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長崎みやげ話

  • コーヒー伝来の地長崎から 2011年03月30日
    コーヒー伝来の地長崎から
    長崎スコーコーヒーパークとは  大村市にある長崎コーヒーパークには、日本初の観光コーヒー園として、約300坪の大温室に200本余りのコーヒーの木が育成されています。ここで栽培、収穫されたコーヒー豆は、上質な海外産の豆とブレンドされ「寿古珈琲」としてお土産に、ギフトにと人気があります。そして敷地内にあるレストラン「スコーズ」では、コーヒーをはじめ、温室で栽培されるコーヒーやバナナなどを活用して作られた料理を味わうこともできるのです。  いったいどんな料理を味わうことができるのでしょうか? “見る・楽しむ”日本初の観光コーヒー園  長崎スコーコーヒーパークでは、観光コーヒー園としてどんなことを経験できるのか?コーヒーの観光といってもピンとこない方もいると思います。  コーヒーの木に囲まれたスペースに設置されたステージの上で、社長自らが浪曲など唄をまじえながら、コーヒーと人との関わりの歴史や日本に伝わったコーヒーの歴史などを芝居形式でわかりやすく教えてくれます。現在では当たり前のように飲んでいるコーヒーですが、飲用のための豆として完成される以前には果実を食べていた歴史もあります。話を聞きながら、栽培からすべてが手作業で仕上げられたという世界で初めてのコーヒー果実のジャムを味わうことができます。このジャムは果実を残したままの状態で、日頃飲んでいるコーヒーからは想像できないほど甘いジャムに仕上がっています。飲むことに慣れている私たちにとっては、食べるコーヒーに対しては初めての味で、驚きがあり新鮮に感じます。  また楽しい話を聞いている間には、コーヒーが入ったオリジナルカステラやこだわって作られたコーヒーのキャンディなどここでしか味わえない商品を試食することができます。下手に資料やパネルでコーヒーの歴史や成分を知るよりも、楽しみながらコーヒーを実際に味わい知るという観光コーヒー園の内容は、多くの観光客に喜ばれています。  このお芝居は、通常15名以上の予約で行われています。お気軽にお問い合わせください。 日本においてのコーヒー  長崎に港を開いた大村純忠は、南蛮貿易を積極的に行いました。その後オランダ商館が平戸から長崎に移され、西洋との窓口は長崎に限定されました。  そして1641年(寛永18)、コーヒーはオランダから日本に伝えられたといわれています。当時長崎出島に持ち込まれ、大坂、江戸へと伝わりました。  西洋との貿易に熱心だった大村純忠の領地であった大村市に、これだけのコーヒーが育てられ、そして商品化されているというのは面白いことです。国内においても長崎スコーコーヒーパークは、国内コーヒーのパイオニア的存在ともいわれています。  現在は、コーヒーの果実ジャムやパパイヤジャム、コーヒーカステラなどコーヒーの栽培だけにとどまらずオリジナル商品も開発・販売され、多くのファンを作り続けています。大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、当時のコーヒー豆の調査を行い、幕末期に飲まれていたコーヒーを再現した龍馬伝珈琲も飲むことができます。  温室の中のコーヒーの木は、4月から9月にかけては、ジャスミンに似た芳香を持つ純白の可憐な花を咲かせます。またブーゲンビレアも育てられており、11月から5月くらいの間、温室を鮮やかな色に染め、多くの人が見物に集まります。  “見せる・楽しむ”観光コーヒー園よりも“魅せる・楽しむ”観光コーヒー園といえそうですね。 食べるコーヒー・飲むコーヒー  敷地内にあるレストラン「スコーズ」では、オリジナルコーヒーをはじめ、食べるコーヒーのメニューがあり、好評を得ています。リピーターも多いというコーヒーピラフをいただきました。最初は“いつも飲むコーヒーの味や香り”がイメージとしてありますが、いざ運ばれていくると、まったくその印象がありません。深い味わいがあって、説明されないとコーヒーが入っていることすら忘れてしまいます。上にのっている肉は口の中でとけるように柔らかくなっているのですが、これもコーヒーを入れてじっくり煮込まれたものなんです。リピーターが多い理由もうなずけます。このレストランでは、コーヒーだけでなく、温室で育てられたバナナやパパイヤも料理に使用されています。  食後に長崎スコーコーヒーパーク産オリジナルのコーヒーをいただきました。シーボルトが日本に持ち込んだといわれるコーヒーカップに形状を似せて作られたものだそうで、コーヒーが日本に伝わった当時を想像できる絵が描かれています。  飲み物であるコーヒーには、カフェインが含まれていますが、それ以外の多くの成分についてはほとんど解明が進んでいないのが現状です。しかし、近年の研究によって制がん作用をもち、老化防止や糖尿病抑制などと効果があることが伝えられています。  古くは、疲労回復のためとしても果実を食べていたという歴史もあるといわれています。長崎スコーコーヒーパークの飲物だけでなく食べ物にも活用する独自の取り組みはとても興味深いですね。またコーヒーや一部の商品については空港の売店などでも購入できるものもありますが、長崎スコーコーヒーパークに訪れないと味わえないものばかりです。 (有)中島珈琲本社
