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長崎みやげ話

  • 松原刃物 2013年03月04日
    松原刃物
    松原刃物の歴史  大村市の松原は、長崎と小倉を結んだ長崎街道が通っていた場所で、人・物・異国文化が往来していました。この地の名産品に松原刃物と呼ばれる鎌や包丁がありますが、500年もの歴史を持つことをご存知でしょうか?  鍛冶屋は刀剣を作る「薄物」と、鍬などの農具を作る「荒物」の2つに分かれます。薄物鍛冶は繊細な焼き入れの技術が必要で、松原の技術は刀鍛冶の流れをくんでいます。  松原刃物の歴史を追ってみると、1185年(文治元年)の壇ノ浦の合戦にまで遡ります。平氏一門の刀工・並衝行泰(なみのひらゆきやす)が源氏の追討から逃れるため、日向の国(宮崎県)に身を隠します。そして刀剣の需要が高まった戦国時代の1474年(文明6年)に、その子孫が松原に移住。八幡神社の境内で刀を鍛え、また農民の要望に応えて月型の鎌を作ったのが松原鎌の始まりとされています。これらの技術を、八幡神社の別当であった伊東家が受け継いで、多くの職人が技を習得して広まりました。  刀の需要が減少すると、それまで余業だった鍬・小刀・鎌・包丁などに重きを移し、本業は鎌の製造へ変わっていきました。現在では包丁が主流となっています。 松原刃物の特徴  県の伝統的工芸品に指定されている松原刃物の特長は、両刀の黒打ちや磨きをかけない地のままの色、切れ味の良さと粘り強さ。また包丁の種類にもよりますが、峰の部分を見ると、他の地域のものよりも薄めであることに気付きます。  これらを実現するのが厳選された良質な材料と高度な技術。硬い鋼を軟らかな鉄で挟み、炉の温度や外気温、火花の色などを確認しながら、焼いては打つを繰り返す昔ながらの手作業の鍛造技法が、刃こぼれしにくい粘り強さを生み出します。 世界に一つ、マイ包丁作り体験  昭和初期には20軒ほどあった鍛冶屋ですが、現在は3軒を残すのみ。松原鎌総本家・伊東鍛冶屋が操業を終える際に、技術を買われて伝統を受け継いだのが田中鎌工業です。  田中鎌工業では、より多くの人に松原刃物の存在を広く知ってもらいたいという思いから、民泊の受け入れや、包丁作り体験を行っています。数ある工程の中の一部分ではなく、6時間ほどかかる本格的なもの。約1,100℃に燃えさかる炉や、ガンガンと激しい音を立てるベルとハンマーなどを駆使し、田中さんのガイドを受けながらも自分自身の手で鉄から刃物へと仕上げていきます。高度な鍛冶技術を身に沁みて感じるとともに、刃物作りの難しさや自分の銘を刻む嬉しさを味わうことができるのが魅力です。  「松原包丁を、使い捨てと同じにされたくない。体験では『研ぎ』も一緒に教えられるので、ずっと使えることを理解して大切にしてほしい」と4代目の田中勝人さんは語ります。  出来上がった「マイ松原包丁」で料理を楽しみ、家族の団らんを演出してみてはいかがでしょうか。 田中鎌工場 有限会社 住所:〒856−0009 大村市松原本町371  電話:0957−55−8551    包丁作り体験料(土・日のみ):14,000円/1人(2名以上) (所要時間:約6時間) ※要予約です。   民泊:1泊朝食付5500円/1人(原則3名以上)    夕食希望はプラス1500円
  • 平戸焼 2011年03月30日
    平戸焼
