天神文化サークル〔福岡、全4回:平成19年7月〜8月〕、早稲田大学オープンカレッジ〔東京、全8回:平成19年9月〜12月〕。 「座学で膨らませた長崎への思いを抱いて、いざ、遊学の旅へ!!」 参加者の皆さんの知的好奇心を乗せたバスが、いよいよ発車します! トラベル・スタディができるまで  今回のトラベル・スタディは、「旅する長崎学講座」受講修了生の限定ツアーとして、県が企画しました。講座の中に登場したキリシタンの物語、その証明ともいえる数々の文化遺産を実際に長崎の地で確かめ、歴史が伝えているメッセージを肌で感じてもらおうと、講座を担当した先生と職員によってコースが設定されました。(地図をクリックすると拡大します。)  オススメのポイントは次の5つ、 講座を担当したナビゲータ兼講師の先生が同行するオリジナルツアー 地元のガイドさんも登場!世界遺産候補となっている文化遺産に出会える旅 冬のビッグイベント"ランタンフェスティバル"開催中 海外線を走る、島に渡る。長崎らしさの満喫ルート 伝統あるご当地名物、そして冬の味覚。長崎グルメを召し上がれ  歴史だけでなく、その舞台となった自然や風土、そしてそこに育まれた人々との出会いをとおして、今に継承されている思いを伝えたいと思ったら、あれこれ欲ばりな企画になってしまいました。もちろん、旅のお楽しみ、食事や買い物も長崎らしくピックアップ。最後にこのコースを満喫していただける最適な人数として、募集定員は20名に決めました。これで、おすすめ度は100%です。  それでも、どれだけの方が参加してくださるのか、不安がありました。というのも、ある講座で、先方の担当の方にトラベル・スタディを実施したいというお話をしたところ、「過去に他県でも企画したことがあるが、催行人数が集まらずできなかった。なかなか厳しいと思いますよ。」という答えが返ってきたからです。こうしておそるおそる迎えた募集開始の日でしが、なんと20名の定員は一日でほぼ満席という嬉しい反応!「せっかくの機会をできるだけお断りしたくない。」「募集人数を増やしましょうか?」「でも、大勢になることで講座の質を落とさず、場所の雰囲気も壊さずにやれるかな。」いろいろと考えた結果、20名のグループをもうひとつつくる(バス2台)ことにして、あとはやむなくお断りすることとなりました。 奇跡的な好天にめぐまれて  さて、トラベル・スタディが近づくにつれ一番の心配ごとはお天気。関係者がそれぞれ週間天気予報を毎日のようにチェックしながら、一喜一憂。今回のツアーは、まち歩きあり、夕陽あり、船もありで、2月という冬の季節にはちょっと悩ましい・・・。晴れ? いえいえ曇り? うそっ、冷え込んで雪が降る? コロコロ変わる天気予報を横目に、企画者が"晴れ男・晴れ女"ばかりだから大丈夫!と妙な自信をもって、いよいよ2月17日を迎えました。  「本当に奇跡的」といってもいいほどの素晴らしい天気に恵まれた3日間となり、空も海も冬とは思えない青さを見せつけてくれました。企画者と参加者の皆さんの願いが通じた好天に、ただただ感謝するばかりです。  それでは、3日間の旅の様子を、参加者の皆さんの感想を交えてご紹介したいと思います。 1日目 2月17日(日) 曇りのち晴れ  それぞれ長崎空港と長崎駅に集合した皆さんが、昼食会場で合流。午後は20名ずつのグループにわかれて、日本二十六聖人殉教地(西坂 長崎駅近く)と長崎歴史文化博物館(立山 諏訪神社近く)を結ぶコースに点在する史跡を巡るまち歩きです。日本二十六聖人殉教地では、記念館の結城了悟 前館長が出迎えてくださり、殉教者たちの思いをかたちにして伝えている記念碑(彫刻:舟越保武)や記念館・記念聖堂(設計:今井兼次)について解説してくださいました。また、今年11月24日に日本で初めておこなわれる列福式に関連して、西坂で殉教した中浦ジュリアンのお話もありました。 ★1日目の行程(基本コース)★ *場所によって、2グループに別れて散策 長崎空港・長崎駅 集合→(バス)    昼食<吉宗:茶碗蒸しと蒸し寿司>→(バス) 〔1〕 日本二十六聖人殉教地、記念館〔結城了悟 前館長〕→(徒歩) 〔2〕 本蓮寺→(徒歩) 〔3〕 中町教会→(徒歩) 〔4〕 聖福寺→(徒歩) 〔5〕 西勝寺→(徒歩) 〔6〕 サント・ドミンゴ教会跡→(徒歩) 〔7〕 長崎歴史文化博物館 *奉行所お白洲でボランティアによるお芝居を観劇→(バス) 〔8〕 ランタンフェスティバル(自由行動) 長崎市街に宿泊 2日目 2月18日(月) 晴れ  朝から良いお天気に恵まれた2日目。少しひんやりした空気もすがすがしく、一行は大浦天主堂、旧羅典神学校へ。そのあと、浦上に立ち寄って長崎巡礼センターの入口さんにレクチャーしてもらったあと、浦上天主堂へとあがりました。お葬式があるということで、天主堂内の拝観はできませんでしたが、信仰のなかにある教会の姿を感じていただけたようです。  そのあと、バスは外海へ。枯松神社で松川さんと日宇さんが待ってくれていました。外海に潜伏したかくれキリシタンのお話を聴きながら、仏教の方たちと共存してきた地域のきずなを感じることができました。 また、ド・ロ神父記念館では、90歳の橋口シスターのおだやかな微笑みと何もかもを包み込んでくれるようなオルガンの音色に、参加者の皆さんも心癒されたようでした。日宇さんがおやつにくださった手づくりパンの味は格別で、道の駅では地元産の果物などと一緒に買い占めて宅急便で送る姿もみられました。  途中、中浦ジュリアンの生誕地で夕陽を眺め、今夜の宿泊地である崎戸へとバスは向かいます。 ★2日目の行程(基本コース)★ *場所によって、2グループに別れて散策 各ホテル→(バス) 〔9〕 大浦天主堂→(徒歩) 〔10〕 旧羅典神学校→(徒歩)→自由行動→(バス) 〔11〕 浦上天主堂→(バス) 〔12〕 枯松神社→(バス)     昼食<日浦亭:ド・ロ様そうめん>→(バス) 〔13〕 大野教会→(バス) 〔14〕 大平作業場跡→(バス)→*車窓からド・ロ神父のお墓→(バス) 〔15〕 ド・ロ神父遺跡、記念館→(徒歩) 〔16〕 出津教会→(バス) 〔17〕 遠藤周作文学館→(徒歩) 〔18〕 道の駅 夕陽が丘そとめ→(バス) 〔19〕 中浦ジュリアン生誕地→(バス) 崎戸に宿泊 3日目 2月19日(火) 晴れ  あっという間に3日目。今日は、船に乗って黒島に渡ります。ぽかぽか陽気で、この様子なら波も穏やかでしょう。皆さん、3日目の疲れもみせず、ウキウキの笑顔で最終日の一日がスタートしました。  横瀬浦、西海橋を経由して、車窓から見える針尾無線塔や赤レンガの倉庫群など近代化遺産なども楽しみながら、佐世保市の相浦港へ。魚市場内の「もったいない食堂」で素朴な懐かしい味を堪能したあとは、いよいよ黒島へ。バスは1台だけを渡します。ここでも、地元の鶴崎さんと大村さんがガイドとして一行を歓迎してくれました。 ★3日目の行程(基本コース)★ *場所によって、2グループに別れて散策 ホテル→(バス) 〔20〕 横瀬浦→(バス) 〔21〕 西海橋、新西海橋、魚魚市場→(バス)     昼食<もったいない食堂:日替定食>→(バス)→相浦港→(船) 〔22〕 黒島天主堂、島内→(バス)(船)→相浦港→     夕食 持ち帰り<ぎおん:大村ずし> 長崎空港・長崎駅 解散 トラベル・スタディで伝わったもの  今回のトラベル・スタディでは、長崎県の自然、風景、歴史、特産品などの魅力をたくさん見たり味わったりしてもらえたと思います。でも、なにより、企画した私たち自身も感動し感謝したことがありました。それは、各地で心からのおもてなしをしてくださった地元のみなさんの笑顔と気持ちです。