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長崎みやげ話

  • 人形劇『本蓮寺の南蛮井戸』 2007年08月22日
    人形劇『本蓮寺の南蛮井戸』
    −消えた教会−  かつて、「サンジョアンの町」と呼ばれた長崎の筑後町。 今、日蓮宗聖林山本蓮寺が建っている場所には、そのむかし、サン・ジョアン・バウチスタ教会とミゼリコルディア(慈悲)の組が運営するサン・ラザロ病院がありました。  敷地の一角には生活に欠かせない大切な井戸がありました。 豊臣秀吉の伴天連追放令とともに下された教会の破壊命令と徳川幕府の禁教令によって、教会も病院も壊滅されてしまいますが、この南蛮井戸だけは、キリシタン時代の教会を偲ぶ遺構として現在でも大切に残されています。  このお話を「ながさき子ども劇場」の皆さんが、人形劇『本蓮寺の南蛮井戸−消えた教会−』として上演しました。 今回は、この人形劇をとおして16〜17世紀の長崎の歴史を紹介します。 上演台本は、「ながさき子ども劇場」の許可を得て、読みやすくリメイクしています。 <台本の構成> 第一場面 「栗拾い」 第二場面 「約400年前の長崎へとタイムスリップ!?」 第三場面 「まくらがえしの間」 第四場面 「もとの時代へ戻る」 登場人物   第一場面 「栗拾い」 【場面】 長崎駅を降りて、向かいに見える立山の裾野一帯を筑後町といいます。 この斜面の港を見下ろす高台に日蓮宗のお寺「本蓮寺」があります。 中庭には、お寺が建立される以前からあるという約400年前の「南蛮井戸」が今なお大切に保存されています。 今回は、その井戸にまつわる歴史の物語をお話ししましょう。 季節は、紅葉の美しい秋のある朝のこと。 本蓮寺の和尚さんは、落ち葉を竹ぼうきで掃きながら庭の掃除に精を出していました。 【舞台】 和尚 「皆さんおはようございます。わしゃ、見てのとおり、この寺の和尚でな。毎朝井戸のまわりを掃除して、お経をあげる事がわたしの仕事でな。 南無〜南無〜南無〜。」 男の子・女の子 「おはようございまーす。」 近所の男の子と女の子が寺の裏山に向かおうとしていたところを、和尚さんがふたりを呼びとめました。 和尚 「はい、おはよう。あっ 待て待て! どこへ行く?」 男の子 「山だよー。」 女の子 「裏山の栗の木に、栗がいっぱいなってるのー」 和尚 「だめじゃ、だめじゃ。勝手にいったらいかん。それに、あぶないでのー。」 男の子 「大丈夫、大丈夫! 和尚さんにも、あとで栗をあげるからねー!」 和尚さんは考えました。 和尚 「はて裏山に、栗の木なんぞあったかな?」 一瞬不審に思いましたが、そう気にはとめず、ふたたび井戸の方へと向かい、お経を唱え始めました。 和尚 「ホー、いい天気だ。栗拾いに行った二人の子どもたちは、大丈夫かのー。」 すると、裏山の方から和尚さんを呼ぶ子どもの声が聞こえてきました。栗拾いに行った二人が戻ってきたようです。 男の子・女の子 「おしょうさまぁー、おしょうさまぁー。」 女の子 「おしょうさまぁー、ほら栗よー♪」 二人は待ちきれず、崖の上から両手に持ったかごのなかの栗を和尚さんに見せます。 男の子 「ホラ、ホラ、栗がいっぱいだよー♪ あっ、あっ、あーっ!」 和尚 「ややっ、危ない!!」 あらあら、男の子が持っていたかごをあやまって落としてしまいました。せっかく拾った栗が、なんと和尚さんの頭をめがけてコロコロ、コロコロ。和尚さんは、目をまわしながら、井戸のそばへと倒れてしまいました。 和尚 「あいたたたたたー。」 男の子・女の子 「おしょうさまー!」 あわてて和尚さんのそばにかけ寄ろうとした二人も、崖から転がり落ちて、一瞬気を失ってしまいました。 男の子・女の子 「あーん、痛かったー。」 イガイガのトゲがいっぱいの栗を頭からかぶった和尚さんも、井戸のそばで頭をさすりながら、 和尚 「あー、いたっー。」 男の子・女の子 「おしょうさま、だいじょうぶ? おしょうさまーっ。」 