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しまエリア

  • 第10回 太古の浪漫・一支国を感じて 2010年03月17日
    第10回 太古の浪漫・一支国を感じて
     ドライブルートのなかから、歩いて学べるエリアをクローズアップしてご紹介するコーナーです。今回の散策コースのテーマは、 「太古の浪漫・一支国(いきこく)を感じて」です。  2010年(平成22)3月14日、壱岐市に新しい歴史文化体験施設「壱岐市立一支国博物館」が誕生しました。 そしてこの博物館の眼下には、邪馬台国が存在したころの国・一支国の王都「原の辻遺跡」が広がっています。 当時の遺物の数々が展示されている「一支国博物館」と国の特別史跡に指定されている「原の辻遺跡」を訪ねて、太古の浪漫を感じよう! 散策エリアの位置をチェック 散策コース&マップ 壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター ↓車で約3分(徒歩で約30分)  原の辻遺跡 原の辻一支国王都復元公園 スポットの紹介 壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター  新しくオープンした「一支国博物館」では、“海上の貿易センター”として弥生時代に繁栄した壱岐の王国・一支国の歴史を学ぶことができます。また、東アジアを舞台に壱岐の歴史が紹介され、海を介した国々の各時代における社会情勢や時代背景などについても知ることができます。“見て・触れて・楽しむ”体験型の博物館なので、大人も子どももみんなでワクワク!感動と発見が待っている新感覚のミュージアムです。 しま全体に歴史の足跡が残る壱岐の島は、まるで“しまごと博物館”。その拠点となる情報発信の施設としての役割も果たしてくれそうです。まずは、博物館に行ってみよう! ・建物 故・黒川紀章氏の設計。県立の埋蔵文化財センターと市立の博物館が一体となった施設は、全国でも珍しい。 ・エントランスホール 来館者を迎える壱岐の総合インフォメーション。奥には「邪馬台国への道」も見え、期待に胸がふくらみます。 ・キッズこうこがく研究所 考古学や歴史を体感学習できる体験スペースです。土器のパズルや組み立て、発掘体験など、子どもだけでなく大人も一緒に楽しめます。 ・オープン収蔵庫 普通はあまり公開されていない収蔵庫内を見せる演出です。キッズこうこがく研究所からも迫力ある貴重な遺物が閲覧できます。 ・観察路 発掘調査で出土した遺物の整理を作業別に見学できる観察路です。長崎県埋蔵文化財センターと一体となった博物館ならではです。 ・通史ゾーン 壱岐の歴史を、現代から一支国の時代までさかのぼる歴史通史絵巻。東アジア史と日本史の歴史事象を比較しながら紹介しています。 ・古墳ゾーン 壱岐に残る約270基の古墳が物語る“古墳時代“の歴史を紹介しています。 ・海の王都・原の辻 朝鮮半島と日本本土との海道を行き来していた古代船は、海の王都の象徴。櫓をこぐ体験もできます。 ・一支国トピックス 一支国の王都として栄えた原の辻遺跡の世界をジオラマ模型で再現。当時の生活の様子がよくわかります。 ・テーマ展示室 テーマを設定して、企画展示を行うスペースです。2010年3月14日から6月20日までは「『魏志』倭人伝の国々に残る至宝展」が開催されています。 ・邪馬台国への道 中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」に書かれた一支国の様子をはじめ、邪馬台国までの国に関する情報を紹介しています。 ・ビューシアター 海を介した交流によって栄えた一支国の様子をシアター映像で再現します。東アジアの視点にたった歴史ストーリーをご覧ください。 ・情報プラザ 壱岐の歴史や観光をはじめ、東アジアの遺跡に関する情報などを検索することができます。 ・屋上展望広場 館外の緑のオープンスペース。天然芝生の憩いの場です。深江田原に広がる「原の辻遺跡」を一望できます。 ・4F展望室 エレベーターを利用して展望室に上がると、大パノラマの素晴らしい眺めが楽しめます。  「一支国博物館」の眼下に広がる「原の辻遺跡」も、「原の辻一支国王都復元公園」として整備され、一般公開されています。博物館から歩くと約30分程度(車で約3分程度)のところ。弥生時代を想像しながらゆったりと歩き、途中「大塚山古墳」や「安国寺」に立ち寄って、壱岐島の歴史に触れる散策もおススメです。 原の辻遺跡 原の辻一支国王都復元公園(はるのつじいせき はるのつじいきこくおうとふくげんこうえん)  かつて邪馬台国が存在していた時代、一支国の王都が広がっていたところです。一支国は、「魏志倭人伝」に記された国の中で、国の場所と王都の位置の両方が特定された国内唯一の遺跡です。  1904年(明治37)、松本友雄(まつもとともお)氏によって発見された原の辻遺跡では、その後の発掘調査によって、日本最古の船着き場の跡(1996年(平成8)検出)や当時の「一支国」が大陸との交流によって繁栄していたことを示す住居跡、交易によってもたらされた様々な地域の土器、中国の貨幣、日本唯一の人面石やココヤシで作った笛などが発見されています。  史跡の国宝級ともいえる“国の特別史跡”に指定され、数々の遺構や遺物の発見・検出をもとに、当時の建物などの復元整備がおこなわれてきました。今回、一支国博物館の開館にあわせて、「原の辻遺跡 原の辻一支国王都復元公園」としてリニューアル公開されることになりました。単に建物の外観の復元だけではなく、その役割によって内部もそれぞれ整備されています。  発掘から調査・復元までの経過も踏まえて、ちょっと観察してみましょう。  2005年(平成17)、遺跡の中心域の3棟が復元されました。また、この年には、丘陵の祭儀場跡周辺で大規模な土器溜りや甕棺墓、石棺墓が検出されました。 ・主祭殿 神と一支国王が共に食を交わす場で、王以外の者は入室できない神聖な場といわれています。 ・平屋脇殿 一支国王が神との儀式の前に身を清めたといわれています。 ・大型竪穴住居(迎賓場) 一支国を訪れた使節団を歓迎するところです。  2006年(平成18)には、 遺跡の中心域の5棟と管理小屋を復元しました。また、丘陵の祭儀場跡周辺で発見された土器溜りは、その範囲が確認され、土器のほかに人骨や獣骨、丹塗りの土器なども新たに見つかりました。 ・大型竪穴住居(王の居館) 一支国王が生活していたところです。 ・竪穴住居(使節滞在場) 使節団が滞在する間の食材や荷物を保管しておく場です。 ・竪穴住居(長老の家) 一支国の中で長老的存在の人が暮らしていた場です。   ・大型壁立建物(集会場) 一支国を担う各種団の長(おさ)が集合し、話し合いを行いました。 ・高床建物 滞在中の使節団の貴重品を保管するための倉庫です。    2007年(平成19)には、遺跡の中心域に5棟を復元しました。 ・小型高床倉庫群(2棟) 手前は祭りや儀式に供える食材を納める倉で、奥の倉庫には祭りに用いる祭器を納めていました。 ・方形壁立建物  (交易を司る者の家) 一支国の交易を司る人が暮らしていた場です。 ・円形壁立住居(通詞の家) 中国や朝鮮半島に精通した人が滞在する場です。     ・大型壁立建物  (使節宿泊場) 使節団に随行してきた人が宿泊する場です。      2008年(平成20)には、中心域に4棟復元しました。 ・物見櫓 集落の外の動きを見張る建物です。鳴り物などの音で危険を知らせていたといわれています。 ・円形壁立住居(番小屋) 物見櫓の見張り番から知らせを受けて、警備につく兵士の詰め所です。 ・穀倉 収穫された米や麦などを入れる倉です。中心域の暮らしに使われていたといいます。     ・交易の倉 外国や九州本土との交易品などを収めていたといわれています。      2009年(平成21)まで「原の辻展示館」だった建物は、今回の「原の辻一支国王都復元公園」において、原の辻遺跡の発掘の歴史や四季の風情を紹介するガイダンス施設の役割を果たします。  公園内には中国原産のハナモモなどが植えられ、環濠域も整備され、土器溜り遺構の露出展示もおこなわれています。 ・土器溜り 一般の土器や石器などとともに、祭りに使用された土器がこの辺りにまとめて捨てられていました。  現在も発掘調査は続けられています。これまで調査が行われた部分は、広大な遺跡のなかの1割程度の面積だそうです。まだまだこの公園の下には弥生時代の浪漫が眠っているのかもしれません。今後の発掘調査もとても楽しみです。 取材協力 ・壱岐市立一支国博物館 ・長崎県埋蔵文化財センター
  • 第10回 壱岐の風景と元寇ゆかりの地を訪ねる 2010年03月10日
    第10回 壱岐の風景と元寇ゆかりの地を訪ねる
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは、6月にご紹介した『壱岐』の続編です。いよいよ2010年(平成22年)3月14日、歴史の島・壱岐に「壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター」がオープン!「魏志倭人伝」の世界の再現や復元された古代船、遺跡発掘の体験など子どもから大人まで楽しく学べる博物館です。新しい博物館をめあてに、6月に続いてまたまた、壱岐の旅へ出かけることにしました。旅の必携アイテムは『旅する長崎学11』です。  壱岐がはじめてという人は、先にどんなところかチェックしておこう。 壱岐の位置 壱岐をドライブする 今回のドライブルート 1日目 壱岐空港 ↓車で約10分 長崎県埋蔵文化財センター・壱岐市立一支 国博物館(ながさきけんまいぞうぶんかざい せんたー・いきしりついきこくはくぶつかん) ↓車で約3分 原の辻遺跡復元施設(はるのつじふくげん しせつ) ↓車で約25分 はらほげ地蔵 ↓車で約2分 左京鼻(さきょうばな) ↓車で約15分 少弐(しょうに)公園・弘安の役(こうあん のえき)跡 ↓車で約25分 男岳神社(おんだけじんじゃ)の石猿群 ↓車で約20分 新城千人塚・文永の役跡(しんじょうせんに んづか・ぶんえいのえきあと) ↓車で約20分 河合曽良(かわいそら)の墓 ↓徒歩で約3分 城山公園(じょうやまこうえん) ↓車で約3分 湯ノ本温泉(ゆのもとおんせん) ↓車で約15分 2日目 黒崎砲台跡(くろさきほうだいあと) ↓徒歩で3分 猿岩(さるいわ) ↓車で約3分 春一番の塔(はるいちばんのとう) ↓車で約3分 岳の辻展望台(たけのつじてんぼうだい) ↓車で約3分 松永記念館(まつながきねんかん) スポットの紹介 1日目 壱岐空港  今回も、「海都くん」が案内してくれるよ! 長崎県埋蔵文化財センター・壱岐市立一支国博物館 ながさきけんまいぞうぶんかざいせんたー・いきしりついきこくはくぶつかん)  今から約2100年前、「一支国(いきこく)」は、大陸と日本の架け橋として大きな役割を担っていました。大陸の最先端の技術や文化は、 対馬、壱岐をとおって、北部九州の国々へ、そして邪馬台国(やまたいこく)へと運ばれました。一支国は“海上の貿易センター”として、 弥生時代に繁栄した王国です。  壱岐島の歴史や数々の遺物を紹介する「壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター」が、2010年(平成22)3月14日にグランドオープン。 この博物館は新感覚のミュージアムで、単なる展示にとどまらず、グラフィック映像やタッチパネル検察、模擬発掘体験、見える収蔵庫、 出土品の整理作業を見学できる通路など、楽しくわかりやすく歴史を学びながら身近に体感できる施設です。もちろん、壱岐島のお宝である指定文化財や、 壱岐ならではの“日本初”や“日本最古”“日本唯一”の遺物なども展示され、見どころもいっぱいです。 原の辻遺跡復元施設(はるのつじふくげんしせつ)  中国の歴史書『三国志』の一節に、倭の国について2008文字で記された『魏志倭人伝』の中に一支国が登場します。うち一支国に関する情報は57文字で、「水田を耕しても食料が足らず、南や北と交易して暮らしている」と記されています。1995年(平成7)には、一支国の中心であった海の王都が「原の辻」であるということが特定されました。現在、国の特別史跡に指定されています。  ここでは、王以外は入室できない神聖な主祭殿(しゅさいでん)や、王が儀式の前に身を清めたといわれる「平屋脇殿(ひらやわきでん)」など数々の建物が復元されています。 はらほげ地蔵  6人のお地蔵さまが並んで海に浸かっています。よく見ると、胸に直径4センチほどの穴があいたお地蔵さまがいます。