このふれあいや交流がなかったら、いくら素晴らしい天気で、どれだけたくさんの場所をまわったとしても、私たちが伝えたかったものの半分も参加者の皆さんの心に残らなかったかもしれません。  最後に、参加者の感想を少しだけご紹介させていただきます(抜粋)。 ○「講座のおかげで、長崎を旅するチャンスを得ました。わくわくして参加しました。みなさんのあたたかいもてなしで、本当に素晴らしい旅となりました。観光ツアーとは違うトラベル・スタディに大満足です。バスの中での先生のお話や、夜の唐人屋敷めぐりも楽しかったです。長崎が大好きになりました。」 ○「企画された皆様のきめ細かい配慮がプログラムの隅々に感じられ、観光ツアーにはない心あたたまる思いで、本当に楽しく過ごさせていただきました。大村湾の夕陽を眺めつつ、大村ずしをいただき、やがて機上の人となり、心地よい疲れをおぼえながら東京へと戻りました。」 ○「青い海、複雑な入江に囲まれた風光明媚な土地に、キリシタンの歴史があることを肌で感じることができました。危険や困難をかえりみず遠い外国からやってきた宣教師や神父のご苦労、迫害にあって殉教された方々の跡をたどり、思わず涙しました。信仰とは何かを真摯に考えさせられました。」 ○「外海や島の方々の素朴な信仰に感動いたしました。今回のトラベル・スタディでは、歴史や文化をベースにして、"今、生きている長崎"を感じることができました。参加者全体の雰囲気も良くて、"大人の学び"という感じでした。食事に関しては高級グルメではなく、ホッとする素朴で新鮮な食材を使った料理に好感がもてました。」 ○「すごくハートフルなトラベル・スタディでした。本当に現存したかくれキリシタンのことを思って、日本人の精神的な凄さと強さを改めて考えさせられました。」 ○「現地のガイドの方のもてなしは、心からうれしかったです。キリスト教の精神が深く伝わっているのが、よーくわかりました。出会った人々をとおして、自分も少しでも変わらなければと思いました。いただいた"遊学のしおり"は、今回の旅の記録として完成させたいです。地方の文化、日本の文化をひろめるために、長崎県の取り組みをもっともっと日本中の人々に知ってもらいたいですし、見習ってほしいと思いました。」 ○「長崎県の素顔に会えたような素敵な旅でした。」
  • 長崎ランタンフェスティバル 2014年03月28日
    長崎ランタンフェスティバル
    〜フォトアルバム〜  2月7(木)、2008年の長崎ランタンフェスティバルがスタートしました。各会場で点灯式がおこなわれ、午後6時のカウントダウンで一斉に灯ったランタン(中国提灯)やオブジェが、冬の夜にパッと浮かびあがりました。  このイベントは、中国の旧正月にあたる春節を祝うお祭りです。メイン会場の湊公園を中心に約1万5千個のランタンが街を灯します。今年の期間は2月7(木)〜2月21日(木)。開催中は、各イベント会場で中国獅子舞、二胡の演奏、中国雑技、媽祖行列、皇帝パレードなどがおこなわれます。  待ちに待った初日の7日に、さっそく各会場を散策してきました。湊公園では干支のネズミをモチーフにした高さ8メートルもある「老鼠娶親(ラォスーチーチィン)」というオブジェが人気を集め、ステージでは中国獅子舞がおこなわれていました。また、浜市アーケードに出現した縁結びの神さま「月下老人」に赤い糸を結ぶ女の子たちの姿や、中華街の屋台からたちこめる温かい蒸気と漂ってくるおいしそうな角煮まんの香り。幻想的な雰囲気を楽しむことができました。ランタンの灯りをたよりに歩けば、長崎の史跡巡りも一緒に楽しめますよ。  今回は、湊公園、中島川に架かる眼鏡橋、中央公園、浜市アーケード、中華街、唐人屋敷、唐寺の崇福寺など初日7日(木)の模様を写真でご紹介します。ランタンが灯るあたたかな色の長崎の雰囲気をちょっとだけ味わってください。
  • 豚の角煮を作ろう! 2014年03月28日
    豚の角煮を作ろう!