     六角や三角の形が大きさを微妙に変えながら一分の狂いもなく配列された模様は、まさに神業です。白磁の本体に伝統の籠目文様が透かし彫りされているものですが、近づいてよく見てみると機械が彫ったのではないかと思うほどです。均等に美しく彫りあげられており、つい我を忘れて見入ってしまいます。気が遠くなるほどの時間を費やして仕上げられる作品は、まさに名匠のなせる手技です。  写真の作品は、400年余にわたって高度な技術と崇高な精神を受け継ぐ平戸茂右ヱ門の手によって製作されたものです。 平戸焼の特徴  平戸焼の特徴のひとつには、“優れた細工”があげられます。先に述べたように、均等に六画や三角の模様を手で彫り上げる技術です。透かし彫りとよばれますが、香炉や多宝塔などの作品にも多く使われています。「瓢型花瓶」という作品もその典型的な透かし彫りが施されています。内部には龍が彫り上げられていますが、別々に彫って組み合わせたものではなく、均等な文様をつけた外側の部分から内側の龍の部分を彫り上げているそうです。溜め息が出そうな技術ですね。  また動物をモデルに造形された作品が多いのも特徴のひとつです。猿が三番叟の装束をつけた立姿の「舌出し人形」は、頭部が差し込み式になっていて、首を振ると口から白い舌が出てくるという面白い仕掛けになったものがあります。いずれも繊細で優美な作品に仕上がっていて、見る人の心を豊かにしてくれます。 平戸焼の歴史  1598年(慶長3)、朝鮮出兵から帰国する際に、平戸藩主・松浦鎮信が朝鮮半島より陶工を連れ帰ったことから平戸焼の歴史は始まります。体験コーナーの「三川内焼」でもとりあげて紹介しましたが、平戸藩では、三川内に御用窯を置き、高度な技術を持った陶工たちによって作品が作られ、高い評価を受けてきました。以来、朝廷や幕府向けや藩使用の調達品、家臣への下賜品、他藩への贈答品などを作り続けました。さらに白磁の美をきわめた製品は、オランダや中国へ輸出されて諸外国の王侯貴族にも愛されました。  現在、三川内で作り続けられている「三川内焼」と平戸市の「平戸焼」は、歴史をたどってみるともともとどちらも平戸藩の御用窯(ごようがま)として製作されたものです。明治時代に入り、藩の保護がなくなり、御用窯の制度も廃止されると、窯元は独自に研究を続け、進化してきました。 平戸焼の体験  平戸市では、平戸焼の伝統技法である透かし彫りや、絵付けなどの体験をすることができます。   【すかし彫り体験】  白磁の本体に、文様を入れて一輪挿しを製作することができます。彫りやすいようにと平戸茂右ヱ門自らが用意してくれた道具を使い、伝統である透かし彫りを施します。下書きに沿って細工をしていきますが、思った以上に白磁本体は柔らかく、容易に細工することができますが、曲面になった位置では角度がつくため、彫りにくいという難しさもあり、思うように彫れると楽しくなってきます。   【ミニチュア教会絵付け体験】  平戸市にある田平天主堂、宝亀(ほうき)教会、紐差(ひもさし)教会は、世界遺産登録をめざす「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の資産候補となっています。これらの教会をはじめ、平戸市にある教会のミニチュアの白磁が用意されてあります。これらの教会に色をつける絵付け体験を行うことができます。  出来上がった作品は、世界でひとつしかないオリジナル作品となりますので、感動はひとしおです。   【体験について】 ●体験期間:通年(不定休) ●時間:約1時間30分 ●定員:1〜20名(小学生以上) ●参加費  すかし彫り体験:2,000円(送料含む)  ミニチュア教会絵付け体験:2,500円(送料含む) ●申込期日:10日前 社団法人 平戸観光協会 長崎県平戸市岩の上町1473 TEL 0950-23-8600 FAX 0950-23-8601   関連URL: http://www.hirado-net.com/
  • 長崎べっ甲細工とは 2010年06月03日
    長崎べっ甲細工とは