そのため地元の人々のあいだで、「はらほげ地蔵」と呼ばれています。  干潮時には、人工の埋め立て地面に降りて拝むことができますが、満潮時には、お地蔵さまが胸まで海中に浸かってしまうので、現在では祀り場が設置されています。  いつ、誰が、何のために、このお地蔵さまたちを祀ったのか定かではありません。この辺りは以前から海女の集落があることから、海難逃れや海難者の冥福祈願のために地蔵の胸の部分に穴をあけ、 供物をそこに上げたのではないかと伝えられています。また以前、鯨の納屋があって鯨が捕獲されていたため、鯨鯢供養(げいじくよう)として建立したのではないかともいわれています。 左京鼻(さきょうばな)  八幡半島の突端にある「左京鼻」は景勝地として知られています。  この岬周辺は昔から海産物が多く獲れるところで、海女たちがウニやアワビなどの漁を盛んにおこなっています。  この左京鼻の名前の由来については、江戸時代の初期に大旱魃(だいかんばつ)に襲われ、人々が苦しんでいたときに、 陰陽師の後藤左京と龍造寺五世日峰和尚(にっぽうおしょう)の二人が身命を賭けて雨乞いをしてくれたことからついたといわれています。 しかし、もっと遡ると、「石橋の端(しゃきょうのはし)」「石橋の鼻」と呼ばれていたという記録もあります。 「石橋の端(鼻)」とは“突端の断崖”という意味があるそうです。「しゃきょう」という読み方は、「神変佛力にあらずばたれかこの橋を渡るべき」 という昔の中国の故事にある石橋(しゃきょう)を、この断崖に見たてて名付けられたと思われます。 神様が生んだ「生き島(壱岐島)」を繋いだ8本の柱岩の1本とも伝えられています。  1973年(昭和48)にNHK主催の「ふるさとの歌まつり」でこの左京鼻が全国放送され、観光地として島外に知られるようになりました。 少弐(しょうに)公園・弘安の役(こうあんのえき)跡  壱岐は対馬と同様に、文永の役・弘安の役では蒙古軍の襲来を受けました。蒙古軍の侵攻によって島内は戦場と化し、今でも多くの伝承地が残っています。  現在少弐公園として整備されたこの地は、1282年(弘安4)に対馬、壱岐と侵攻した蒙古軍(東路軍)が一時撤退し体制を整えていた場所でした。 博多湾に押し寄せた際に日本軍の反撃に遭って損害を受けたので、遅れてやって来る江南軍と合流するための本拠地として壱岐の瀬戸浦を利用したのです。  江南軍と合流し一気に博多に侵攻する作戦を知った日本軍は、壱岐に撤退した蒙古軍を追撃します。壱岐を防衛するための守護代に任命された少弐資時 (しょうにすけとき、少弐経資(つねすけ)の子)は、瀬戸浦の船匿(ふなかくし)城を本拠地とし、部下を率いて蒙古軍と激戦を展開しました。 しかし、少弐資時は19歳の若さで討ち死にし、船匿城で全滅したといわれています。  丘の上には少弐資時の墓が建てられ、現在はキャンプができるよう炊事棟や遊歩道が整備されています。 展望台の近くには、663年(天智2)の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで日本軍が新羅・唐の連合軍に敗戦した後に、 国防のために設置された狼煙台(のろしだい)も残っています。 男岳神社(おんだけじんじゃ)の石猿群  男岳は、五百鳩(いおつり)山とも磯山ともよばれる標高156メートルの山。それでも壱岐の中では岳の辻(たけのつじ)に次いで二番目に高い山です。 男岳には昔から山一面に高木が繁茂し、霧が深くかかり荘厳な雰囲気を醸し出しています。  うっそうと繁った社叢には、まずユーモラスな石猿たちが顔を出して迎えています。この神社の祭神が猿田彦命(さるたひこのみこと)であることから、 境内には願成就のために石猿が奉納されています。ここに奉納されている230余体の石猿の表情はそれぞれ異なり、とっくりを提げたものや、 “見ざる、言わざる、聞かざる”の表現をしたもの、笑い、とぼけ、すましたものなど実にさまざまな石猿たちに出会うことができます。  山頂からは壱岐全島が見渡せ、ユーモラスな石猿たちとともに、多くの参拝者の目を楽しませています。 #16" class="btn basic_btn">松永安左ヱ門とは? 松永記念館・石田町ふるさと資料館  入館料     大人:100円 中学生以下:50円 団体(15人以上):2割引き  開館時間   午前9時〜午後5時  休館日   火曜日午後及び水曜日・年末年始 参考資料 『旅する長崎学11 海の道I壱岐 邪馬台国への道』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『芦辺町史』(芦辺町史編集委員会/芦部町発行) 『勝本浦郷土史』(川谷幸太郎著) 『長崎県文化百選 壱岐対馬編』(長崎県) 『まるごと壱岐事典』(壱岐市産業経済部観光商工課) 取材協力 壱岐市観光協会 旅館 千石荘
  • 第1回 古墳時代を歩く 2009年06月10日
    第1回 古墳時代を歩く
     ドライブルートのなかから、歩いて学べるエリアをクローズアップしてご紹介します。今回の散策コースのテーマは、古墳めぐり! 古墳の中にある巨石の部屋を見た昔の人たちは、 人間ワザとは思えないその様子に、“鬼の住処(すみか)”と言ったそうな。さあ、壱岐の歴史の世界をウォーキング! 散策エリアの位置をチェック 散策エリアの紹介  「壱岐風土記の丘」をスタート地点として、壱岐の島の古墳時代を体感しながら歴史散策しましょう。このコースでは、6世紀末頃から7世紀初め頃に造られたと考えられる古墳群を見ることができます。  長崎県内では、現在450基を超える古墳が確認されていますが、なんとその60%にあたる260基の古墳が、この壱岐に存在します。壱岐の面積は、長崎県土の3%にしかすぎませんから、ちょっとオドロキの数字ですよね! 「壱岐を歩けば古墳にあたる」というくらいの密集度です。現代の私たちにとってもビックリの数字ですが、江戸時代にもこの古墳の多さが注目されたようです。 平戸藩主・松浦誠信(さねのぶ)の代に編集された『壱岐国続風土記(いきのくにしょくふどき)』には、壱岐の島には338基の古墳があると記載されています。 