    〜長崎の郷土料理(4) 中華編〜  豚の角煮は、卓袱料理や中華料理のフルコースの一品としてふるまわれる長崎の郷土料理です。約2日かけてじっくり煮込まれた角煮は、箸でつかめば肉の繊維がホロリとほぐれ、口に含めばトロリとやわらかく、甘いたれがしっかりとしみこんでいます。  角煮は、中国・杭州から伝わりました。宋代の詩人 蘇東坡が愛した料理として有名な東坡肉(トンポウロウ)がルーツだといわれています。  食べ方は、ねり辛子を付けていただきます。中華饅頭が一緒に出されたら、中にはさんでいただきましょう。  長崎の家庭料理として、祝い事に限らず、おやつや御飯のおかずとして食卓に並ぶ一皿。 今回は、コラーゲンたっぷりの豚の角煮をご紹介します。 材料 ・豚バラ肉(下皮付塊) 500g   ・たまねぎ 100g(1/2個)   ・にんじん 150g(小1本)   ・生姜 1片   ・ニンニク 小1片   ・八角 1片   ・ねり辛子 適量 ○調味料 ・濃口しょうゆ 1/4カップ   ・砂糖 1/4カップ   ・水 適量   ・紹興酒 50cc 作り方 (1)豚肉を茹でましょう。  豚肉はバラ肉(三枚肉)を使用します。肉は切らずに塊のまま鍋に入れます。皮を剥いて半分に切ったたまねぎ、ブツ切りにしたにんじん、スライスした生姜、薄切りにしたニンニク、香り付けの八角、水をひたひたになるように加えて火にかけます。沸騰したら弱火にして約3時間ほどゆでましょう。圧力鍋を使用する場合は約25〜30分です。 粗熱をとって、ゆで汁に浸かったまま、鍋ごと冷蔵庫に入れて一晩寝かせます。 (2)豚の脂"ラード"を取り除きましょう。  翌日、冷蔵庫から鍋を取り出します。するとゆで汁の表面に、豚の脂"ラード"が白く固まっています。これを取り除きましょう。  ゆで汁はキッチンペーパーで漉します。  豚肉は温かいお湯で洗って、表面の脂をきれいに洗い流し、1.5〜2センチの厚さに切り分けましょう。 (3)蒸す!  蒸器を用意します。  深めの陶磁器に(2)のゆで汁、濃口しょうゆ、砂糖、紹興酒を入れて約40分〜1時間ほど蒸しましょう。  この間に、付け合わせの野菜を準備します。ほうれん草を軽くゆでて氷水で冷まし、水気を絞って食べやすい大きさに切っておきます。 (4)煮詰めて照りがでたら完成です!  (3)を別の鍋にとり、15分ほど煮ながら照りを出しましょう。強火で汁を煮詰めて水分を飛ばし、トロミと照りがでてきたら完成です。  皿に盛り付け、練り辛子を添えれば完成!! さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ (2)で取り除いた豚の脂はラードです。チャーハンや野菜炒めなどの炒め物に利用できますので、捨てずに保存しておくと便利です。 ゆでたホウレン草の代わりにチンゲン菜を添えても彩りがきれいです。  長時間かけて煮込んだ角煮は豚の脂が落ちていますので、しつこくなくあっさりとしていて、コラーゲンたっぷりです。時間はかかりますが、味付けはシンプル。ぜひ、チャレンジしてみてくださいね。  2008年2/7(木)〜2/21(木)、長崎では旧正月(春節祭)を祝うランタンフェスティバルが開催されます。湊公園を中心に中華街、唐人屋敷、唐寺などの各会場でイベントがおこなわれ、長崎の街はランタン(中国提灯)の灯りに彩られ幻想的な雰囲気に包まれます。異国情緒あふれる長崎の食と文化を楽しんでみてはいかがでしょうか。 参考文献 長崎県栄養士会
  • ヒカドを作ろう! 2014年03月28日
    ヒカドを作ろう!