 長崎スコーコーヒーパーク 長崎県大村市寿古町813-1 TEL:0957-55-4850 FAX:0957-55-3811 【営業時間】 ●スコーコーヒーパーク:10:00〜17:00(年中無休) ●カフェ&レストランスコーズ:10:30〜22:00 (定休日:毎週木曜日) ※木曜日が祝日の場合は他の曜日に振替   長崎スコーコーヒーパークの商品は、公式サイトからもお求めいただけます。   関連URL: http://suko.ocnk.net/
  • 平戸焼 2011年03月30日
    平戸焼
     六角や三角の形が大きさを微妙に変えながら一分の狂いもなく配列された模様は、まさに神業です。白磁の本体に伝統の籠目文様が透かし彫りされているものですが、近づいてよく見てみると機械が彫ったのではないかと思うほどです。均等に美しく彫りあげられており、つい我を忘れて見入ってしまいます。気が遠くなるほどの時間を費やして仕上げられる作品は、まさに名匠のなせる手技です。  写真の作品は、400年余にわたって高度な技術と崇高な精神を受け継ぐ平戸茂右ヱ門の手によって製作されたものです。 平戸焼の特徴  平戸焼の特徴のひとつには、“優れた細工”があげられます。先に述べたように、均等に六画や三角の模様を手で彫り上げる技術です。透かし彫りとよばれますが、香炉や多宝塔などの作品にも多く使われています。「瓢型花瓶」という作品もその典型的な透かし彫りが施されています。内部には龍が彫り上げられていますが、別々に彫って組み合わせたものではなく、均等な文様をつけた外側の部分から内側の龍の部分を彫り上げているそうです。溜め息が出そうな技術ですね。  また動物をモデルに造形された作品が多いのも特徴のひとつです。猿が三番叟の装束をつけた立姿の「舌出し人形」は、頭部が差し込み式になっていて、首を振ると口から白い舌が出てくるという面白い仕掛けになったものがあります。いずれも繊細で優美な作品に仕上がっていて、見る人の心を豊かにしてくれます。 平戸焼の歴史  1598年(慶長3)、朝鮮出兵から帰国する際に、平戸藩主・松浦鎮信が朝鮮半島より陶工を連れ帰ったことから平戸焼の歴史は始まります。体験コーナーの「三川内焼」でもとりあげて紹介しましたが、平戸藩では、三川内に御用窯を置き、高度な技術を持った陶工たちによって作品が作られ、高い評価を受けてきました。以来、朝廷や幕府向けや藩使用の調達品、家臣への下賜品、他藩への贈答品などを作り続けました。さらに白磁の美をきわめた製品は、オランダや中国へ輸出されて諸外国の王侯貴族にも愛されました。  現在、三川内で作り続けられている「三川内焼」と平戸市の「平戸焼」は、歴史をたどってみるともともとどちらも平戸藩の御用窯(ごようがま)として製作されたものです。明治時代に入り、藩の保護がなくなり、御用窯の制度も廃止されると、窯元は独自に研究を続け、進化してきました。 平戸焼の体験  平戸市では、平戸焼の伝統技法である透かし彫りや、絵付けなどの体験をすることができます。   【すかし彫り体験】  白磁の本体に、文様を入れて一輪挿しを製作することができます。彫りやすいようにと平戸茂右ヱ門自らが用意してくれた道具を使い、伝統である透かし彫りを施します。下書きに沿って細工をしていきますが、思った以上に白磁本体は柔らかく、容易に細工することができますが、曲面になった位置では角度がつくため、彫りにくいという難しさもあり、思うように彫れると楽しくなってきます。   【ミニチュア教会絵付け体験】  平戸市にある田平天主堂、宝亀(ほうき)教会、紐差(ひもさし)教会は、世界遺産登録をめざす「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の資産候補となっています。これらの教会をはじめ、平戸市にある教会のミニチュアの白磁が用意されてあります。これらの教会に色をつける絵付け体験を行うことができます。  出来上がった作品は、世界でひとつしかないオリジナル作品となりますので、感動はひとしおです。   【体験について】 ●体験期間:通年(不定休) ●時間:約1時間30分 ●定員:1〜20名(小学生以上) ●参加費  すかし彫り体験:2,000円(送料含む)  ミニチュア教会絵付け体験:2,500円(送料含む) ●申込期日:10日前 社団法人 平戸観光協会 長崎県平戸市岩の上町1473 TEL 0950-23-8600 FAX 0950-23-8601   関連URL: http://www.hirado-net.com/
  • あごだしラーメン 2011年03月30日
    あごだしラーメン
