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県南エリア

  • 第4回 世界遺産候補を巡る旅 長崎市街&島原編 2007年05月16日
    第4回 世界遺産候補を巡る旅 長崎市街&島原編
    殉教、そしてキリスト教信仰の復活した時代を読み解く  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「五島編」と、3編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「長崎市街&島原編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2サント・ドミンゴ教会跡 ↓車で約15分or 徒歩で約40分 img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4旧羅典神学校 ↓車で約2時間 (長崎で宿泊。朝、車で出発!) img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6日野江城跡 ↓車で約7分
  • 第6回 島原半島ジオパークへの招待 2009年11月04日
    第6回 島原半島ジオパークへの招待
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今回の旅の必携アイテムは『旅する長崎学3』と 『旅する長崎学10』です。  今月の注目エリアは『島原半島』。2009年(平成21)8月22日、「島原半島ジオパーク」の“世界ジオパークネットワーク”への加盟が正式決定しました。“地質の世界遺産”ともいわれるジオパークに、日本で初めて認定されたということで、いま話題の島原半島を旅します。  島原半島の位置はみんなわかるかな?  では、ジオパークはどう? 世界遺産にくらべるとまだ歴史が浅いので、よく知らないっていう人も結構いるかもしれませんね。まずは、島原半島やジオパークをチェックしておこう! 島原半島の紹介 島原半島ジオパークって? 島原半島へ行く 一緒に旅をしてくれるのは、島原半島3市でそれぞれ活躍しているキャラクターたち。 島原市の「しまたろう」くん、南島原市の「六兵衛」さん そして雲仙市の「おゆっぴー」です。 今回のドライブルート 1日目千々石展望台(ちぢわてんぼうだい)・千々石海水浴場(ちぢわかいすいよくじょう)・千々石断層(ちぢわだんそう) ↓車で約15分 雲仙国立公園 ↓車で約30分 小浜温泉・小浜資料館(おばましりょうかん) ↓車で約25分 2日目 国崎半島自然公園(くにさきはんとうしぜんこうえん) ↓車で約20分 原城跡(はらじょうあと) ↓車で約30分 道の駅 みずなし本陣(ほんじん)ふかえ ↓車で約2分 雲仙岳災害記念館(うんぜんだけさいがいきねんかん) ↓車で約20分 平成新山(へいせいしんざん)ネイチャーセンター ↓車で約20分 島原城(しまばらじょう) ↓車で約20分 武家屋敷(ぶけやしき) ↓車で約5分 百花台公園(ひゃっかだいこうえん) ↓車で約3分 神代小路(こうじろくうじ)・鍋島邸(なべしまてい) スポットの紹介 1日目 千々石展望台(ちぢわてんぼうだい)・千々石海水浴場(ちぢわかいすいよくじょう)・千々石断層(ちぢわだんそう)  雲仙地溝の北の縁にある正断層。深く内陸側に入り込んだ海岸線が、高さ十数メートルの切り立った崖によって、見事に断ち切られています。島原半島の成り立ちとしても重要な場所のひとつ、「千々石断層」です。展望台はこの崖の上にあります。  千々石展望台には、長崎を代表するカステラをはじめ土産品がたくさん揃っており、多くの観光客が立ち寄り賑わっています。島原半島の大地で育ったジャガイモでつくる「じゃがちゃん」が名物! 日本景観百選の地にも選ばれた美しい橘湾の海原を眺めながら、「じゃがちゃん」を味わおう! 雲仙国立公園(うんぜんこくりつこうえん)  四季折々の自然はもちろん、地獄や温泉など魅力がいっぱいの雲仙。歴史的には、キリシタン殉教地としての悲しい歩みもありましたが、明治時代からは多くの外国人観光客が避暑に訪れて賑わい、いまもレトロな雰囲気が残ります。  次週の「テーマで歩く歴史散策」で詳しく紹介しますので、お楽しみに! 小浜温泉・小浜資料館(おばましりょうかん)  713年(和銅6)、「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」に“高来(たかく)の峰の西南より、温泉の湧出するのが見ゆ”と記されており、古くから知られた温泉場です。  1614年(慶長16)、浜に湯小屋が建てられた当時は、現在の小浜資料館・旧本多湯太夫邸下に浜湯があり、あちこちで湯気が湧く海岸だったといいます。その浜を1895年(明治28)に埋め立て、現在の小浜温泉街の礎ができました。  小浜資料館は、築160年の湯太夫(ゆだゆう)展示館、歴史資料展示館、さむらい小屋、足湯などの施設に分かれており、小浜の歴史を知ることができます。また施設内には、1944年(昭和19)に掘られた源泉もあります。  