    〜長崎の郷土料理(2)〜  江戸時代、長崎に渡来した南蛮料理「ヒカド」。ポルトガル語の"Picado"「細かく刻む・調理する」という言葉が由来となっています。この料理は、さつまいもをすりおろして、とろみをつけた具だくさんのスープです。さつまいも本来の甘みが他の食材を調和してくれるやさしい味。冬の寒い日に食べればポカポカと体があたたまります。  安土桃山時代、長崎の町にはたくさんの教会が建ち並び、ポルトガル人が多く暮らしていました。長崎っ子がポルトガル人との交流のなかで、異国のさまざまな料理を教えてもらっていたとしても不思議ではありません。  1614年に発布されたキリスト教の禁教令によって、宣教師たちは国外に追放されることになり、ポルトガル料理を作ることはなくなってしまいましたが、入手できなくなったお肉を魚に代用したりしてアレンジを加えながら代々受け継がれた味は、いつしか長崎の郷土料理となりました。  江戸中期の料理本を読むと、「ヒカド」は中国風の調理をする南蛮料理として紹介されています。材料には、鶏(または鴨)、イカ、エビ、大根が使われていました。次第に庶民にも広まり、具材のアヒルがまぐろに代わり、さつまいもを使っています。  ヒカドの極意はとろみにあり! ポルトガル人はとろみにパンを使っていました。しかし禁教令でパンが入手できなくなり、中国の調理法をヒントに、長崎っ子がさつまいもでとろみをつけることを思いついたのではないでしょうか。さらに『割正録』によると、19世紀の長崎では、すりおろしたさつまいもでとろみをつけると「ススヘイト」、とろみをつけずにサラリとしたスープに仕上げると「ヒカド」と区別していたようです。お好みで楽しんでくださいね。 材料:4人前 ・カジキマグロ 50g  ・豚もも肉 50g  ・大根 100g(約1/10本)  ・にんじん 40g(約1/2本)  ・さつまいも(角切り用) 100g(約1/2本)  ・さつまいも(すりおろし用) 50g(約1/4本)  ・干ししいたけ 1.6g(約2枚)  ・葉ねぎ(青ねぎ) 16g ●マグロに下味する調味料 ・塩 1.5g(小さじ3/10)  ・酒 2g(少々) ●調味料 ・油 少々  ・薄口しょうゆ 12g(小さじ2)  ・塩 1g(小さじ1/5)  ・酒 20g(小さじ4)  ・水 440g  ・かつお節 4g  ・だし昆布 3g 作り方 (1)マグロの下ごしらえ  マグロを角切りにして、塩と酒で下味をつけます。 (2)野菜を切りましょう   大根・さつまいも・干ししいたけは1.5センチの角切り、豚もも肉は食べやすい大きさに、にんじんは厚めのいちょう切り、葉ねぎは小口切りにします。 (3)調理しましょう  鍋に少量の油を入れて、(1)で下味をつけたマグロの角切りを鍋に入れます。表面に焼色がついてきたら、いったん鍋からおろします。同じ鍋で、豚肉・にんじん・干ししいたけを炒めます。大根・さつまいもも加えて炒めたら、だし汁を入れます。  グツグツと沸騰してきたらアクを取り除いて、マグロを加えましょう。 (4)さつまいもでつけるとろみ  すりおろしたさつまいもを鍋に入れます。火の通りが早いので、アッという間にトロミがでてきますよ。 (5)味を調えましょう  味をみながら、酒・薄口しょうゆ・塩で味をつけます。コトコトと煮込んで、器に盛り付けて、葉ねぎをちらしたら完成です。 さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ 江戸中期に書かれた「料理談合集」のレシピのなかに卵が登場します。