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長崎みやげ話

  • 「あなたへ」2羽の雀が飛び立つ灯台 2012年12月27日
    「あなたへ」2羽の雀が飛び立つ灯台
     2012年(平成24年)8月25日に封切られた映画「あなたへ」は、高倉健さんが6年ぶりに出演(主役)し、夫婦の愛と人々のさまざまな人生を丁寧につづった感動の映画です。また、いぶし銀の演技が魅力的だった大滝秀治さんの遺作となった作品でもありました。  内容は亡くなった妻の遺骨を故郷の海へ散骨するため、富山から長崎までの1200キロを自家製のキャンピングカーで旅する一期一会のロードムービー。長崎でのロケは殆どが平戸ですが、作品の中で大きな役割を果たす「白い灯台」は、伊王島にあります。  この騒動のなか、1864年(元治元)には勝海舟とともに坂本龍馬らが島原湊に上陸しました。英仏米蘭4カ国連合艦隊の長州攻撃を阻止するために、海舟は外国勢との調停役としての幕命を受けていました。このとき龍馬は30歳で、海舟の信頼を受け、神戸海軍操練所の塾頭を務めてた頃です。 島原湊上陸後、島原街道、長崎街道を通り長崎に到着しています。 龍馬が初めて長崎に上陸した島原湊の石段には、現在「龍馬長崎上陸の地」の看板がたっています。  歴史ある白い灯台を前に、じっくりと映画「あなたへ」の世界に浸りましょう・・・。散骨を済ませた後、倉島英二(高倉健さん)はこの場所で、妻が残した2枚の絵手紙を手放します。真っ青な海と空のあいだに2羽の雀が解き放たれた、あの場所です。  ここはぐるりと海を見渡せ、よく晴れた日は遠く五島列島を望めることもあるという絶景スポット。散骨を手伝った船頭・大浦吾郎(大滝秀治さん)のセリフを思い出します。〜「久しぶりに、綺麗な海ば見た」〜 長崎市伊王島灯台記念館 長崎市伊王島町1丁目3240番1 TEL 095-898-2011 【開館時間】 9:00〜17:00 【休館日】 月曜日       見学無料
  • 同窓会 2011年03月31日
    同窓会
     宅間孝行さん演じる映画プロデューサー南と永作博美さん演じる妻の雪は高校時代からの初恋を実らせて、見事ゴールイン!しかし子どもには恵まれず、女優と不倫の真っ最中。南は、ある日妻の雪に離婚話を切り出し、あっさりと離婚成立。だがその昔、男性たちのあこがれのマドンナだった雪への南の裏切りを知った高校時代の仲間たちは、大激怒。そんな時、かつてのクラスメイトの石川えりから、雪の体に異変が起きたことを聞いた克之は、彼女のために高校の同窓会を計画するのでした。  南と雪たちが過ごした高校時代の舞台は、島原市。  恋敵のひとりであった入山が、なぜか「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「勇気を出して初めての告白」に出演してしまう場面では島原城や商店街で撮影され、南と雪が挙式を挙げる際には島原カトリック教会で撮影がおこなれています。  また同級生との思い出として記憶の中に残っている風景も現在の島原市のあちこちで撮影が行われました。  南と雪が結婚式を挙げた島原カトリック教会は、1612年(慶長17)から1658年(明暦4)の間に島原半島一帯で殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、祈りの家として建てられたものです。  猛島神社は、1618年(元和4)に松倉豊後守重政公が、森岳城(現島原城)を築くまで、森岳大権現として祀られたといわれています。  また夏祭りに撮影された八幡神社は、諸説ありますが、神功皇后が高来(たかぎ)郡の悪る者を征伐されたときの陣所跡に建立され、御神徳を崇め奉ったのが八幡神社の起りともいわれています。島原の乱後に島原藩主になった高力忠房は、神社佛閣の再建に務めたといいます。    “勘違いは人生最高の悲劇であり喜劇である”  実際、このコピーから始まるこの映画は、途中で勘が働く方は、結末を予測できるかもしれません。しかし涙あり、笑いありで観た後にすっきりする映画に仕上がっています。永作博美さんや宅間孝行さん、中村獅童さんら豪華キャストが島原弁で話しているのも新鮮で、見応えがあります。  このようなストーリーが、いかにも“島原市らしい”景観の中で展開するというのも、面白いかもしれませんね。