小浜の歴史を堪能した後は、ゆっくり足湯につかって旅の疲れを癒してください。 ■開館時間:午前9時から午後6時(入館は午後5時まで) ■休館日 :月曜日、年末・年始(12月29日〜1月3日) ■入館料 :100円(小学生以上) ■駐車場 :無料 ちゃんぽんの町  小浜は、知る人ぞ知る“ちゃんぽんの町”! 大抵のお店でちゃんぽんが食べられるんです。なんと、お寿司やさんにもちゃんぽんがあるんだよ!  さあ、「ちゃんぽんマップ」を持って、いろんなちゃんぽんに出会おう! 2日目 国崎半島自然公園(くにさきはんとうしぜんこうえん)  橘湾に細長く突き出した国崎半島。小規模ながら1970年(昭和45)に県立自然公園に指定されています。  国崎半島には250万年前に噴火した安山岩の溶岩や凝灰岩が分布しており、奥の方へ進んだ海岸沿いで、その姿を間近に見ることができます。 原城跡(はらじょうあと)  島原半島の南部に位置し、1496年(明応5)に日野江城(ひのえじょう)の支城として有馬貴純(ありまたかずみ)によって築かれたといわれます。  原城跡は、標高20mほどの高台が有明海に突き出た場所にあります。この地形は、約9万年前の阿蘇火山の大噴火に伴う大火砕流が、有明海を渡ってこの地まで流れてきたことによって作られた台地で、三方を海に囲まれたこの高台は、まさに難攻不落の天然の要塞でした。この地形を利用して、有馬家はこの地に原城を築きました。  この丘陵に本丸、二の丸、三の丸、出丸、天草丸などで構成された、長崎県内でも最大の平山城が築かれたのです。  江戸時代初期に勃発した「島原の乱」の最後の舞台となった場所です。1638年1月(寛永14年12月)、天草の領民を含む3万7千人(2万7千人ともいわれる)が、一国一城制で廃城になっていた原城に立てこもりました。88日間に及ぶ籠城の末、ついにこの地で島原の乱は終焉を迎えました。 #10" class="btn basic_btn">水の都とは? 百花台公園(ひゃっかだいこうえん)    雲仙岳を背景にした百花台公園は、木々や花々の自然が美しく、澄んだ空気に包まれる、とても気持ちのいいところです。  ゆっくりと深呼吸したくなる森林公園で、大自然をたっぷり満喫できます。子どもたちに大人気の遊戯施設やスポーツ施設もあるので、家族や友達と自然のなかで思いっきりはしゃぐこともできます。 神代小路(こうじろくうじ)・鍋島邸(なべしまてい)  中世の頃、現在の雲仙市国見町あたりには、神代(こうじろ)氏が住んでいました。この神代氏の最後の領主貴茂(たかしげ)は、1577年(天正5)に佐賀の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が島原の有馬氏を攻めた時、龍造寺側について有馬勢と戦いました。このときから佐賀と神代の特殊な関係が生まれました。  1584年(天正12)、有馬勢と戦っていた龍造寺隆信が島原郊外の沖田畷(おきたなわて)で戦死すると、島原半島における龍造寺の勢力はなくなりました。この混乱の中で神代氏は滅亡し、島原半島は有馬氏が完全に支配しました。  龍造寺家では、家臣の鍋島直茂(なべしまなおしげ)が実権を握ることとなり、東神代村・西神代村(現在の雲仙市国見町)・伊古(いこ)村・古部(こべ)村(現在の雲仙市瑞穂町)の4村を領有しました。そして龍造寺高房(たかふさ)の遺領を継承し、直茂の子・勝茂(かつしげ)の時に佐賀鍋島藩35万7,000石が誕生。直茂の兄・信房(のぶふさ)が神代鍋島家として所領します。  この地域は17世紀後半、鍋島嵩就(なべしまたかなり)によって、みのつる川の自然堆積地を中心に造成工事がおこなわれ、計画的に武家町が形成されていきました。  現在に至るまで様々な土地の変化はありましたが、江戸時代の地区割りがほぼそのまま残され、地域住民の皆さんのふるさとを愛する気持ちに支えられ、修理や復旧によって武家町の姿は守られてきました(国の重要伝統的建造物群保存地区に指定)。今でも鍋島邸(国の重要文化財に指定)を中心とした水路や生垣、石垣など多くの遺構に、当時の町並みの面影を見ることができます。 ■開館時間:午前10時から午後5時 ■休館日 :毎週月曜日・年末年始(都合により変更あり) ■入館料 :大人200円(団体150円)、小中高生150円(団体120円)、身障者の方100円 ■駐車場 :無料 参考資料 『旅する長崎学3 キリシタン文化III』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学10 近代化ものがたりIV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 郷土史事典(長崎県/石田 保著/昌平社出版) 取材協力 島原半島ジオパーク推進連絡協議会事務局 小浜温泉観光協会 島原城天守閣事務所 道の駅みずなし本陣 雲仙岳災害記念館 平成新山ネイチャーセンター
  • 第33回 近代医学の地 島原散策 2009年01月21日
    第33回 近代医学の地 島原散策
