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しまエリア

  • 第5回 世界遺産候補を巡る旅 下五島編 2007年06月06日
    第5回 世界遺産候補を巡る旅 下五島編
    しまの教会群が物語るキリシタンの歴史  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「下五島編」「上五島編」と、4編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「下五島編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会堂は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2旧五輪教会堂 ↓福江島の福江港に戻り、奈留島の奈留港へフェリーで約40分+車で約15分
  • 第7回 遣唐使の旅立ちの地をめぐる 2010年01月13日
    第7回 遣唐使の旅立ちの地をめぐる
     ドライブルートのなかから、歩いて学べるエリアをクローズアップしてご紹介するコーナーです。今回の散策コースのテーマは、「遣唐使の旅立ちの地をめぐる」です。  五島を経由した遣唐使のなかで、最も有名なのが804(延暦23)の船団。4隻の船が筑紫博多の津を出帆し、唐をめざしました。第1船には、大使・藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)、空海(くうかい)、橘逸勢(たちばなはやなり=空海・嵯峨天皇と並んで三筆のひとりと称される書道の名人)が、第2船には最澄(さいちょう)が乗船していました。後世日本を代表する名僧が渡唐したことでも特筆すべき船団といえます。   今回は、東シナ海から吹く潮風を感じながら、遣唐使ゆかりの地を辿ってみましょう!  *「高崎鼻公園」から「道の駅 遣唐使ふるさと館」へは車で移動しました。 散策エリアの位置をチェック 散策コース&マップ 柏崎公園(かしわざきこうえん)・空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」 ↓歩いて約5分 ふぜん河・岩獄神社(いわたけじんじゃ) ↓歩いて約15分 高崎鼻公園(たかさきばなこうえん) ↓車で約20分 道の駅 遣唐使ふるさと館 ↓歩いて約10分 白良ヶ浜万葉公園(しららがはままんようこうえん) スポットの紹介 柏崎公園(かしわざきこうえん)・空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」    五島市三井楽(みいらく)は、「肥前国風土記」に『美弥良久(みみらく みねらく)の崎』として登場する、遣唐使船最後の寄港地であるといわれています。遣唐使たちはこの柏崎を日本の見納めとし、決死の覚悟で東シナ海へと漕ぎ出していきました。その心境を記した空海の名文“日本最果ての地を去る”という意味の「辞本涯」の碑や、遣唐使として旅立つ我が子の無事を祈る母の歌を刻んだ碑が建立されています。この地に立って、大海原を眺めながら詠んでみると、とても感慨深いものがあります。  江戸時代に入ると、五島は捕鯨で栄えますが、この柏地区にも捕鯨の一団が移住してきて、冬場だけを猟期として活躍したそうです。当時は、「鯨一頭捕れれば七浦潤う」といわれ、五島藩財政にとっても重要な資源でした。しかし、鯨の減少により幕末にはほとんどの鯨組が解散しました。 ふぜん河・岩獄神社(いわたけじんじゃ) 【ふぜん河】  「肥前国風土記」の中に、「遣唐の使は、この停から出発して、美弥良久の崎に至り、ここから発船して西を指して渡る」と記されています。  この美弥良久の崎が現在の柏であり、遣唐使が廃止された後も、中国へ渡航する船の日本最後の寄港地として重要な役割を果たしました。この川の水は、それらの船の乗組員たちの飲料水として利用されたといわれ、岩盤から湧き出る水は渇水期でも尽きることがありません。 【岩獄神社】  遣唐使船が柏に寄港した832年(天長9)頃、遣唐使の守護の任にあった鎖鎌(武器)の名人が、順風を待って滞在しているあいだに病死してしまったため、碑石を建ててその霊を祀ったといわれています。老松が生い茂り石垣は波に洗われていたところを、村人たちが話し合ってこの神社を建てたそうです。 高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)  高崎草原の遥か彼方には、東シナ海を経て中国大陸が続いています。草原に落ちる夕陽や、冬の激しい白波は一見の価値があります。  この公園の広場には、「蜻蛉日記(かげろうにっき)」の作者・藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母の歌碑が建立されています。  「蜻蛉日記」には、「いづことか音にのみ聞くみみらくの 島がくれにし人をたづねむ」と詠まれ、“三井楽というところに行けば、死んだ人に会える”という噂が京の都でなされていたことが書き残されています。都人にとって、五島はこの世の果てとも感じられるほど遠い存在だったのでしょう。  公園内には「万葉荒雄の路」と名付けらた散策路も設置されており、遣唐使の日本最後の地までの800mを、万葉の浪漫に浸りながら歩くことができます。 道の駅 遣唐使ふるさと館  島にある“道の駅”で、遣唐使の歴史を知ることができるスポットです。お土産や食事をめあてに立ち寄るのももちろんいいですが、遣唐使をテーマとした歴史に関する資料の展示や映像があるのでお見逃しなく!  展示コーナーでは、万葉集に掲載されている三井楽を読んだ歌などをピックアップして紹介しています。「万葉シアター」(有料)では、万葉集の「筑前国志賀(ちくぜんのくにしか)の白水郎(あま)の歌十首」で山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだという歌をテーマにした『行きし荒雄ら』と、三井楽で別れを惜しみつつ旅立つという歴史をもとにした感動のオリジナル物語『遣唐使ものがたり』の2本が鑑賞できます。 