  • 「ラストサムライ」冒頭シーンの美しい島々 2011年02月23日
    「ラストサムライ」冒頭シーンの美しい島々
     「ラストサムライ」は、2003年(平成15)、アメリカ・ニュージーランド・日本合作映画で、日本を舞台に日本人と武士道を描いた作品です。  主なロケ地は姫路市で、戦闘や村のシーンなどはニュージーランド、街中のシーンはハリウッドのスタジオで撮影されました。  しかし、この映画の冒頭のシーンに登場する海と島々の遠景は、佐世保市の九十九島が使われているのをご存知ですか?  佐世保市の中でも、九十九島の遠景を眺める場所は多数ありますが、佐世保市亜熱帯動植物園の上にある石岳展望台で撮影されたといわれています。場所がわかると、早速行ってみて写真を撮ってみたくなりますね!  佐世保市亜熱帯動植物園駐車場の横の道をあがっていくと20台ほど停められる駐車場があります。この駐車場から200メートル程度歩くと石岳展望所につきます。  この展望所には、崖のそばにある展望所と後方に展望台があります。展望所は広くはありませんが、海面を遮る木々もありませんので、写真撮影のポイントとして人気があり、早い時間帯から場所を取りにくる人が少なくありません。展望台は茂みが邪魔になり海面が見えないところもありますが、九十九島の景観を味わうのであれば、素晴らしい絶景ポイントです。    夕方になると、九十九島の海面は夕焼け色に染まり、美しい写真が撮影できます。撮影も済みそろそろ帰ろうかな、と思っているとだんだん駐車場には車が増えてきました。そう、この展望所は市内外から九十九島の夕景を撮影しに集まる人気スポットだったのです。  顔見知りの方々も多いようで、初めて訪れた私にも気さくに話しかけてくれます。九十九島は、時間帯によって様々な表情を見せてくれることも教えてもらいました。こういう思わぬところで、地元の方々とコミュニケーションをとりながら旅するのも素敵な思い出になりますね。
  • 69 sixty nine 2011年02月23日
    69 sixty nine
     1987年(昭和62)に出版された長崎県佐世保市出身の作家・村上龍さんの小説で、2004年(平成16)に公開されました。  映画と演劇とロックの一大イベント“フェスティバル”を企画し、好きな女の子の気をひくために当時流行っていたバリケード封鎖をし、警察やマスコミが乗り出す大騒動に発展するなど一見無茶苦茶に思えますが、熱い青春を送る高校生たちが描かれています。  この映画は、もちろん佐世保市のあちこちで多く撮影されています。  主人公・矢崎剣介を演じる妻夫木聡さんと親友・山田正を演じる安藤政信さんが大学生グループから逃げ、追いつめられた際に橋から飛び降りるシーンがありましたが、早岐瀬戸(はいきせと)で撮影されました。飛び降りる橋は観潮橋(かんちょうばし)です。早岐瀬戸は、大村湾と佐世保湾を繋ぐ瀬戸です。江戸時代の干拓事業で両岸から潮止め堤防を築いたため、幅10mまでに狭められており、潮の干満に応じて激流が起こることでも知られています。  奈良時代初期に編纂された肥前国(現佐賀県・長崎県)の風土記「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」の中に、「速来門(はやきのと)」という記述があります。この速来門が早岐瀬戸ではないかといわれています。また中世には、この早岐瀬戸で山海の産物を持ち寄って物々交換をするという「市」が自然と発生しました。現在では「早岐茶市(はいきちゃいち)」として受け継がれ、毎年5月7〜9日(初市)・17〜19日(中市)・27〜29日(後市)・6月7〜9日(梅市)の4回に分けて行われており、お茶を始め、わかめ・魚の干物・苗類・陶磁器類などの販売がおこなわれています。  映画冒頭で米軍敷地内にTシャツを投げ込み、軍関係者から追われて矢崎剣介と山田正の2人が走って逃げのびますが、一緒に“フェスティバル”をやろうと誓う場所は、SSKバイパスです。  佐世保市平瀬町ロータリー(米海軍佐世保基地正門前)から赤崎町のSSK(佐世保重工業)旧西門までの道路区間をSSKバイパスとよんでいます。