その瞬間、どこからともなく教会の鐘の音がカランコロンと聞こえてきました。 そして、髭を生やし胸には十字架のペンダントをした見知らぬ男性が、3人のもとへと駆け寄ってきました。 神父 「シーッ!静かに。おやッ? どなたかな? どうなされた? おや、おや。擦りむいているではないか? 誰か急いで薬をもって来なさい。」 着物の女の子 「はーい。」 神父 「大丈夫ですか?」 しばらく気を失っていた3人は、見覚えのない周りの風景と見知らぬ人の登場に戸惑いながらも、どうにか答えました。 和尚 「ありがとうございます。あれ ここはどこです? 寺は、本蓮寺はどうした?」 男の子 「えっー、ここは どこ?」 女の子 「ここ、どこなの?」 第二場面 「約400年前の長崎へとタイムスリップ!?」 【場面】 今から約400年前、長崎は、わが国で一番のキリシタンの町でした。 本蓮寺のあったところから長崎県庁あたりにかけては長い岬になっていました。 美しい海岸線に沿うように、教会がたくさん建ち並んでいました。 本蓮寺は、サン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院の跡に建てられたお寺です。 ここは、その教会。 和尚さんと男の子と女の子の3人は、栗がぶつかったり、崖からすべって転んだりした拍子に、井戸のそばでタイムスリップしてしまったのでした。 【舞台】 傷の手当てをしてもらった和尚さん。 神父 「これでよし! 大丈夫ですか?」 着物をまとった男の子や女の子が言います。 着物の男の子 「僕たちも、転んだ時はこの病院で薬をつけてもらうんだ。お腹痛いときもここに来るんだよ。」 着物の女の子 「おじいちゃんやおばあちゃんもここに来て治してもらうんだよ。」 男の子 「ふーん。」 女の子 「ここ病院みたいだね。」 神父 「ところで、この辺りでは見かけない方たちですが。まっ、いいです。一緒に朝のお祈りをいたしましょう。今日一日、みんなが元気で過ごせますように。アーメン。」 着物の男の子 「あー、お腹すいた。」 着物の女の子 「ご飯だ、ご飯だ!」 神父 「あなたたちもどうぞ。ほかの子どもたちもお腹をすかせて待っていることでしょう。」 女の子 「子どもたち?」 神父 「はい。この教会には、お父さんやお母さんと一緒に暮らせない子どもたちが、みんなで生活しているのですよ。」 着物を着た男の子・女の子 「神父様ぁー、はやくぅー。」 神父 「はい、はい。」 すっかり変わってしまった景色と周囲の見知らぬ人たち。この不思議な現象に納得のいかない和尚さんは、神父さんを呼びとめて尋ねました。 和尚 「あのぉー、この井戸は?」 神父 「この教会の井戸ですよ。子どもたちがたくさんおりますので、水もたくさん必要なのです。」 「かーごめ、かーごーめ…。」教会の鐘の音が町中に響き、子どもたちが遊ぶ元気な歌声が聞こえてきました。 着物の女の子 「今度は、かくれんぼして遊ぼうよ。」 木に両腕を伏せて数をかぞえはじめました。 着物の男の子 「もーいいよー。」と言いながら井戸の中へと隠れます。 空がオレンジ色に染まった夕暮れに、どこからともなく、ほら貝を吹く音が聞こえてきました。 着物の男の子 「アッ!南蛮船がやって来る合図よ。」 着物の女の子 「南蛮船が来たー。港へ行こうー!」 和尚さんと男の子と女の子は、着物を着た子どもたちの後を追って、様子をうかがってみることにしました。 しばらくすると、テレビの時代劇で見るような服装のお役人さんがやってきて、民衆の前で徳川家康から発布されたというおふれを読み上げました。 役人 「よっこらショッと。おっほん。みんなよぉーく聞けぇー。 『スペインやポルトガルから来た南蛮人は、わが国を奪って自分たちのものにしようとしている。 そのような者たちが教えるキリスト教を絶対に信じてはいけない。この命令にそむいた者には、すべてに罰をあたえる。 徳川家康。』 以上、よいか、わかったな! どっこいしょと。」 大きな声で偉そうにした役人は、その場に立て札を立てて行ってしまいました。 