【万葉シアターについて】  ■上映時間 約28分  ■料金 一般:大人300円 小人200円/団体:大人250円 小人150円 (団体は15名様以上)  地域向けの企画展示スペースや休憩所もあり、五島列島の海の幸・山の幸をはじめ、椿油やご当地グッズなど人気商品がズラリと並ぶ販売所は充実の品揃えです。 展示コーナー万葉シアター入口(左端) 右は展示コーナー 特産品販売  また、収容人数70名のレストラン、研修室、五島牛焼肉コーナーもあります。  三井楽町の婦人会の方々との共同による、地元の食材・調理法にこだわった郷土料理のバイキングが定期的にレストランでおこなわれています。特産である五島うどん、つわやタラの芽の天ぷらなど季節の郷土料理も人気があります。 【道の駅 遣唐使ふるさと館】  ■開館時間 9:00〜18:00  ■休館日 年末年始  ■レストラン ランチタイム:11:30〜14:30 ディナータイム:18:00〜20:30  ■問合せ先 株式会社 みいらく万葉村 TEL:0959-84-3555 FAX:0959-75-1021  ■URL http://www.kentoushi-furusatokan.jp/ 白良ヶ浜万葉公園(しららがはままんようこうえん)    遣唐使船の日本最後の寄港地として知られる三井楽。その当時の哀歓は、「万葉集」や「蜻蛉日記」に切々と綴られています。その歴史の面影を今に伝えようと整備されたのが、この白良ヶ浜万葉公園です。  園内には、万葉集や蜻蛉日記にゆかりの歌碑や草花があり、海を眺めながら歴史や歌を楽しむ散策ができます。また遣唐使船を模したつくりの展望台からは、白良ヶ浜を一望することができます。また、大人も子どもも楽しめるアスレチック施設や自然環境が整い、憩いの場ともなっています。 ■ 五島から旅立った遣唐使のその後・・・  揃って五島を出帆した4船でしたが、2日後には第3船と第4船は連絡がとれなくなってしまいました。最澄が乗った第2船は無事に唐へと渡ることができましたが、空海が乗っていた第1船は暴雨に遭い、34日の航海でようやく福建省の福州に着岸できました。しかし、福州の役人からあまりにも厳しい取り調べを受けます。そこで空海は、「我々は日本の国から来た国使である。にもかかわらずこのような厳しい仕打ちにあうのは心外である。よろしく温情を」と、大使・藤原葛野麻呂の名で書簡を書き提出しました。  この書簡を読んだ役人は、あまりの名文に驚き、「日本は東夷(とうい)の野蛮国とばかり思っていたが、こんな文章を書ける人がいたのか」とそれまでの態度を一変し、大使たち一行は正式な使者としての待遇を受けることができたそうです。  この書簡の中には、五島を旅立った後の遭難の様子が以下のように書かれていたといいます。  決死の覚悟で海に乗り出す。日本の涯(はて)の五島列島に別れを告げて中途に及ぶころ、暴雨に逢い帆には穴があき、柁は折れてしまった。天にとどかんとばかりの高い波、舟は飛び上がり流れる。波にのって船は上がったり下ったり、風にまかせて南に流されたかと思うと今度は北に流される。目に入るものは碧い空と海だけ。難波の津を出帆して二ヶ月余り、水は尽き、人は疲れ切り、海路は長く、陸地はまだ遠い。  飛鳥・奈良・平安時代に渡って派遣された遣唐使が持ち帰った知識や文物は、日本の政治や文化に大きな影響をもたらしました。自らの命もかえりみず、唐へと渡った使者たち・・・。旅立つ人、送り出す人のいろいろな想いを考えながら、遣唐使旅立ちの地をめぐる小旅行はいかがですか? 参考資料 ・『福江市史(上巻)』『福江市史(下巻)』(平成7年3月31日発行) ・『郷土史事典』(長崎県/石田 保著/昌平社出版) 取材協力 ・道の駅 遣唐使ふるさと館 ・五島市観光協会
  • 第7回 海岸線を行く福江島の旅 2009年12月02日
    第7回 海岸線を行く福江島の旅
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは『下五島』。五島は長崎県西部に浮かぶ列島で、南から福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島の5つの大きな島を中心に約140の島々から成っています。大きくいうと、福江島、久賀島、奈留島を『下五島』、若松島、中通島を『上五島』とよんでいます。大海原に浮かぶ島々は、素晴らしい自然に恵まれた歴史が息づくところで、とても魅力的! 今回は、『下五島』を旅します。まずは位置とアクセスをチェックしよう! 下五島の紹介 下五島へのアクセス 今回、タビーナと一緒に旅をしてくれるのは、この「旅する長崎学サイト」オリジナルのキャラクターたちです。 さあ、みんな揃ったところで出発! 今回は、福江島の海岸線沿いをぐるりと一周しながら、自然と歴史を満喫する旅に出かけます。 スタート地点は、福江島の海の玄関口、福江港です。 今回のドライブルート 1日目 石田城跡(いしだじょうあと)・五島観光歴史資料館(ごとうかんこうれきししりょうかん)・五島邸心字ヶ池(ごとうていしんじがいけ) ↓車で約15分 鐙瀬熔岩海岸(あぶんぜようがんかいがん) ↓車で約10分 珊瑚資料館(さんごしりょうかん) ↓車で約30分 白鳥神社(しらとりじんじゃ) ↓車で約20分 大瀬崎断崖(おおせざきだんがい) ↓車で約30分 高浜海水浴場(たかはまかいすいよくじょう) ↓車で約20分 空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」・柏崎公園(かしわざきこうえん)・ふぜん河・岩獄神社・高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)・道の駅遣唐使ふるさと館・白良ヶ浜万葉公園 ↓車で約10分 魚津ヶ崎公園(ぎょうがさきこうえん) ↓車で約8分 2日目 水ノ浦教会(みずのうらきょうかい) ↓車で約5分 楠原教会(くすはらきょうかい) ↓車で約25分 堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう) ↓車で約25分 明人堂(みんじんどう)・六角井戸(ろっかくいど) ↓車で約15分 福江武家屋敷通りふるさと館(ふくえぶけやしきどおりふるさとかん) ↓(福江港へ) スポットの紹介 1日目 石田城跡(いしだじょうあと)・五島観光歴史資料館(ごとうかんこうれきししりょう かん)・五島邸心字ヶ池(ごとうていしんじがいけ)  石高1万2600石の五島藩主の居城跡で、福江城ともいいます。