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  • 外海と五島をつなぐ「温石」 2014年03月25日
    外海と五島をつなぐ「温石」
    〜キリスト教の信仰を守る生活のツール〜  第9回で紹介した"長崎巡礼センター"のインタープリターとして活動している犬塚明子さんにインタビューしました。彼女は、長崎にある教会堂を調べていくなかで、「温石(おんじゃく)」と呼ばれる石と、新たな出会いをしたそうです。 温石」とは、結晶片岩に分類される天然石です。暮らしに役立つ道具として、日本の生活のなかで古くから様々な用途に使われていました。カイロ(懐炉)のない時代、寒さをしのぐために、火や熱湯で暖めた温石を布などでくるみ、懐に入れて体を暖めていました。さらに、患部を温めて血行を促進しながら治療する温熱療法にも使われました。また、禅宗の僧が、胃の部分に温石を当てて空腹をしのいだことから、茶の湯では、茶会で客人をもてなす「懐石料理」の由来にもなっています。  犬塚さんが外海(そとめ)と五島で出会った、同じ「温石」。海を越えて点在する石を結ぶ先には、いったいどのような物語が隠されていたのでしょうか。さっそく、聞いてみましょう! 外海の神話『天地始之事』-テンチハジマリノコト-  「1614年、徳川幕府が発布したキリスト教の禁教令のもと、外海地方などのキリシタンに語り継がれた『天地始之事』という物語があります。これは、聖書が元になっているようですが、日本の土着的な要素が加わった物語へと変化した内容でまとめられています。外海地方のキリシタンたちによっていくつか書きとめられています。現在残されている資料の一部を少し読みました。  その中に、禁断の実を食べるという罪を犯したアダムとエバの子孫が地上に降りるとき、神様に『合石(温石の方言)のある土地を目指して行きなさい。』と言われる場面があるのです。温石というのは、外海地方の地盤を形成する結晶片岩(けっしょうへんがん)という石のことを指しているそうです。  キリシタンたちが潜伏していた外海は、急斜面で自然条件が厳しく、生活が大変な土地柄で、ある意味、陸の弧島といったところ。そのような場所で、自分たちが必死に信仰を守って生きていけたのは、『神様がそこ(温石のあるところ)に行きなさいと言ったから、ここ(温石のある外海地方)に住んでいる。だから、今は大変だけど、いつかきっといいことがある』と信じることができたからではないか、そういう願いが『天地始之事』にはこめられているのではないかと思いました。」 海を渡った温石(おんじゃく)  「温石は、外海地方など西彼杵半島で多く産出される石です。外海地方では、かまどや家の周りの石垣などに用いられてきた生活道具のひとつ。出津(しつ)に暮らす農家の方に温石について尋ねると、畑を掘ったらゴロゴロと出てくるということでした。ノミを入れると簡単に割れることから加工がしやすい石だそうです。 外海地方の出津出身の故・田中千代吉神父さまの話を書きとめたものを見ていて、この温石がなんと、海を渡って五島へと運ばれていったということを知りました。 寛政年間に五島藩の要請で、大村藩の人たちが五島へと移住したのです。その多くは秘かにキリスト教を信仰していた農民だったようです。その時、外海の人たちは、五島へ向かう舟に、この温石を乗せて運んだそうなんです。五島列島では温石(結晶片岩)は産出されません。もし五島で温石を見かけたら、それは外海から運ばれてきた石だというのです。  ある日、偶然にも水ノ浦教会堂(長崎県五島市岐宿町)の上にある、昔の水方の(潜伏キリシタンの間でのリーダー的な存在)屋敷に行きました。ここは"五島崩れ"という最後のキリシタン迫害がおきたときに、牢屋となった場所だったんですが、そこで温石を見ることができました。ここに住んでおられる方から、『外海から運ばれた石』として語り継がれていると伺うことができました。1865年(慶応1)、長崎の大浦天主堂において、浦上の信徒がローマからやってきた神父と歴史的な再会を果たすと、五島の人たちも自分たちも信徒だということを伝えたくて大浦天主堂へと向かいます。その時に、水ノ浦のキリシタンも、舟底の重りとして、この温石を再び積んで大浦へと漕いで行ったそうなんです。  でも、なぜ重たい石を小舟に乗せてわざわざ運んだのかが不思議でした。最近知ったのですが、かつて外海地方の漁師さんは、舟の上で煮炊きをする携帯かまどを『温石』でつくり、舟底や延縄の重り、錨などとして『温石』を利用していたのだそうです。それなら、移住するときに舟で石が運ばれても不思議ではなかったと思いました。  水ノ浦にあったのは、徳川幕府の厳しい禁教令のなか、"キリシタンの楽園"を夢見て五島を目指した潜伏キリシタンが、200年以上も昔に外海から一度海を渡ってきて、そしてその約70年後に、潜伏から信仰の復活を願って、再び海を渡って長崎へ行き、そしてもどってきた『温石』だったのでした。単に実用品としてそこにあるとは思えません。