1614年、徳川家康は禁教令を発布して長崎に建っている教会の破壊を命じました。長崎の美しい教会が次々と焼き払われ、キリシタンたちは行き場を失っていきました。 着物の男の子 「こっち、こっち。」 着物の女の子 「待って。大事なものは、井戸の中へ!」 着物の男の子 「大事なものは、井戸の中へ!」 子どもたちはこう言いながら、手に持っていた袋を、教会にある井戸の中へと投げ入れました。 その様子を不審に思ったお役人さんは、井戸へと駆け寄ってきました。 役人 「なんだ、何をやっているんだ?」 井戸をのぞきこんで、怖い形相で追いかけてきました。 和尚さんも男の子も女の子も、お役人さんに捕まらないようにと、一目散に逃げました。 サン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院も、命令どおりに壊されてしまいました。 役人 「おっほん!みんなよぉーく聞けぇー! この度、このサン・ジョアン・バウチスタ教会のあった場所に、寺を建てることになった。 村の者たちは一生懸命に働くようと、おかみからのおいいつけじゃ。寺の名前は、本蓮寺とする。」 第三場面 「まくらがえしの間」 【場面】 こうして、教会の焼けた跡地に建てられた本蓮寺。 井戸の隣の部屋「まくらがえしの間」では、夜な夜な、ある摩訶不思議なことが起こるのでした。タイムスリップしてしまった3人にも、やっぱり・・・! 【舞台】 夜の読経を終えた和尚さん、遊びつかれた子どもたちは、「まくらがえしの間」へと向かい寝床に着きました。 和尚 「そろそろ寝るとしよう。」 男の子・女の子 「はーい。和尚さま、おやすみなさーい。」 しばらくすると、不気味な風の音とともに、どこからかうめき声みたいなものが聞こえてきました。 和尚さんも、一緒に寝ていた男の子も女の子も恐ろしくなって、「ぎゃー。」と叫んでしまいました。 男の子 「なんだ なんだ?」 女の子 「なんか、今動かなかったー?」 和尚 「うおー、寝ていた向きが反対になってるぞー!」 お互いをよく見ると3人とも逆向きです。 驚いた3人は「みんなだ!」と叫んで、一斉に布団にもぐり込んでしまいました。 不気味な風の音もうめき声もなかなか鳴り止みません。隣の部屋で寝ていた小僧さんも、震えながらやってきました。 小僧 「この部屋、やっぱり怖いよ〜。」 男の子 「エッ、なんでー?なにがー?」 女の子 「ねえ、井戸のほうから何か聞こえるよ。」 そして、起きあがった3人がおそるおそる井戸に近づいてみると、落雷のように凄まじい音とともに辺り一帯がピカッと光りました。 「きゃー!」 第四場面 「現代に戻る」 【舞台】 和尚さんと男の子と女の子の3人が、最初にいた本蓮寺の井戸のそばに倒れています。 井戸のまわりには、栗が散乱しています。現代へと戻ってきたのです。 崖から滑り落ちた男の子と女の子が先に気がついて、横を見ると、和尚さんが目を回して倒れていました。 女の子 「おしょうさま。しっかりしてー。」 和尚 「う〜ん。あいたたたたた。」 和尚さんも気がついて、竹ぼうきを拾い、起きあがりました。 男の子 「あー、びっくりした。石につまずいたみたい。」 女の子 「ねえ、今、井戸の中がピカッと光らなかった?」 男の子と女の子は顔を見合わせて、おそるおそる井戸の中をのぞき込みました。でも何ともありません。 和尚 「寺の栗など、取るから、ばちがあたったのじゃ。さぁさ、一緒にお参りじゃ。南無〜南無〜南無〜南無。」 男の子と女の子は、和尚さんのお経にあわせて、一緒にお参りしました。 男の子・女の子 「はーい。南無〜南無〜南無。」 ずっとむか〜し、長崎がキリシタンの町だったときも、キリスト教を信じてはいけないと禁教令が出たときも、むごくて悲しい殉教の町へと変わっていったときも、原爆でなにもかもが無くなったときも、本蓮寺の井戸はその長い歴史をずっと見てきました。 そしてこれからもこの南蛮井戸は、歴史を見守っていくことでしょう。 