散策コース&マップ 掛木古墳(かけぎこふん)「壱岐風土記の丘」駐車場の奥 ↓壱岐風土記の丘から徒歩10分 百合畑古墳園(ゆりはたこふんえん) ↓百合畑古墳園から徒歩5分 生池(なまいけ) ↓生池から徒歩12分 生池城跡 ↓生池から徒歩20分 笹塚古墳(ささづかこふん) ↓生池城跡から徒歩20分 双六古墳(そうろくこふん) ↓笹塚古墳から徒歩15分 鬼の窟(いわや)古墳 スポットの紹介 掛木古墳(かけぎこふん)  「壱岐風土記の丘」の駐車場奥にあります。掛木古墳は、6世紀後半に造られた円墳で、墳丘の直径は約30m。県内で唯一の「くり抜き式家形石棺」を持つ古墳として有名で、 大きな石をくり抜いて造ってあります。屋根の形をした蓋も特徴としてあげられます。 百合畑古墳園(ゆりはたこふんえん)  23基の古墳が集中しています。ここでは、6基の古墳を見ることができます。5〜6世紀にかけて築造され、このあたりにおける初期の古墳群として貴重です。 横穴式石室が特徴。 生池(なまいけ)  以前ここには約30平方メートルほどの広さの池があったといわれています。 昔は川河童(かわがっぱ)がここで人を生け捕りにしていたので、生池と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。大きな松があり、 水神様の祭り場になっています。生池城の用水の汲み場であったとも考えられています。  ここからは、次第に車の音が遠くなります。鳥のさえずりや虫の鳴き声、風にそよぐ木々の葉の音が心地よく聞こえてきます。 道端にひっそりと咲く季節の花々や自然の香りに癒されながら、のんびり歩く・・・。ふと立ち止まって上を見上げると、木漏れ日がまぶしく空から射し込んでいました。 聞こえてくる音、見えるもの、漂う香り・・・。静けさのなかにあるすべてのものに神聖さを感じます。 こんな空間にひたっていると、壱岐が“神々の島”とよばれるのも確かにうなずけます。特別なエリアに入り込んだようなひとときです。 生池城跡  古墳時代ではありませんが、16世紀中頃に松浦党の源壱(みなもとのいち)が生池城(別名:牛ケ城 うしがじょう)に移城しました。 二重の空堀(からほり)がとりまき、築城当時の厳重な城がまえをうかがわせます。この城は戦闘施設として造られたため、城主や家族たちは、 ふつうは別の屋敷に住んでいたといわれています。  源壱は、朝鮮や中国沿岸で私貿易をおこなった倭寇(わこう)のひとり。のちに朝鮮から貿易許可書である図書(ずしょ)を受け、正式に貿易をおこないました。 笹塚古墳(ささづかこふん)  6世紀末頃から7世紀初め頃に造られた古墳で、特別な地位にあった人の墓と考えられています。直径66m、高さ約13mは県内最大級の大きさです。 ヒノキ林に覆われているので、全体を見ることはできません。  奥の玄室にある巨大な石を利用した組合式石棺からは、世界でも珍しい亀の形をした飾り金具や金銅製の馬具一式、太刀、ガラス玉など、 考古学上非常に貴重な資料が出土しました。古墳の大きさからだけでなく副葬品からも、被葬者の権力の強大さがみてとれます。 双六古墳(そうろくこふん)  6世紀中頃に造られた前方後円墳で、これが長崎県内で最も大きな古墳です。全長は91m、高さは前方部が5mで後円部が10.6mあります。 雑木は切り払われ、全体を見渡すことができます。前室右側壁には船の線刻画があります。また、副葬品として出土したものは、 鳳凰をかたどった金銅製の太刀柄頭や透かしのある鉄刀の鍔(つば)、トンボ玉や琥珀玉といった装飾品などなど、バラエティに富む高価そうなものばかり。 この古墳もやはり相当な有力者のものだと想像できます。 鬼の窟(いわや)古墳  横穴式石室を持つ古墳のことを、壱岐では“鬼の窟”とよんでいます。鬼でもなければこんな大きく重たい石は運べないだろうということでしょう。 石室は壱岐最大(全国で12位)だそうで、全長16.5m、最大の天井石は4mもあります。当時の壱岐の豪族・壱岐直(あたい)の墳墓ではないかといわれています。  江戸時代の『壱岐名勝図誌』に「島外からの見物客が多い」という記録が残っており、昔から有名な古墳だったことがわかります。 参考文献 ・『旅する長崎学11 海の道Ⅰ【壱岐】』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 参考資料 ・「まるごと壱岐事典」(壱岐市産業経済部観光商工課)
  • 第1回 神が宿り鬼も棲む島 2009年06月10日
    第1回 神が宿り鬼も棲む島
    長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介していきます!第1回目の舞台は『壱岐』。旅の必携アイテムは 『旅する長崎学11』です。 あれ、壱岐を知らないって?『壱岐』がどこにあって、どんな歴史が刻まれてきた島なのか、まずはチェックしておこう!   壱岐の位置   壱岐へのアクセス   壱岐をドライブする 今回、一緒に旅をしてくれたゲスト・キャラクターは 「海都(かいと)くん」です。 原の辻遺跡」マスコットキャラクターとして活躍しています。 今回のドライブルート 郷ノ浦(ごうのうら)港 スタート地点 ↓車で約15分 里浜海水浴場 ↓車で約15分 壱岐風土記の丘(いきふどきのおか) ↓車で約20分 イルカパーク ↓車で約20分 ウニ(海女漁) ↓車で約25分 月読神社(つきよみじんじゃ) ↓車で約7分 住吉神社 ↓車で約15分 壱岐安国寺 ↓車で約10分 原の辻展示館・原の辻遺跡 ↓車で約5分 万葉公園 ↓車で約8分 白沙(はくさ)八幡神社 ↓徒歩約3分 筒城七浜(つつきななはま) スポットの紹介 郷ノ浦(ごうのうら)港  壱岐市の繁華街のひとつである郷ノ浦。芦辺港や勝本港、印通寺港とともに壱岐を代表する港があります。  郷ノ浦港のターミナルには売店や観光協会もあり、壱岐の観光情報が収集できます。 今回は、この郷ノ浦港を出発点にして、壱岐の弥生・古墳時代を知る旅へGO! 里浜海水浴場  車を走らせていくと、窓から見える海の景色。やっぱりまずは海だよね!この辺でちょっと寄り道。  里浜海水浴場は決して大きくはありませんが、それがかえってプライベートビーチのような贅沢感を演出してくれます。 ちょっと足をつけてみたりして・・・。美しく透明感のある青い海の色に癒されながら、島の旅気分をワクワクと盛り上げて! 壱岐風土記の丘(いきふどきのおか)  車を走らせていくと、窓から見える海の景色。やっぱりまずは海だよね!この辺でちょっと寄り道。  