溶き卵を流しこんでふんわり仕上げるのもオススメです。 旬の魚を使いましょう。カジキマグロだけではなく、甘鯛・イトヨリなどでも代用できます。  素朴でやさしい味わいですが、長崎で採れた新鮮な海の幸・山の幸の香りが、口いっぱいに広がります。とろみに使ったさつまいもが、魚と肉と野菜のうまみを調和してくれています。カラフルな具材と透き通ったさつまいもの黄色いスープを一口いただくと、教会のステンドグラスのやさしい光を、ふと思い出してしまいました。キリシタン文化から生まれたヒカドを作ってみませんか! 参考文献 長崎県教育庁体育保健科「長崎の郷土料理(学校給食レシピ)HP 長崎県栄養士会 「長崎学・續々食の文化史 食文化をたずねて」 著者/越中哲也 発行/長崎純心大学博物館 2002年 「長崎市史・風俗編」 著者/古賀十二郎
  • 枯松神社祭 2014年03月28日
    枯松神社祭
    〜時をこえて・宗教をこえて〜  11月3日(土)、長崎市外海地区の黒崎で、"枯松神社祭"がおこなわれました。これは、江戸時代、キリスト教が禁止されていたとき、外海のキリシタンたちが崇拝していたサン・ジワンさまとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。枯松神社とは、日本でも珍しいキリシタン神社。弾圧のなかで、神社としてカムフラージュしながら、信仰の対象となるサン・ジワンさまを祀った場所です。  当日はすがすがしい秋晴れ、国道202号沿いからの美しい景色を眺めながら会場に向かいます。黒崎教会を目印にすぐ脇の山道へと入ってしばらく行くと、石階段の参道がありました。青空をさえぎるような木々の小道を登り、通称"枯松さん"と呼ばれる枯松神社へとたどりつきました。  第8回目を迎える今年の"枯松神社祭"では、カトリック教会の神父さまによる慰霊ミサ、天福寺の住職さまによる講演、旧キリシタンによるオラショ奉納が行われました。それは長い歴史の時をこえ、宗派の違いをこえた祈りの祭りでした。 神社にカムフラージュ、外海キリシタンの祈りの  まず、はじめに中町教会主任司祭の野下千年神父によって、感謝と慰霊のミサがおこなわれました。カトリック信徒のみなさんによって捧げられた「(信徒発見の歌)殉教の血潮に」という聖歌の歌詞が心に響きます。♪「殉教の血潮に 養われて 茨の道の 三百年 真の教え 守りつぎし 遠つみ先祖の 裔ぞわれらは…」♪聖歌が林にこだまし、潜伏しながら信仰を守りとおした先祖たちを讃えました。 お寺とキリシタンの共存  次に、曹洞宗天福寺の塩屋秀見住職が、「天福寺と隠れキリシタン」と題して講演をおこない、キリシタン弾圧時代の地域の人々の結びつきについてお話をされました。  ある日、カトリック信者の人たちが天福寺を訪ねてきたそうです。「私たちはカトリックの教えに戻りましたが、先祖たちが隠れていたとき、天福寺さんがそれと知りながらも守ってくれたから、今に命をつなぐことができました。」お寺の改修費にあててほしいと感謝の寄付を渡されたとのこと。徳川幕府によるキリシタン弾圧のなかで、お寺に所属する仏教徒を装い、オラショ(祈りの言葉)を伝承し、キリスト教の信仰を守りながら生きることができたのは、宗教をこえて村の人々が結束して助け合うという関係があったのです。信仰の自由が認められたとき、カトリックに戻った人、天福寺にお世話になった恩で仏教徒になった人、隠れのままにオラショを奉納する人、それぞれの道にわかれました。塩屋住職の「歴史をただ考えるのではなく、現代人として何をしなくてはいけないのかを考える場所が、ここ枯松神社なのではないでしょうか。」