     べっ甲細工とはどんなものかご存知ですか?  赤道付近に生息するウミガメの一種、タイマイの背甲と爪(甲羅の縁)、腹甲を巧みに加工、細工したものです。中国では6世紀末頃から製作されており、8世紀の唐の時代にさかんに製作されていたといいます。日本には奈良時代に伝わり、正倉院御物の中に数点保存されているそうです。  17世紀以降、唐船やオランダ船によってべっ甲細工の材料が長崎に陸揚げされるようになり、中国人から習得した技術で、べっ甲細工が製作されるようになりました。 元禄時代には、丸山近辺に多くのべっ甲職人がいたといわれています。当時は、櫛が主に作られていましたが、やがてかんざしや化粧箱、タバコケースなども製作されるようになりました。べっ甲細工職人の中には、大坂や江戸へと移り住み、べっ甲細工を国内に広めた人もいました。 しかし、材料のタイマイが輸入品で、数に限度があり高価だったため、高級品として庶民には高嶺の花でした。幕末から明治時代初期に、ロシア人など外国人に注目され、購入されるようになります。1891年(明治24)には長崎を訪問したロシアの皇太子ニコライ2世がお土産にべっ甲を購入したといいます。その後、長崎のべっ甲職人たちは、西洋の生活様式に合うようなデザインを工夫します。研究を重ねていくことによって長崎べっ甲製品に対する評価が国内のみならず国外でも高まり、長崎を代表する名産品のひとつとして知られるようになりました。 どうやってべっ甲細工は出来るの?  長崎歴史文化博物館内・長崎奉行所の門から入ってすぐ左にある川政べっ甲店製作所では、長崎べっ甲の製作過程を自由に見学できます。今回、べっ甲細工が出来上がるまでを見学させていただきました。  べっ甲細工を作るには、まずデザイン図を描きます。大きさや厚みなど制約がありますので、どんなものを作るのかを明確にします。そして素材選びに入ります。  製品に合う甲羅(背甲・爪・腹甲)を選びます。作っていくデザインに合わせ、厚みや色合いに注意します。  そして型を描き、型に合わせて糸鋸(いとのこ)で切り抜きます。厚みや、甲羅の重ね方で貼り合わせた時の柄の入り方や色合いを予想しながら調整します。厚みを調整し、熱によるプレスへと続きます。この時に指先の脂が甲羅に付着していると熱でくっつけることができません。石鹸で一度きれいに手を洗ってから繊細な作業を行わなければなりません。  熱(熱湯)でプレスした後は、直射日光を受けないよう注意して乾燥させ、その後彫刻などの加工へと進みます。  彫刻の後にみがきをかけると、べっ甲独特の光沢が出ます。そして全体の調和を図りながら組み立てを行い調整します。 実はこんなに手間暇を掛けて、べっ甲細工は作られているのです。 伝統工芸“長崎べっ甲細工”製作体験  高度な技術によって、かんざしや化粧箱よりも複雑な船や龍などの装飾品・置物などよくカタログなどで目にし、高級なイメージがありますが、現在ではペンダントやブローチ、イヤリング、カウスボタンなど身近な製品も多く製作されています。  坂本龍馬も、妻・お龍にべっ甲のかんざしをプレゼントしたともいわれています。またお龍が好んで弾いていた月琴のバチもべっ甲細工だったそうです。現在では、ギターのピックなども製作されています。風情ある音色が聴けそうですね。  この川政べっ甲店製作所では、長崎べっ甲の製作過程や職人技を自由に見学することもできますが、商品を購入したり、ペンダントや携帯電話のストラップ向けのべっ甲細工を製作する体験も行われています。べっ甲細工がどのように製作されていくのか体験するのも実に楽しいですよ。また展示されている商品を見ながら、どんな工程で、タイマイのどんな甲羅の部分を用いているのか教えてもらいながら見学するのも発見があって面白いですよ。   