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長崎みやげ話

  • 長崎ランタンフェスティバル 2008年02月13日
    長崎ランタンフェスティバル
    〜フォトアルバム〜  2月7(木)、2008年の長崎ランタンフェスティバルがスタートしました。各会場で点灯式がおこなわれ、午後6時のカウントダウンで一斉に灯ったランタン(中国提灯)やオブジェが、冬の夜にパッと浮かびあがりました。  このイベントは、中国の旧正月にあたる春節を祝うお祭りです。メイン会場の湊公園を中心に約1万5千個のランタンが街を灯します。今年の期間は2月7(木)〜2月21日(木)。開催中は、各イベント会場で中国獅子舞、二胡の演奏、中国雑技、媽祖行列、皇帝パレードなどがおこなわれます。  待ちに待った初日の7日に、さっそく各会場を散策してきました。湊公園では干支のネズミをモチーフにした高さ8メートルもある「老鼠娶親(ラォスーチーチィン)」というオブジェが人気を集め、ステージでは中国獅子舞がおこなわれていました。また、浜市アーケードに出現した縁結びの神さま「月下老人」に赤い糸を結ぶ女の子たちの姿や、中華街の屋台からたちこめる温かい蒸気と漂ってくるおいしそうな角煮まんの香り。幻想的な雰囲気を楽しむことができました。ランタンの灯りをたよりに歩けば、長崎の史跡巡りも一緒に楽しめますよ。  今回は、湊公園、中島川に架かる眼鏡橋、中央公園、浜市アーケード、中華街、唐人屋敷、唐寺の崇福寺など初日7日(木)の模様を写真でご紹介します。ランタンが灯るあたたかな色の長崎の雰囲気をちょっとだけ味わってください。
  • 豚の角煮を作ろう! 2008年01月30日
    豚の角煮を作ろう!
    〜長崎の郷土料理(4) 中華編〜  豚の角煮は、卓袱料理や中華料理のフルコースの一品としてふるまわれる長崎の郷土料理です。約2日かけてじっくり煮込まれた角煮は、箸でつかめば肉の繊維がホロリとほぐれ、口に含めばトロリとやわらかく、甘いたれがしっかりとしみこんでいます。  角煮は、中国・杭州から伝わりました。宋代の詩人 蘇東坡が愛した料理として有名な東坡肉(トンポウロウ)がルーツだといわれています。  食べ方は、ねり辛子を付けていただきます。中華饅頭が一緒に出されたら、中にはさんでいただきましょう。  長崎の家庭料理として、祝い事に限らず、おやつや御飯のおかずとして食卓に並ぶ一皿。 今回は、コラーゲンたっぷりの豚の角煮をご紹介します。 材料 ・豚バラ肉(下皮付塊) 500g   ・たまねぎ 100g(1/2個)   ・にんじん 150g(小1本)   ・生姜 1片   ・ニンニク 小1片   ・八角 1片   ・ねり辛子 適量 ○調味料 ・濃口しょうゆ 1/4カップ   ・砂糖 1/4カップ   ・水 適量   ・紹興酒 50cc 作り方 (1)豚肉を茹でましょう。  豚肉はバラ肉(三枚肉)を使用します。肉は切らずに塊のまま鍋に入れます。皮を剥いて半分に切ったたまねぎ、ブツ切りにしたにんじん、スライスした生姜、薄切りにしたニンニク、香り付けの八角、水をひたひたになるように加えて火にかけます。沸騰したら弱火にして約3時間ほどゆでましょう。圧力鍋を使用する場合は約25〜30分です。 