海神の島 大陸交流のかけ橋

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長崎県企画 旅する長崎学


海の道編II 対馬「海神の島 大陸交流のかけ橋」


海が舞台、島が主役 - 長崎県の島々は多島海の都 - 。
海の彼方に異国がある。海の向こうには異人たちが住む。そして、海を渡る人々がその文化をとりもった。先人たちの足跡をふりかえれば、日本史上の重要な転換はすべて、海からもたらされたといっても過言ではない。
日本で最も“しま”の数が多い長崎県。日本の西の果てにあるが、東アジア世界の中心に位置する。いにしえより、日本と大陸を結ぶ“海の道”には、長崎県の島々が飛び石のように存在し、アジアの息遣いを敏感に感じながら、大きな役割を果たしてきた。
さあ、魅力あふれる長崎県の島々へ漕ぎ出そう!

旅する長崎学12 海の道II<対馬> 目次

[序章]海が舞台 島が主役
◆年表インデックス 海を舞台とした大陸との交流
◆海の道 歴史の航路図/対馬データ
◆寄稿 永留久惠「対馬の文化交流の変遷」
[巻頭特集]朝鮮通信使を迎えた日本の窓
日朝のかけ橋 朝鮮通信使
対馬宗家の果たした外交復活劇
対馬藩、雨森芳洲を迎える
幕府公認の海外拠点「倭館」
◆旅ながマップ
◆寄稿 深瀬公一郎「朝鮮通信使と琉球使節」
[特集2]古代対馬の対外交流と摩擦の痕跡
海と山に生きる糧を求めて
「青銅器王国」弥生時代の対馬を探る
ヤマト政権を意識した浦々の首長
国防の最前線 防人の島
使節が寄港した海道の中継地
[特集3]中世日朝交易の舞台裏に迫る
倭寇撲滅作戦を展開する朝鮮
厳しく貿易制限する朝鮮
対馬にもたらされた至宝
◆寄稿 佐伯弘次「中世対馬海民と朝鮮交通」
[特集4]海と島と神々と
海と天の神々が一堂に
いまに息づく祈りと信仰
◆寄稿 立平進「海を渡って 文化を運ぶ人々」
■対馬は生物分布の十字路
■山海の幸の宝庫
■まだまだ見どころ満載、対馬ぐるり一周の旅
■自然写真館
■こぼれ話
◆たびながマップ
 

巻頭特集 特集2
[巻頭特集]朝鮮通信使を迎えた日本の窓
  島原の乱後、江戸時代の日本は幕府の方針により、いわゆる「鎖国」政策を強化した。そのため海外に開かれた日本の窓口は、対馬、長崎、松前、薩摩(琉球)の4つに限られることとなる。対馬藩は、朝鮮との外交交渉や貿易の窓口であった。
[特集2]古代対馬の対外交流と摩擦の痕跡
  海を行く人々にとって、島はなくてはならない中継地点。島に住む人々にとって、海は生きる糧を求め別の土地へと続く道。同じ海を行き交いながら生きた人々は当然のごとく出会い、そこには交流の歴史と戦いの歴史が繰り広げられた。
特集3 特集4
[特集3]中世日朝交易の舞台裏に迫る
  朝鮮や大陸沿岸部で活発に活動する倭寇に悩んでいた朝鮮は、その懐柔策を実施した。そこに介在した対馬宗氏は貿易独占のチャンスをつかみ、“日朝交易システム”を構築していく。
[特集4]海と島と神々と
  海の道に浮かぶ国境の島“対馬”には、海の神も天の神も宿っている。その歴史や風土からさまざまな信仰や伝説、祭りなどが生まれ、伝承されてきた。海と島と神々と人々は、いまも対馬の地にともに生きている。

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