     平戸市で知られる「あごだしラーメン」を食べてきました。 「あご」って何?と思う方は多いでしょう。長崎県では、飛魚のことを「あご」と呼んでいます。  つまり飛魚で出汁をとったラーメンのことなのですが、平戸市では飛魚を炭火で焼いたり天日干しにして香ばしくなった「あご」をスープに使ったあごだしラーメンを味わうことができます。  時間をかけて丁寧に作られたスープは、黄金色に輝き、透明度が高いことも特徴です。香ばしく風味豊かなスープは、とってもあっさりしているのにコクがあり、味わい深い印象です。最後はあごのスープとして飲み干してきました。  よくお酒を飲んだ後にラーメンを食べたくなるという方が少なくありませんが、このあごだしラーメンはまさにオススメです!  また以前から炭火などで焼いた「焼きあご」は、最高級だしとしても知られています。干しあごは、酒の肴やおかずにも人気があり、カルシウム不足を補うおやつとしても最適です。  平戸市では、飛魚の商品が豊富に揃っています。炭火で丹念に焼いた後に秘伝のタレで仕上げたあごや、一夜干しのあご、焼いた後に軽く叩いて身をほぐし、骨ごと食べられるアゴ、ふりかけ用として加工されたアゴなどバラエティに富んでいます。  平戸市を訪れたら、ぜひご賞味ください。
  • 陶芸の館 2011年03月23日
    陶芸の館
     波佐見焼は、1978年(昭和53)、日本の伝統的工芸品に指定されました。「伝統的工芸品」とは、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められているものです。 「的」とはどういうことでしょう? “工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品”という意味が込められています。  同年、三川内焼も伝統的工芸品に指定されています。この伝統的工芸品・波佐見焼とはどのようなものでしょうか?  波佐見焼について詳しく資料を展示している「陶芸の館」にやってきました。早速館内へ入ってみましょう! 波佐見焼の歴史  1598年(慶長3)、豊臣秀吉の朝鮮出兵から帰国するの際に、大村藩主大村喜前(よしあき)が朝鮮より李祐慶(りゆうけい)らの陶工を連れ帰ってきました。陶工らは波佐見町村木の畑ノ原(はたのはら)、古皿屋(ふるさらや)、山似田(やまにた)の3ヶ所に登窯を築き、やきもの作りを始めました。これが波佐見焼の始まりです。白磁や染付、青磁などの磁器の生産も始まりました。  1630年代に入ると、肥前(現長崎県・佐賀県)では陶器生産から本格的な磁器生産へと移行します。波佐見では、白磁・染付も生産しましたが、草花などの文様を彫りだす青磁が多く製作されています。この頃には三股古窯(みつのまたこよう)や三股青磁(みつのまたせいじ)窯などが設置されました。1665年(寛文5)、藩主・大村純長(すみなが)は、三股に皿山役所を設け積極的に殖産政策を推し進めました。  1650年代には、中国での内乱によって中国産のやきものの海外輸出が中断し、中国にかわって日本のやきものが海外へ盛んに輸出されるようになりました。肥前一帯に注文が増えました。波佐見にも多くの窯が築かれ、生産技術も向上し、海外輸出用の大きな染付鉢や青磁皿を生産しました。 海外へ渡った波佐見焼「コンプラ瓶」  西洋や中国に開かれていた長崎から、東南アジアやヨーロッパへと輸出されたものの中には、波佐見で製作されたコンプラ瓶がありました。長崎の仲買がオランダ東インド会社を通じて輸出したものです。「仲買」をオランダ語で「コンプラドール」といいますが、そこから名付けられたといわれています。  醤油や酒を入れて輸出されていました。醤油瓶には「JAPANSCHZOYA (ヤバンセ・ソヤー:日本の醤油)、酒瓶には「JAPANSCHZAKY(ヤバンセ・サキー:日本の酒)と書かれており、独特な形はヨーロッパ人から愛され、1874年(明治7)まで生産されました。出島からも多くのコンプラ瓶が出土しています。  1690年代に入いると、海外向けから国内向けのやきものを多く生産するようになります。特に庶民が買える安価なやきもの作りが行われ、日本中に親しまれた「くらわんか茶碗」も大量に生産されました。  当時、やきものは積み出す港の名をとって「伊万里焼」、明治以降には出荷駅の名をとって「有田焼」として流通していたために、「波佐見焼」という名称が知られていませんでした。しかし染付磁器の生産量は日本一であったといわれ、18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器の多くが波佐見焼であるといわれています。 「くらわんか」とは?  江戸時代には、大坂天満・京都間の淀川を往来する船に近づき、乗船客に「餅くらわんか」「酒くらわんか」などと声をかけ、飲食の商売をしている茶船がありました。掛け声から、くらわんか舟とも呼ばれていましたが、この小舟には火床が備えられ、餅や酒、煮炊きをした料理を器に盛って販売していました。これらの器の多くが波佐見で生産されたもので「くらわんか手」とも呼ばれました。植物をはじめ動物や自然、風景、幾何文様のものが多く、大坂・江戸を中心に全国津々浦々へ運ばれ、庶民の間で親しまれました。安価な磁器であったため、波佐見の磁器は庶民に広まり、日本の食文化の歴史にも関わっています。 