粗熱をとって、ゆで汁に浸かったまま、鍋ごと冷蔵庫に入れて一晩寝かせます。 (2)豚の脂"ラード"を取り除きましょう。  翌日、冷蔵庫から鍋を取り出します。するとゆで汁の表面に、豚の脂"ラード"が白く固まっています。これを取り除きましょう。  ゆで汁はキッチンペーパーで漉します。  豚肉は温かいお湯で洗って、表面の脂をきれいに洗い流し、1.5〜2センチの厚さに切り分けましょう。 (3)蒸す!  蒸器を用意します。  深めの陶磁器に(2)のゆで汁、濃口しょうゆ、砂糖、紹興酒を入れて約40分〜1時間ほど蒸しましょう。  この間に、付け合わせの野菜を準備します。ほうれん草を軽くゆでて氷水で冷まし、水気を絞って食べやすい大きさに切っておきます。 (4)煮詰めて照りがでたら完成です!  (3)を別の鍋にとり、15分ほど煮ながら照りを出しましょう。強火で汁を煮詰めて水分を飛ばし、トロミと照りがでてきたら完成です。  皿に盛り付け、練り辛子を添えれば完成!! さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ (2)で取り除いた豚の脂はラードです。チャーハンや野菜炒めなどの炒め物に利用できますので、捨てずに保存しておくと便利です。 ゆでたホウレン草の代わりにチンゲン菜を添えても彩りがきれいです。  長時間かけて煮込んだ角煮は豚の脂が落ちていますので、しつこくなくあっさりとしていて、コラーゲンたっぷりです。時間はかかりますが、味付けはシンプル。ぜひ、チャレンジしてみてくださいね。  2008年2/7(木)〜2/21(木)、長崎では旧正月(春節祭)を祝うランタンフェスティバルが開催されます。湊公園を中心に中華街、唐人屋敷、唐寺などの各会場でイベントがおこなわれ、長崎の街はランタン(中国提灯)の灯りに彩られ幻想的な雰囲気に包まれます。異国情緒あふれる長崎の食と文化を楽しんでみてはいかがでしょうか。 参考文献 長崎県栄養士会
  • 具雑煮を作ろう! 2008年01月16日
    具雑煮を作ろう!
    〜長崎の郷土料理(3) 島原編〜  具雑煮は、島原半島の郷土料理です。その誕生は、約370年前に起こった"島原の乱"に由来するといわれます。  1637年(寛永14)、総大将の天草四郎率いる約3万7千人の一揆軍が、幕府軍との攻防の末、原城(南島原市)へと籠城しました。蓄えていた餅と、海や山でとれた具材を持ち寄って煮込んで食べたのではないかといわれています。寒さの厳しい冬に、この料理で体を温め、栄養を補給しながら、戦ったのではないでしょうか。  現在、島原らしい郷土料理として親しまれている具雑煮。中身は、鶏肉、丸餅、かまぼこ、旬の野菜など約10種類以上にものぼります。薄口しょうゆでほんのりと味付けした素朴なスープを飲むと、野菜の甘みが口いっぱいに広がり、体が温まります。今回は、具雑煮づくりに挑戦です。 材料:1人前 ・鶏肉 25g  ・丸餅 40g(小4個)  ・里芋 30g(小1個)  ・白菜 50g(大きい葉っぱの約半分)   ・だいこん 50g(1/20本)  ・にんじん 30g(1/5本)  ・ごぼう 30g(1/5本)  ・春菊 適宜  ・干し椎茸 0.4g(0.5枚)  ・凍り豆腐 3g(1/2枚)  ・油揚げ 1/2枚  ・かまぼこ 1/6個 *かまぼこは、ちくわ、昆布巻き、板付けなどお好みに合わせて3〜4種類を、各2切れずつ用意しましょう。