    〜藩医 賀来佐一郎の足跡をたどる〜  “近代医学”と言えば、「長崎」「シーボルト」を想像する人は多いでしょう。実は、長崎県の島原で、九州内の他藩や長崎に先駆けて、人体解剖が行われているのですが、意外と知られていません。藩主の松平家は歴代、学問に造詣が深く、好学の家柄であったため、人材育成の基礎となる教育には力を入れていたようです。日本三大薬園跡の一つ、旧島原藩薬園跡も残っています。  今回の歴史散歩では、シーボルトに師事し、島原藩の藩医だった賀来佐一郎(かく すけいちろう)の足跡をたどりながら、島原の近代教育や近代医学の歴史を探ります。 歴史のとびら 島原市蔵、島原市提供  島原藩は1792(寛政4)年の普賢岳噴火に伴う災害「島原大変」で、未曾有の被害を受けました。このとき、眉山(まゆやま)が崩落して城下も埋没。藩の財政は窮乏しました。  しかし、1793(寛政5)年、災害からの復旧と藩の建て直しを目指して、人材育成のための藩校「稽古館」を創設。1821(文政4)年には、医学分野を独立させ、いわゆる医学校「済衆館」を設置しました。「済衆」とは「民衆を助ける」という意味。病院や医師会としての機能も備えていたようです。  当時、島原藩は松平氏が治め、豊後(現在の大分県)にも領地を持っていました。江戸時代の中期、豊後や豊前には有名な儒学者や医家が多くいました。  豊後の島原領の出身だった賀来佐一郎は「豊後の三賢」の一人、帆足万里(ほあし ばんり)の弟子でした。佐一郎は、オランダ語を長崎のオランダ通詞の吉雄幸載(よしお こうさい)に、西洋医学と植物学をシーボルトに学び、長崎で約6年間過ごした後、1829(文政12)年、豊前安心院(あじむ)で医師として開業。その後、京都方面への遊学などを経て、1842(天保13)年に島原藩医として招かれました。翌年、藩医だった市川泰朴(いちかわ たいぼく)とともに、囚人を使った人体解剖に協力しました。同じ年、済衆館内にあった薬園の主任に任命されて、薬草の栽培研究を始め、その後、薬園の移転拡張工事にも尽力し、藩の再建に貢献します。1857(安政4)年、佐一郎は島原で息を引き取りました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:約3時間 img/sub/map_point2.gif' alt='' />2本光寺 ↓車で5分 img/sub/map_point4.gif' alt='' />4島原図書館 松平文庫 ↓徒歩10分
  • 同窓会 2014年03月24日
    同窓会
     宅間孝行さん演じる映画プロデューサー南と永作博美さん演じる妻の雪は高校時代からの初恋を実らせて、見事ゴールイン!しかし子どもには恵まれず、女優と不倫の真っ最中。南は、ある日妻の雪に離婚話を切り出し、あっさりと離婚成立。だがその昔、男性たちのあこがれのマドンナだった雪への南の裏切りを知った高校時代の仲間たちは、大激怒。そんな時、かつてのクラスメイトの石川えりから、雪の体に異変が起きたことを聞いた克之は、彼女のために高校の同窓会を計画するのでした。  南と雪たちが過ごした高校時代の舞台は、島原市。  恋敵のひとりであった入山が、なぜか「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「勇気を出して初めての告白」に出演してしまう場面では島原城や商店街で撮影され、南と雪が挙式を挙げる際には島原カトリック教会で撮影がおこなれています。  また同級生との思い出として記憶の中に残っている風景も現在の島原市のあちこちで撮影が行われました。  南と雪が結婚式を挙げた島原カトリック教会は、1612年(慶長17)から1658年(明暦4)の間に島原半島一帯で殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、祈りの家として建てられたものです。  猛島神社は、1618年(元和4)に松倉豊後守重政公が、森岳城(現島原城)を築くまで、森岳大権現として祀られたといわれています。  また夏祭りに撮影された八幡神社は、諸説ありますが、神功皇后が高来(たかぎ)郡の悪る者を征伐されたときの陣所跡に建立され、御神徳を崇め奉ったのが八幡神社の起りともいわれています。島原の乱後に島原藩主になった高力忠房は、神社佛閣の再建に務めたといいます。    “勘違いは人生最高の悲劇であり喜劇である”  実際、このコピーから始まるこの映画は、途中で勘が働く方は、結末を予測できるかもしれません。しかし涙あり、笑いありで観た後にすっきりする映画に仕上がっています。永作博美さんや宅間孝行さん、中村獅童さんら豪華キャストが島原弁で話しているのも新鮮で、見応えがあります。  このようなストーリーが、いかにも“島原市らしい”景観の中で展開するというのも、面白いかもしれませんね。
  • かんざらし 2014年03月27日
    かんざらし