江戸幕府下における最後の築城として知られます。  宇久盛定(うくもりさだ)が築いた「江川城」が、五島藩第2代藩主の五島盛利(もりとし)の時に焼失し、盛利は石田の浜に仮の陣屋を築きます。この石田陣屋は、唐津城主寺沢広高(てらざわ ひろたか)の設計により、1638年(寛永15)に完成しました。  その後、異国船の往来が頻繁になり、海防上の必要性から石田陣屋の改築が建議され、第8代藩主の盛運(もりゆき)、第9代盛繁(もりしげ)、第10代盛成(もりあきら)と続いて築城を幕府に願い出ました。築城の許可がおりたのは、1849年(嘉永2)のこと。15年の歳月をかけ、1863年(文久3)、第11代盛徳(もりのり)の時に完成しました。 城山神社 五島高等学校校門 五島観光歴史資料館  しかしながら、日本はその後すぐ明治維新を迎え、石田城(福江城)はわずか築城9年にして解体されてしまいます。現在は、本丸跡に県立五島高等学校、二の丸跡には五島家の祖を祭る城山神社をはじめ、文化会館、五島観光歴史資料館、市立図書館が建ち並んでいます。  五島観光歴史資料館は、旧福江市の市施行35周年を記念して建設され、1989年(平成元)に開館しました。お城を模した外観で、貴重な民俗資料や歴史資料などを展示しています。  1階は観光案内がメインで、観光映像の上映、特産品や観光写真、ガイドマップで魅力を紹介しています。2階では五島の歴史(遺跡や遣唐使、倭寇、キリシタンの信仰、五島藩と庶民の生活など)、3階では五島の自然と民俗(五島列島の自然、農漁村の生活、民俗芸能など)をそれぞれ学ぶことができます。 2階 五島の歴史 3階 五島の自然と民俗 3階 五島の自然と民俗 1階のハイビジョンシアター 観覧時間: 1月〜6月 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 7月〜8月 8:30〜18:00(入館は17:30まで) 9月〜12月 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 休館日: 12月29日〜翌年の1月3日/12月1日〜4月30日(毎週月曜日) 観覧料: 小・中学生 個人:110円 団体(20名以上)90円 高校・大学生 個人:170円 団体(20名以上)140円 一般 個人:220円 団体(20名以上)180円 ※無料観覧の場合 ・毎週土曜日五島市内の小・中学生 ・減免申請者 ・身体障害者 ・未就学者  五島邸心字ヶ池は、五島藩第10代藩主の五島盛成(もりあきら)が隠殿として建てた五島邸の庭園です。盛成の命により、京都の僧善章が金閣寺の丸池を模倣してつくったもので、1858年(安政5)に完成しました。  池は“心”の字をかたどって造られたので、「心字が池」とよばれます。池の周りには樹齢800年を超えるクスノキの大木やビロージュ(亜熱帯植物)、ナンテンなどの古木、男女群島から移植したオオタニワタリなど亜熱帯植物が繁茂し、ところどころに石灯籠が配置されています。なかには、文禄の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったといわれる五重の石塔もあります。  この庭園は、池の造りや石組みに意匠的・技術的な価値が認められ、あわせて熔岩の使い方や亜熱帯植物の配置など地元の風土を生かした特色もあり、建物も一体となって保存されていることから、庭園文化史上高い評価を受けています。 五重の石塔 クスノキ   鐙瀬熔岩海岸(あぶんぜようがんかいがん)    この場所から見えるなだらかな丘のような山が「鬼岳(おにだけ)」。地元の人は「おんだけ」とよびます。昔この鬼岳火山から流出した溶岩が、青く澄み切った海に延々7kmにわたって流れ込み、変化に富んだ海岸線を形づくってできたのが鐙瀬熔岩海岸です。温暖な無霜地地帯で、至るところに亜熱帯植物が繁茂し、南国を思わせる情熱的な花木が咲き乱れ、美しい景観を見せています。  ところで、鐙瀬(あぶんぜ)って難しい地名ですよね。どのような由来なのか気になります。1507年(永正4)、当時の領主宇久囲(うくかこむ)が、妹婿の玉之浦納(たまのうらおさむ)に攻められた際、馬でこの地まで逃げてきましたが、鐙(あぶみ)が切れてしまいました。小舟に乗って沖の黒島に落ちのびましたが、それでも敵が迫ってきたため、囲は自刃したといいます。以来、ここは「鐙瀬」とよばれるようになったそうです。 #03" class="btn basic_btn">富江珊瑚とは? 【お問い合せ先】  有限会社 出口珊瑚 TEL:0959-86-1135  E-mail:sango@k-int.jp 【2階資料館 入館料】  ・小学生以上 200円  ・小学生未満 100円 【珊瑚加工の体験について】  ・内容:ペンダントづくり、タイタックづくり  ・料金:お一人様2,100円 富江から見る鬼岳 白鳥神社(しらとりじんじゃ)  日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として創祀された神社です。あるとき宮守が、一羽の白鳥が飛来して石の祠に姿を隠したのを見ました。その晩、白鳥が宮守の枕元に現れ、「吾こそ神の化身なり」と告げます。後日、宮守が村人たちにその話をすると、皆はいたく感動し、それ以来ここを「白鳥宮」と尊称したといわれています。  また、天台宗を開いたことで有名な最澄にまつわる話も伝わります。遣唐使として唐へ渡る途中の最澄が福江島に寄泊中、白鳥神社に航海の安全を祈願し、帰朝後に無事帰国できたお礼として、十一面観音の仏像を同社に奉納したという言い伝えです。この仏像は、明治年間に玉之浦の大宝寺に移され、現在同寺院本堂奥の左端の仏像がそれであるといわれています。  海にのぞむ現在の大鳥居は、1691年(元禄4)に、第5代藩主の五島盛暢(もりのぶ)が寄進したものです。1889年(明治21)には、伊藤博文も玉之浦湾巡視の際に参詣したそうです。また、樹木と草木に覆われた社叢は、長崎県の天然記念物に指定されています。 大瀬崎断崖(おおせざきだんがい)    大瀬崎の断崖は、五島列島を代表する観光スポットです。淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層が、打ち寄せる波濤によって削り取られてできました。