と投げかけた言葉がとても印象的でした。  枯松神社の脇にあるお墓を見ると、墓石に洗礼名と戒名が一緒に刻まれているものが見受けられます。宗派をこえた集落の人々の結びつきによって、各個人の精神を尊重し守ることを可能にしたという歴史を学ぶことができました。 オラショ奉納  つづいて旧キリシタン代表の村上茂則さんによるオラショの奉納がおこなわれました。代々受け継がれてきたオラショを、枯松神社の拝殿の前に静かに座り、サン・ジワンさまとご先祖たちに捧げました。会場に集まった人々も静かにオラショの言葉に聴き入りました。  木の葉がすれあう音の隙間をオラショの言霊が抜けるような不思議な感じです。目をとじると、オラショをひそかに伝承していた当時の様子が見えてくるような・・・。徳川幕府の禁教令のなか、キリシタンたちは、役人に見つからないように参道の途中にある"祈りの岩"とよばれる巨岩の影に集まり、オラショを伝承したそうです。  日本にキリスト教が伝来してから約470年。仏教もキリスト教も時代の流れに翻弄されながら、その歩みにはいろいろなことがあったと思います。そんななかで同じ地域に住む人たちどうしの思いやりや絆、結束をあらためて思い起こすことができました。歴史もさることながら、宗派をこえて集い、先祖たちに感謝する枯松神社祭は、今に生きる私たちの幸せな暮らしを、人間としてごくあたりまえに感謝することを教えてくれました。 参考文献 『旅する長崎学4 キリシタン文化検戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年
  • 小説『沈黙』に登場する晧臺寺を訪ねて 2014年03月28日
    小説『沈黙』に登場する晧臺寺を訪ねて
    〜坐禅も体験してきました!〜  小説『沈黙』で、仏教に改宗した宣教師フェレイラが住んでいたお寺という設定で登場する晧臺寺(長崎市寺町)。作者である故・遠藤周作氏は取材で長崎を訪れた際、フェレイラのお墓を探しに晧臺寺を訪ねています。16・17世紀の日本の仏教寺院は、キリシタン文化が隆盛を迎えた陰に、キリシタンたちによって放火などの破壊を受けたという歴史もありました。  今回は、小説『沈黙』の舞台となった晧臺寺をご紹介します。坐禅の体験もさせていただきましたよ。 坐禅体験  海雲山晧臺寺(こうたいじ)では毎週土曜日に坐禅会が催されています。開始時間が夜19時からとあって、お昼とは一味違う雰囲気のなかで坐禅を体験できます。この日は、特別に撮影の許しを得て参加させていただきました。  蝋燭に火が灯る僧堂に入ります。まず、壁に向かって丸いクッションのような坐蒲に腰を下ろし足を組みます。うっすらと目を開けたまま、呼吸を整えて自分の心と向き合います。夜の闇が包む空間に身を置いて、静かに流れていく時を感じる・・・。坐禅を終えると、仏像の周りをゆっくり歩く経行(きんひん)がおこなわれます。鐘の音が鳴って終了。別室でお茶を飲みながら方丈さまとの楽しい談話など、とても日常では味わえない贅沢なひとときを過ごし、満足感でいっぱいでした。長崎の身近な場所に、坐禅の体験ができるお寺があるなんて、新たな発見でした。  ここ晧臺寺は、小説『沈黙』に登場する場所。フェレイラとロドリゴのここでの問答の様子を想像したり、また、フェレイラのお墓はどこなのかと考えたり、頭のなかがいっぱいになっていました。晧臺寺を舞台に、キリシタン時代の歴史をみてみましょう。 キリシタン文化隆盛の陰に、破壊を受けた仏教寺院の苦悩  16・17世紀の日本では、ポルトガル船に乗ってやってきた外国人宣教師たちによる布教活動によって、キリスト教が広まり入信する人々が増え続けました。  