また、長崎では、イワシやサバを原料にした薄い円形のかまぼこを "はんぺん"と呼ぶ場合があります。このはんぺんを入れてもおいしいですよ! ●調味料 ・薄口しょうゆ 6g(小さじ1)  ・濃口しょうゆ 6g(小さじ1)  ・みりん 17g(大さじ1)  ・酒 15cc(大さじ1)・塩  0.1g ●だし汁 ・かつお節 2g  ・だし昆布 2g  ・水  200cc ★用意するもの ・1人前の鍋を人数分 作り方 (1)だし汁をつくりましょう  あらかじめ、だし汁を準備しておきましょう。  鍋に、水、干し椎茸、昆布を入れて約30分〜1時間ほど浸します。沸騰する直前で昆布と干し椎茸を取り出しましょう。鍋にかつお節を加え、沸騰したらすぐに火を止めます。ザルなどで濾しましょう。  *取り出した干し椎茸は、包丁で薄く切ってください。 (2)材料を切りましょう  野菜を食べやすい大きさに包丁で切ります。里芋は乱切り、ごぼうはささがき、にんじんと大根は短冊切り、白菜は3センチ幅に切りましょう。  凍り豆腐は、水に戻して薄切り、かまぼこは薄切り、油揚げはざっくりと切ります。 (3)鍋で鶏肉を炒めましょう  一人前の小さな土鍋を用意しましょう。  鍋を火にかけて、こま切れにした鶏肉を中火でから炒りします。 (4)だし汁を加えましょう  鶏肉の表面に火が通ったら、(1)のだし汁を加えましょう。 (5)野菜を煮ましょう  だし汁が沸騰してきたら、にんじん、ごぼう、さといも、だいこん、干し椎茸を加えて煮ましょう。アクを取り除いたら、弱火にしてコトコトと煮ます。  野菜に火が通ったら、薄口しょうゆ、濃口しょうゆ、みりん、酒、塩でほんのりと味付けです。 (6)餅の登場です!さらに具材を加えてひと煮立ち  さらに白菜、油揚げ、凍り豆腐、かまぼこ、丸餅を加えましょう。火加減を調節して鍋に蓋をし、ひと煮立ちさせます。 (7)完成です!  丸餅がやわらかくなったら食べごろですよ。中央に春菊を盛り付けて完成です。 さぁ、いただきまーす! ★調理のポイント★ 焼きあご(長崎の特産で、干した飛魚を炙ったもの)でとった"あごだし"でつくってもおいしいですよ! 島原半島では、卵焼き、焼きアナゴ、れんこんを入れたりします。 各家庭で、材料や味付けは様々です。レシピに掲載した材料にこだわらず、いろんな素材を用意して、とにかく具だくさんに仕上げましょう! 島原半島では、白菜ではなくシロナという野菜を使います。  あっさりとしていながら出汁はしっかりと。野菜の甘みが引き立つやさしい味にプラスして、お餅がパワーを体にみなぎらせてくれるような、元気なおいしさです。お正月のお雑煮としてだけでなく、寒い冬はいつでもOK。腹持ちが良いので受験生にもオススメですよ! ぜひ一度、お試しください! 参考文献 長崎県教育庁体育保健科「長崎の郷土料理(学校給食レシピ)HP 長崎県栄養士会 「旅する長崎学3 キリシタン文化掘廖ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年 島原温泉観光協会
  • ヒカドを作ろう! 2007年11月28日
    ヒカドを作ろう!