このSSKバイパスからは、SSKの造船関連施設やレンガ造りの建造物、たくさんのクレーン、ドックで建造や修理が行われている船舶などを見ることができます。  この「69 sixty nine」は、1969年(昭和44)の佐世保市を舞台に、当時高校3年生だった村上龍さんの実体験が基となっています。ベトナム戦争と学生運動に揺れていたこの時代、基地の街・佐世保市がわかりやすく描かれています。  原作でも登場人物たちは、佐世保の方言で話しています。『69 sixty nine』が出版された当時、この本を読んで、自分が普段使い慣れている地元の言葉が活字になっていたので、親しみが持て、とても新鮮に感じたことを覚えています。
  • 寅さんの声が聴こえてきそう… 2011年02月23日
    寅さんの声が聴こえてきそう…
     1977年(昭和52)に公開された映画「男はつらいよ」第20作“寅次郎頑張れ!”では、平戸島がロケ地に選ばれ、ところどころに歴史スポットが登場しています。  とらやに下宿する青年・良介(中村雅俊さん)が、近所の食堂で働く女性・幸子(大竹しのぶさん)に恋をします。そこで、寅さんが愛のキューピッド役を買ってでますが、うまく気持ちを伝えることができずに、良介はとらやで自殺未遂までやる始末。  田舎に帰った良介を心配して、寅さんが様子を見に来た島というのが、平戸島でした。  寅さんは、この平戸島で良介の姉・藤子(藤村志保さん)と出会い、ホレてしまい、藤子が運営している土産店を手伝うようになってしまいます。  この土産店は、松浦史料博物館に登っていく石段の手前にありました。現在は立て替えられて変化していますが、当時の雰囲気は残っています。また寅さんが、早朝から仕入れのために毎朝歌いながら自転車で重要文化財の幸橋の前を走り去るなど平戸島の歴史スポットは随所でさりげなく登場しています。  1550年(天文19)にポルトガルの貿易船が初めて平戸に入港すると、中国との交易もあ いまって、平戸は「西の都」と呼ばれる国際貿易港として知られます。その後オランダ、イギリスが商館を設置するなど、鎖国が行われるまでは、対外貿易の中心地として栄えていました。  藤子と一緒に行った礼拝の帰りに話しながら歩くシーンがありましたが、「寺院と教会が見える風景」として知られ、古くから異国文化を受け入れてきた平戸ならではの異国情緒溢れた風景といえます。これらのスポットは、今でも寅さんを観て訪れる人が少なくないといいます。  平戸港を訪れる前に、寅さんが商売をしていた神社は濱尾神社です。この濱尾神社は、平戸港の副港として江戸時代に整備された田助港のそばにあります。この一帯は、幕末当時には回船問屋や船宿、遊女屋などが立ち並び、賑わっていた地域なんです。また薩摩藩とゆかりのある回船問屋多々良孝平の角(すみ)屋や明石屋には、西郷隆盛や桂小五郎、高杉晋作など薩長のそうそうたる志士が集まり密談していたといわれており、維新志士会合の碑が建立されされました。 現在維新志士会合の碑は、多々良孝平氏居宅跡から濱尾神社境内に移されています。
  • 大瀬崎断崖・大瀬崎灯台 2011年01月26日
    大瀬崎断崖・大瀬崎灯台
     長崎出身の作家・吉田修一原作で同名映画の「悪人」の中で、妻夫木聡さん演じる祐一と深津絵里さん演じる光代が逃避行の果てに逃げ込んだ“地の果ての灯台”のロケ地が、この大瀬崎灯台です。  大瀬崎灯台は、1879年(明治12)に竣工した歴史ある施設で、『日本の灯台50選』の一つに選ばれています。老朽化したため、最初の灯台は解体され、1971年(昭和46)に現在の灯台に生まれ変わりました。旧灯台は東海科学館に展示されています。  またこの大瀬崎には、1898年(明治31)に無線電信機を備えた旧海軍の望楼(ぼうろう)が設置され、日露戦争時の1905年(明治38)にロシアのバルチック艦隊発見の報「敵艦隊見ユ」を受信したことでも知られています。  灯台のまわりに見える断崖は、五島列島を代表する観光スポットのひとつです。淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層が、打ち寄せる波濤によって削り取られてできました。地殻変動による傾斜や、断ち切られた断層を随所に見せており、圧巻です。展望台の手前にある展望公園からの眺めは、実に壮大で見事です!