おしまい ◎協力(台本提供、ビデオ提供・人形の写真など):ながさき子ども劇場 ながさき子ども劇場 "子どもに夢を!たくましく豊かな創造性を!!" 「ながさき子ども劇場」は、子どもたちの健やかな成長のために結成された会です。 プロの舞台鑑賞をはじめ、キャンプやあそびの会・バザーなど、みんなで企画した様々なイベントを親子で楽しんでいます。 こうした活動をとおして、子育てで悩む親や思春期で悩む子どもたちが話せる関係をつくるきっかけになったり、お互いに話し合える場になったりしながら、地域での子育て支援やネットワークづくりにも役立っているそうです。 1967年に創設した「ながさき子ども劇場」も今年で40周年を向かえ、親から子、孫へと世代を越えたつながりを大切にしながら活動しています。 所在/長崎市大黒町4-26北村第一ビル302号 お問い合わせ/TEL/095-825-0533 FAX/095-825-6151 開局日/月・火・木・金の10:00〜17:00 メールアドレス/sukisuki@bird.ocn.ne.jp ホームページ/ http://www5.ocn.ne.jp/~n.kogeki/ 会費/入会金…200円。1ヶ月1,300円(4歳以上) 入会の手続き/「入会申込書」に必要事項をご記入のうえ、入会金と会費を添えて、お近くの会員か事務所までお持ちください。 アクセス/JR長崎駅より徒歩で約5分。 県営バスターミナルの脇道を通り、突き当たりを右折、ナガサキストアのある北村第一ビルの3階。
  • 歴史が蘇る「原城一揆まつり」 2007年07月18日
    歴史が蘇る「原城一揆まつり」
    見て・遊んで・学べる島原の乱  徳川幕府のキリシタン弾圧、飢饉と天災からおこる凶作、領民に課せられた重税や労役から端を発した日本最大規模の一揆「島原の乱」。天草四郎率いる一揆軍は、天草と島原の領民 約3万7千人が集結して、1638年1月(寛永14年12月1日)、廃城となっていた原城に籠城しました。12万もの兵力を動員した幕府軍からの攻撃に耐えながらも、ついに籠城から88日目の1638年4月12日(寛永15年2月28日)、原城は落城し一揆軍は老若男女の別なくほぼ全滅したという悲しい歴史があります。  現在、原城跡がある南島原市南有馬町では、一揆の模様を再現した「原城一揆まつり」がおこなわれています。島原の乱終焉の地である史跡「原城跡」をメイン会場として、毎年4月の土日、2日間にわたって開催。初日は、島原の乱で亡くなった方々の追悼式、2日目には天草四郎や板倉重昌に扮して戦いの様子を再現した合戦行列が町を練り歩き、観光客の目を楽しませてくれます。ふだんは静かな原城跡一帯が、この日ばかりは島原の乱が勃発した当時を思い起こさせるような歴史絵巻の世界へと変わります。本や文献では味わえない歴史物語を体験できるお祭りです。  *(  )内の月日は旧暦表記です。 地元中学生&青年が扮する!一揆軍総大将の天草四郎と幕府軍の板倉重昌  当時の戦いの様子を再現した合戦行列は必見です。まずは天草四郎率いる一揆軍。確かに一般民衆ですから完璧な武具などを持ち合わせているはずもなく、老若男女が竹やりや鍬などを手に携えての行進には、軽装が目立ちます。こんな姿で完全装備の幕府軍と戦ったのですから、改めて驚きを感じつつ、農民たちを一揆へと向かわせた怒りと覚悟は並大抵ではないことが伝わってきました。そう、この一揆には女性や子どもも参加したのでした。その中で、有馬氏の旧臣とおぼしき軽武装を施した足軽兵が総大将・天草四郎の跨がる馬を護衛しています。そして、その中心にいる天草四郎役は地元・南有馬中学校の生徒さん。綺麗に化粧をして、まさに紅顔の美少年といった様相です。乱当時の一揆軍の民衆の中にも、そのルックスにカリスマ性を感じて忠誠を誓った者もいたであろうとうなずけます。  一方の幕府軍の行列は、鎧兜でバッチリ武装していました。国家に対する反乱を鎮圧するために組織された軍ですから、別に悪者ではないのですが、どことなく悪役っぽく見えます。