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県南エリア

  • 第11回 二十六聖人が歩いた浦上街道 2007年09月05日
    第11回 二十六聖人が歩いた浦上街道
    −殉教地「長崎」へと向かう26人の道−  日本に漂着した一隻の外国船サン・フェリペ号。 航海士の「スペインはキリスト教信者を増やして、やがてその国を制服する。」という発言に衝撃を受けた豊臣秀吉は、日本で布教活動をおこなう宣教師や信徒の捕縛と処刑を命じました。 京都・堺から長崎まで約1,000キロの道のりをおよそ1ヶ月かけて裸足で歩かされ、西坂の地で殉教した日本人20人と外国人6人の物語。 今回は、処刑地「長崎の西坂」を目前にした最後の2日間、キリシタン26人が歩いた浦上街道をたどります。 歴史のとびら  1596年、土佐の国にある浦戸海岸(現在の高知市)に一隻のスペイン船が漂着しました。 フィリピンからメキシコを目指して太平洋を航海中、台風に遭って破損したサン・フェリペ号でした。 豊臣秀吉から調査に派遣された増田長盛は、「スペインはまずキリスト教の宣教師を派遣して信徒を増やし、やがてその国を制服するのだ。」という航海士の不穏にささやく言葉を耳にし、秀吉に伝えました。 その報告を受けた秀吉の衝撃は激怒に変わり、すぐさま、宣教師たちを捕らえるよう命令したといいます。 サン・フェリペ号に修道士が乗船していたことから、1587年に発していた伴天連追放令を根拠に、国内で布教活動をおこなっていた宣教師たちが捕らえられました。 サン・フェリペ号事件が、日本で最初の大殉教事件の引き金となったのです。  京都ではフランシスコ会の宣教師ペドロ・バプチスタら6名、大坂ではイエズス会の修道士パウロ三木ら3名、ほか合わせて計24名が捕らえられます。 1597年1月3日、24人のキリシタンたちは、京都の上京一条の辻で左耳をそぎ落とされ、見物人が見守るなか、町中を引きまわされました。 そして、処刑地の長崎へと送られるのです。1月9日に堺を出発。 山陽道を西へと裸足で歩かされ、下関に着く途中でペドロ助四郎と大工のフランシスコが加わり26人となりました。 2月4日、長崎の彼杵宿に到着。大村湾を小舟で時津港へ渡り、翌日の早朝、処刑地の西坂に向かって浦上街道を歩きました。  1597年2月5日の午前10時頃に西坂の丘へと到着、長崎の港に向かって一列に並べられた十字架に縛りつけられました。 正午、信仰を貫いた26人は、役人に槍でつかれて昇天・・・。  長崎港の開港によってポルトガル船が行き来し賑わう長崎は、キリシタンの町として栄えていました。 "キリスト教は禁止するもポルトガル船の来航は奨励する"という秀吉の伴天連追放令は、貿易と布教が一体となったポルトガルにとっては矛盾したものでしたが、この「長崎」をキリシタンの処刑地として選ぶことによって、秀吉は自分のキリスト教への考え方を世に示したのです。 宣教師への見せしめと長崎の町に対する警告だったのでしょう。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2日本二十六聖人上陸の地の碑 ↓車で約20分 or バスで約30分 or 徒歩で約2時間 img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4ベアトス様の墓 ↓徒歩で約7分 img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6サン・ラザロ病院の跡(山王神社)と浦上街道の碑 ↓徒歩で約5分 img/sub/map_point8.gif' alt='8' />8日本二十六聖人殉教地 記念碑と記念館 ↓徒歩で約15秒9