周りの島々が本当に美しい。  また、主に本州で繁殖するハチクマは(タカ目タカ科でトビと同じくらいの大きさの鳥)、秋になると越冬のため中国大陸へ向かって渡ります。この大瀬崎(大瀬崎山山頂)では、ハチクマの群れが中国大陸へ向けて次々と飛び出す様子を間近で観察できる絶好のポイントとしても知られています。この大瀬崎から中国大陸まで約600kmを一気に渡るというからすごいですね。  ロケ地観光としてだけでなく、ぜひ周りの自然も堪能してほしいスポットです。  太平洋戦争中には、大瀬崎の目の前を船で通って南方の戦線に赴いていたといいます。灯台の側に整備された展望公園には、再び祖国の地を踏むことがかなわなかった多くの将兵たちの霊を慰めるため、北村西望作の「祷りの女神像」と鎮魂碑が建立されています。  故・北村西望氏は、長崎県南島原市南有馬町出身の彫刻家で、文化勲章を受けられ、長崎県の名誉県民でもあります。長崎平和祈念像の制作者として有名です。
  • 7月24日通りのクリスマス 2010年12月22日
    7月24日通りのクリスマス
     長崎出身の作家・吉田修一さんの小説「7月24日通り」を原作とした映画「7月24日通りのクリスマス」が2006年(平成18)に公開されました。  この映画は、大沢たかおさんと中谷美紀さんのW主演で話題となり、ポルトガルのリスボンと長崎市を中心にロケが行われました。  中谷美紀さん演じる長崎市に住むOLが、幼い頃から読んでいる少女漫画の影響を受け、頭の中で長崎の街をポルトガルのリスボンの街に置きかえて毎日を過ごしています。が、街の風景を、近年の長崎を題材にした映画にはない見せ方で撮影しているのが特徴で、面白いところです。  16世紀には、平戸で南蛮貿易が始まり、宮の前事件をきっかけとして貿易港は、横瀬浦(現西海市)に移ります。そして横瀬浦の焼き討ち事件後、港は一度は平戸に戻りますが、その後福田へと移ります。しかし松浦氏のポルトガル船襲撃などもあり、当時の領主・大村純忠(すみただ)は、1570年(永禄13)に長崎を新たな貿易港として開港します。  長崎の開港とともに、新しい町が整備され、教会をはじめ学校や福祉施設、病院などが建てられ、キリシタンや商人も多く移住し、賑わう長崎はさながら「小ローマ」のような街になりました。    映画の中で、主人公が浜町を歩いていたかと思うと、リスボンの街の中に変わっていたり、リスボンで路面電車に乗っているシーンから、長崎を走っている路面電車のシーンに変わっていたりというように、背景が主人公の心象に合わせて面白いように変わります。このような撮影・見せ方をされると、「長崎の街」と「リスボンの街」はすごく似ていると感じずにはいられません。  長崎とリスボン・・・。港町で、坂道が多く、必ず海が見え、路面電車が当たり前のように道路を走っていて、周りの風景になじんでいる感じ。初めてこの映画で観たリスボンの街なのに、すでに知っているような感覚に出くわします。    長崎を開港して町をつくり始めた頃、教会など施設を建てる際にきっとポルトガル人宣教師の指導もあったでしょうし、南蛮貿易にやってきたポルトガルやスペインの船員たちもしばらくの間は長崎の町に滞在していたでしょう。異国の空気感が漂う町だったに違いありません。  南蛮文化研究の第一人者・故松田毅一氏は、天正少年遣欧使節の足跡を追ってマカオ、マラッカ、ゴア、ヨーロッパへと旅をし、ポルトガル人が開いた港には共通点があるといっていました。母国リスボンの港と同じように、狭い湾の奥の突き出た丘があるところに港をつくっているという点で似ているのかもしれません。長崎の港もそういうロケーションでした。  歴史的に見ても、2つの街の風景が似ているというのは、とても興味深いですね。    この映画の中には、オランダ坂や眼鏡橋、グラバー園などがさりげなく風景に映りこんでいます。南蛮貿易の歴史に思いを馳せながら、一時は共に栄えたポルトガルのリスボンとイメージを重ね、絵的に長崎を楽しむというのも面白いかもしれません。  ちなみに、このタイトルの「7月24日通り」は、リスボンに実在する通りです。しかし「長崎西通り」という電停はこの映画で設定されたものです。長崎市を訪問した際には、ぜひ「長崎西通り」電停が実際はどこなのかを探してみませんか?