地殻変動による傾斜や、断ち切られた断層を随所に見せ、壮大な景色を形づくっています。 岬の突端・海抜80mの断崖上にある灯台は、1879年(明治12)に竣工した歴史ある施設で、『日本の灯台50選』の一つにも選ばれています。老朽化した最初の灯台は解体され、1971年(昭和46)に新しい灯台に生まれ変わりました。旧灯台は東海科学館に展示されています。  大海原に望む大瀬崎には、1898年(明治31)、無線電信機を備えた旧海軍の望楼(ぼうろう)が設置され、日露戦争時の1905年(明治38)に、ロシアのバルチック艦隊発見の報「敵艦隊見ユ」を受信したことでも知られています。  また太平洋戦争中に大瀬崎の目の前を船で通って南方の戦線に赴き、再び祖国の地を踏むことがかなわなかった多くの将兵たちの霊を慰めるため、北村西望作の「祷りの女神像」が広場に建立されています。 高浜海水浴場(たかはまかいすいよくじょう)    高浜は「日本の渚・百選」のほか、環境省選定の「日本の快水浴場百選」にも選ばれており、日本屈指の美しい海水浴場です。天然の砂浜の白銀色、波打ち際から水色、青色へ、そして沖合いの深い藍色へと、美しいグラデーションを見せてくれます。周りを囲む原生林の深い緑色とのコントラストもすばらしい景観をつくっています。この一帯はほとんど人の手が加わっておらず、渚本来の浄化能力が保たれていることから、西海国立公園の特別地域に指定されています。 空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」・柏崎公園(かしわざきこうえん)・ふぜん河・岩獄神社・高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)・道の駅遣唐使ふるさと館・白良ヶ浜万葉公園 魚津ヶ崎公園(ぎょうがさきこうえん)    肥前国風土記には、「西に船を泊(もつ)へる停(とまり)二処あり。一処の名を相子田の停といい、二十(はたち)余りの船を泊(は)つべし。一処の名は、川原の浦といい、一十(とお)余りの船を泊つべし。遣唐の使は、この停より発ちて、美弥良久(みみらく)の埼(さき)に至り。即ち、川原の浦の西の埼是なり。ここより発船(ふなだち)して西を指して度(わた)る」と記されています。魚津ヶ崎は、良好の「川原の浦」を東シナ海の波風から守るように突き出した岬です。川原の浦で風待ちをして順風を得た遣唐使船は、はるか唐の国をめざして出帆しました。 ●キビナゴ    キビナゴは、体長10cmほどの小さな魚です。鮮度が非常に落ちやすいので、漁師さんはキビナゴを漁獲すると、すぐに海水の入った氷水につけて冷やしこみ、鮮度が保たれるように気をつけているそうです。  キビナゴは、刺身、いり焼き、唐揚、天ぷら、煮付け、一夜干しなど、いろいろな料理で美味しく味わうことができます ●長崎和牛  長崎和牛の代表的な産地である五島。五島の牛は、雄大な自然と暖冬涼夏の風土の中で育てられている純粋な黒毛和牛です。性格はおとなしく早熟早肥で、肉質肉量を兼ね備えた質の良い牛として、全国から高い評価を受けています。やわらかくて香ばしく、食通の人をうならせる味です。 2日目 水ノ浦教会(みずのうらきょうかい)  木造の教会としては最大規模の天主堂です。青空に白い尖塔がそびえる光景はさわやかで、安らぎを与えてくれるようなやさしさがありました。  この水ノ浦教会が完成したのは、国家総動員法が発令された1938年(昭和13)のこと。戦争中で男手が足りず、女性や子どもたちも力仕事をいとわず奉仕しました。壁に塗る漆喰用の石灰は女性たちがミナという貝殻を焼いてつくり、シスターは赤土を背負って屋根の上に登って左官作業、子どもたちも手伝って一緒に煉瓦を運んだそうです。こうして白く美しい教会ができました。  しかし、戦時中には白い色が目立ちすぎたため、コールタールで黒く塗らなければなりませんでした。戦後、そのコールタールはそぎ落とされ、もとの白さを取り戻しています。白いレースをまとったようにも見え、「貴婦人のような教会」といわれています。 楠原教会(くすはらきょうかい)  かつて五島藩と大村藩の間でおこなわれた移住政策により、1791年(寛政3)、その第一陣のキリシタンが自由を求めて外海から海を渡り、福江島の六方(むかた)の浜に着きました。その一部が西の山奥にある楠原に住んで開墾しました。  1865年(元治2)の大浦天主堂での信徒発見(浦上信徒による信仰復活)をきっかけに、島のキリシタンたちも続々とカトリックの信仰を表明して、過酷な迫害を受けることとなりました。そうした中でも信仰を貫きとおした信徒たちは、「信教の自由」の夜明けとともに、島内各地に教会堂を建設しました。  楠原教会は、宣教師の指導と資金援助のもと、信徒たちの資金拠出と子どもから老人まで総力をあげての労働奉仕によって、1913年(大正2)頃に完成しました。煉瓦造りでどっしりとした外観は、水ノ浦教会と比較して「男性的な教会」というイメージのようです。  近くには、明治初期の迫害当時に、信徒たちが閉じ込められて拷問をうけた牢跡があります。   ●タビーナからの注意事項  教会の開閉時間やアクセスマップ、交通手段、駐車場台数など観光ガイドで詳細の情報がわかります。ただし、観光で教会を見学する場合は、最低限守らなければならないマナーがあります。必ずこのページを読んでね! 堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう)  1873年(明治6)にキリシタン禁制の高札がおろされ、信教の自由が認められてから4年後の1877年(明治10)、フレノ神父とマルマン神父が五島を訪れました。堂崎の教会堂は、1879年(明治12)にマルマン神父によって建てられ、後任のペルー神父のときに用地を拡張して新聖堂の建設に着工、1908年(明治41)に完成したのが現在の天主堂です。1597年(慶長2)に長崎西坂の丘で殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会で、五島出身の殉教者であるヨハネ五島の像が敷地内にあります。  1968年(昭和43)に浦頭教会が完成した後は巡回教会となっていましたが、1977年(昭和52)からキリシタン資料館として一般に公開されています。 