明治以降の波佐見焼  明治に入り、皿山役所が廃止されると、藩の保護がなくなり、窯元やそこで働く人々は困難な道を歩むことになりました。しかし窯元同士協力しあい苦労を重ねながらも新しい技術を導入し、発展し続けました。  この頃には様々な改革がなされました。天草陶石が使用されるようになり、安定した品質の高いやきものが製作されるようになりました。陶石粉砕は、それまでの唐臼から水車へと変わりました。その後電力の利用による陶土製造がはじまり、蹴りロクロでの成形へと変化し、動力ロクロも登場するようになりました。下絵具においては、合成呉須(人工コバルト)が使われはじめ、また銅板転写も導入されました。1915年(大正4)には石灰窯が初めて導入され、燃料として石炭が使用されるようになります。この頃には石膏型による鋳込(いこみ)成形が登場し、袋物の量産が可能となります。ゴム版による絵付も始まりました。  昭和に入ると、機械ロクロが登場し、さらに大量生産が可能となりました。 現在の波佐見焼  江戸時代、それまで庶民の手が届かないと思われていた磁器碗を、「くらわんか茶碗」などで手頃な価格にし、庶民の人気を得て、日本の食文化の発展にも影響を与えました。  毎日の暮らしの中で、“使えて、手軽でしかも良質な器”を消費者のニーズに合わせて提案する姿勢は、現在でも変わりません。その時代の人々のさまざまな暮らしにあわせて変化し、使われ、愛される陶磁器を製作するため、常に新しい技術に取り組んでいます。 さらに波佐見焼を楽しむには  波佐見町では、自分だけの器を作る体験だけでなく、農業やお酒作り、そば作りなどの体験とを組み合わせた滞在プランが充実しています。このことによってより生活に身近である器に関わることができます。  年間を通じてイベントも多く、様々な内容が盛り合わされています。 代表的なイベント ●中尾山 桜陶祭(おうとうさい)  毎年4月第1土日には、普段は見ることの出来ない陶郷中尾山の窯元17社が一般に開放され、 焼きものの直売が行われます。また桜や波佐見ののどかな風景を眺めながら歩く窯元ウォークラリーも実施されます。 ●波佐見陶器まつり  毎年4月29日〜5月5日は、20万人もの観光客と焼きものファンで賑わい、値段交渉の声がお祭り気分を盛り上げます。陶芸の館では、波佐見焼の歴史をたどり陶芸体験もできます。  8月には、各地区で江戸時代から続いている浮立や皿山人形浄瑠璃公演、はさみ夏まつりなどが行われます。 ●鬼木棚田まつり  案山子コンテストをはじめ、波佐見町ならではのイベントが多数開催されます。 ●はさみ炎まつり  11月には、農産物や波佐見焼の販売が行われ、500円で器を購入いただくと、郷土料理を召し上がっていただくという満足いっぱいのイベントが開催されます。絵付け体験やロクロ鋳込み体験コーナーも行われます。 ●皿山「器替まつり」  12月には「環境にやさしい」をテーマにした「器替まつり」が開催されます。ご自宅にある不用の器を持っていくと各店にてお好きな器を各店1点を定価の5割引きで購入し、交換できるというものです。御持ちいただいた器は、エコスタイルとして生まれ変わるというから面白いイベントです。  5月下旬に酒米田植えを行い、10月下旬に稲を刈り、自分だけのお酒と酒器を作るという数ヶ月に渡って完成する贅沢な体験があります。波佐見町では、毎月何かしら参加できるイベントがたくさんあり、やきもの作りに気軽に参加することができるのです。  また陶芸の館「くらわん館」や中尾山伝習館をはじめ、波佐見町内の様々な会場で、随時ろくろや手びねりでイチから自分の手で作る本格陶芸や絵付け体験、やきものの窯を利用したピザ焼き、石窯料理、パン作り体験が体験できます。  さらに今後は、地元観光会社の協力を得て、博多駅を発着とした2泊3日の体験滞在ツアーや日帰りツアーをはじめ5種類のツアーが開催される予定です。四季を通して開催される予定ですので、波佐見観光協会の公式サイトをチェックしていてくださいね。 陶芸の館 観光交流センター 〒859-3711 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2 ・波佐見町観光協会  TEL:0956-85-2290 FAX:0956-85-2856 ・波佐見焼振興会  TEL:0956-85-2214 FAX:0956-85-2856 ・くらわん館  TEL:0956-26-7162 FAX:0956-26-7163   【開館時間】9:00〜17:00 【休館日】1月1日のみ ※資料展示コーナーは入館料無料です ※団体見学や絵付け・ロクロ体験ご希望の方は、一週間前までに電話・FAXでお申し込みください。 ※絵付け・ロクロ体験は有料です   URL: http://www.hasami-kankou.jp/
  • 東彼杵町歴史民俗資料館 2011年03月17日
    東彼杵町歴史民俗資料館