こちらの行列の総大将は幕府からこの乱の鎮圧のために上使として派遣された板倉重昌で、やはり地元の青年が扮していました。口ひげも生やして貫禄十分です! 二の丸付近の特設ステージで島原の乱を再現!  合戦行列で原城跡周辺の町を練り歩いた後、二の丸付近の特設ステージへと移動します。ここでは、島原の乱を再現する寸劇がおこなわれました。重税に苦しむ領民たちが一揆について話し合いをするシーンから始まり、幕府軍の軍事会議、板倉重昌の討死、天草四郎が姉妹とともに十字架に祈りを捧げる場面、そして参加者総出演での原城総攻撃…と、この一部始終を見れば島原の乱がダイジェストで理解することができる素晴らしい内容! 単なるお祭り気分ではなく、来てくれた方々に島原の乱の歴史を理解していただきたいという、スタッフのアイデアから実現したパフォーマンスだそうです。  ステージ脇には、迫力のある「一夜城」の原城も設置されていて、雰囲気を盛り上げていました。遠目からはベニヤ板で作られていると思えないほど立派なこのお城、春風にあおられて倒れないようにするのに大変だったというスタッフの苦労話のエピソードもこっそり。  この一夜城は、祭りの2週間ほど前から、夜間にライトアップもされています。 そのほかにもウォークラリーや原城発掘遺構説明会など、子どもからお年寄りまで、誰もが来て・見て・遊べて・学べる充実した原城一揆まつり。近くには温泉もあるので、家族連れで訪れるのにもってこいの催しです。  多くの人々が尊い命を落とした島原の乱から370年の時が流れ、現在の日本は信教の自由も認められて平和で豊かな社会が築かれています。パライソ(天国)のような国になることを夢見た四郎たちは、いまの私たちの暮らしをどのように見ていることでしょうか。華やかなお祭りを楽しみながらも、歴史があって今がある、その思いを実感させられる新鮮な体験でした。 小川勇気 DATA 「原城一揆まつり」 開催期間:毎年4月 お問い合わせ:原城一揆まつり事務局(南島原市南有馬総合支所経済課内) 電話 050-3381-5170 原城観光協会 電話050-3381-5079 写真提供:南島原市南有馬総合支所
  • 雲仙&小浜&島原の旅のススメ 極上の温泉を楽しむ 2007年07月04日
    雲仙&小浜&島原の旅のススメ 極上の温泉を楽しむ
       長崎市内から車で約90分、島原半島は、ポルトガル人から伝わった馬鈴薯(じゃがいも)のカタチにも似た愛らしい形をしています。もちろん、じゃがいもの産地としても有名です。北に有明海、東に島原湾、西に橘湾と海に囲まれ、島原半島の屋根と呼ばれる雲仙岳は四季折々の表情を見せてくれます。海の新鮮な魚と高原で採れる野菜など豊かな自然に恵まれたロケーション。1年を通じて訪れる旅人たちを楽しませてくれます。  南蛮貿易で栄えキリシタン文化が華開いた有馬の地、幕府をゆるがせた島原の乱…、激動の時代を駆け抜けた歴史の舞台巡りとセットでおすすめしたいのが、「雲仙」「小浜」「島原」の極上の温泉めぐり。それぞれに違う泉質を紹介します。 雲仙  小浜から仁田峠へと向かう途中にある温泉郷「雲仙」。その歴史は古く、僧行基が開基した701年。山号を温泉山としたことから“おんせんやま”が訛って“雲仙”と呼ばれるようになったといわれています。雲仙岳で一番高い山は平成新山の標高1486メートル。小浜の海岸線から標高1000メートルまで山道を一気に登るので、杉林の間からみえる景色は最高です。車で雲仙までの山道を走るのはとても楽しいですが、霧がかかって視界が全く遮られることもしばしばありますので天気には十分ご注意を。風景を楽しみながらドライブしていると、硫黄の香りとともに白い湯煙が立ち昇る温泉街「雲仙」が現れてくるのです。  泉質は酸性硫黄泉。湯には乳白色と透明の2種類があって各旅館で違います。やわらかく肌になじむ温泉は美肌効果大!ついつい1日に何度も入ってしまいそう。旅館の部屋でゴロゴロと、贅沢に過ごせる雲仙はリピーターも多い人気の温泉地です。  