     島原の名物のひとつに「かんざらし」があります。「かんざらしって何?」って思う方も多いかもしれませんね。水がきれいな島原ならではのスイーツです。   島原城の売店にある食事処や武家屋敷通りなどの歴史スポットや観光地、飲食店などで食べることができます。  ゆであげた白玉をさらすのに大量の冷たくきれいな流水が必要なのですが、湧き水が豊富な島原ならではの逸品です。餅米の粉に湧き水を加えて、手でパチンコ玉程度の大きさに丸めます。熱湯に入れてゆであがったら冷たい湧き水にさらします。  カラメルや砂糖で作った冷たいシロップに、ほどよく柔らかくなった白玉を入れて出来上がりです。    柔らかくも歯ごたえがある食感がなんともいえません。シンプルな甘さで、散策後の疲れを癒すのにもオススメです。量的にも「もうちょっと食べたいな」という感じで、最適なボリュームですよ。冷たいスイーツを食べてスッキリしたところで、次の観光地へ向けてスタートしましょう! かんざらしは、島原城にあるお食事処や武家屋敷通りなどの歴史スポット、その他観光地、飲食店などで食べることができます。 ※メニューにないお店もありますので、ご注意ください。
  • 雲仙岳災害記念館 2014年03月24日
    雲仙岳災害記念館
    雲仙岳災害記念館  火山というものがどんなものなのか・・・見る・体験する・遊ぶ・学ぶ・憩う。火山に関する知的エンターテイメントがギッシリ詰まった一大空間がこの雲仙岳災害記念館です。  1990年(平成2)11月に始まった雲仙・普賢岳の噴火活動から1996年(平成8)5月の噴火活動終息宣言まで、何が起き、何が残ったのか・・・。大自然の脅威とそれに立ち向かった人々の英知を余すところなく展示しています。 さあ、早速、雲仙岳災害記念館へ行ってみよう!  雲仙普賢岳噴火活動が始まってから、溶岩ドームは1991年(平成3)5月以来、13も出現しては成長し、幾度かの崩落によって火砕流が引き起こされ、同年6月3日の大火砕流によって尊い命が奪われました。地元住民7人、消防団員12人、警察官2人、火山研究者3人、報道関係者20人と合計44人が犠牲となりました。  噴火活動がおさまった今では、この溶岩ドームも雄大な景観の一部となり、雲仙岳の最高峰「平成新山」(1,486m)として堂々たる存在感を示しています。  その平成新山に対峙して、埋め立てられた場所に建てられたのがこの雲仙岳災害記念館です。 館内の見どころ  雲仙普賢岳のジオラマに火砕流と土石流のシミュレーションCGの映像を重ね合わせた「平成噴火シミュレーション」、直径14mのドーム型スクリーンで噴火を疑似体験する「平成大噴火シアター」、火砕流のスピードを走り去る光により体感する長さ40mの「火砕流の道」、寛政年間の噴火を昔話風にわかりやすく紹介する「島原大変シアター」など、どれも迫力満点で火山の恐ろしさを実感することができます。  「平成大噴火シアター」を観て火砕流と土石流を体感し、シアターを出ると「焼き尽くされた風景」の前に出ます。火砕流で焼けこげた電柱や電話ボックス、報道陣のカメラなどが実物で展示されており、当時の火砕流のすさまじさがよくわかります。 復興・再生、火山との共生  雲仙岳災害記念館は、雲仙普賢岳の噴火活動の内容や火砕流や土石流の資料だけではありません。  1Fフロアを出て、溶岩の庭を眺めながら2Fフロアへあがると、「雲仙・大火砕流378秒の遺言」があります。ここでは1991年6月3日の大火砕流で犠牲になったカメラマンの被災カメラを展示し、そのカメラに残されていた実写映像(撮影時間378秒)を基に編集されたドキュメンタリーを観ることができます。ここでも火砕流がどんなものであったのか、当時の緊迫した雰囲気をリアルに感じることができ、当時の報道を思い出します。  そして写真や映像で災害に立ち向かう人々や復興への取り組みを紹介する「火山との共生(1F)」や噴火災害を体験した人々から、支援いただいた方や来館者の方々への感謝の気持ちと復興再生への思いを伝えた「明日へのメッセージ」では、復興・再生へと取り組んだ人々の思いを知ることもできます。「明日へのメッセージ」では、等身大の人形の手と握手をするとメッセージを聞くことができますので、ぜひ試してください。  2011年(平成23)3月11日、東日本大震災による甚大な被害が発生しました。ニュース映像をみると、雲仙・普賢岳の噴火による火砕流・土石流の被害のことも思い出し、とても悲しくなります。  雲仙岳災害記念館の出口手前には「希望のプロムナード」コーナーがあります。噴火災害後から復興・再生へ立ち向かった人々の思いが3つのテーマに分類されており、ひとつひとつ読むことができます。当時のことを思い出しながら読むと感動はひとしおです。復興・再生への希望、強い力を感じました。    島原半島を訪れたら、必ず立ち寄ってほしいスポットです。 雲仙岳災害記念館 長崎県島原市平成町1-1 TEL:0957-65-5555 FAX:0957-65-5550   【営業時間】  9:00〜18:00(入館は17:00まで) 【休業日】  年中無休  但し、メンテナンス休館日あり   URL: http://www.udmh.or.jp/
  • 島原城 2014年03月27日
    島原城