『信仰の出発点』であり、『神様が約束してくれたふるさと』から運んできた石として、『この場所にある』のだと思えました。 今、『海を渡った温石』のことを外海でも五島でもご存知の方は少ないようです。記憶のかなたに消えかけている石・・・。しかし、きっと、寛政年間に多くの人が"神様が約束してくれたふるさと"の石を運んだのではないかと思うのです。私は、今、キリシタンたちが命をかけて伝えてきた信仰と温石との関わりを追いかけてみたいという思いに駆られています。」  まったく思いがけないお話でした。石までが長崎のキリシタンの歴史を物語っているとは、新たな発見でした。便利な電化製品や機械などがたくさんある社会になって、自然に対する生活の知恵は忘れ去られていく世の中、私たちの生活に石とのかかわりはあまりないような気がします。今回、海を渡った温石のお話を通して、キリシタンの方々の当時の暮らしや思いを垣間見たような気がしました。 DATA 犬塚明子 Akiko Inuzuka  1956年生まれ。長崎県諫早市出身。長崎市在住。市内の某百貨店の広報担当として勤務。『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社)を担当。 2006年5月『旅する長崎学2 キリシタン文化2』(長崎文献社)、同年11月『旅する長崎学5 キリシタン文化編5』の構成・文を担当。2007年5月から長崎巡礼センターのインタープリターとして活動中 参考文献 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 監修/カトリック長崎大司教区 発行/長崎文献社 『日本思想大系25 キリシタン書 排耶書』 発行/岩波書店 写真提供 「聖ヨハネ五島像の台座にはめ込まれた温石(水ノ浦教会)」犬塚明子 「民家の井戸の上に置かれた温石(五島市岐宿町)」犬塚明子 水ノ浦教会(五島) 長崎県観光連盟
  • 長崎巡礼センターを活用しよう! 2014年03月27日
    長崎巡礼センターを活用しよう!
    教会の魅力を語る人びと その3  長崎の持つ歴史的な遺産である教会群をどのようにPRしていけばいいのか…。様々な意見がとびかい3年。着々と準備が進み、「長崎巡礼センター」開設という一本の明るい光が差し込みました。2007年5月に長崎カトリックセンターの1階にオープンした「長崎巡礼センター」が担う長崎流の新しい情報発信の役割とは何なのでしょうか。インタープリター(=翻訳者)として、特異な長崎の歴史を伝えたいと話す入口仁志さんにインタビューしました。 「長崎巡礼センター」の開設 <教会群を巡礼するための総合窓口 + ユースホステル>  「長崎巡礼センター」の構想は、実は3年前からプランとしてありました。2年前の7月、「長崎カトリックセンターの宿泊施設部門をユースホステルと併設して、一般向けに開放できる仕組みにしませんか。」という提案をカトリック長崎大司教区にしました。ユースホステルという機能は、世界中に向けた情報発信が可能なので、より内容の濃い発信ができるのです。また、カトリックセンターは、どなたでも宿泊利用できることをもっと強く発信したかったのです。 長崎の歴史を語ろうとした場合、どうしてもカトリックの話に触れないと歴史は喋れません。そこでユースホステルでは、訪れてくれる若者たちに、当然、長崎の歴史とともにカトリックの歴史を伝えています。長崎カトリックセンターでは6階をユースホステルのフロアにして、夜8時から9時まで、宿泊者を対象としたミーティングをして情報を発信してきたのです。ですから長崎カトリックセンターでは、すでに2年前にはユースホステルをカトリックの発信基地とする機能をスタートさせてきたという経緯がベースとしてあるのです。 昨年の夏に、長崎教区の大司教さまと県の観光推進本部のトップとの間で、お互いにトラブルが発生しないように、観光客が長崎を気持ちよく訪れるためにはどうしたらいいかという会議がもたれました。その後、関係者が集まり、月1回のペースで交渉が続けられました。その中で、<ながさき巡礼>という言葉で取り組むこととなりました。今年の3月には、カトリック側では県内の教会をはじめとする巡礼スポットを示すこと、どう捉えるのか具体的に言葉で表現すること、巡礼の主だったコースを示すこと、また、カトリックのなかにも巡礼センターを立ち上げましょうということが決まりました。ですから、国内外のカトリック全体の巡礼センターとしても同時に発信していきたいので、表記は<長崎巡礼センター>とし、その対応を始めました。」 世の中が求めているもの  「数年前、まだ世界遺産候補の話がまだ表に出ていない頃、もうすでに世界の社会全体がカトリック開放にベクトルが向きはじめていたのです。例えば、若い人はクルス(十字架)のネックレスをするのはザラでしょ? でもその若者たちは別に信徒でもないですよね。で、今の若い人たちが何に頼るかといった問題もそうです。みんな社会的不安系といった将来的な不安を抱えているじゃないですか。