    〜長崎の郷土料理(2)〜  江戸時代、長崎に渡来した南蛮料理「ヒカド」。ポルトガル語の"Picado"「細かく刻む・調理する」という言葉が由来となっています。この料理は、さつまいもをすりおろして、とろみをつけた具だくさんのスープです。さつまいも本来の甘みが他の食材を調和してくれるやさしい味。冬の寒い日に食べればポカポカと体があたたまります。  安土桃山時代、長崎の町にはたくさんの教会が建ち並び、ポルトガル人が多く暮らしていました。長崎っ子がポルトガル人との交流のなかで、異国のさまざまな料理を教えてもらっていたとしても不思議ではありません。  1614年に発布されたキリスト教の禁教令によって、宣教師たちは国外に追放されることになり、ポルトガル料理を作ることはなくなってしまいましたが、入手できなくなったお肉を魚に代用したりしてアレンジを加えながら代々受け継がれた味は、いつしか長崎の郷土料理となりました。  江戸中期の料理本を読むと、「ヒカド」は中国風の調理をする南蛮料理として紹介されています。材料には、鶏(または鴨)、イカ、エビ、大根が使われていました。次第に庶民にも広まり、具材のアヒルがまぐろに代わり、さつまいもを使っています。  ヒカドの極意はとろみにあり! ポルトガル人はとろみにパンを使っていました。しかし禁教令でパンが入手できなくなり、中国の調理法をヒントに、長崎っ子がさつまいもでとろみをつけることを思いついたのではないでしょうか。さらに『割正録』によると、19世紀の長崎では、すりおろしたさつまいもでとろみをつけると「ススヘイト」、とろみをつけずにサラリとしたスープに仕上げると「ヒカド」と区別していたようです。お好みで楽しんでくださいね。 材料:4人前 ・カジキマグロ 50g  ・豚もも肉 50g  ・大根 100g(約1/10本)  ・にんじん 40g(約1/2本)  ・さつまいも(角切り用) 100g(約1/2本)  ・さつまいも(すりおろし用) 50g(約1/4本)  ・干ししいたけ 1.6g(約2枚)  ・葉ねぎ(青ねぎ) 16g ●マグロに下味する調味料 ・塩 1.5g(小さじ3/10)  ・酒 2g(少々) ●調味料 ・油 少々  ・薄口しょうゆ 12g(小さじ2)  ・塩 1g(小さじ1/5)  ・酒 20g(小さじ4)  ・水 440g  ・かつお節 4g  ・だし昆布 3g 作り方 (1)マグロの下ごしらえ  マグロを角切りにして、塩と酒で下味をつけます。 (2)野菜を切りましょう   大根・さつまいも・干ししいたけは1.5センチの角切り、豚もも肉は食べやすい大きさに、にんじんは厚めのいちょう切り、葉ねぎは小口切りにします。 (3)調理しましょう  鍋に少量の油を入れて、(1)で下味をつけたマグロの角切りを鍋に入れます。表面に焼色がついてきたら、いったん鍋からおろします。同じ鍋で、豚肉・にんじん・干ししいたけを炒めます。大根・さつまいもも加えて炒めたら、だし汁を入れます。  グツグツと沸騰してきたらアクを取り除いて、マグロを加えましょう。 (4)さつまいもでつけるとろみ  すりおろしたさつまいもを鍋に入れます。火の通りが早いので、アッという間にトロミがでてきますよ。 (5)味を調えましょう  味をみながら、酒・薄口しょうゆ・塩で味をつけます。コトコトと煮込んで、器に盛り付けて、葉ねぎをちらしたら完成です。 さぁ、いただきましょう! ★調理のポイント★ 江戸中期に書かれた「料理談合集」のレシピのなかに卵が登場します。溶き卵を流しこんでふんわり仕上げるのもオススメです。 旬の魚を使いましょう。カジキマグロだけではなく、甘鯛・イトヨリなどでも代用できます。  素朴でやさしい味わいですが、長崎で採れた新鮮な海の幸・山の幸の香りが、口いっぱいに広がります。とろみに使ったさつまいもが、魚と肉と野菜のうまみを調和してくれています。カラフルな具材と透き通ったさつまいもの黄色いスープを一口いただくと、教会のステンドグラスのやさしい光を、ふと思い出してしまいました。キリシタン文化から生まれたヒカドを作ってみませんか! 参考文献 長崎県教育庁体育保健科「長崎の郷土料理(学校給食レシピ)HP 長崎県栄養士会 「長崎学・續々食の文化史 食文化をたずねて」 著者/越中哲也 発行/長崎純心大学博物館 2002年 「長崎市史・風俗編」 著者/古賀十二郎