     島原城は、1624年(寛永元)、松倉重政(まつくらしげまさ)が7年の歳月をかけて築いたものです。安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城でした。以来、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田市、再び松平氏と4氏19代の居城として輝きました。  明治の御一新で、城壁だけを残して解体されてしまいましたが、島原市民の支援もあり、現代に復元された島原城は、観光スポットとして人気を集めています。  さっそく天守閣に行ってみよう! 現在の島原城  復元事業によって、1960年(昭和35)にまず「西の櫓」が、続いて1964年(昭和39)には「天守閣」が再び姿をあらわしました。このとき館内を資料館として整備し、収集した史料を「キリシタン史料」「郷土資料」「民俗資料」と各階ごとに分けて公開しました。  1972年(昭和47)には「巽(たつみ)の櫓」が復元され、郷土出身者で文化勲章受賞者である北村西望(きたむらせいぼう)氏の彫塑を展示した「西望記念館」が開館しました。  さらに1996年(平成8)、敷地内に「観光復興記念館」も開館しました。    天守閣の1階では、キリシタン関係の資料や文物を中心とした「キリシタン史料」コーナーとなっています。島原の乱にまつわる貴重な史料も数多く展示されています。  2階は「郷土資料」。島原城関連の文物を中心に、松平家の家宝や太刀、数々の藩主に関連した史料を見ることができます。なかでも島原藩では医学が進歩しており、当時おこなわれた人体解剖の際に描かれた解剖図も、貴重な史料として展示されています。  3階には、郷土の庶民生活に関する「民俗史料」が展示されています。当時の庶民の生活に関わる史料をはじめ、島原で製作されてきた眉山焼などが展示されています。  日本国内の城の紹介や祭事の写真などが紹介されている休憩室と観光・物産コーナーをあがると、島原の街並みを360度パノラマで眺めることができる天守閣・展望所があります。島原の街並みはもちろん、平成の雲仙普賢岳噴火災害によって形成された溶岩ドーム「平成新山」や、遠くは熊本県まで見渡すことができます。 西望記念館・観光復興記念館・民具資料館  日本彫塑界の巨匠で、文化勲章を受賞した郷土出身の芸術家・北村西望氏の米寿を祝し、代表作品約60点を展示した施設「西望記念館」です。  作品を見てみると、人物の表情が実にいきいきとしており、いまにも動き出すんじゃないかと思うほどリアルな雰囲気を醸し出しています。  また有名な作品のひとつに「平和祈念像」がありますが、その原型や完成に至るまでの過程を知ることができます。  島原城を訪れるなら、この「西望記念館」もオススメですよ。お見逃しなく!!    「観光復興記念館」では、雲仙普賢岳噴火災害の歴史や実態の紹介をはじめ、島原の歴史や文化、観光名所などを映像や史料で紹介しています。1階の映像ホールでは、ワイドスクリーンで噴火活動の経過などを15分程度で上映しています。  この記念館を訪れると、島原のことをもっと深く知ることができます。    また「民具資料館」では、明治期から昭和にかけての暮らしが偲ばれる、懐かしい民具の数々が展示されています。 島原城の楽しみ方  島原城天守閣の入り口では、武士や町娘、忍者、坂本龍馬に扮し、歌ったり踊ったりしながら、入場者の方々を迎える姿が目につきます。観光客の方々に声をかけ、一緒に武士や忍者の衣装を着て記念写真を撮ってくれるんですよ。この演出を楽しまれる方も多く、一緒に写真を撮る方もどんどん増えているそうです。  大人用から子供用まで、武士や忍者の衣装が多数そろっており、無料で扮装体験を楽しむことができるようになっています。この演出も島原城での思い出づくりのひとつとして、ぜひ体験してみてくださいね。 (財)島原城振興協会 長崎県島原市城内1丁目1183-1 TEL:0957-62-4766 [開館時間] 午前9時から午後5時30分 [入館料] 大人520円、小中高生260円、団体(30人以上)は個人の2割引 [駐車場] 一般車両310円、大型バス1,050円、小型バス520円 URL: http://www.shimabarajou.com/
  • 具雑煮を作ろう! 2014年03月28日
    具雑煮を作ろう!
    〜長崎の郷土料理(3) 島原編〜  具雑煮は、島原半島の郷土料理です。その誕生は、約370年前に起こった"島原の乱"に由来するといわれます。  1637年(寛永14)、総大将の天草四郎率いる約3万7千人の一揆軍が、幕府軍との攻防の末、原城(南島原市)へと籠城しました。蓄えていた餅と、海や山でとれた具材を持ち寄って煮込んで食べたのではないかといわれています。寒さの厳しい冬に、この料理で体を温め、栄養を補給しながら、戦ったのではないでしょうか。  現在、島原らしい郷土料理として親しまれている具雑煮。中身は、鶏肉、丸餅、かまぼこ、旬の野菜など約10種類以上にものぼります。薄口しょうゆでほんのりと味付けした素朴なスープを飲むと、野菜の甘みが口いっぱいに広がり、体が温まります。今回は、具雑煮づくりに挑戦です。 材料:1人前 ・鶏肉 25g  ・丸餅 40g(小4個)  ・里芋 30g(小1個)  ・白菜 50g(大きい葉っぱの約半分)   ・だいこん 50g(1/20本)  ・にんじん 30g(1/5本)  ・ごぼう 30g(1/5本)  ・春菊 適宜  ・干し椎茸 0.4g(0.5枚)  ・凍り豆腐 3g(1/2枚)  ・油揚げ 1/2枚  ・かまぼこ 1/6個 *かまぼこは、ちくわ、昆布巻き、板付けなどお好みに合わせて3〜4種類を、各2切れずつ用意しましょう。