逆の言い方をすると、ものすごくいいタイミングで教会に目が向きはじめているのではないかと思ったのです。」 ガイドではなくインタープリターとして仕事をする  「長崎の歴史は、キリスト教なしには語れない…。実は別の仕事としてやっていたのが、長崎教区が主催する巡礼のお手伝いです。そのなかで僕自身、3年間、あらゆる教会堂や巡礼地を巡り、現地を訪れました。例えば、みなさんは五島にいくと有名な教会堂に行きますね。有名な教会堂だろうが小さな教会堂だろうが、そこの信徒さんにとっては大切な御堂であり、大切な歴史的背景を持っています。だからそれは、そこに行かないとわからない。それも自分自身が感じないと人々に説明できない。説明するには、自分が感じることって必要なんですよね。僕は<ガイド>という言葉を使うのはあまり好きではなくて、<インタープリター=翻訳者>という言葉を使います。何を翻訳するかというと、カトリックの人たちの生き様がどういうものなのかということ、長崎を訪れる人たちに、私の感じたことを伝える仕事をずっとやってきたんですよ。信徒ではないけど(笑)。」 観光の落とし穴  「教会堂を訪れる観光客が増えるなかで、実はトラブルも多く発生しました。聖水盤をタバコの灰皿にするという、あってはならない行為。タバコを吸いながら教会堂のなかに入ること自体が無茶苦茶なことですよ。また、観光セクションがよくやる間違いなんですが、トイレ休憩を教会堂にあててしまうのです。「おい待てよ!」って言いたくなります。なぜなら、教会堂のトイレは信徒のためのもので、通常1〜2人位しか使えないようになっている。このことを知らない人が旅行プランを企画しているんです。そして、お祈りしている信徒さんがひとりでもいたら、教会堂の中には普通入れませんよね。それどころか内陣といわれる祭壇に入って荒らす人、中には教会堂の備品を盗む人など。観光のニーズが高まるにつれて、これらのトラブルも発生しています。この現状を今すぐ改善しなければいけません。せっかく教会に目が向いてるのに教会側がそれに対応しないというのは、ある意味もったいない。みんなの目が教会に向いているのであれば、その人たちと対話をすることは必要だということなのでしょう。」 巡礼とは?  「巡礼とは、場所をまわってみること。それは、人間ひとりひとりの内的な作業なので形式的なスタイルはありません。ですから、100人いれば100通りの巡礼があります。僕は信徒ではないけれど、巡礼地をまわると、いろんな事を感じます。そのことをできるだけ素直に伝えることを心がけてご案内しています。巡礼に参加しているみなさんも、いろいろな事を感じるはずです。その思いを大切にして欲しいと思います。 巡礼者をご案内していると、僕にとってむずかしい質問がたくさん出てきます。 「ミサとは?」 「何をお祈りしているのですか?」 「五島に住んでいる私たちとバチカンの信徒さんとは、神様との距離って違うの?」 などなど。 「帰ってから近くの教会を訪ねて神父様とお話ししてみてください」 とすすめることにしています。」 「長崎巡礼センター」としての仕事  「長崎巡礼センター」は、今、立ち上がったばかり。まだ、実務は伴っていなくて、まずはパンフレットの取り寄せから。少なくとも観光パンフレットは、このセンターに来れば全部揃っているように環境を整えています。 また、巡礼 地をめぐるコースを作りましょうということで、マップが載った旅のガイドブックを企画し、今その作業が進行しているところです。 僕の思う巡礼センターの仕事とは、神父さまは指導していただく人なのであって、自分はあくまでインタープリターの仕事だと思っているんですよ。こういう生き様があるんだよっていうことが伝わればいいのだと。そう、<伝える>という仕事。五島巡礼では、どこに行かなければいけないとか、贅沢なものを食べてはいけないとか、そういうことじゃありません。五島でしか味わえない旬の新鮮な海の幸がいっぱいありますからね。現地を体感してもらえれば。僕は体験上、巡礼の一回ぐらいはバーベキューをするプログラムは楽しいなと思います。旅に参加した人たちのその楽しさが、僕たちにとって巡礼のごちそうなのかなと思います。巡礼にカタチはない。あくまでも巡礼に参加した人たち同士、行った先々でのコミュニケーションが大切です。信仰を持っている人の良し悪しや強弱ではなく、その中で信仰を持っている人たちの強さや生き様、すごさが伝わればいいなと思います。たとえば、浦上天主堂に連れて行くと原爆のイメージが強いですが、信仰の礎が建っています。浦上天主堂が建つ以前に何があったのだろうか?という疑問から始まり、秘密教会の跡は約140年前の弾圧、ベアトス様の墓は約400年前の弾圧、大橋の川を渡ったらサンタ・クララ教会の跡がある。浦上天主堂周辺だけで約2時間の案内ができます。ユースホステルの1時間のミーティングに参加された方は、みなさんホントにビックリされますよ。 長崎の街は宝の山なんです。スゴイですよ。飽きないくらい上質の旅、巡礼のスポットがある!」 DATA 入口仁志 Hitoshi Iriguchi 1946年生まれ。長崎県長崎市の出身。カトリックセンターのマネージャーとして、「長崎巡礼」の業務を担当。