     東彼杵町歴史民俗資料館は、長崎自動車道/東そのぎICで降りてすぐのところで、国道205号を佐世保市へ向かって走ると、1分もしないうちに左側に長崎県内でも代表的な前方後円墳・ひさご塚古墳が目に入ります。この古墳を見守るように資料館が建っています。東彼杵町は、長崎に入って来た西洋や中国の文化が大坂・江戸へ向けて伝えられていく道「長崎街道」の宿場町として、そして「平戸街道」の起点となる場所としてたくさんの人と文化が集まる地域でした。どんな歴史があるのか楽しみですね、早速その歴史を見に行ってみよう! 1階企画展スペース  館内1階は東彼杵町民参加型の企画展示スペースです。現在は「ひなまつり」が開催され、町民の方々がお持ちのひな人形がずらりと並んでいます。このひなまつりは、4月3日まで開催されています。定期的に面白い企画展が催されますので、楽しみのひとつですね。1階の企画展は無料です。お気軽にお入りください。 2階歴史館  2階には歴史館と文化館の2つの展示スペースが設置されています。  歴史館は、旧石器時代から大村湾岸地域の中心として栄えた弥生・古墳時代、そして深沢儀大夫の捕鯨や大規模な新田開発が行われた江戸時代までの歴史、そして長崎県を代表するお茶のひとつ「そのぎ茶」の資料が展示されています。  国道からも見えるひさご塚古墳から出土した遺物も見ることができます。ひさご塚古墳の「ひさご」という名称は、前方後円墳が「ひょうたん(ひさご)」の形に似ていることから名付けられたそうです。今から約1500年前にこの地域を治めていた豪族で、神功皇后の三韓征伐の際には、武内宿禰(たけのうちすくね)の配下として従軍した武将の墓であるといわれています。  1914年(大正3)に茶園を開き、茶樹の栽培と製茶法の改良に取り組んだ野田卯太郎(うたろう)や赤木原を開拓して茶園を造った中島栄(さかえ)などそのぎ茶の発展を支えてきた人々もパネルで紹介されています。1859年(安政5)の開国により、茶は貿易品となりました。長崎の大浦慶は、千綿(ちわた)宿の土肥家と取引をしていたといわれています。4月中頃から5月いっぱいにかけてそのぎ茶の品評会やイベントが多数開催されますので、チェックしていてくださいね。  また大村氏領であったため、キリシタン文化も切り離すことはできません。町内にもキリシタン墓碑があります。1596年(慶長元)に起こったサン・フェリペ号事件の翌年に長崎西坂の丘で処刑された26人は、彼杵浦から船に乗って時津(とぎつ)へ向かい、そして西坂へと歩き出しました。26人が船に乗ったといわれる彼杵浦には、日本26聖人船出の碑が建立されています。近くにありますので、散策がてら寄ってみてください。 2階文化館  東彼杵町は、江戸時代には長崎街道や平戸街道の宿場町として大いに賑わいました。文化館に入ると、当時庶民の旅行許可と身分証明を兼ねた通行手形などをはじめ、彼杵宿本陣に関する資料が展示されています。  今から約200年前に千綿宿で始まったといわれる千綿人形浄瑠璃も紹介されています。明治・大正の頃は大変盛んで、地元水神宮の祇園祭で上演され、各地を巡業していました。現在は地元中学校のクラブ活動にも取り入れられており、長崎県の無形民俗文化財にも指定されています。 明治の民家  資料館のそばには、明治時代の民家が建っています。明治時代に町内中岳郷に建てられた富農家の母屋部分を移築したもので、内部の構造は日本の古い農家の様式を留めています。建物の中には当時使われていた生活用具や農具などが数多く展示されています。この民家でも企画展示が行われることがありますので、気がけてのぞいてみてくださいね。    長崎街道の宿場町であり、また平戸街道の起点でもありましたので、たくさんの商人や武士たちで賑わいました。江戸時代初めから明治にかけての数百年間は、捕鯨と鯨肉取引の中心地としても栄え、ここに陸揚げされた鯨が九州各地へと送られていました。  現在は長崎自動車道が通り、国道205号で平戸へと続き交通の面でも昔と同じで便利な地です。そして2002年(平成14)には、隣に道の駅「彼杵(そのぎ)の荘(しょう)」がオープンし、家族や友達同士のグループなど多くの人出で賑わっています。新しい歴史と文化の交流スポットとしても期待できますね。 東彼杵町歴史民俗資料館 ◎入館料 【個人】  大人200円、小中学生100円 【団体10名以上】  大人100円、小中学生50円     ◎開館時間 9:00〜17:00(入館16:30まで) ◎休館日 毎週火曜日、年末年始(12月28日〜1月5日)   〒859-3807 長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷430番地5 TEL:0957-46-1632 URL: http://www.sonogi.jp/rekiminkan.html
  • 「ラストサムライ」冒頭シーンの美しい島々 2011年02月23日
    「ラストサムライ」冒頭シーンの美しい島々