  • 和多津美神社 2010年11月24日
    和多津美神社
     対馬市にある和多都美(わたづみ)神社は、本殿正面に海、裏手には森という神秘的な神社です。本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満によってその様相を変えます。  遠い昔の神話の時代を感じさせる神秘的な神社で、訪れる人々を今でも魅了しています。  和多都美神社の「和多都美」とは海神(わたつみ)のことで、この和多都美神社は、ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)とトヨタマヒメノミコト(豊玉姫命)を祀る海宮 で、海神神社の一の宮として古くから竜宮伝説が残されています。対馬を旅するなら、一度は訪れてほしい場所です。  この神社は、映画「男はつらいよ」第27作“浪花の恋の寅次郎”に登場しています。和多都美神社で昼寝している寅さんが、助けた亀に連れられて竜宮城へ行き、家に戻ってくると孫の世代になっていて慌ててしまうという恒例の夢から醒めるオープニングシーンがありますが、今とそう変わらない和多都美神社の景観をみることができます。当時寅さんが昼寝をしていたベンチは、残念ながら残っておりませんでした。 和多津美神社 ふれあい交流の棟、オートキャンプ場、チビッコ向けの遊具がある「神話の里自然公園」のすぐそばです。
  • 緑のトンネル 2010年10月27日
    緑のトンネル
    夕陽が美しいことでも知られる小浜温泉(雲仙市)。そこから車で10分程度のところの海辺に「緑のトンネル」とよばれる道路があります。  この木々の緑に包まれたトンネルは、2010年公開の映画「悪人」のロケ地のひとつに選ばれました。祐一と光代のふたりがスカイラインで逃亡しているシーンでこのトンネルを通ります。  昼間、太陽の光が漏れるこのトンネルは、鉄道遺構です。両脇の切り立った岩は、5年半もの歳月をかけて岩場を切り開いてつくられたものです。  雲仙・小浜が国際的な観光地として賑わっていた当時、1920年(大正9)に温泉鉄道、翌年には小浜鉄道が開通しました。両社は合併して「雲仙鉄道」となったのち、1938年(昭和13)に廃線となりました。現在、線路跡は道路として利用されていますが、この緑のトンネルに象徴されるように、鉄道遺構がところどころに残っており、当時の面影を見ることができます。  諫早市から小浜温泉へ向かって車で約45分ほど走ると、千々石町(ちぢわちょう)に着きます。千々石町から県道201号線に右折して海沿いに進みます。道幅が狭くなりますので、歩行者や対向車には十分注意し、スピードを落としてゆっくり運転してくださいね。
  • 真知子岩 2010年10月27日
    真知子岩
     雲仙はかつて外国人の夏のリゾート地として国内外に広く知られていました。当時の外国人の長期滞在型の旅のスタイルに合わせて、雲仙には洋式のホテルや旅館が次々と開業し、日本初のパブリックコースであるゴルフ場も誕生しました。  もとは“温泉”と表記して“うんぜん”と読ませていましたが、1934年(昭和9)に日本初の国立公園に指定された際、ほかの温泉地と混同しないように、現在の表記「雲仙」に改められました。  雲仙には多くの有名人が訪れました。アジア人初のノーベル文学賞を受賞したタゴールや、同じくノーベル文学賞を受賞したアメリカ人作家パール・バック、そしてヘレン・ケラー。訪れたのは外国人ばかりではありません。吉井勇、北原白秋など日本の歌人もやってきました。  1954年(昭和29)には、映画「君の名は」のロケが雲仙地獄でおこなわれました。女優の岸恵子が演じるヒロイン・真知子が手を添えた岩が「真知子岩」として脚光を浴びました。現在も雲仙地獄のなかで、「真知子岩」として紹介されており、訪れた人々の記念撮影スポットになっています。  今もむかしも多くの人々を魅了してきたのは、何といっても雲仙の豊かな自然です。今も変わらない四季折々の豊かな表情は、訪れる観光客の心を和ませています。  これからの秋の季節は燃えるような紅葉、そして冬には張りつめた空気の中に真っ白い花のような霧氷を見ることができますよ。  もちろん雲仙の地獄や温泉は魅力的です。過去においてはキリシタン殉教地としての悲しい歴史もありましたが、明治時代からは多くの外国人観光客が避暑に訪れて賑わい、いまも当時のレトロな雰囲気が残り、人気を博しています。