  • 枯松神社祭 2007年11月21日
    枯松神社祭
    〜時をこえて・宗教をこえて〜  11月3日(土)、長崎市外海地区の黒崎で、"枯松神社祭"がおこなわれました。これは、江戸時代、キリスト教が禁止されていたとき、外海のキリシタンたちが崇拝していたサン・ジワンさまとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。枯松神社とは、日本でも珍しいキリシタン神社。弾圧のなかで、神社としてカムフラージュしながら、信仰の対象となるサン・ジワンさまを祀った場所です。  当日はすがすがしい秋晴れ、国道202号沿いからの美しい景色を眺めながら会場に向かいます。黒崎教会を目印にすぐ脇の山道へと入ってしばらく行くと、石階段の参道がありました。青空をさえぎるような木々の小道を登り、通称"枯松さん"と呼ばれる枯松神社へとたどりつきました。  第8回目を迎える今年の"枯松神社祭"では、カトリック教会の神父さまによる慰霊ミサ、天福寺の住職さまによる講演、旧キリシタンによるオラショ奉納が行われました。それは長い歴史の時をこえ、宗派の違いをこえた祈りの祭りでした。 神社にカムフラージュ、外海キリシタンの祈りの  まず、はじめに中町教会主任司祭の野下千年神父によって、感謝と慰霊のミサがおこなわれました。カトリック信徒のみなさんによって捧げられた「(信徒発見の歌)殉教の血潮に」という聖歌の歌詞が心に響きます。♪「殉教の血潮に 養われて 茨の道の 三百年 真の教え 守りつぎし 遠つみ先祖の 裔ぞわれらは…」♪聖歌が林にこだまし、潜伏しながら信仰を守りとおした先祖たちを讃えました。 お寺とキリシタンの共存  次に、曹洞宗天福寺の塩屋秀見住職が、「天福寺と隠れキリシタン」と題して講演をおこない、キリシタン弾圧時代の地域の人々の結びつきについてお話をされました。  ある日、カトリック信者の人たちが天福寺を訪ねてきたそうです。「私たちはカトリックの教えに戻りましたが、先祖たちが隠れていたとき、天福寺さんがそれと知りながらも守ってくれたから、今に命をつなぐことができました。」お寺の改修費にあててほしいと感謝の寄付を渡されたとのこと。徳川幕府によるキリシタン弾圧のなかで、お寺に所属する仏教徒を装い、オラショ(祈りの言葉)を伝承し、キリスト教の信仰を守りながら生きることができたのは、宗教をこえて村の人々が結束して助け合うという関係があったのです。信仰の自由が認められたとき、カトリックに戻った人、天福寺にお世話になった恩で仏教徒になった人、隠れのままにオラショを奉納する人、それぞれの道にわかれました。塩屋住職の「歴史をただ考えるのではなく、現代人として何をしなくてはいけないのかを考える場所が、ここ枯松神社なのではないでしょうか。」と投げかけた言葉がとても印象的でした。  枯松神社の脇にあるお墓を見ると、墓石に洗礼名と戒名が一緒に刻まれているものが見受けられます。宗派をこえた集落の人々の結びつきによって、各個人の精神を尊重し守ることを可能にしたという歴史を学ぶことができました。 オラショ奉納  つづいて旧キリシタン代表の村上茂則さんによるオラショの奉納がおこなわれました。代々受け継がれてきたオラショを、枯松神社の拝殿の前に静かに座り、サン・ジワンさまとご先祖たちに捧げました。会場に集まった人々も静かにオラショの言葉に聴き入りました。  木の葉がすれあう音の隙間をオラショの言霊が抜けるような不思議な感じです。