開館時間: 午前9時〜午後5時(11月11日〜3月20日までは午後4時閉館) (夏休みは午後6時まで[8/13〜15は午後5時まで]) ※閉館30分前までに入場下さい。 拝観料: 大人300円(250円)・中高生150円(100円)・小学生100円(50円) (()内は、団体料金:20名以上) 休館日:年中無休[12月30日〜1月3日のみ休] 問合せ:TEL:0959-73-0705 明人堂(みんじんどう)・六角井戸(ろっかくいど)  1540年(天文9)、東シナ海を舞台に貿易商として活躍していた明人・王直(おうちょく)は通商のために深江(現在の福江)に入りました。当時、財政難で苦しんでいた領主・宇久盛定(もりさだ)は通商を許可し、江川城下の川向こうの高台の地に居住地を与えたといいます。 【明人堂】  航海の安全を祈るために、王直ら中国人が建立した廟堂の跡が、現在の明人堂であるといわれています。現在の明人堂の建物は、官民一体となった建設資金の募金活動により、島内外の浄財を集めて建設されました。石材などは中国から取り寄せ、中国風の瓦葺きや壁画は中国の工人の手によるものです。 【六角井戸】  領主・宇久盛定が王直に居住地として与えた地が、唐人町(現在の江川町)です。この六角井戸は、良水が得られなかったために、飲料用水・船舶用水としてつくられたといわれています。  長崎県内には中国人がつくったといわれる六角型の井戸が数カ所で見られますが、いずれも港町にあり、中国との交易がおこなれた場所です。 福江武家屋敷通りふるさと館(ふくえぶけやしきどおりふるさとかん)  五島藩の第2代藩主・五島盛利は、初代藩主・玄雅(はるまさ)の養子として跡を継ぎます。1619年(元和5)に玄雅の息子・角右衛門の養子であった大浜主水(おおはまもんど)が、後継者としての権利を主張するとともに盛利の失政を幕府に直訴しました(大浜主水事件)。この事件を機に、五島藩は藩主の支配権強化に着手し、藩政の礎を築きます。兵農分離を徹底し、各知行地に居住していた家臣たちに対して福江城下への移住を強制しました。また、領内の検地を実施し、家臣たちの知行高を決定して、藩財政の立て直しもおこないました。これは「福江直り(ふくえなおり)」とよばれ、1634年(寛永11)に完了します。  五島藩士170余家がここに移り住んだといいます。石垣の全長は約300m、通りには市の文化財に指定されている松園邸と播磨邸跡があります。城下町の風情が漂う武家屋敷通りは、観光スポットして多くの人々が訪れます。 バラモン凧製作ハンカチ染め等  この一角にあるのが、播磨邸跡の遺構をいかして建設された「福江武家屋敷通りふるさと館」です。入場は無料で、休憩所としてくつろげる庭園や喫茶コーナーがあり、イベントホールでは五島の特産品として知られるバラモン凧づくりやハンカチ染め等の体験ができます(要予約)。展示ホールでは企画展などが開催されています。 参考資料 『旅する長崎学4 キリシタン文化IV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学5 キリシタン文化V』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『福江市史(上巻)』『福江市史(下巻)』(平成7年3月31日発行) 『富江町郷土誌』(平成16年2月29日発行) 『玉之浦町郷土誌』(平成7年3月31日発行) 『郷土史事典』長崎県/石田 保著(昌平社出版) 取材協力 五島市観光協会 五島観光歴史資料館 有限会社 出口珊瑚 民宿 師瑞(しみず) 福江武家屋敷通りふるさと館
  • 電気自動車を体験しました! 2014年03月27日
    電気自動車を体験しました!
     2010年7月、五島地域に電気自動車のレンタカー100台が導入されました(長崎EV&ITSプロジェクト事業)。軽自動車なのに静かで力強く、1800cc ガソリン車に匹敵するほどのパワーを発揮。乗り心地も抜群とのこと!  このニュースを聞いて、五島旅行の足として早速レンタカーを手配しました。  エコで快適な五島観光はどんな感じかしら、初めての電気自動車にワクワクしながら、五島の旅へと出発です!  予約しておいたレンタカー営業所へ行くと、電気自動車が用意されており、エンジンのかけ方や充電方法、メータの見方などを教えてくれました。うわさどおり、エンジンは驚くほど静かで、ガソリン車のような音も振動もない。「えっ、これでエンジンが始動してるの?」という感じです。  乗り心地もよく、運転操作に関しても全く問題ありませんでした。むしろ静かすぎて、背を向けている歩行者は車が近づいていることに気づかないのでは、と心配になるくらいでした。注意して運転しましょうね。  残りの走行距離が20kmをきると、そろそろ充電のタイミング。急速充電場所を探さなければなりません。充電器は、観光地や市の施設などに設置されていますし、もちろん充電器設置マップが車内にありますので、ダイジョウブ。充電の方法についても、車内にわかりやすい手順書がついていますので、困ることは一切ありませんでした!  ただ急速充電といっても、1回充電するのに20分ぐらいかかります。個人的にはもっと短い時間で充電できるといいなと思いましたが、買い物や食事の時間をうまく使うと20分もあっというまです。  カーナビには、観光地や教会などが登録されており、音声でナビゲートしてくれますので、運転手にとっては非常に心強いパートナーとなってくれます。    ちょっとご用心! 電気自動車なので半ドアなどで無駄に電気を消耗すると後でコワイ目にあうのでご注意ください。    五島市・新上五島町を旅するなら、電気自動車レンタカーをぜひ利用してみてください。 【長崎EV & ITS(エビッツ)とは?】 長崎県では、電気自動車(EV)と次世代型カーナビ(ITS)を連動させた未来型ドライブ観光モデルの開発により、世界遺産候補の教会群を有する五島地域を先進的なエコな“しま”としてアピールすることで、地域の活性化を目指しています。 長崎県産業労働部 EVプロジェクト推進室 お問合わせ先 TEL:095-895-2691 FAX:095-895-2579   関連URL: http://www.pref.nagasaki.jp/ev/ev&its/
  • 道の駅「遣唐使ふるさと館」を体験してきました! 2014年03月27日
    道の駅「遣唐使ふるさと館」を体験してきました!