     「ラストサムライ」は、2003年(平成15)、アメリカ・ニュージーランド・日本合作映画で、日本を舞台に日本人と武士道を描いた作品です。  主なロケ地は姫路市で、戦闘や村のシーンなどはニュージーランド、街中のシーンはハリウッドのスタジオで撮影されました。  しかし、この映画の冒頭のシーンに登場する海と島々の遠景は、佐世保市の九十九島が使われているのをご存知ですか?  佐世保市の中でも、九十九島の遠景を眺める場所は多数ありますが、佐世保市亜熱帯動植物園の上にある石岳展望台で撮影されたといわれています。場所がわかると、早速行ってみて写真を撮ってみたくなりますね!  佐世保市亜熱帯動植物園駐車場の横の道をあがっていくと20台ほど停められる駐車場があります。この駐車場から200メートル程度歩くと石岳展望所につきます。  この展望所には、崖のそばにある展望所と後方に展望台があります。展望所は広くはありませんが、海面を遮る木々もありませんので、写真撮影のポイントとして人気があり、早い時間帯から場所を取りにくる人が少なくありません。展望台は茂みが邪魔になり海面が見えないところもありますが、九十九島の景観を味わうのであれば、素晴らしい絶景ポイントです。    夕方になると、九十九島の海面は夕焼け色に染まり、美しい写真が撮影できます。撮影も済みそろそろ帰ろうかな、と思っているとだんだん駐車場には車が増えてきました。そう、この展望所は市内外から九十九島の夕景を撮影しに集まる人気スポットだったのです。  顔見知りの方々も多いようで、初めて訪れた私にも気さくに話しかけてくれます。九十九島は、時間帯によって様々な表情を見せてくれることも教えてもらいました。こういう思わぬところで、地元の方々とコミュニケーションをとりながら旅するのも素敵な思い出になりますね。
  • 69 sixty nine 2011年02月23日
    69 sixty nine
     1987年(昭和62)に出版された長崎県佐世保市出身の作家・村上龍さんの小説で、2004年(平成16)に公開されました。  映画と演劇とロックの一大イベント“フェスティバル”を企画し、好きな女の子の気をひくために当時流行っていたバリケード封鎖をし、警察やマスコミが乗り出す大騒動に発展するなど一見無茶苦茶に思えますが、熱い青春を送る高校生たちが描かれています。  この映画は、もちろん佐世保市のあちこちで多く撮影されています。  主人公・矢崎剣介を演じる妻夫木聡さんと親友・山田正を演じる安藤政信さんが大学生グループから逃げ、追いつめられた際に橋から飛び降りるシーンがありましたが、早岐瀬戸(はいきせと)で撮影されました。飛び降りる橋は観潮橋(かんちょうばし)です。早岐瀬戸は、大村湾と佐世保湾を繋ぐ瀬戸です。江戸時代の干拓事業で両岸から潮止め堤防を築いたため、幅10mまでに狭められており、潮の干満に応じて激流が起こることでも知られています。  奈良時代初期に編纂された肥前国(現佐賀県・長崎県)の風土記「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」の中に、「速来門(はやきのと)」という記述があります。この速来門が早岐瀬戸ではないかといわれています。また中世には、この早岐瀬戸で山海の産物を持ち寄って物々交換をするという「市」が自然と発生しました。現在では「早岐茶市(はいきちゃいち)」として受け継がれ、毎年5月7〜9日(初市)・17〜19日(中市)・27〜29日(後市)・6月7〜9日(梅市)の4回に分けて行われており、お茶を始め、わかめ・魚の干物・苗類・陶磁器類などの販売がおこなわれています。  映画冒頭で米軍敷地内にTシャツを投げ込み、軍関係者から追われて矢崎剣介と山田正の2人が走って逃げのびますが、一緒に“フェスティバル”をやろうと誓う場所は、SSKバイパスです。  佐世保市平瀬町ロータリー(米海軍佐世保基地正門前)から赤崎町のSSK(佐世保重工業)旧西門までの道路区間をSSKバイパスとよんでいます。このSSKバイパスからは、SSKの造船関連施設やレンガ造りの建造物、たくさんのクレーン、ドックで建造や修理が行われている船舶などを見ることができます。  この「69 sixty nine」は、1969年(昭和44)の佐世保市を舞台に、当時高校3年生だった村上龍さんの実体験が基となっています。ベトナム戦争と学生運動に揺れていたこの時代、基地の街・佐世保市がわかりやすく描かれています。  原作でも登場人物たちは、佐世保の方言で話しています。『69 sixty nine』が出版された当時、この本を読んで、自分が普段使い慣れている地元の言葉が活字になっていたので、親しみが持て、とても新鮮に感じたことを覚えています。
  • 寅さんの声が聴こえてきそう… 2011年02月23日
    寅さんの声が聴こえてきそう…