そうそう、県外から遊びにきた友達を雲仙地獄に連れて行ったときに必ずすすめるのが「温泉タマゴ」! でも大抵はビックリされちゃいます。「あれ、ゆで卵じゃん。」 なんでも温泉タマゴといえば黄身は半熟!?がフツウなんだそうで、雲仙の温泉タマゴのように蒸気で固ゆでされてちょっと黒っぽくなった黄身は意外なんだとか! 長崎生まれの私にとっての温泉タマゴ常識をくつがえす友の言葉でした。しかし、「ゆで卵」と言った友達も、一口食べてそれとは違う独特の美味しさに感動の様子。2、3個ペロリとたいらげました。 リュートの再評価  雲仙では、摂氏100度以上の温泉を薄めないように、旅館へと配管で送る課程で適温にしています。雲仙地獄の散策コースで、その様子を観察することができますよ。  温泉街は、老舗の旅館やホテルが建ち並ぶ風情あるレトロな街並みです。明治には外国人の夏の避暑地として賑わったそうで、当時ではハイカラなテニスやゴルフと一緒に温泉を楽しんでいたそうです。高原野菜や新鮮なキノコを使ったフレンチや創作料理が楽しめるのも雲仙ならでは。 泉質 :酸性硫黄泉 色 :乳白色と透明の2種類 香り :ほのかな硫黄 効能 :湿疹・しもやけ・切り傷・糖尿病・疲労回復・健康増進・美肌効果など 小浜  島原半島の西に位置し、橘湾を臨む国道57号線の海岸線に沿って旅館が建ち並ぶ温泉街「小浜」。この通りを歩くと、排水溝の隙間からごうごうと白くて熱い湯気が吹き出している箇所がいくつもあります。その温度は摂氏100度以上。豊かな湯量を誇る温泉街です。さっそく温泉に浸かってみましょう。ちょっと湯を舐めてみると「しょっぱい!」と感じます。この塩分が皮膚に効きます。そして湯冷めしにくいというのが小浜の温泉の特徴で、体の芯から温まります。  小浜温泉のプラスワンのオススメは、夕暮れ時に露天風呂に入ること! 夕方の時間をねらって温泉に浸かれば、目の前に見えるのは海に沈む美しい夕陽。橘湾も、温泉も、空も、目に映る全てがオレンジ色に染まります。この光景を眺めながら、しみじみと島原半島の大自然に感謝・・・。夜の入浴もオススメ! 暗い海に転々と浮かびあがる漁り火も風情がありますよ。島原の乱の若き総大将として有明な天草四郎もこの小浜の温泉に浸かったといわれています。四郎も見たであろうこの海のすばらしい景色が、今も昔も変わらずに残っているのが嬉しいですね。  小浜の温泉街の裏通りにある、小浜歴史資料館やキリシタン殉教の秘話が残る上の川湧水、炭酸泉なども散策してみましょう。 泉質 :ナトリウム含有泉(食塩泉) 色 :透明 香り :ほのかな硫黄 効能 :胃腸・呼吸器系疾患・リュウマチ・術後の療養・婦人病・筋肉痛・冷え性・腰痛など 島原  鯉が泳ぐ水の都「島原」は、「名水百選」や「水の郷全国10」にも選ばれた城下町です。小浜は夕陽でしたが、島原は朝風呂から眺める朝日が絶景です。飲むとほんのわずかですが炭酸というか重曹のような味がします。源泉の温度は30〜42度位。無色透明で中性なので、肌への負担がからず入浴を楽しめます。市内には6ヶ所の飲泉所が設けられていて、観光客でも気軽に楽しむことができます。水を汲みに訪れる人も多いとか。コーヒーや抹茶に使う 泉質 :ナトリウム・カルシウム炭酸水素塩泉 色 :透明 香り :無臭 効能 :入浴…火傷・切り傷・慢性皮膚病・慢性消化器病など  飲泉…糖尿病・肝臓病・痛風・慢性消化器病など  「ながさき歴史散歩」の第7回「殉教の足跡を探して〜島原半島&天草の旅〜」で紹介した歴史の旅と一緒に、それぞれの泉質の違いを楽しむ極上の温泉めぐりはいかがですか。 DATA 参考 雲仙観光協会  http://www.unzen.org/japanese/ 小浜温泉観光協会  http://obama.or.jp/ 島原温泉観光協会  http://www.shimabaraonsen.com/index.cgi 写真:長崎県観光連盟 上から「雲仙 妙見山頂より」「雲仙地獄」「小浜 小浜温泉街(小浜町)」「島原 鯉の泳ぐまち」