     「遣唐使ふるさと館」は五島市にある“道の駅”で、遣唐使の時代を知ることができるスポットとしても知られています。遣唐使や万葉集をテーマとした歴史に関する資料の展示や映像があり、子どもから大人までわかりやすく学ぶことができます。  お楽しみはそれだけではありません。五島の海の幸・山の幸をたらふく味わえるバイキングレストランや特産品の販売などもチェッーク!!  展示コーナーでは、万葉集に掲載されている三井楽を読んだ歌などをピックアップして紹介しています。  「万葉シアター」(有料)では、2本の作品を鑑賞することができます。万葉集の「筑前国志賀(ちくぜんのくにしか)の白水郎(あま)の歌十首」で、山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだという歌をテーマにした『行きし荒雄ら』。そして、三井楽で別れを惜しみつつ旅立つという歴史をもとにした感動のオリジナル作品『遣唐使ものがたり』です。  五島が、日本の中でどんな位置にあり、歴史的にどんな役割を担っていたのか、また、当時の遣唐使たちが命がけで大陸と行き来していた姿がよくわかりますよ!   【万葉シアターについて】  ■上映時間:約28分  ■料金   一般:大人300円 小人200円   団体:大人250円 小人150円(団体は15名様以上)  旅の途中で立ち寄る方には、お土産や食事処としてもチェックしてほしいです。  五島列島の海の幸・山の幸をはじめ、椿油やご当地グッズなどの人気商品がズラリと並ぶ販売所は充実の品揃えでオススメです。  また、地元の食材・調理法にこだわった郷土料理のバイキングも人気です。特産品の五島うどんはもちろん、五島近海で穫れた新鮮な魚や水産加工品を使った料理をレストランで味わえます。大人ひとり1,050円で食べ放題!このバイキングは観光客だけでなく、地元の人々にも大好評なんです。  いい匂いにさそわれて、しっかり食べてきましたよ。五島でとれた魚や野菜などをはじめ、いろいろな料理が用意されていました。魚はもちろん新鮮でどれも美味しく、ぷりぷりの歯ごたえでした。  郷土料理もバラエティに富んでいて、見ているだけでも楽しい! カレーライスは、ビーフカレーと海鮮カレーと甘口カレーの3種類があって、海鮮カレーには何と肉の代わりに角切りの蒲鉾が入っていました! カレーに蒲鉾かと、ちょっとビックリしましたが、噛むほどに口の中で風味が広がって美味し〜い。これなら子どもでも喜んで食べられるカレーです。  また、白身魚を濃いめの味噌で煮込んだ漁師鍋や、穫れたてのカボチャコロッケ、山菜の天ぷらなど、五島市の海の幸・山の幸を十分に堪能できました。(メニューは季節によって変わることがあります。)  リーズナブルで大満足のバイキングでした!!ごちそうさま。  「遣唐使ふるさと館」の入口左側には、電気自動車レンタカーの急速充電施設も整備されています。電気自動車レンタカーご利用の方は、充電しながらゆっくり楽しんでください。 道の駅 遣唐使ふるさと館 五島市三井楽町濱ノ畔3150-1 ■開館時間:9:00〜18:00 ■休館日:年末年始 ■レストラン  ランチタイム:11:30〜14:00  ディナータイム:18:00〜20:00 ■問合せ先 株式会社 みいらく万葉村  TEL:0959-84-3555  FAX:0959-75-1021   関連URL: http://www.kentoushi-furusatokan.jp/
  • バラモン朝市でお買い物♪ 2014年03月27日
    バラモン朝市でお買い物♪
     福江港近くのカンパーナホテルの向かい側で、毎日のように開かれているのが「バラモン朝市」。蒲鉾やカツオの生節、アジの開きや乾燥アオサなど、五島近海で獲れる新鮮な水産加工品をはじめ、五島手延うどんやかんころ餅、椿油、農産物、バラモン凧といった様々な特産品が販売されていました。  どれも美味しそー!朝市ならではのリーズナブルなお値段も魅力です♪  五島の特産品が安く手に入ることも嬉しいですが、販売している地元の方との交流も楽しみのひとつなんです。  製法や美味しい食べ方などを教えてもらいました。五島弁のアクセントがほのぼのとあたたかく、なんだか時間がゆっくりと過ぎていくような感じがしました。というより、話が弾んで時間がたつのも忘れちゃった!  ご当地情報を得たい方にも、このバラモン朝市はオススメですよ。  五島を訪れた際は、ちょっと早起きしてバラモン朝市に出かけてみてはいかがでしょうか。 バラモン朝市 開催時間:6:00〜8:00 ※水曜日はお休みです   問合せ先(テル鮮魚店) TEL:0959-72-7060
  • “幻のうどん”とよばれる「五島手延うどん」 2014年03月27日
    “幻のうどん”とよばれる「五島手延うどん」
     五島の特産品として、「五島手延うどん」が有名です。 日本三大うどんのひとつにもあげられているこの「五島手延うどん」は、五島市や新上五島町のお店で食べることができます。  “幻のうどん”ってどんな味?どんな食感?さっそく食べに行ってきまーす♪  いただきまーす!  今までに食べたことのある他のうどんとくらべて、麺が細いな〜というのが最初の見た目の印象。  食べてみると、ツルツルツルツル〜っと滑らかなのどごしでありながら、しっかりコシもある。うん、おいし〜。出汁自体の味も良く、ついつい飲み干してしまいました。  さて、“幻のうどん”とよばれるワケが気になります。調べてみると、この麺にはいろんなヒミツがありました。  麺の原料となる小麦を五島のミネラル豊富な塩水(海水塩)で練り上げていること。  五島特産の椿油を麺に塗ってコーティングしていること。これによって麺がくっつかず、独特の風味を生み出すことができるそうです。  そして、アゴとよばれる出汁。かつお節だけでなく、炭火で焼いて天日干しされた飛魚(長崎県ではアゴとよびます)を使うことで、上品なコクが出るとのこと。    「五島手延うどん」の麺の作り方ですが、小麦と塩水を混ぜ合わせる作業から完成まで、大きく分けて11ほどの行程を手づくりでおこないます。昔は各家庭で作っていたそうですが、現在では生産者が少なくなってしまい、“幻のうどん”とよばれるようになったようです。  メニューにはうどん単品だけでなく、新鮮な魚や干物などの海産物と組み合わせた定食などもあったりますので、五島手延うどんとセットで、五島の味を存分に楽しめそうですよ!    「五島手延うどん」は、インターネットで注文することもできますので、お試しにぜひどうぞ! 詳細情報 「五島手延うどん」についてもっと詳しく知りたい方は、2009年10月21日更新の「伝統の味・五島手延うどん」をご覧ください。   関連URL: http://tabinaga.jp/video/view.php?category=3&hid=200910211212