また、長崎では、イワシやサバを原料にした薄い円形のかまぼこを "はんぺん"と呼ぶ場合があります。このはんぺんを入れてもおいしいですよ! ●調味料 ・薄口しょうゆ 6g(小さじ1)  ・濃口しょうゆ 6g(小さじ1)  ・みりん 17g(大さじ1)  ・酒 15cc(大さじ1)・塩  0.1g ●だし汁 ・かつお節 2g  ・だし昆布 2g  ・水  200cc ★用意するもの ・1人前の鍋を人数分 作り方 (1)だし汁をつくりましょう  あらかじめ、だし汁を準備しておきましょう。  鍋に、水、干し椎茸、昆布を入れて約30分〜1時間ほど浸します。沸騰する直前で昆布と干し椎茸を取り出しましょう。鍋にかつお節を加え、沸騰したらすぐに火を止めます。ザルなどで濾しましょう。  *取り出した干し椎茸は、包丁で薄く切ってください。 (2)材料を切りましょう  野菜を食べやすい大きさに包丁で切ります。里芋は乱切り、ごぼうはささがき、にんじんと大根は短冊切り、白菜は3センチ幅に切りましょう。  凍り豆腐は、水に戻して薄切り、かまぼこは薄切り、油揚げはざっくりと切ります。 (3)鍋で鶏肉を炒めましょう  一人前の小さな土鍋を用意しましょう。  鍋を火にかけて、こま切れにした鶏肉を中火でから炒りします。 (4)だし汁を加えましょう  鶏肉の表面に火が通ったら、(1)のだし汁を加えましょう。 (5)野菜を煮ましょう  だし汁が沸騰してきたら、にんじん、ごぼう、さといも、だいこん、干し椎茸を加えて煮ましょう。アクを取り除いたら、弱火にしてコトコトと煮ます。  野菜に火が通ったら、薄口しょうゆ、濃口しょうゆ、みりん、酒、塩でほんのりと味付けです。 (6)餅の登場です!さらに具材を加えてひと煮立ち  さらに白菜、油揚げ、凍り豆腐、かまぼこ、丸餅を加えましょう。火加減を調節して鍋に蓋をし、ひと煮立ちさせます。 (7)完成です!  丸餅がやわらかくなったら食べごろですよ。中央に春菊を盛り付けて完成です。 さぁ、いただきまーす! ★調理のポイント★ 焼きあご(長崎の特産で、干した飛魚を炙ったもの)でとった"あごだし"でつくってもおいしいですよ! 島原半島では、卵焼き、焼きアナゴ、れんこんを入れたりします。 各家庭で、材料や味付けは様々です。レシピに掲載した材料にこだわらず、いろんな素材を用意して、とにかく具だくさんに仕上げましょう! 島原半島では、白菜ではなくシロナという野菜を使います。  あっさりとしていながら出汁はしっかりと。野菜の甘みが引き立つやさしい味にプラスして、お餅がパワーを体にみなぎらせてくれるような、元気なおいしさです。お正月のお雑煮としてだけでなく、寒い冬はいつでもOK。腹持ちが良いので受験生にもオススメですよ! ぜひ一度、お試しください! 参考文献 長崎県教育庁体育保健科「長崎の郷土料理(学校給食レシピ)HP 長崎県栄養士会 「旅する長崎学3 キリシタン文化掘廖ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年 島原温泉観光協会
  • 島原半島ジオパークを知ろう! 2014年03月28日
    島原半島ジオパークを知ろう!
    "島原半島ジオパーク"って知ってる?  2009年(平成21)8月22日、中国泰安市で開催された世界ジオパーク事務局会議において、「島原半島ジオパーク」「糸魚川(いといがわ)ジオパーク」「洞爺湖(とうやこ)有珠(うす)山ジオパーク」の3つが、日本国内で初めて世界ジオパークネットワークへの加盟が認められ、「世界ジオパーク」として認定されました。  さて、この『ジオパーク』って一体何なのでしょうか?  島原半島ジオパーク事務局を訪ねて、いろいろと聞いてきました。 ジオパークとは?  ジオパークという言葉は、「ジオ」という言葉と「パーク」という、二つの言葉でつくられています。    「ジオ」は“地形や地質”を意味し、「パーク」は“公園”を意味します。よって、ジオパークを日本語にすれば、「大地のなりたちや地形・地質をテーマにした自然公園」と言えます。あたかも地域全体を一つの「自然の博物館」と捉え、そこに含まれる自然景観(地形)、地質、動植物といった自然環境、そしてそれらを利用している人々の暮らし、歴史、文化を「展示物」と見なした、テーマパークのようなものです。 水無川から見た平成新山 国崎半島自然公園の断層 原城跡 世界遺産とはどう違うのですか?  世界遺産は、すぐれた文化遺産や自然遺産を人類の宝物として保護することを目的としていますが、ジオパークは、貴重な地形や地層などを保護しながら、地域の科学・防災教育や地域振興に活用することを目的としています。 ジオパークとして認められる基準はあるのですか?  ジオパークになるための大まかな条件は、以下の4つです。   1.学術的に貴重な地形・地質遺産や美しい自然環境が複数あること 2.それらが保護されていること 3.それらをうまく利用した人々の暮らしや歴史があること 4.