目をとじると、オラショをひそかに伝承していた当時の様子が見えてくるような・・・。徳川幕府の禁教令のなか、キリシタンたちは、役人に見つからないように参道の途中にある"祈りの岩"とよばれる巨岩の影に集まり、オラショを伝承したそうです。  日本にキリスト教が伝来してから約470年。仏教もキリスト教も時代の流れに翻弄されながら、その歩みにはいろいろなことがあったと思います。そんななかで同じ地域に住む人たちどうしの思いやりや絆、結束をあらためて思い起こすことができました。歴史もさることながら、宗派をこえて集い、先祖たちに感謝する枯松神社祭は、今に生きる私たちの幸せな暮らしを、人間としてごくあたりまえに感謝することを教えてくれました。 参考文献 『旅する長崎学4 キリシタン文化検戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年
  • 小説『沈黙』に登場する晧臺寺を訪ねて 2007年10月17日
    小説『沈黙』に登場する晧臺寺を訪ねて
    〜坐禅も体験してきました!〜  小説『沈黙』で、仏教に改宗した宣教師フェレイラが住んでいたお寺という設定で登場する晧臺寺(長崎市寺町)。作者である故・遠藤周作氏は取材で長崎を訪れた際、フェレイラのお墓を探しに晧臺寺を訪ねています。16・17世紀の日本の仏教寺院は、キリシタン文化が隆盛を迎えた陰に、キリシタンたちによって放火などの破壊を受けたという歴史もありました。  今回は、小説『沈黙』の舞台となった晧臺寺をご紹介します。坐禅の体験もさせていただきましたよ。 坐禅体験  海雲山晧臺寺(こうたいじ)では毎週土曜日に坐禅会が催されています。開始時間が夜19時からとあって、お昼とは一味違う雰囲気のなかで坐禅を体験できます。この日は、特別に撮影の許しを得て参加させていただきました。  蝋燭に火が灯る僧堂に入ります。まず、壁に向かって丸いクッションのような坐蒲に腰を下ろし足を組みます。うっすらと目を開けたまま、呼吸を整えて自分の心と向き合います。夜の闇が包む空間に身を置いて、静かに流れていく時を感じる・・・。坐禅を終えると、仏像の周りをゆっくり歩く経行(きんひん)がおこなわれます。鐘の音が鳴って終了。別室でお茶を飲みながら方丈さまとの楽しい談話など、とても日常では味わえない贅沢なひとときを過ごし、満足感でいっぱいでした。長崎の身近な場所に、坐禅の体験ができるお寺があるなんて、新たな発見でした。  ここ晧臺寺は、小説『沈黙』に登場する場所。フェレイラとロドリゴのここでの問答の様子を想像したり、また、フェレイラのお墓はどこなのかと考えたり、頭のなかがいっぱいになっていました。晧臺寺を舞台に、キリシタン時代の歴史をみてみましょう。 キリシタン文化隆盛の陰に、破壊を受けた仏教寺院の苦悩  16・17世紀の日本では、ポルトガル船に乗ってやってきた外国人宣教師たちによる布教活動によって、キリスト教が広まり入信する人々が増え続けました。  一方で、仏教寺院などに対する攻撃も大きかったようです。たとえば、ザビエルが平戸に降り立ちキリスト教の種を蒔いた後、ヴィレラ神父などの活躍によって平戸のキリシタンは1,500人にもなりました。しかし、一部のパードレ(司祭)たちによって、寺にあった仏像が無残にも焼き払われ、神社も破壊され、寺院は教会に改造されました。このため仏僧や仏教徒の反感が強まり、ヴィレラ神父は平戸から追放となり、教会堂は破壊されました。また島原半島でも、有馬晴信がキリシタンになると寺社破壊がおこなわれました。岩戸山の洞穴(加津佐)に隠された仏像も処分したという報告が、宣教師フロイスの報告書にも出ています。  1580年(天正8)、キリシタン大名 大村純忠の領地"長崎"と"茂木"がイエズス会へと寄進され、住む人々はほとんどがキリシタンという時代。多く教会が建ち並び、長崎はさながら「小ローマ」のようだといわれました。1584年(天正12)、有馬晴信も領地の"浦上"をイエズス会に寄進しました。