  • 教会巡礼のマナー 2014年03月27日
    教会巡礼のマナー
    教会の魅力を語る人びと その2  「長崎巡礼センター」は、長崎大司教区と長崎県が協議しながら立ちあげた長崎大司教区公認の窓口。今般の状況では、公式の窓口を置かないと対応できないと判断してセンターの設置を決定。一般の方に活用してもらいたいし、133ある教会堂の各々の関係者にも、このセンターを認知してもらわなければいけないので、課題は多いと語る。そのなかで、まず、教会を巡礼するときのマナーを、そして、教会を訪れることの意義を聞きました。 「巡礼とは体感すること pilgrimage is sensory  「「まず理解して欲しいのは、教会堂は祈りの場であって、観光施設ではないということ。<観光から巡礼へ>を合言葉にしたい。教会を訪れる時に、その文化や歴史、キリスト教を知ろうと思って来てほしいですね。今、実際に生きている信仰を、生きている祈りを、生きている教会堂を巡って体験・体感すること。それが巡礼なのです。アナタが教会堂に来たとしたら、観光ではなく「祈る」ということをして欲しいですね。キリスト教の信徒でない人も、祈りと祈りの場を体験するわけなんですよ。その場にいるということだけで何か感じることがあるわけですから。それが信仰の体験、巡礼なんですよ。そこで教会堂で守って欲しい8つのことをお話しします。」 教会巡礼のマナー 1.教会堂は祈りの場。聖なる場所では私語をつつしんで!  「教会堂には、観光施設にある「携帯の使用禁止」というような張り紙はありません。でも注意書きがないからといって、教会堂で大声をあげたり、携帯の着メロを鳴らして堂内で話したり、好き勝手に動いて携帯の写メで「カシャッ」と音をたてて撮ったりしないでください。また、教会堂の中で祈っている人がいたら、邪魔しないように静かに拝観してください。もちろん教会堂では結婚式や葬儀も行われます。その時は、拝観はご遠慮ください。」 2.聖水盤について!  「教会堂には、観光施設にある「携帯の使用禁止」というような張り紙はありません。でも注意書きがないからといって、教会堂で大声をあげたり、携帯の着メロを鳴らして堂内で話したり、好き勝手に動いて携帯の写メで「カシャッ」と音をたてて撮ったりしないでください。また、教会堂の中で祈っている人がいたら、邪魔しないように静かに拝観してください。もちろん教会堂では結婚式や葬儀も行われます。その時は、拝観はご遠慮ください。」 3.鐘を鳴らさないでください!  「残念なことに、年に何回かは起こってしまう出来事のひとつです。教会の鐘の音は宗教上たいせつな合図。仏教のお寺の鐘も同じことではないでしょうか。目の前にヒモがあるからといって、引っ張ってはいけませんよ!」 4.内陣に勝手に入らないで!  「祭壇及び朗読台などが配置されている場所は、祭儀を執りおこなう中心となるところで“内陣”と言っています。普通の教会堂では一段高くなっています。そこには聖櫃があってキリストの聖体を安置しています。神聖な場所ですので、絶対に入らないでください。また、外陣は参列する人たちのための祈りのスペースです。まずは座って、ゆっくり祈ってみてください。」 5.教会堂内に置いてあるものに触らないで!  「聖書・聖歌集・祈祷書(お祈りの本)などが置いてあります。堂内には教会のものもあるし、個人のものもあります。おわかりの通り巡礼者のものでないことは確かですね。教会によっては信徒の皆さんのMY座布団も置いてありますし、あとMY席も! 毎日ミサに来る人もいますから、みんなの黙認のもと自分の専用の席があるんですよ。もしかしたらMYメガネを置いているかもしれないですね。勝手に触らない、使わない、当たり前の心得ですね。」 6.飲み食いは当然ダメ!  「教会はできるだけオープンにしています。だからといって勝手に入って飲み食いをしてはいけません。いや、ウソだとお思いでしょうが、たまにあるのです。疲れたからといってペットボトルを取り出して飲んではいけませんよ、教会堂の中は休憩所ではないのですから。飲む・食う・吸うは別の所で。」 7.楽廊(歌隊席)にも勝手に入ってはいけませんよ  「楽廊は、一般的に堂内の2階席か中2階にある聖歌隊の席。オルガンなどの楽器も置いています。楽廊に入らないでください。写真を撮るのに良い場所だからといって、楽廊に勝手に入って撮影してはいけません。」 8.門はいつでもオープンなのです  「原則として教会堂の門はいつでも開いています。普通は正面・両サイドと合わせて3つの扉がありますが、教会によって開いている扉は違います。入る時は帽子をとりましょう。服装は、普通の服装で大丈夫なのですが、極端に短いスカートやノースリーブなどは教会には似合いません。祈りの場にふさわしいものを着用して下さい。夏に訪れる際は、バッグのなかに薄手のシャツを一枚入れておくと、いいかもしれませんね。」 