それらの貴重さやすばらしさを、誰もが学習し、観光地として楽しむことができるしくみが整備されていること    さらに、これらを長年継続していけるような組織も必要です。    ジオパークとして認定されるための地域整備を行うと、どのような効果があるのでしょうか。まず、地球科学的遺産の保護とそれらの貴重さの啓蒙活動により、地域の自然環境の保全と、その意義を後世に伝えるための仕組み作りが進みます。次に、地球科学的遺産を用いた教育普及活動をすすめる事により、子供達をはじめ、住民全体が、自らの郷土のすばらしさを再認識し、郷土に誇りと自信を持つ事ができます。さらに、これらの貴重さを一つのセールスポイントとしてし、地域のPRを勧めていくことにより、地域が国内外から注目され、観光客が増加し、地域経済の活性化に繋がる、と期待されます。 島原半島ジオパークとして、現在どのような活動をしていますか? はだしであそぼう雲仙  島原半島3市の市報などの紙面を活用して、ジオパークの意義や取り組みを広くお知らせしています。また、ウェブでは各種イベントの案内や、その様子を伝えています。  >> 島原半島ジオパーク 公式ホームページ  いま人気があるイベントは、「ジオツアー」とよばれる地形・地層の見学をメインとした小旅行です。地形・地質の専門家やボランティアガイドの方々が、島原半島のみどころをわかりやすく解説します。ほかにも、地元の産物の収穫体験や、湯せんぺい、手延べそうめんなどの特産品の制作体験ができるコースも用意されています。  雲仙火山が長年かけて堆積させた地層によって濾過され、湧き出たきれいな地下z水が美味しいそうめんを作り、また火山灰と温暖湿潤な気候が肥沃な大地を産み、じゃがいもを育ててくれる。これらを見学・体験することで、島原半島ジオパークの魅力を、存分に堪能することができます。  >> イベント情報について 【島原半島ジオパーク公式サイトへ】  最近作成されたパンフレットに、オススメのコースとして、車で半島内を移動しながら「ジオサイト」を巡る「ジオさらくコース」が掲載されています。「ジオサイト」とは、島原半島内に点在している地形や地層を観察・体験できる場所のことですが、平成の噴火や島原大変、温泉・断層、島原半島の成り立ちをたどるなど、充実したコースが紹介されています。  今回の島原半島めぐりで立ち寄った温泉も、古くからの火山活動によるもの! まさにジオパークのひとつのかたちです。“ジオサイト”だと意識しながらお湯につかると、地球に抱かれたような気分がしてきて、また違った感じのリラックスができますよ。島原半島には、「島原温泉」「雲仙温泉」「小浜温泉」と3つの有名な温泉がありますが、その泉質と効用もそれぞれ異なります。島原半島を旅するなら、島原・雲仙・小浜と3泊して、すべての温泉と食べ物をゆったり味わいながら、豊かな自然や歴史を“ジオパーク”という切り口でじっくりと堪能してみてください。 島原温泉 雲仙温泉 小浜温泉 島原中心街にある「ゆとろぎの湯」は飲める温泉。駐車場にある足湯のそば。 慢性消化器病、糖尿病、痛風、肝臓病に効果があると言われています。 雲仙は泉質的に強い酸性をもっているので、殺菌効果があります。湿疹やしもやけ、切傷などの皮膚病全般に効果があります。また美肌効果もあり、慢性のリューマチ、糖尿病、神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、健康増進にも適していると言われています。 小浜温泉は、入浴後も熱の発散を防ぎ、皮膚に軽い刺激を与えるので、新陳代謝を促して皮膚の抵抗力を強めてくれます。リューマチ・神経痛に効果があると言われます。 参考資料 島原半島ジオパーク推進連絡協議会事務局 島原半島ジオパークパンフレット『ジオパークってなに?』
  • 島原藩2 2014年03月28日
    島原藩2
      1853年(嘉永6)、ペリーの来航以降、長崎港にも異国船が頻繁に訪れました。そのたび島原藩は、警備のために兵を長崎へ送ったり、藩主自らの長崎巡見などを行いました。しかし藩費はかさむばかりでした。また島原では流行病が発生し、領内で6百人を超える死者が出たといわれています。 1862年(文久2)、藩主・忠愛(ただちか)が嗣子無くして急死したため、急遽密かに水戸・徳川斉昭(なりあき)の十六男として生まれた松平忠和(ただかず)が養子となり、最後の島原藩主となりました。 島原藩幕末の志士たち 激動する政局のなか、島原藩にも尊王攘夷の思想を持った志士がいました。丸山作楽(さくら)、半田清直、梅村真守(まもり)、石田貞幹(さだもと)、尾崎靖(やすし)、保母建(ほぼたけし)、伊藤益荒などが攘夷運動を展開していました。 島原藩主の交代により、梅村真守らは攘夷を建言しますが、松平忠和は江戸幕府最後の将軍となる慶喜の実弟であったため、幕末は特に佐幕思想が強くなり、多くの尊王攘夷派が処罰を受けました。 志士らは、平田篤胤(あつたね)の後継者・平田 銕胤(かねたね)について国学を学び、文武修行の名義で上京し、他藩の攘夷派と交流を深めました。 その後保母建と石田貞幹、尾崎靖は、尊王攘夷派の武装集団・大和天誅組(てんちゅうぐみ)に加わり、幕府軍と戦いましたが、保母建は紀州兵に囲まれ自首、尾崎靖は津藩兵に捕まるなどして最終的に獄死しました。