【べっ甲細工体験】 所要時間:30分から40分程度 体験内容:1,300円コース(型が決まっているべっ甲細工作成)と2,000円コース(少しデザインが複雑になった動物型)があります。べっ甲細工職人が手伝ってくれますので作品は必ず出来上がりますよ。 ※要予約です。(水曜日はお休みです)1回6名様から受け付けています。 伝統工芸に触れて  製作過程を具体的に教えてもらうと、生地であるタイマイの甲羅部分によって柄、色合い、厚みがそれぞれ違うことも初めて知りました。製作するデザインに合わせて甲羅を数枚も重ね、熱でプレスしたものでも出来上がった時には、重ねた跡すらわからないというところを見ると、伝統工芸とよばれる理由がわかります。  また、大切に持っていたべっ甲細工が割れてしまったという場合でも、そのまま持ってくると、再度加工し、新しいデザインとして蘇らせることが可能なのです。『伝統工芸』とよばれるものは、高級品というイメージが先行しがちで敷居が高く感じられますが、今回の見学で、今までよりも身近な工芸品だと感じることができました。  現在ではワシントン条約により、原料であるタイマイの輸入が規制され、手に入りにくくなりました。べっ甲細工がすべての原因というわけではありませんが、タイマイの保護が必要となっています。そのためべっ甲細工の製作者の方々は困難に直面しているのも事実です。そんな現状を知ったうえで、約400年ものあいだ長崎に伝わり、引き継がれてきたべっ甲の伝統工芸にぜひとも触れてほしいと思います。 川政べっ甲店製作所(長崎歴史文化博物館内) 伝統工芸体験工房 長崎市立山1-1-1 TEL:095-818-8366 FAX:095-818-8407 ※長崎奉行所の門から入ってすぐ左側です   【べっ甲細工体験 ※要予約】 所要時間:30分から40分程度 体験コース:1,300円コース・2,000円コース ※要予約です。(水曜日はお休みです) 1回6名様から受け付けています。
  • 鷹島の伝統として続く石工業“阿翁石(あおういし)” 2009年11月25日
    鷹島の伝統として続く石工業“阿翁石(あおういし)”
     第1週の「歴史発見ドライブルート」で、多くの歴史スポットをご紹介しましたが、鷹島を巡っていると、石碑や墓石群が多いことに気づきます。これらの石には様々な形や表情があり、なにか特別なものを感じます。 オアシス村 開田の七人塚 聖徳太子立像 宮地嶽史跡公園  2009年(平成21)4月18日、鷹島肥前大橋の開通にあわせ、鷹島町では道の駅「鷹ら島(たからじま)」が完成し、とらふぐをかたどったユニークな石灯籠(いしどうろう)が観光客を出迎えています。この石灯籠をよく見てみると、内部がくりぬかれ、中に電灯が設置されています。夜にはこの電灯が灯り、ほのかに漏れる明かりが癒やしの空間を演出しています。 道の駅 鷹ら島の駐車場にある石灯籠は夜になるとライトアップ(写真右)されます  この石灯篭は、“阿翁石(あおういし)に再び光を当てることで島の石工業を盛り上げよう”と開発された商品のひとつで、『島あかり』とよばれています。    鷹島に伝統として受け継がれている石工業とは、どんな歴史を持つものなのか、“阿翁石(あおういし)”とはいったいどういう石なのか・・・。    鷹島石工業協同組合の代表理事である森 力松(もり りきまつ)さんに話をうかがいました。 森 力松(もり りきまつ)氏のプロフィール 長崎県特産品 長崎県伝統的工芸品指定 鷹島石工業協同組合 代表理事 阿翁石の歴史  鷹島は、今から約730年前の元寇において、元軍と激戦を展開した古戦場であり、多くの戦死者の霊が眠っています。元寇後、島の開発が進むにつれて、当時の戦死者の遺骨が出土したそうです。