教会で何を体感するのか? 中村神父の巡礼のススメ  「誰も気付かないことですが、たとえば黒島天主堂では、柱に手垢が残っています。年に1・2回大掃除していましたが、私はわざと「磨くな!」と言っていました。乾いた雑巾で軽く拭かせていたのです。汚れを落とさせなかった。なぜなら、歴史を理解している人はわかってくれると思いますが、その手垢が遺産なんです。どれだけ多くの人がこの柱に触れたから、こういう色になったかという証拠です。訪れる人も、それを見ないとね。ヨーロッパを訪れると良くわかるんですよ。磨り減った大理石の階段、触られて磨り減った聖人像の腕と足。そこを訪れた人の人数が何万人・何十万人・何百万人という単位では計れないほどだということの証し。それは現場に行ってみないと体験できません。  黒島に着任したころ、じーっと天井を見ていると「あれ? おかしいな。」と不思議に思ったことがあったんです。黒島天主堂は、スゴイことをしていたんですよ。「何を?」とお思いでしょう。お金がなかったから良い材木を揃えることができず、普通の安価な板を買ってきて、その板に木目を描いているんです。刷毛目という工法なんですが、ニスを塗ってその上から木目を付けた。おどろくなかれ、天井板はすべて手描きなのです。ドアの一部もそう。お金がないというところからのアイデアなんですが、今になってみるとスゴイことをしているんですよ。 現場に行って教会堂を見るだけでなく、それを設計した人、造った人、現在まで維持してきた人たちに思いをはせる。そして感謝・感動するんです。教会堂の多くは信徒の皆さんの奉仕活動で建てたもの。資材を担いでどれだけの距離を歩いたかは、現場に行って歩いてみないとわからない。そういった意味で現地を体感するのが巡礼なんです。今生きている信仰者たちの現場を体感することが巡礼ではないでしょうか。そうでないと巡礼は面白くないんですよ。たまに私も巡礼ツアーを企画して外国に行く時は、そういうことを伝えています。私もそういう見方をしているわけ。ガイドが説明してくれる建築年数なんかを聞いても面白くないから、ほかのところを見て周ります。そうすると、現代の信仰の姿だけでなく、400年、500年前の信仰の姿も見えてきます。昨年、スペインのザビエル城を訪れましたが、その窓から見える風景と地形は、どんなに写真にうまく撮っても伝わらない。ザビエルが見たものは、現場に行かなきゃ、わからないですよ。」   DATA 中村満神父 Nakamura Mitsuru 長崎県五島市久賀町の出身。久賀島の牢屋の窄殉教地で、中村家の3姉妹が殉教、その子孫。現在、長崎教区本部事務局次長。長崎巡礼センターの責任者。 参考図書 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 監修/カトリック長崎大司教区 発行/長崎文献社
  • 教会巡りからはじまった歴史の旅 2014年03月27日
    教会巡りからはじまった歴史の旅
    教会の魅力を伝える人たち その1  『旅する長崎学 キリシタン文化』の2・5巻や『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』の構成と執筆を担当した犬塚明子さん。彼女は今、カトリック長崎大司教区と長崎県が協議を重ねて新しく発足させた「長崎巡礼センター」(長崎カトリックセンターの1階)で、インタープリターとして活動を開始しています。長崎の上質な旅へと誘う発信源として、巡礼コースなどを一般の方に紹介しています。これまで、数多くの教会に関する本を執筆し、ライフワークとして教会堂を追いかけ続ける犬塚さん。カトリック信者ではない彼女が、なぜ教会の魅力を紹介する仕事に一生懸命なのでしょうか?犬塚さん独自の目線から見た教会堂の魅力に迫ります。 教会堂を巡るきっかけは?  「父方はカトリックですが、私自身は、教会には縁のない環境に育ったんです。  でも、20代後半を迎えたある日、教会建築を撮影するカメラマン 雑賀雄二さんのエッセイを読んだのです。ページを一枚一枚めくるたびに、自分の心がいつしか、実際に教会を訪れずにはいられなくなっていました。それで、もう上五島に足が向いて、江袋教会など、いろんな教会堂を訪れました。  そのとき、頭ヶ島天主堂を訪れた見ず知らずの私に「私のおじいさんたちが(といったと思います)、島の山から石を切り出して、ひとつずつ積み上げてこの頭ヶ島天主堂が完成したんですよ。」と、語りかけてくれたのです。その話を聞いてふと感じたのが、きっと代々親から子へと、この教会が建てられた当時の様子が伝承されてきたという、島の人たちが積み重ねた長い時間。そして、地元の方々との会話を肌で実感できたこと。それは、本当に涙がでそうなくらい「生(なま) 」の歴史に触れるという魅力を感じてしまったのです。この出会いがきっかけで、教会堂の魅力というか歴史の魅力にどんどん引き込まれていきました。  五島の小さな集落に、どんなに小さくても実際に生活のなかに生きている教会堂。