また梅村真守と伊藤益荒は水戸藩の天狗党(てんぐとう)に参加しましたが、内紛なども起こり、本隊から離れ各地を転戦しましたが、二人とも戦死しました。 神習処跡 かねて禁門警備にあたっていた丸山作楽は、八月十八日の政変により長州藩など京都の尊王攘夷派が一掃され、公武合体派の勢力が強まったため、島原藩に戻りました。そして1863年(文久3)に上新丁(武家屋敷跡近く)に私塾・神習処(かんならいどころ)を開き、藩士に国学と神道を説き、尊王思想を鼓舞しました。しかしあまりにも丸山作楽の思想と行動は激しかったため、島原藩の忌避するところとなり、謹慎を命ぜられています。三条実美ら5卿が大宰府に移されたと聞いては、脱藩して島原藩に迎え入れようとしましたが、実現しませんでした。 龍馬の島原上陸 龍馬長崎上陸の地 この騒動のなか、1864年(元治元)には勝海舟とともに坂本龍馬らが島原湊に上陸しました。英仏米蘭4カ国連合艦隊の長州攻撃を阻止するために、海舟は外国勢との調停役としての幕命を受けていました。このとき龍馬は30歳で、海舟の信頼を受け、神戸海軍操練所の塾頭を務めてた頃です。 島原湊上陸後、島原街道、長崎街道を通り長崎に到着しています。 龍馬が初めて長崎に上陸した島原湊の石段には、現在「龍馬長崎上陸の地」の看板がたっています。 戊辰戦争 藩主・忠和の実兄で最後の徳川将軍慶喜は、1867年(慶応3)に政権返上を明治天皇に上奏し、大政奉還がなされました。 翌年には会津・桑名藩を主力とした旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩によって構成された新政府軍とが鳥羽・伏見で激突しました。この戦いで旧幕府軍の不利が伝わると、長崎奉行河津祐邦(すけくに)は長崎を抜け出して京都へ向かったため、長崎の町は土佐藩や薩摩藩などの藩士が協議して守ることになりました。これを知った島原藩は藩士を集めて協議し、使者を長崎へ送り、各藩士と接触させ、長崎会議所にて力を合わせて王事に尽くすことを誓いました。その後九州鎮撫総督として沢宣嘉(のぶよし)が長崎に着任すると、島原藩は安芸藩とともに大波止の警備につきました。 藩主・忠和は朝廷に対して、慶喜は実兄であるが、王事よりほかに他意はない。兄弟の縁は問わないことを伝えています。 さらに沢総督から奥羽への出兵要請を受けて、出羽国船川に上陸し、秋田へ出陣しました。その後檜木山から湯の沢をへて転戦し、一時は敵に囲まれて苦戦しました。ここで磯野波蔵、小沢文十郎、木下鉄之助が戦死しました。角館(かくのだて)にひきあげた後、長崎の振遠隊(しんえんたい)と合流し、南部領へ進みました。盛岡藩の降伏後に東北の反乱も平定したため、解兵の令がおりました。 戊辰戦争により、島原藩は砲戦を主とした英国軍隊方式を取り入れるなど軍制を改めました。 丸山作楽のその後 明治維新後、政府に請われて外務大丞(だいじょう)に就任し、樺太の国境問題についてロシアと交渉しました。また後に征韓論に同調したため、一時投獄されていますが、出獄後に新聞『明治日報』を起こし、1882年(明治15)には東京日日新聞の福地源一郎(ふくちげんいちろう)とともに立憲帝政党(りっけんていせいとう)を結成、保守的政治家として活動しました。 猛島神社にある丸山作楽の歌碑 1886年(明治19)には宮内省図書助(ずしょのすけ)に就任し、伊藤博文の命をうけて渡欧しスタイン博士に学び明治憲法や皇室典範の制定に尽力しました。また1890年(明治23)には元老院議官・貴族院議員に就任するなど政界で活躍しました。 丸山作楽は、万葉の歌人でもありました。島原市の霊丘(れいきゅう)公園や猛島(たけしま)神社などには丸山作楽の遺徳をたたえる大きな石碑や歌碑が建立されています。 参考資料 『島原の歴史 藩政編』(発行/島原市) 『長崎県の教育史』(外山幹夫 著/思文閣出版) 歴史散策 南島原市有家町(ありえちょう)は、古くから「庄屋の町」として栄えた町です。酒蔵、みそ醤油蔵や素麺蔵、神社やお寺、キリシタン遺跡、レンガ塀などの産業遺産等が多く残っています。これらの遺産を後世に伝えると共に、地域経済の活性化を目的に「ありえ蔵めぐり」イベントが開催されています。 約8メートルもある巨大な一本の木を天井からつるし、てこの原理によって微妙な圧力をかけて搾り上げる“撥ね木搾り”という古くから伝わる技法によって酒を作り続けている壱之蔵吉田屋。 雲仙山系の清純な伏流水を仕込み水として、厳選した良質の酒造好適米を高精白に磨き上げ、昔ながらの手造りの良さを守り続けている弐之蔵浦川酒造。1918年(大正7)、初代が味噌・醤油の製造を始めたことに始まる参之蔵喜代屋、古民家好きにはたまらない風情の建物の四之蔵ヤマコメ醸造、雲仙山麓の上質な水と、厳選された小麦を使い昔ながらの製法で丹念に熟成を重ねしっかりとした「コシ」の強いそうめんを作り続ける五之蔵島原一揆村ふるせの5つの蔵があります。 年に数回開催されている「ありえ蔵めぐり」イベント期間中には、「蔵さるき」ガイドツアーも開催されています。まち歩きを通して、長い歴史で培われた「蔵の文化と生活」に触れてみませんか。