里浜海水浴場は決して大きくはありませんが、それがかえってプライベートビーチのような贅沢感を演出してくれます。 ちょっと足をつけてみたりして・・・。美しく透明感のある青い海の色に癒されながら、島の旅気分をワクワクと盛り上げて! #04" class="btn basic_btn">体験する  #042" class="btn basic_btn">作業を見る 月読神社(つきよみじんじゃ)  『古事記』によると、イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)が、アマテラスオオミカミ(天照大神)の次に産んだ神様がツクヨミノミコト(月読尊)と記されています。  また、『日本書記』には、壱岐の月神が中央へ分霊するいきさつが書かれています。京都にある月読神社は、朝鮮半島に向かう途中で壱岐に立ち寄った天皇の使者に月神のお告げがあって祀られ、 壱岐の県主(あがたぬし)の先祖・忍見宿祢(おしのみすくね)が仕えたそうです。壱岐の月読神社は神道の発祥の地ともいわれています。 住吉神社  明治4年(1871)に国弊中社に列格、壱岐唯一の官社として壱岐の神道の中枢を担っている神社です。 境内には、壱岐で最大というクスノキが生え、荘厳な空気をつくっています。また、池の中に祀ってある竹生島(ちくぶしま)神社の下から、 神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓出兵したときに埋めたと伝わる鏡が発見されています。  壱岐神楽の舞台となる住吉神社。晩秋の夜、神社に設けられた特設会場では期間限定で神楽が披露され、 12月20日の大祭において神楽のフィナーレを飾る大大神楽が奉納されます。8月の第1土曜日には、 石田の筒城ふれあい野外ステージでも公演があります。 ※三韓出兵・・・『日本書記』に残る記述で、神功皇后が行ったといわれる新羅出兵のことをいいます。三韓の三とは「新羅」「百済」「高句麗」の三国をさします。 壱岐安国寺  室町時代、足利尊氏(あしかがたかうじ)と直義(ただよし)は、戦死者の冥福と国家の安泰を願って、全国66国2島に臨済宗のお寺の建立を命じました。 壱岐では、もともとあった海印寺が当てられました。 境内のスギの巨木や坐禅石、カッパの逸話、山門前の橋石など見どころはたくさんあります。 原の辻展示館・原の辻遺跡  原の辻遺跡は、紀元前2〜3世紀から紀元3〜4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落の跡。国の特別史跡に指定されている重要な遺跡です。 いまも発掘調査がおこなわれているため、新しい発見もまだまだ期待できます。 数多くの出土品は、原の辻展示館で見ることができます。もちろん必見! #10" class="btn basic_btn">万葉集の歌を見る 白沙(はくさ)八幡神社  応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后、仲姫之命(なかつひめのみこと)、仁徳天皇(じんとくてんのう)、 武内大臣(たけうちおおおみ)、玉依姫(たまよりひめ)を祭神とした神社です。鳥居から境内までの道のりにも格式高い印象を受けます。  江戸時代に、平戸藩主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)が奉納した三十六歌仙の板絵は、ぜひ見てほしい! 筒城七浜(つつきななはま)  島南部の東海岸一帯を筒城海岸といい、白い砂浜が特徴で総延長4kmに及びます。  環境省選定「日本の快水浴場(かいすいよくじょう)百選」「日本の渚100選」にも選ばれており、家族やグループ、 マリンスポーツを楽しむ利用者で賑わいます。
  • 弥生時代へタイムスリップ 2014年03月24日
    弥生時代へタイムスリップ
     ただ見るだけの博物館ではなく、実際に触れながら楽しく歴史を学ぶことができる「壱岐市立一支国(いきこく)博物館」が2010年(平成22)3月14日にオープンしました。“体感する”博物館は、発見と感動が満載の“ワクワク”がいっぱいです! キッズこうこがく研究所 日本初の手法 オープン収蔵庫 観察路 リアルな映像・照明・音響のバーチャル航海 一部の土器には触れることができます  展示された土器の中には直接触ってみてよいものがあります。また、原寸大に復元された古代船に乗って櫓を漕ぐ体験も楽しそう!「キッズこうこがく研究所」では、顕微鏡観察、発掘体験、バラバラに分かれた土器を組み合わせるパズル遊びなどができます。  さらに、長崎県埋蔵文化財センターが一体的に併設されているのも特徴です。ガラス張りの壁を通して、県内で発掘された大量の土器や出土品を閲覧できる「オープン収蔵庫」も圧巻ですし、出土した遺物の整理やその組み立て作業を、「観察路」から見学することもできます。これは日本初の手法で、より歴史や考古学を身近なものとして感じられるようになっています。定期的にテーマを設定した展示をおこない、変化に富んだ空間にしていくそうですので、何度訪れても楽しめるコーナーのひとつです。  一支国博物館は、展示だけでなく、情報発信の場としての役割も担っています。3階には、舞台とスクリーンを完備した180席の「多目的ホール」があり、シンポジウムなどを開催できます。このほか、各種講座やミニ展覧会を実施できる「講座室」や、さまざまな研修やイベントに利用できる「多目的交流室」、古代食や古代技術体験といったイベントに活用できる「体験交流室」も整備されています。さらに、4万冊の考古学報告書や歴史書が検索・閲覧できる「図書閲覧室」もあります。 多目的ホール 多目的交流室 図書所蔵庫 4万冊の貴重な歴史書 図書閲覧室 体験交流室  すでに「講座室」や「体験交流室」では、講師がテーマに沿って歴史・文化の講義を行う「壱岐学講座」や、壱岐の伝統工芸・昔ながらのあそびを体験する「しまごと大学体験」がスタートしています。貴重な出土品や資料はどのように保存されているのだろう?→館内の裏側を探険できるバックヤードツアーや、精密分析機器を使ってどんなことを調べるのだろう?→遺物研究を体験するイベントなどが予定されています。  (※イベントへの参加は、事前の申し込みが必要です。詳しくは、 壱岐市立一支国博物館の公式サイト をご覧ください)  “博物館”って聞いて堅苦しいイメージを持っている人は、ちょっと印象が変わるかもしれません。