ひとつひとつに感動して、歴史にも感動してしまいました。それで「(自分は)長崎人だ!」って再認識したこの五島の旅が、教会堂に目覚めるきっかけとなったのです。 」 ライフワーク 1.教会堂は祈りの場。聖なる場所では私語をつつしんで!   「その後、長崎市内にある某百貨店に勤めました。広報担当という仕事のおかげで、改めて長崎を見つめ直すことができたのです。階段脇のスペースを活かしての作品展示は、来店してくださったお客さまに見てもらえるステップギャラリーとして開放していました。展示の企画も、お預かりした作品の展示のほかに、自分たちの手で長崎の情報発信をしていこうという、まさに長崎の歴史テーマとしたものもおこなっていました。その中のひとつに「長崎の教会」というテーマがあって、そこで思い切って長崎の教会を見てまわったんです。この展示を通して「長崎は面白い!」って思い始めました。それで、長崎の面白さを伝える仕事に携わりたいと思った矢先に、長崎の教会ガイド『長崎游学2』(長崎文献社)という本をつくる仕事に出会ったんです。この、ガイドブックをつくりながら、教会のことをかなり勉強させてもらったんですよ。」 犬塚流「長崎の旅の楽しみ方」  「バイクで行くんです。平戸の生月も行きましたよ。しかも50CCで(笑)!  「私のお気に入りは、生月大橋の手前にある山野教会です。いわゆるキリシタンの迫害を逃れて集落をつくった隠れ里のひとつですね。すっごくいいですよ。私の大好きな場所!今は外観が補修されていますが、中に入るとこんな感じ。本通りから人家のない山道を登って歩いたら30〜40分かかるような、山の奥にあるんです。ふと集落が現れて教会が見えるんですよ。教会の後ろにまわると畑が広がっていて、まさに集落の中にある教会。まさかこんなところに?というような場所なんです。善長谷教会や大山教会なんかもそう。香焼の方から善長谷教会を探すと、城山の中腹にチョンって見えるんです。「あれだ!」っていうオドロキ。教会堂って、何気ない風景のなかから、忽然と現れるんですよね。」 (写真は犬塚明子さんの撮影) ひとつの発見…。“西”という姓からルーツを探る  「個人的なことですが、私の祖母が生月の人で姓は“西”。生月の最初の殉教者が“ガスパル西”という人。その息子の“トマス西”は長崎十六聖人のひとりなんですよ。生月には確かに西姓の人がたくさんいらっしゃると思いますが、祖母と殉教者の苗字が同じだということを聞いて、どこか繋がりを感じてしまったんです。仏教用語でいう因縁というか縁というか、自分にも何か引っ張られるものがあるんだなぁということをすごく感じてしまいました。長い歴史の中に自分がいるということ。それを知ってから、自分は殉教者の子孫だと自称しています。自分が信者になれるかということは置いても、歴史の中に「私」がいるという事実が、ある意味、魅力であるような気がしたんですよね。このことは私の人生観を変える出来事でした。」 とある結婚式…、教会堂での失敗談  「いとこが教会で結婚式を挙げるというので、私にカメラ係になって欲しいと頼まれたことがあったんです。「どこでも撮っていいから。」と言われたのですが、教会のことを何も知らなくて、内陣の中に入っちゃったんですよ。その時、みんなから冷やかな視線を向けられていたこともわからず、ただ私は、新郎新婦のシャッターチャンスを逃すまいと神父様の背後にまわって内陣に入ってしまったんです。それがいけないことだと後で知ったのです。私を含めてよく知らないのが実情だと思います。そういった教会堂でのマナーも紹介していくのもこれからの仕事ですね。」 長崎巡礼センターの使命  「本を執筆しながら、長崎カトリックセンターとのご縁で、長崎巡礼センターのインタープリターとして仕事をしています。例えば、長崎の教会は、そこにただ建っているのではなくて、そこに信仰を守りつづけている人がいるから教会があるということ。たとえ小さな教会堂でも存在する意味がある。そのことを私自身が知りましたし、そのことを伝えたいと思いますね。「祈り」があるということも長い歴史を物語ります。例えば、外海から、ふるさとの石を乗せて船を漕いで五島へと渡ったと聞きます。たどり着いた場所ですごく苦労をして、200年という長く苦しい時間の先に教会が存在していること。そういう話を私が伝えることで、みなさんに感動してほしいですね。  大切なことは、そこにある教会を語ることで、長崎の歴史も語っていけるということ。まだまだ勉強の途中ですが、少しでも長崎の魅力が伝えられるようにがんばります。  みなさん、巡礼センターへ来て下さい!」 DATA 犬塚明子 Akiko Inuzuka  1956年生まれ。長崎県諫早市出身。諫早市在住。日本女子大学生物農芸専攻。1990年から2003年まで市内の某百貨店の広報担当として勤務。2005年9月『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社)を担当。 2006年5月『旅する長崎学2 キリシタン文化2』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)、同年11月『旅する長崎学5 キリシタン文化編5』の構成・文を担当。2007年5月から長崎巡礼センターのインタープリターとして活動中。2007年9月には構成・文を担当する『ながさき巡礼』(監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社)を出版予定。