  • 五島のキビナゴ 2014年03月27日
    五島のキビナゴ
     キラキラと銀色に輝いて、花びらのように盛りつけられたこの刺身は、五島でよく獲れる「キビナ」です。五島では、「キビナゴ」や「キンナゴ」と呼んでいます。  刺身は1匹1匹を指で開いて骨を取って盛りつけられます。キビナは鮮度が落ちやすいため、取れたての新鮮なうちに刺身で食べるのはとってもぜいたく!   またそのままの姿で吸い物にしていただくのもオススメです。きびなのダシがきいてとてもやさしい風味がします。キビナは丸ごといただけますよ!  キビナは、刺身や吸い物のほかにも、一夜干しや煮付け、酢物、天麩羅など、いろいろな食べ方があります。  五島の方に教えてもらったオススメの食べ方は、たぎらせた湯に醤油を入れ、キビナをしゃぶしゃぶにして食べる「いりやき」。白くなったキビナの頭を箸で挟んで口に入れ、スッと引き抜くと身だけが剥がれて味わえます。箸に残るのは頭と背骨だけ。ちょっとワザっぽいですね。でもコツがわかると意外と簡単。面白くて次々に口に運んでしまいました。 「いりやき」は、野菜を一緒に入れて鍋にして味わったり、キビナの出し汁が効いた残り汁に五島うどんを入れて地獄炊きにしたりするのも通な食べ方です。  このキビナは、昔から五島の生活を支えてきた魚です。野崎島(小値賀町)の野首教会堂や奈留島(五島市)の江上教会堂は、当時の信徒たちがキビナ漁で資金をつくって建てたといわれています。  五島の歴史においても、キビナは人々のくらしに欠かせない自然の恵みだったのですね。
  • 五島観光歴史資料館 2014年03月27日
    五島観光歴史資料館
     長崎県の西部“五島列島”の南西部に位置する五島市。今回は、「お城かな?」と見間違うような外観の建物『五島観光歴史資料館』に行ってきました!  五島観光歴史資料館は、1989年(平成元)、江戸時代最後の築城となった福江城(石田城)跡に開館。この資料館の場所は、福江城跡・二の丸の位置にあたるそうです。周りの石垣は、福江城の築城当時のものがほぼそのまま残っているので、風情ある景色がいたるところで目にできます。  現在、福江城跡の敷地には、資料館のほかに県立五島高校、文化会館、図書館が立ち並び、五島市の文化ゾーンといったところかな! こんな環境にある資料館って、うらやましいね。  早速、五島観光歴史資料館に入ってみよう!  五島観光歴史資料館では、郷土の歴史や文化遺産の紹介をはじめ、古代から現在までの五島の姿がわかるように展示されています。五島の観光名所や祭りについても知ることができます!  1階には、五島の自然や史跡、観光スポット、特産品の情報がわかる観光検索・ガイドコーナーがあり、「自然ゲーム」「歴史ゲーム」など子どもも楽しみながら、五島の歴史に触れることができます。その先にはハイビジョンシアター、そして、歴史や民俗に関する古文書・図書を収蔵している資料研究室があります。  通路には、五島市の今と昔がわかる写真パネルが展示されており、1962年(昭和37)の福江大火以前の様子など貴重な写真も見ることができます。(季節によって展示替えをしています)  2階は、古代から江戸時代までの五島市を知ることができるフロアです。展示物に映像を交え、より深く知ることができます。五島列島のなりたち、弥生時代の遺跡・遺物、遣唐使に関する資料や映像、キリシタン文化・教会、五島氏の歴史など、このフロアだけでも十分満足できるほどの資料が揃っています。    遣唐使・倭寇コーナーの映像は、日本と大陸とをつなぐ位置にあった五島列島の歴史を知る意味でも是非とも見てほしいです! また200年以上前に黄島の庄屋に寄宿した僧がもっていたといわれる弘法大師作の仏像手形、五島藩8代藩主・五島盛運(もりゆき)〜9代藩主盛繁(もりしげ)の時代に絵師として仕えた大坪玄能に関する資料など、見ごたえありです。    館内では、映像資料が充実しています。パネルの文字を読む時間がなくても、映像を観ていくだけでもよくわかりますよ!  3階は民俗・芸能、捕鯨、農耕に関する資料が揃っています。このフロアで目を惹くのが、「五島の祭り」です。  五島市に伝わる民話や伝説を題材として、本土最北の青森から日本の西果て“五島”にネブタが導入されました。  また1月の第3日曜日に豊作・無病息災を祈願しておこなわれる「へトマト」の最後に現れる大草履も大迫力です。  圧巻なのは、思わず近寄って見入ってしまう「念仏踊り」(写真上から2番目)の衣装。もともと悪霊を追い払うための踊りですが、福江の「チャンココ(写真左と左から2番目)」は約800年の歴史があります。嵯峨島の「オーモンデー(写真真ん中)」はヨーデルのような口調に合わせて踊り、玉之浦の「カケ(写真一番右)」は鎧、兜をつけた姿が残り、富江の「オネオンデ(写真右から2番目)」は、腰みのを身につけ刀を差して踊ります。地域によって違いがあるのが実に面白い! 五島列島に息づいている念仏踊りは、南方系や大陸系を想像させるような独特の雰囲気があります。  大陸への果てしない旅路に向かう遣唐使の人々を見守り続けた歴史を持つからかもしれませんね。とにかく、五島市でしか見ることができない資料が揃っています。  またところどころに設置されている体験コーナーも楽しみのひとつです!3階の端では「チャンココ」衣装を着て記念写真を撮ることができます。死角になりそうな場所ですので、ぜひこっそりと・・・。はい、チーズ!! 五島観光歴史資料館 ■入館料 一般220円、高校・大学生170円、小・中学生110円 [団体(20人以上)の場合] 一般180円、高校・大学生140円、小・中学生90円 ■開館時間 1月〜6月:9:00〜17:00 7月〜8月:8:30〜18:00 9月〜12月:9:00〜17:00 ※入館は閉館時間の30分前までです ■休館日 12月29日〜翌年1月3日、12月1日〜4月30日の毎週月曜日  ■住所 長崎県五島市池田町1番4号 ■お問い合わせ:0959-74-2300    長崎県の西部、五島列島の南西部に位置する五島市。五島市の重要港湾として海の表玄関となっている福江港から、徒歩で5分程度です。   URL: http://goto-rekisi.jp/
  • 五島八十八ヶ所霊場めぐり 2014年03月24日
    五島八十八ヶ所霊場めぐり