年齢や性別に関係なく、楽しみながら学ぶことができると思います。 “しまごと博物館”壱岐島 開館記念式典  テープカットの様子 「壱岐はただの島ではありませんでした」    これは、2010年(平成22)3月14日、壱岐市立一支国博物館の開館記念式典で、須藤正人館長が挨拶の冒頭でおっしゃった言葉です。 原の辻一支国王都復元公園  壱岐島は、古くから一島で一国とされた国でした。  約2100年前に壱岐島に存在した「一支国」は、大陸と日本との架け橋として大きな役割を果たしました。博物館が立つ丘のふもとには、当時の一支国王都の遺跡が広がっています。その一画に「原の辻一支国王都復元公園」が復元整備されており、弥生時代の風景を体感することができます。  壱岐は、『古事記』の国生み神話において、イザナギノミコトとイザナミノミコトが5番目に生んだ島として登場します。あちこちに動いてまわる“生き島”だったので、動かないように繋ぎ止めた8本の柱岩の名残が、現在は観光スポットになっている「猿岩」や「左京鼻」などといわれ、今も息づいています。  また、壱岐は長崎県全体の面積のうち、わずか3%程度の小さな島にもかかわらず、古墳の数は県全体の60%にあたる260基あまりが確認されています。“神々が棲む島”といわれる壱岐には、神社の数も大変多く、なんと約150社が存在します。島の神職たちが雅楽を奏で舞を奉納する「壱岐神楽」は、神聖な島のイメージを印象づけてくれます。  壱岐は、遣唐使や遣新羅使が大陸へ渡る際、中継地として立ち寄る位置にあり、当時の様々な歴史や言い伝えも残されています。中世には蒙古軍の侵攻を受け、倭寇の拠点が置かれ、江戸時代には朝鮮通信使のルートになるなど、ほかの地域にはみられない独特の歴史と文化を秘めた島です。  “食”においては、ケンサキイカやウニなどの豊富な海産物で知られていますが、肉牛の高品質ブランド「長崎和牛」の壱岐の牛、世界貿易機関(WTO)の産地指定を受けて国際的に認められた麦焼酎「壱岐焼酎」など、自然の恵みや歴史の営みに壱岐島の人々の伝統とこだわりが加わり、島の魅力をより一層引き立てています。壱岐に育った牛は、かつて宮中や公家の牛車を引く駿牛として京都で珍重された「筑紫牛(つくしぎゅう)」であったし、焼酎は中国から伝わった蒸留製法を取り入れて、島独自の製法を生み出したことに始まるという説があり、食文化の背景にも歴史が色濃くあらわれています。 猿岩 壱岐牛 笹塚古墳 住吉神社 うにめし 男岳神社 筒城七浜 はらほげ地蔵 弘安の役跡 湯ノ本夕景 岳ノ辻からの展望 イルカパーク  このように、島全体が歴史を物語る壱岐は、まさに“しまごと博物館”。新しく開館した「一支国博物館」を拠点として、ぐるりと一周すれば、まるごと壱岐を体感できます。博物館で壱岐の全体像をチェックして情報収集した後に、島の山海の恵みを味わい、地域に根づいた歴史・文化に触れ、自然の風景に癒される・・・こんな “しまごと博物館”を満喫する旅に出てみませんか! 関連ページ 歴史発見ドライブルート 【壱岐編】神が宿り鬼も棲む島 歴史発見ドライブルート 【壱岐編】壱岐の風景と元寇ゆかりの地を訪ねる テーマで歩く歴史散策 【壱岐編】古墳時代を歩く テーマで歩く歴史散策 【壱岐編】太古の浪漫・一支国を感じて 動画で見る歴史スポット 【壱岐編】邪馬台国への道・一支国の王都〜原の辻遺跡〜 動画で見る歴史スポット 【壱岐編】「一支国博物館」を体感しよう! 自然・風土 【壱岐編】壱岐の島の神々に出会う 取材協力 壱岐市立一支国博物館 長崎県埋蔵文化財センター 参考資料 『 旅する長崎学11 海の道【壱岐】 』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 壱岐の島の神々に出会う 2014年03月24日
    壱岐の島の神々に出会う
    気になる存在 勝本町湯の本温泉町並み 歩いているとノスタルジックで惹きつけられる  壱岐の島を周遊していると、神社や祠(ほこら)を多く目にします。決して存在感を主張しない素朴さが、かえって印象深く、なぜか心に残りました。    “島”というと、夏のリゾート地といったイメージがありますが、そればかりではない、何か特別なものを感じるのです。家のたたずまいや町並みは島独特の自然に溶け込んでいて、島に住む人々の暮らしがそのまま景観に融合されている印象を受けます。  夏、美しい海で遊ぶのももちろん壱岐の楽しみ方! でも今回は、何かしら気になってしかたがない、壱岐の特別な雰囲気にひたる旅に出かけてみたくなりました。 神話に登場する壱岐 『古事記』の中に壱岐が登場するのは、国生み神話です。 海をかき混ぜ・・・オノゴロ島ができました  イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)が、天の浮橋(うきはし)から矛(ほこ)をおろして海をかき混ぜ引き揚げると、矛の先から潮が垂れて重なり積もり、オノゴロ島が出来ました。ふたりはこの島に降り、結婚して子供を生み、これが国土となりました。 5番目に生まれたのが伊伎島でした。  まず淡路島が誕生、次に伊予二名島(いよふたなのしま)[四国]、隠岐島、筑紫島(つくしのしま)[九州]、そして5番目に生まれたのが伊伎島(いきのしま)[壱岐]です。その後は津島(つしま)[対馬]、佐渡島、本州と続きます。これら日本の大きな8つの島が、大八島国(おおやしまぐに)です。  国生み神話に登場する伊伎島は、天比登都柱(あめのひとつばしら)という別名を持ちます。「天上に達する一本の柱」という意味です。この柱は、神話学では世界の中心を表し、天地を繋ぐ交通路を意味するという説があるそうです。 壱岐島をつなぎとめた8本の柱はどこ?  また、こんな話も伝わります。伊伎島はあっちこっちへ動いてまわる“生き島”だったので、流されてしまわないようにと、神様は、島をぐるりと囲むように8本の柱を立てて繋ぎ止めたそうです。8本の柱は折れてしまって、いまは岩として残り、折れ柱といわれています。壱岐の観光スポットとして有名な猿岩(さるいわ)と左京鼻(さきょうばな)が、その8本のうちの2つとされていることは、意外と知られていません。  また、『日本書紀』には、壱岐の月神が中央(京都)へ分霊されるいきさつが記されています。ドライブルートで訪ねた「月読神社」をご覧ください。    (左)左京鼻:8本の柱のひとつ(右)猿岩:8本の柱のひとつ 外交の道に神様あり 印通寺港:かつて雪連宅満が寄港したと考えられる  壱岐には、遣新羅使一行のひとり、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が眠っています。  736年(天平8)の遣新羅使一行が詠んだ歌145首が、まるで旅行記のように『万葉集』におさめられていますが、そこに雪連宅満の名もあります。彼は、長旅の途中で病にかかり、壱岐の地で病死しました。彼の先祖は、壱岐出身の卜部(うらべ:国の吉凶を占う役職)であったといわれ、雪連宅満にとって壱岐はゆかりの地でした。彼の死を悼んだ同行者たちによって挽歌9首が詠まれています。  当時、日本から遣新羅使、遣隋使や遣唐使が派遣されていますが、この時代に海を渡ることは命がけの旅で、とても危険でつらいものでした。遣新羅使も、「わたつみの 恐(かしこ)き道を 安(やす)けくも なく悩み来て…(海の神がいる恐ろしい海の路を安らぐこともなく悩みながら来て…)」(万葉集巻第十五・三六九四)と歌に詠んでいます。  そのため航海の安全を願い、神々の力に頼りました。壱岐では航海の神・住吉神社、月と潮汐の神・月読神社、対馬では海神の和多津美神社(わたつみじんじゃ)などを祀り、外交上重要な使命を担って派遣される使節の無事を祈願しました。朝鮮半島・中国大陸へと渡る「海の道」上に位置する壱岐・対馬は、日本の中でも特別な島として重視されていました。7世紀後半、律令制のもとに国家となった日本において、2つの島は「壱岐国」「対馬国」としてそれぞれひとつの国の扱いを受けていたのです。 無数の神々が宿る島 原の辻で発見された卜骨  朝廷の祭祀を司る神祇官(じんぎかん)のもとで、吉凶を占う「亀卜(きぼく)」を担当した職を卜部(うらべ)といいます。927年(延長5)に完成した律令の施行細則『延喜式(えんぎしき)』によると、卜部は伊豆・壱岐・対馬の3国から登用されたとあります。  壱岐においては、弥生時代の原の辻遺跡・カラカミ遺跡からシカやイノシシの肩甲骨を利用した卜骨、古墳時代末期の串山ミルメ浦遺跡からは亀卜に利用した亀の甲羅が発見されており、古くから獣の骨や亀の甲羅をつかった占いがおこなわれていたことがわかります。  壱岐の島に神々が多いのは、『延喜式(えんぎしき)神名帳(じんめいちょう)』からもわかります。天皇の名でおこなう行事の時に供物を下賜(かし)する神々の数は全国で3132座、式内社(官社として登録された神社)は2861社が列記されています。9国2島(壱岐・対馬)がある西海道(九州エリア)には107座98社があり、そのうち壱岐に24座24社があります。  また、壱岐には式内社のほか稲荷神など島外から招請して祀っている神社や土地の人が発見した自然の精霊など、島のあちこちに大きな祠(ほこら)、小さな祠(ほこら)があり、それぞれに神様が宿っているようです。素朴ながらも人々の暮らしに密着した信仰の形にも出会うことができました。 島内の神主たちが集い、音を奏で、舞う・・・壱岐神楽(いきかぐら) 国指定重要無形民俗文化財に指定されています:壱岐市観光協会提供  起源についてのはっきりした記録はないそうですが、聖母宮(しょうもぐう)の吉野家文書によると、室町時代初期に神楽を舞った25人の名前が残されています。  その後、江戸時代の寛文書記の書物に、聖母宮で唯一神道の形式で大神楽をおこなったという記述があり、広く庶民に理解できるよう、歌や手振りなどを改めたとされます。これが今日に伝わる壱岐神楽の始まりといわれています。  神楽師による舞とは異なり、島内の神職たちによって伝承され、民俗芸能というよりも神聖性が強調されているのが特徴。幣(へい)や鉾(ほこ)、弓などの供物を持って舞いますが、寝ころんだり飛び跳ねたりとアクロバットのようなユニークな動きも見どころです。 晩秋の夜には住吉神社に設けられた特設会場で、 夜神楽が披露されます(期間限定):壱岐市観光協会提供  壱岐神楽には、自然の恵みに神を見いだし、崇めてきた精神が息づいています。曲目は全部で35曲で、「太鼓始(たいこはじめ)」「荒塩(あらじお)」「神遊(かみあそび)」など6曲を約1時間で演じる「幣神楽(へいかぐら)」、神と人をつなぐ木として神聖視されている榊をたたえる舞いが演じられる真榊(まさかき)を含む「小神楽(しょうかぐら)」、壱岐神楽のメインとされ最も多く演じられる代表的な「大神楽(だいかぐら)」、最も厳粛で神事としての色が濃い「大大神楽(だいだいかぐら)」の4種類に分けられます。 大大神楽 住吉神社:ライトアップされ幻想的に変わる  年間を通じて壱岐各地の神社で奉納されていますが、一番最後の12月20日には住吉神社で「大大神楽」が演じられます。また、毎年8月の第1土曜日、石田町筒城ふれあい野外ステージで「壱岐大大神楽」が公演されますし、晩秋の夜には住吉神社に設けられた特設会場で、夜神楽が披露されます(期間限定)。神聖でありながらも、一般の人も気軽に招き入れてくれます。   問合せ先:壱岐市観光協会 電話:0920-47-3700 参考文献 『 旅する長崎学11 海の道機攬躊堯 』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 写真提供 壱岐市観光協会
  • 海岸線をなぞってみよう 2014年03月19日
    海岸線をなぞってみよう