その遺骨を祀るために、数多くの墓石や石碑が建てられました。石は、島北部の阿翁地区産の玄武岩が良質とされ、使用されました。これが「阿翁石」として名声を博した鷹島の石工業の起源といわれています。  その後、平戸や唐津各藩の御用石としても栄え、「阿翁石」の名前は各地へ知られるようになりました。 阿翁石の特長  阿翁石は粘着力に富んでいるため、繊細な加工をするのに適しており、風化作用にも耐え、磨滅(まめつ)の度が少ないことが特長です。また、彫刻するにはやわらかいため、手づくりの良さが映える石です。  現在の鷹島モンゴル村辺りは、昔からの採石場でした。駐車場の真ん中にそびえ立っているモニュメントは、阿翁石の採石場だった証として残してあります。 阿翁石の活躍と鷹島の伝統工芸品 阿翁石モニュメント  阿翁石が使われている有名なものとしては、福岡の筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)の一の鳥居があります。鷹島から採石された阿翁石を福岡へ運び、1609年(慶長14)に建立されました。これは国の重要文化財に指定されています。    また公共事業としても活用されています。最近では、平戸オランダ商館(平戸市)の復元工事をはじめ、千里ヶ浜(平戸市)のはり石、志佐港環境整備工事(松浦市)などで使用されています。鷹島島内では、鷹島海中ダム竣工記念碑や鷹島肥前大橋の親柱(おやばしら)、モンゴルの方向へ向かって建てられた交流のシンボル塔(鷹島モンゴル村)など、さまざまな場で鷹島の石工業の制作物を見ることができます。 筥崎八幡神社 松浦市志佐港環境整備工事 鷹島モンゴル村 海中ダム竣工記念碑 鷹島肥前大橋の親柱 『勝利の風が吹く島“鷹島”』の活動 ホーク1世  約730年前の元寇で「神風」が吹いた鷹島の歴史を活用し、「鷹」つながりでプロ野球の福岡ソフトバンクホークスとスポンサー契約を結びました。この鷹島を切り口として松浦市の全体的な知名度アップを図り、交流人口の拡大につなげるというものです。  この取り組みのひとつとして、福岡ソフトバンクホークスキャラクター「ホークファミリー」の祖先にあたる「ホーク1世」をかたどった阿翁石のお守り『勝鷹(かちたか)』が、鷹島限定で販売されています。 鷹島限定おまもり「勝鷹」・1個1,200円  この勝鷹は、厄除・勝運の神として有名な筥崎八幡宮の一の鳥居(国指定重要文化財)と同じ阿翁石でひとつひとつつくられていますし、鷹島の守護神である住吉神社の御祓いを受けて販売されているそうです。現在は道の駅「鷹ら島」と鷹島モンゴル村の2施設でのみ販売されています。 必勝モニュメント  また、「勝利」を呼び込む島としてのイメージを定着させるため、スポーツ・受験・恋愛などに頑張ってほしいという願いを込めて、必勝モニュメントを建設しました。鷹島モンゴル村の駐車場に設置されており、記念写真スポット・観光名所になりそうですね。このモニュメントの中央には、王貞治(おうさだはる)福岡ソフトバンクホークス会長の直筆による「必勝」の文字が刻まれています。 約450年の伝統を持つ鷹島の石工業のこれから・・・ 鷹島石工業組合展示の島あかり  これまで主体であった墓石や石碑、公共事業の分野はこのまま継続しつつ、このほかにも「勝鷹」や「島あかり」などのアイデア商品で幅を広げながら取り組んでいかれるそうです。約450年の伝統を誇る鷹島の石工業はその伝統を受け継ぎながら、さらに進化を続けています。 取材協力 鷹島石工業協同組合 参考資料 鷹島石工業協同組合パンフレット 長崎県特産品 長崎県伝統的工芸品指定 鷹島石工業協同組合 〒859-4302 長崎県松浦市鷹島町阿翁免 TEL:0955-48-2090 FAX:0955-48-3283