    五島八十八ヶ所霊場巡拝とは・・・  「テーマで歩く歴史散策」(2009年12月9日更新)でご紹介したように、下五島は遣唐使ゆかりの地です。決死の覚悟で中国大陸をめざす遣唐使にとって日本最後の寄港地であり、また、唐の仏教文化や文物をたずさえての帰国の途において、最初に上陸する日本の地でもありました。弘法大師・空海も五島経由の航路で入唐・帰国したひとりで、唐で学んだ真言の教えを五島で最初に伝えたとされ、空海ゆかりの地や伝説などもいろいろと残っています。  こうした歴史的背景もあって、1886年(明治19)に制定された五島八十八カ所への巡拝が、今ひそかなブームとなりクチコミで広がりつつあります。    そこで、今回の歴史発見コラムでは「五島八十八ヶ所霊場巡拝」をご紹介!  八十八ヶ所のスタート、1番・2番・4番目に選定されている明星院(みょうじょういん)と、ゴールの87番・88番目となる大宝寺(だいほうじ)を訪ねてきました。 宝珠山吉祥寺 明星院(第1番、第2番、第4番)     五島における真言宗の総本山で古い歴史を持ち、五島家代々の祈願寺でもあったといいます。806年(大同元)、空海が唐から帰朝する途中、この寺に参篭(さんろう)した際に見た、一条の喜ばしい光が差し込み、大変よい兆しと思い、「明星院」と進言したと言われています。  現在の本堂は、五島藩第8代藩主の五島盛運(もりゆき)が、1778年(安永7)に火災にあった本堂を再建したもので、檜の芯柱20本を使用しており、五島最古の木造建築物となっています。    注目は本堂の天井絵。狩野派に師事した藩の絵師・大坪永章の筆によるものです。鳥や花が描かれた総数121枚が美しく調和し、荘厳な雰囲気をかもし出しています。一枚一枚じっくり見ていくと、極楽鳥やオウムなど異国のものらしき図柄が描かれていることに気づきます。  また、長押(なげし)の壁にかかっている華鬘(けまん)は1675年(延宝3)、富江領始祖・五島盛清(もりきよ)の寄進によるものだそうです。    本堂に安置された本尊は「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」で、天竺(てんじく)仏と伝えられます。また、右脇立像は弘法大師作と伝わる「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」、左脇立像は「阿弥陀如来像」です。木造阿弥陀如来立像は、阿弥陀如来信仰が盛んだった平安後期から鎌倉時代にかけて多く造られました。明星院の阿弥陀如来像はほどよい円みを帯び、目鼻や唇の彫りも丁寧に仕上げられており、いかにも平安後期の特徴であるおだやかな雰囲気をもっています。  また、明星院に安置される秘仏「銅造薬師如来立像」は、奈良時代の製作といわれます。左手先と光背を失っていますが、優しく慈悲あふれる表情を見せているそうです。九州には、大分柞原(ゆすはら)八幡にこの種の一体がありますが、全国的にみても極めて貴重な文化財です。 ▲天井画。見とれて首を痛めないように・・・。 ▲護摩堂(88番中2番にあたります) ▲盛運の八女にまつわる宝塔 ▲三尊石組(さんぞんいわぐみ)/三個の石を三角形に組み、薬師三尊にたとえている。真ん中の石を薬師如来、脇の二つの石を日光菩薩と月光菩薩に見立てている。  明星院周辺は見応えがあり、散策しているとつい時間を忘れてしまいます。なお、4番の明星院行者堂は、山手側にまわったところにあります。明星院に見られる貴重な品々は、中国大陸へと向かう“海の道”に位置する下五島の文化の厚みを物語っています。   拝観時間:9:00〜12:00、13:00〜17:00(毎月1日、28日はお休みです) 問合せ先:TEL:0959-72-2278 大宝寺(だいほうじ)(第87番、第88番) (左)第八十八番大宝寺 (右)第八十七番大宝寺護摩堂  むかし、西天竺(印夏)のマガダ国より不須仙人がやって来て、エンダゴンという金属で鋳造された聖観音像を奉持し、玉之浦・笹海(さざめ)の小高い丘に祀って「観音院」と称したことが伝わります。この聖観音像は、信濃の善光寺、東京浅草の観音とともに日本三大秘仏のひとつといわれています。  その後、701年(大宝元)、震旦(しんたん・中国)の道融和尚が三輪宗を広めるために来日し、最初に玉之浦・大宝の浜に上陸しました。白砂青松の浜を前にし、緑繁る弥勒山を背後とする地を選び、笹海の観音院を遷して三輪宗の寺院を建て、これを「大宝寺」としました。その後、第41代持統天皇(じとうてんのう)の勅願寺となりました。  806年(大同元)、唐より帰朝した空海が大宝の浜に上陸し、しばらく大宝寺に滞在した際に、三輪宗から真言宗に改宗させたことから、「西の高野山」ともよばれています。空海が真言密教を初めて日本で伝えた地といわれ、唐の文化の入口ともなった島に、太古の浪漫を感じずにはいられません。  また、大宝寺には、最澄が自ら掘ったといわれる十一面観音が収蔵されています。この十一面観音は、最澄が遣唐使船に乗って唐へ渡る前に航海安全を祈願した「白鳥神社」に、無事の帰朝のお礼として、810〜823年(弘仁年中)頃に奉納したものといわれています。 五島八十八ヶ所霊場巡拝の八十八番目とあって、見応えも十分です。 見学は自由です。ガイドを要望される場合は、事前に連絡が必要です。  問合せ先:TEL:0959-87-2471   「五島八十八ヶ所霊場巡拝」は、四国の八十八ヶ所巡りとくらべると、小さくこじんまりとした地蔵堂や観音堂が多いという印象を受けるかもしれません。しかしながら、誰でも受け入れてくれそうな、この素朴さに安らぎと癒しを求める巡拝者が増えつつあるようです。中国大陸へ向かう遣唐使にとって、日本の“最後の地”であり“最初の地”でもあった五島。決して華やかさや賑やかさはありませんが、彼らの想いや祈願を受けとめた豊かな自然を肌で感じる、贅沢な旅となることでしょう。  八十八ヶ所すべてを巡るには、朝から夕方までタクシーで移動しても、最低3日間は必要だそうです。もちろん短期集中型の巡拝者もおられますが、定期的に訪れて五島をゆっくり満喫しながら、少しずつ分けて巡拝する方も少なくないということです。毎年マイペースで巡拝の旅に出かけ、自分自身を癒す時間を持つというスタイル・・・。毎日がめまぐるしく忙しい現代、こんな旅もいかがでしょうか。 五島八十八ヶ所霊場巡拝をされる方へ  福江港ターミナルビル内にある「五島市観光協会」では、巡拝案内ガイドと『納経帳』などを販売しています。  島内の移動に関しては、観光タクシーなどを利用して巡拝することもできます。詳細は、五島市観光協会へお問い合わせください。   五島市観光協会 TEL:0959-72-2083 http://www.gotokanko.jp/ 参考資料 『福江市史(上巻)』『福江市史(下巻)』(平成7年3月31日発行) 『玉之浦町郷土誌』(平成7年3月31日発行) 『五島八十八ヶ所霊場巡拝案内』(五島市観光協会発行)