    海岸線をなぞってみよう  長崎は大陸に近い日本の西にあって、海外貿易には便利な場所。でも、それなら他の県でもよかったんでは?なぜ長崎だったのでしょう?地理的な位置や周りを囲む海、自然の力、美しい風土・・・、いろんなことが素晴らしいから貿易港に選ばれたはず。長崎がどんなところなのかをデータから探ってみました。 長〜い長い「長崎県」の海岸線  長崎県の海岸線の長さは約4,196キロメートル(平成17年3月31日 国土交通省河川局「海岸統計」)、北海道に次いで全国で2番目です。これがどのくらい長いかというと、全国の海岸線の12%にもなります。面積はというと、全国37位で、これは全国の1%ぐらいですから、長崎県の海岸線がいかに複雑に入り組んでいるかがわかりますよね。しかも平地が少ない地形なので、昔は馬よりも船で移動するほうが早かったんです。 岬の教会  日本で初めてキリシタン大名となった大村純忠は、自分の領地内を船で往来していました。16世紀に開港した横瀬浦に別荘を構え、三城城から船で大村湾を横切り、横瀬浦の別荘から小船に乗り換え、教会のミサに通ったそうです。  横瀬浦、福田に続いて、純忠が開港したのは長崎でした。1570年、付近の様子はというと、長い岬の台地があるだけでした。ホントに細長い岬だったんです。そこに新しいまちづくりがスタートし、最初6つの町ができました。いまの県庁のあるところが岬の先端で、教会が建ち、鐘の音が響いていました。大きな貿易船も行き来できる波穏やかで静かな入り江、しかも長い船旅の疲れを癒すような美しい風景。そんな天然の良港が長崎県には多かったのです。  ここで、長崎の楽しみ方! この長〜い海岸線をドライブするのが最高なんです。晴れた日の空と海の青さ、夕暮れにはオレンジ色に映える海。様々な表情を見せてくれる長崎の海岸線は、何度ドライブしても感動です! また、海からアプローチするのも素敵です。港には豪華客船が寄航し、海外から訪れる人も少なくありません。クルーザーや遊覧船で、ゆったりした時間を優雅に楽しむのも、長崎の魅力を満喫する方法のひとつです。 日本一の「しま」の数、どれくらいだと思います?  長崎県の島の数は全国第1位。全国の島の数は6,852島で、そのうちの14.2%にあたる971島が長崎県にあります(昭和63年9月 海上保安庁「海上保安の現状 *島(海上)は、外周0.1km以上)。ちなみに、県では、陸地面積が1,000m2のものを「しま」ととらえています。こうしてみると、長崎県には596のしまがあり、そのうち、有人島が74島、無人島が522島となります。  長崎を愛した遠藤周作氏は、代表作『沈黙』のなかで、どこまでも蒼い海と森の緑という大自然のあまりの美しさに、人間の存在そのものを投げかける。たしかに長崎の歴史的背景のうちに見るその風景は、素朴ながらも何かを問いかけてくるような重みと強さがあります。  ここで、魅力がいっぱいの「しま」自慢をちょっとだけ! 世界遺産候補となった教会が点在する五島。シーカヤックで渡る九十九島は、プチ・アイランドリゾート。麦焼酎やウニが美味しい壱岐。韓国に一番近い国境の対馬・・・などなど。すみません。ちょっとだけでは語り尽くせない長崎県の「しま」でした。 季節風に吹かれてやってきた外国船  日本へとやってきた中国のジャンク船やポルトガルのナウ船。帆をあげた船は、夏は南からの季節風にのってきました。帰る時は冬の北からの季節風にのって長崎を出航。季節風がたよりだった航海は命がけだったようです。  そのむかし、南蛮船が来る以前から、大陸との航海ルートにおいて、長崎県の島々は重要な位置にありました。そして16世紀、平戸にやってきたポルトガル船とキリスト教を受け入れ、西洋との貿易を始めたのが平戸領主の松浦隆信(道可)だったのです。長崎と西洋がはじめて出会った場所「平戸」。その後、平戸の港にはイギリス船、オランダ船が次々と入港し、西洋文化の窓口となりました。その面影をたどる旅にでかけませんか。「 ながさき歴史散歩 第2回 【ザビエルも訪れた国際貿易港「平戸」の旅】 」をご覧ください。 参考資料 『旅する長崎学1 キリシタン文化機戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 『旅する長崎学2 キリシタン文化供戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 『ホームページ『長崎100の指標 較べてみれば(2006改訂版)』 『ホームページ『ながさきの「しま」』
  • 旧石器時代から弥生時代まで 2010年06月23日
    旧石器時代から弥生時代まで
    旅する長崎学オリジナル年表の【旧石器時代から弥生時代まで】を確認する
  • 「一支国博物館」を体感しよう! 2010年03月24日
    「一支国博物館」を体感しよう!
    壱岐市立一支国博物館イベント情報 『魏志』倭人伝の国々に残る至宝展 <テーマ展示> 展示期間:2010年3月14日(日)〜2010年6月20日(日) 展示会場:1階テーマ展示室 【概 要】  中国の歴史書『三国志』に書かれた「魏志」倭人伝。帯方郡を出発し、邪馬台国に到着するまでの経路にある国々に残る至宝を一堂に公開し、展示品から「魏志」倭人伝の世界をひも解く。 壱岐市立一支国博物館テーマ展示紹介 特別講座 『魏志』倭人伝の国々 <講演会・講座> 開催日 :2010年3月28日(日) 14:00〜 開催場所:3階講座室 【概 要】 しまごと大学講座[特別講座]   講座テーマ: 「魏志倭人伝」の国々   内容: 「魏志倭人伝」に見える北部九州の国々の様子を探りながら、一支国の特色を考えてみます。   講師: 西谷 正(九州歴史資料館 館長) 1938年、大阪府生まれ。京都大学大学院修士課程修了。現在、九州歴史資料館館長・九州大学名誉教授。   受講料: 無料 壱岐市立一支国博物館講演会・講座 取材協力 壱岐市立一支国博物館 長崎県埋蔵文化財センター
  • 邪馬台国への道・一支国の王都〜原の辻遺跡〜 2009年06月17日
    邪馬台国への道・一支国の王都〜原の辻遺跡〜
    長崎歴史文化博物館 企画展のご案内「邪馬台国への道 壱岐展」   玄界灘に浮かぶ壱岐は、大陸と日本を結ぶ「海上の道」として発展してきまし た。原の辻遺跡からは、大規模な船着き場跡、朝鮮半島製の土器や日本各地で製造された土器などが発見されており、ここが魏志倭人伝に登場する「一支国」の都であっ たと考えられています。壱岐には多数の古墳も残されており、その規模は県内最大級です。古墳内部からは「亀形飾金具」(笹塚古墳)など光り輝く金銅製の馬具が発見され、重要文化財に指定されています。このほか東アジアの海で活躍した松浦党の姿や、安国寺の秘宝、松永安左エ門や山口麻太郎など壱岐出身の偉人、壱岐神楽など壱岐の伝統文化、そして来春オープンする一支国博物館を紹介します。 邪馬台国への道 壱岐展 開催日時 2009年6月26日(金)〜7月26日(日) ※休館日 7月21日(火) 開催場所 長崎歴史文化博物館3階企画展示室 お問い合せ先 TEL:095-818-8366 観覧料 大人600円 小中高校生無料 ※詳細情報は、長崎歴史文化博物館のウェブサイトをご覧ください。