  • 五島の教会を巡って 2014年03月27日
    五島の教会を巡って
    歴史の遺産・教会のある風景を訪ねて感じたこと  ザビエルが平戸にキリスト教を伝えて15年後のこと。宣教師アルメイダとロレンソが五島を訪れ、広めたキリスト教。五島では、16世紀と19世紀の時代を超えてキリシタン弾圧という同じ悲劇が繰り返されました。壮絶な殉教を目の前に、しまの人たちは耐えて守るという強い信仰を心に誓ったのではないでしょうか。五島巡礼の旅は、キリシタンの歴史を学ぶと同時に、それまでの「日本」を振り返る旅でもありました。 教会堂を巡るきっかけは?  五島の主な教会を訪ねるだけでも、それらが辺鄙なところにばかり建っていることに誰もが気付くと思います。迫害を逃れ、静かな信仰の地を求めて海を渡ったキリシタンたちにとって、五島は天国のはずでした。しかし恵まれた場所に堂々と住めるわけもなく、海辺の痩せた土地にへばりつくような暮らしを余儀なくされたといいます。「五島天国行ってみて地獄」と唄われるほど、困難を極めた移住生活。現在でも交通アクセスが困難な場所に、これほどたくさんのすばらしい教会堂が残されていることを考えるとき、当時の苦労とそれを乗り越える信徒の皆さんの熱い心がありありと伝わってくるようです。 ライフワーク 1.教会堂は祈りの場。聖なる場所では私語をつつしんで!  「その後、長崎市内にある某百貨店に勤めました。広報担当という仕事のおかげで、改めて長崎を見つめ直すことができたのです。階段脇のスペースを活かしての作品展示は、来店してくださったお客さまに見てもらえるステップギャラリーとして開放していました。展示の企画も、お預かりした作品の展示のほかに、自分たちの手で長崎の情報発信をしていこうという、まさに長崎の歴史テーマとしたものもおこなっていました。その中のひとつに「長崎の教会」というテーマがあって、そこで思い切って長崎の教会を見てまわったんです。この展示を通して「長崎は面白い!」って思い始めました。それで、長崎の面白さを伝える仕事に携わりたいと思った矢先に、長崎の教会ガイド『長崎游学2』(長崎文献社)という本をつくる仕事に出会ったんです。この、ガイドブックをつくりながら、教会のことをかなり勉強させてもらったんですよ。」  出会った地元の人が、「辺鄙な場所に建っているからこそ価値があるのですよ」と言っていました。もうすぐ建設から100年を迎える教会堂と、そこに伝わる先祖たちの思いを大切に守ってきているのだなあと感動しました。当時、教会堂を建てるための莫大な費用をどこから捻出するか。敬虔な五島の信者たちは、食べる物を減らしてまでも教会建築のために奉仕したといいます。ある島では出稼ぎに行ったまま教会堂の完成を見る事がなかった人、完成するころには財産を使い果たして島を出るしかなかった人も多かったとか。世界遺産登録への動きを通して、教会巡りを楽しむ人は増えると思うけれど、建物だけを見るのではなく、ぜひその教会堂が建てられるまでの話にも耳を傾けてほしいと思います。そして、ザビエルが日本にキリスト教を伝えて以来450年以上のキリシタンの歴史と、実に多くの犠牲者のうえに、今の信仰の自由が成り立っているのだと感じていただければうれしいです。  かつてはキリシタンの天国といわれた島も過疎高齢化が進み、実際には維持が難しくなっている教会堂も少なくありません。一日数往復しかないバスを待つお年寄りの姿が目に留まります。 旅の終わりに久賀島を案内して頂いた木口汽船の木口さんが「これらの教会群が世界遺産になることで、観光客が増える事も嬉しいけれど、世界中から巡礼者が集まる巡礼の島になるといいですね」と話されていたのがとても印象的でした。 江崎博子
  • 海岸線をなぞってみよう 2014年03月19日
    海岸線をなぞってみよう