     1977年(昭和52)に公開された映画「男はつらいよ」第20作“寅次郎頑張れ!”では、平戸島がロケ地に選ばれ、ところどころに歴史スポットが登場しています。  とらやに下宿する青年・良介(中村雅俊さん)が、近所の食堂で働く女性・幸子(大竹しのぶさん)に恋をします。そこで、寅さんが愛のキューピッド役を買ってでますが、うまく気持ちを伝えることができずに、良介はとらやで自殺未遂までやる始末。  田舎に帰った良介を心配して、寅さんが様子を見に来た島というのが、平戸島でした。  寅さんは、この平戸島で良介の姉・藤子(藤村志保さん)と出会い、ホレてしまい、藤子が運営している土産店を手伝うようになってしまいます。  この土産店は、松浦史料博物館に登っていく石段の手前にありました。現在は立て替えられて変化していますが、当時の雰囲気は残っています。また寅さんが、早朝から仕入れのために毎朝歌いながら自転車で重要文化財の幸橋の前を走り去るなど平戸島の歴史スポットは随所でさりげなく登場しています。  1550年(天文19)にポルトガルの貿易船が初めて平戸に入港すると、中国との交易もあ いまって、平戸は「西の都」と呼ばれる国際貿易港として知られます。その後オランダ、イギリスが商館を設置するなど、鎖国が行われるまでは、対外貿易の中心地として栄えていました。  藤子と一緒に行った礼拝の帰りに話しながら歩くシーンがありましたが、「寺院と教会が見える風景」として知られ、古くから異国文化を受け入れてきた平戸ならではの異国情緒溢れた風景といえます。これらのスポットは、今でも寅さんを観て訪れる人が少なくないといいます。  平戸港を訪れる前に、寅さんが商売をしていた神社は濱尾神社です。この濱尾神社は、平戸港の副港として江戸時代に整備された田助港のそばにあります。この一帯は、幕末当時には回船問屋や船宿、遊女屋などが立ち並び、賑わっていた地域なんです。また薩摩藩とゆかりのある回船問屋多々良孝平の角(すみ)屋や明石屋には、西郷隆盛や桂小五郎、高杉晋作など薩長のそうそうたる志士が集まり密談していたといわれており、維新志士会合の碑が建立されされました。 現在維新志士会合の碑は、多々良孝平氏居宅跡から濱尾神社境内に移されています。
  • 佐世保バーガー 2011年02月23日
    佐世保バーガー
     とうとう“佐世保バーガー”を食べてきました!  私が食べたチキンバーガーとベーコンバーガーは、肉は厚くて噛み応えがあり、野菜も新鮮なレタスとたまねぎ、トマトが肉とバランスよく入り、とってもジューシーでした。  みなさんは“佐世保バーガー”をご存知でしょうか?テレビなどのメディアで紹介され、“大きくボリュームがある”、“肉が多い・大きい”などとよく耳にしますが、実際何というお店で、どんなハンバーガーを食べることができるの?と思いませんか?  ここで佐世保バーガーの定義をご説明しておきます。  佐世保バーガーには、これといって決まったスタイルのハンバーガーのことではありません。佐世保市内の店で提供される「手作り」で「注文に応じて作り始める」こだわりのハンバーガーのことをいいます。注文を受けてから作り始めるので、作り置きをせずに、アッツアツで新鮮なハンバーガーを食べることができるのです。  なぜこんなにも佐世保市ではハンバーガーを取り扱う店舗が多く、話題になるのでしょうか?そこにも佐世保市ならではの歴史が関係していました。  佐世保市は、1889年(明治22)に大日本帝国海軍の佐世保鎮守府が設置されました。それまでの佐世保は小さな村でしたが、このことにより全国各地から人が集まり、商人や移住者が増え、翌年には人口も倍増したといわれています。さらに1903年(明治36)には海軍工廠(かいぐんこうしょう)が置かれて都市化しました。  しかし太平洋戦争後、佐世保市の旧日本軍施設には米海軍が進駐します。そして、米海軍関係者を相手にした飲食店やバーが次々と現れました。アメリカ人のスタイルに合わせた飲食店も増加し、朝鮮戦争に伴い朝鮮特需による好景気を受けた1950年(昭和25)頃、米海軍関係者よりハンバーガーのレシピが佐世保市に伝わったといわれています。それから佐世保市内の飲食店で研究され、様々なハンバーガーが作られ、いまや市民に愛される郷土料理のひとつにもなっているのです。    佐世保市でハンバーガーを販売しているものであれば、佐世保バーガーと呼んでいいのかな?と思っていましたが、そうではありませんでした。  2007年(平成19)に「佐世保バーガー認定制度」というものが創設されました。そして佐世保市や旅行業界関係者などが、「独自性・主体性」「信頼性」「地産地消」「手づくり」などの項目を基準に入念に審査し、合格した佐世保市内の店舗に限り「佐世保バーガー認定店」と認められます。  「どうやって認定店と判断すればいいの?」  認定店の入口には、やなせたかしさん作の「佐世保バーガーボーイ(佐世保バーガーバー)」の入った認定証(看板)が設置されています。佐世保市を訪れた際には、これを目印にするといいでしょう。  佐世保市外のハンバーガーに対しては、拘束する権限はないため、認定店ではないのに「佐世保バーガー」と銘打って販売している業者も少なくないといいます。しかしこういうことも、佐世保バーガーが人気があるという証拠なんでしょうね。  佐世保観光情報センターのサイトでは、佐世保バーガーマップをダウンロードすることもできます。佐世保市を訪れる前に、ダウンロードしておこう! 佐世保観光情報センター 〒857-0863 長崎県佐世保市三浦町21-1(JR佐世保駅構内) TEL:0956-22-6630   佐世保バーガーについての詳しい情報は以下をご覧下さい。   関連URL: http://www.sasebo99.com/sight_sasebo/bgmap.shtml