一方で、仏教寺院などに対する攻撃も大きかったようです。たとえば、ザビエルが平戸に降り立ちキリスト教の種を蒔いた後、ヴィレラ神父などの活躍によって平戸のキリシタンは1,500人にもなりました。しかし、一部のパードレ(司祭)たちによって、寺にあった仏像が無残にも焼き払われ、神社も破壊され、寺院は教会に改造されました。このため仏僧や仏教徒の反感が強まり、ヴィレラ神父は平戸から追放となり、教会堂は破壊されました。また島原半島でも、有馬晴信がキリシタンになると寺社破壊がおこなわれました。岩戸山の洞穴(加津佐)に隠された仏像も処分したという報告が、宣教師フロイスの報告書にも出ています。  1580年(天正8)、キリシタン大名 大村純忠の領地"長崎"と"茂木"がイエズス会へと寄進され、住む人々はほとんどがキリシタンという時代。多く教会が建ち並び、長崎はさながら「小ローマ」のようだといわれました。1584年(天正12)、有馬晴信も領地の"浦上"をイエズス会に寄進しました。しかしその3年後には、豊臣秀吉が伴天連追放令を出し、イエズス会領となっていた長崎・茂木・浦上を取り上げ直轄地とします。続いて1592年(天正20)、長崎の教会の破壊を命令しますが、莫大な利益をもたらす南蛮貿易は続けたいという秀吉の意向もあって徹底されない部分もあり、教会は再建されて、徳川幕府の禁教令発布の1614年まで、キリシタンの町としての長崎は生き残ります。  さて、「晧臺寺」が長崎の地に創建されたのは1608年(慶長13)の頃。長崎は教会の建築ラッシュで、さらに新しい教会が建てられており、領民の心はキリシタン文化へと向いていた時代です。仏教徒にとっては厳しい状況のなかで、晧臺寺は仏教の復興に力を注いだといわれます。豊臣政権に幕が降りて、1614年に徳川幕府の禁教令が発布されると、次第にキリシタンの勢いは衰えていきました。晧臺寺は、キリシタンたちを仏教徒へと改宗させながら、禅寺としての基盤を築いていったのです。 小説『沈黙』に登場する晧臺寺  そんな16・17世紀の長崎を舞台にして描かれた故・遠藤周作氏の小説『沈黙』では、フェレイラが住んでいたお寺という設定で、晧臺寺が登場します。フェレイラは、17世紀の日本に実在した人物で、日本で布教活動をしていたイエズス会のポルトガル人宣教師。徳川幕府の禁教令によって捕らえられ、厳しい拷問の末、キリスト教を棄て、日本名を沢野忠庵と名乗り生き続けたのです。フェレイラを師と仰ぐ主人公ロドリゴは、フェレイラがキリスト教を棄てたことを信じられず、緊迫した情勢の中、密かに日本へと潜入。しかし、捕らわれの身となってしまいます。  小説では、ロドリゴが長崎奉行所の役人に連れられて、ここ晧臺寺へとやってきます。転んだ(棄教した)フェレイラと、転んでいないロドリゴが面会する場面! 対極の位置にいる2人によって「棄教のおろかさ」「生きることの意味」「殉教とは」と問答するシーンが、境内を舞台に繰りひろげられます。  また、遠藤周作こと狐狸庵先生が、フェレイラのお墓を探しに訪れた場所でもありました。晧臺寺の裏山には、写真の開祖 上野彦馬、シーボルトが愛した女性 お滝さんと娘の楠本イネなどのお墓があります。  晧臺寺は、歴史の舞台であり、長崎で活躍した人たちに親しまれたお寺なのです。 参考文献 『沈黙』 著/遠藤周作 発行/新潮社 1966年 『旅する長崎学1 キリシタン文化機戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年 晧臺寺HP 取材協力 晧臺寺