    海岸線をなぞってみよう  長崎は大陸に近い日本の西にあって、海外貿易には便利な場所。でも、それなら他の県でもよかったんでは?なぜ長崎だったのでしょう?地理的な位置や周りを囲む海、自然の力、美しい風土・・・、いろんなことが素晴らしいから貿易港に選ばれたはず。長崎がどんなところなのかをデータから探ってみました。 長〜い長い「長崎県」の海岸線  長崎県の海岸線の長さは約4,196キロメートル(平成17年3月31日 国土交通省河川局「海岸統計」)、北海道に次いで全国で2番目です。これがどのくらい長いかというと、全国の海岸線の12%にもなります。面積はというと、全国37位で、これは全国の1%ぐらいですから、長崎県の海岸線がいかに複雑に入り組んでいるかがわかりますよね。しかも平地が少ない地形なので、昔は馬よりも船で移動するほうが早かったんです。 岬の教会  日本で初めてキリシタン大名となった大村純忠は、自分の領地内を船で往来していました。16世紀に開港した横瀬浦に別荘を構え、三城城から船で大村湾を横切り、横瀬浦の別荘から小船に乗り換え、教会のミサに通ったそうです。  横瀬浦、福田に続いて、純忠が開港したのは長崎でした。1570年、付近の様子はというと、長い岬の台地があるだけでした。ホントに細長い岬だったんです。そこに新しいまちづくりがスタートし、最初6つの町ができました。いまの県庁のあるところが岬の先端で、教会が建ち、鐘の音が響いていました。大きな貿易船も行き来できる波穏やかで静かな入り江、しかも長い船旅の疲れを癒すような美しい風景。そんな天然の良港が長崎県には多かったのです。  ここで、長崎の楽しみ方! この長〜い海岸線をドライブするのが最高なんです。晴れた日の空と海の青さ、夕暮れにはオレンジ色に映える海。様々な表情を見せてくれる長崎の海岸線は、何度ドライブしても感動です! また、海からアプローチするのも素敵です。港には豪華客船が寄航し、海外から訪れる人も少なくありません。クルーザーや遊覧船で、ゆったりした時間を優雅に楽しむのも、長崎の魅力を満喫する方法のひとつです。 日本一の「しま」の数、どれくらいだと思います?  長崎県の島の数は全国第1位。全国の島の数は6,852島で、そのうちの14.2%にあたる971島が長崎県にあります(昭和63年9月 海上保安庁「海上保安の現状 *島(海上)は、外周0.1km以上)。ちなみに、県では、陸地面積が1,000m2のものを「しま」ととらえています。こうしてみると、長崎県には596のしまがあり、そのうち、有人島が74島、無人島が522島となります。  長崎を愛した遠藤周作氏は、代表作『沈黙』のなかで、どこまでも蒼い海と森の緑という大自然のあまりの美しさに、人間の存在そのものを投げかける。たしかに長崎の歴史的背景のうちに見るその風景は、素朴ながらも何かを問いかけてくるような重みと強さがあります。  ここで、魅力がいっぱいの「しま」自慢をちょっとだけ! 世界遺産候補となった教会が点在する五島。シーカヤックで渡る九十九島は、プチ・アイランドリゾート。麦焼酎やウニが美味しい壱岐。韓国に一番近い国境の対馬・・・などなど。すみません。ちょっとだけでは語り尽くせない長崎県の「しま」でした。 季節風に吹かれてやってきた外国船  日本へとやってきた中国のジャンク船やポルトガルのナウ船。帆をあげた船は、夏は南からの季節風にのってきました。帰る時は冬の北からの季節風にのって長崎を出航。季節風がたよりだった航海は命がけだったようです。  そのむかし、南蛮船が来る以前から、大陸との航海ルートにおいて、長崎県の島々は重要な位置にありました。そして16世紀、平戸にやってきたポルトガル船とキリスト教を受け入れ、西洋との貿易を始めたのが平戸領主の松浦隆信(道可)だったのです。長崎と西洋がはじめて出会った場所「平戸」。その後、平戸の港にはイギリス船、オランダ船が次々と入港し、西洋文化の窓口となりました。その面影をたどる旅にでかけませんか。「 ながさき歴史散歩 第2回 【ザビエルも訪れた国際貿易港「平戸」の旅】 」をご覧ください。 参考資料 『旅する長崎学1 キリシタン文化機戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 『旅する長崎学2 キリシタン文化供戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 『ホームページ『長崎100の指標 較べてみれば(2006改訂版)』 『ホームページ『ながさきの「しま」』
  • 伝統の味・五島手延うどん 2009年10月21日
    伝統の味・五島手延うどん
    新上五島町 コミュニケーションポータルサイト「こうてみっか」 「こうてみっか」は、長崎県・新上五島町の「海の幸」・「山の幸」を販売しているショッピングサイトです。新上五島町ならではの「五島手延うどん」をはじめ、多数の商品を取り揃えています。 新上五島町コミュニケーションポータルサイト 「こうてみっか」
  • 第6回 世界遺産候補を巡る旅 上五島編 2007年06月20日
    第6回 世界遺産候補を巡る旅 上五島編
    小さな漁港が長崎のルーツ!?  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「下五島編」「上五島編」と、4編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「上五島編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2青砂ヶ浦天主堂 ↓有川港へ車で約20分+小値賀港へフェリーで約40分+町営船〔はまゆう〕35分+野崎港より徒歩20分