  • 平戸市生月町博物館 島の館 2011年02月09日
    平戸市生月町博物館 島の館
     江戸時代には益冨(ますとみ)組を中心とした沿岸捕鯨が活発に行われ、平戸藩の財政を支えるほどの規模を誇りました。また安土桃山時代には、フランシスコ・ザビエル以降平戸に来たイエズス会宣教師がこの生月島でもカトリックの布教を行い、平戸藩の重臣だった籠手田安昌(こてだやすまさ)・安経(やすつね)父子をはじめ多くの島民が洗礼を受けましたが、その後の禁教令により殉教したり、長い間迫害に耐えてかくれキリシタンとして密かに信仰を受け継いできました。生月島とはどんな島なのか!?さあ、早く館内へ入ってみよう! 勇魚とりの物語  早速第1展示室「勇魚(いさな)とりの物語」に入ってみると、大きなミンククジラとツチクジラの骨格標本が出迎えています。「勇魚」とは、「鯨」の古い呼び方です。  益冨(ますとみ)捕鯨は、1820年頃(文政年間)には、5つの鯨組を経営するほどに拡大し、西海のみならず日本一の規模を誇る鯨組へと発展しました。室内には江戸時代の捕鯨の様子を忠実に再現した大型ジオラマや、生月島の鯨取りの様子を紹介した捕鯨図説「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」などが展示されています。「勇魚取絵詞」は、1832年(天保3)に益冨家が刊行したもので、漁場や施設の紹介から、網をかけて銛を突き刺す捕鯨の様子、解体や加工の過程など20の場面を絵と解説文で描いたもので、貴重な資料です。  またミンククジラの骨格や内臓の標本など貴重な資料や当時の鯨の利用法について、捕鯨の歴史とともにわかりやすく紹介してあります。  そして生月島出身で日本一の巨漢力士として知られる生月鯨太左衛門(いきつきけいたざえもん:身長227センチ)について紹介するコーナーもあります。実寸サイズの生月鯨太左衛門と一緒に記念写真を撮る方も少なくありません。 島の暮らし  島の人々の生活には欠かせない漁業や農業に関する道具や資料、祭礼の展示が行われています。漁業は、島の基幹産業であるまき網や定置網がジオラマなどで紹介されています。農業に関しては、昔の稲作にまつわる道具や信仰に関する資料が紹介されています。また神社や寺院が出した各種お札なども展示されています。 かくれキリシタン  約260年ものあいだ、厳しい弾圧に耐え抜き受け継がれた信仰の歴史を紹介しています。教会を模した展示室になっており、聖母子像、メダイなどかくれキリシタンの祭具の数々が展示されています。  生月島のかくれキリシタンは、16〜17世紀の祈りの言葉であるオラショを唱えるなど、古いキリシタンの形態を残す一方で、潜伏時代に土着の信仰・宗教と習合した独自の形態を持っており、研究者にも注目されているそうです。奥に設置された部屋にはかくれキリシタンの生活空間が再現され、オラショを唱える音声も聞くことができます。 シーファンタジックアリーナ  生月島の近海にいる海の生き物たち約250種類、400匹の剥製(はくせい)が展示された空間になっています。海中を散歩をしている気分になってきます。魚の姿をあらゆる角度からじっくりと観察することができます。子どもと訪れて、一緒に魚の名前を覚えていくのも楽しそうですね。 オリジナル商品も充実したミュージアムショップ  図書資料や映像コーナーのそばには、ミュージアムショップがあります。ミュージアムショップには、この博物館に来ないと手に入らない逸品も少なくありません。  お守りとして古くから重宝されてきた鯨のヒゲや、鯨の情報が印刷された消しゴム、生月ボランティアガイド協会オリジナル商品である生月絵はがき、地元産品を利用して作られた加工品など貴重な商品が並んでいます。生月町の主婦有志でつくられた料理研究サークルが作った「鯨ジャーキー」「鯨味噌」が注目を集めており、人気を博しています。くじらカレーやくじらシチューなども大好評なのだそうですが、生月島に来たなら、ぜひとも味わいたい一品ですね。 平戸市生月町博物館 島の館 ◎入館料 【個人】  大人500円、高校生300円、小中学生200円 【団体】 15名以上450円、高校生270円、小中学生180円   50名以上400円、高校生240円、小中学生160円 100名以上300円、高校生180円、小中学生120円  【身障者(個人・団体)】   大人250円、高校生150円、小中学生100円  【年間パスポート】 大人1,000円、高校生600円、小中学生400円  ◎開館時間 9:00〜17:00(最終受付16:30)  ◎休館日 正月(1月1日、2日)特別休館有  ※ご予約により博物館内、生月島内をご案内いたします。 ※島内案内のみ有料 ※館内はバリアフリー対応です   〒859-5706 長崎県平戸市生月町南免4289番地1 TEL:0950-53-3000 URL: http://www.ikitsuki.com/yakata/