しかしその3年後には、豊臣秀吉が伴天連追放令を出し、イエズス会領となっていた長崎・茂木・浦上を取り上げ直轄地とします。続いて1592年(天正20)、長崎の教会の破壊を命令しますが、莫大な利益をもたらす南蛮貿易は続けたいという秀吉の意向もあって徹底されない部分もあり、教会は再建されて、徳川幕府の禁教令発布の1614年まで、キリシタンの町としての長崎は生き残ります。  さて、「晧臺寺」が長崎の地に創建されたのは1608年(慶長13)の頃。長崎は教会の建築ラッシュで、さらに新しい教会が建てられており、領民の心はキリシタン文化へと向いていた時代です。仏教徒にとっては厳しい状況のなかで、晧臺寺は仏教の復興に力を注いだといわれます。豊臣政権に幕が降りて、1614年に徳川幕府の禁教令が発布されると、次第にキリシタンの勢いは衰えていきました。晧臺寺は、キリシタンたちを仏教徒へと改宗させながら、禅寺としての基盤を築いていったのです。 小説『沈黙』に登場する晧臺寺  そんな16・17世紀の長崎を舞台にして描かれた故・遠藤周作氏の小説『沈黙』では、フェレイラが住んでいたお寺という設定で、晧臺寺が登場します。フェレイラは、17世紀の日本に実在した人物で、日本で布教活動をしていたイエズス会のポルトガル人宣教師。徳川幕府の禁教令によって捕らえられ、厳しい拷問の末、キリスト教を棄て、日本名を沢野忠庵と名乗り生き続けたのです。フェレイラを師と仰ぐ主人公ロドリゴは、フェレイラがキリスト教を棄てたことを信じられず、緊迫した情勢の中、密かに日本へと潜入。しかし、捕らわれの身となってしまいます。  小説では、ロドリゴが長崎奉行所の役人に連れられて、ここ晧臺寺へとやってきます。転んだ(棄教した)フェレイラと、転んでいないロドリゴが面会する場面! 対極の位置にいる2人によって「棄教のおろかさ」「生きることの意味」「殉教とは」と問答するシーンが、境内を舞台に繰りひろげられます。  また、遠藤周作こと狐狸庵先生が、フェレイラのお墓を探しに訪れた場所でもありました。晧臺寺の裏山には、写真の開祖 上野彦馬、シーボルトが愛した女性 お滝さんと娘の楠本イネなどのお墓があります。  晧臺寺は、歴史の舞台であり、長崎で活躍した人たちに親しまれたお寺なのです。 参考文献 『沈黙』 著/遠藤周作 発行/新潮社 1966年 『旅する長崎学1 キリシタン文化機戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年 晧臺寺HP 取材協力 晧臺寺
  • 長崎くんち 2007年10月10日
    長崎くんち
    〜フォトアルバム〜  10月7日(日)から9日(火)の3日間、長崎の秋を彩る諏訪神社の例大祭「長崎くんち」がおこなわれました。7日に諏訪神社の本宮から、諏訪・住吉・森崎の三体の御神輿が、お旅所(大波止)に設置された仮宮へ下る「お下り」。9日には諏訪神社の本宮へと戻る「お上り」。この3日間におこなわれる「奉納踊」は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。  奉納踊の起源は、1634年(寛永11)に遊女の高尾と音羽の2人が、神前で舞を奉納したのがはじまりといわれています。ちょうど出島の築造が始まったのと同じ年のできごとでした。飾りや衣裳・山車などは時代を反映し、華麗で国際色豊かな長崎の祭りとなりました。  それぞれの踊町(おどりちょう)に出番が巡ってくるのは7年に1度。諏訪神社・お旅所・公会堂前広場・八坂神社などで踊りを披露しながら、各踊町は「庭先回り」として日頃お世話になっている会社などをまわり、玄関先で踊りを呈上します。町を歩くと、この庭先回りに遭遇し、町全体がおくんち一色の熱気にあふれています。だしものに魅せられて、お気に入りの庭先回りについて行く"追っかけ"も登場するほどの賑わいです。  今年の踊町とだしものは、それぞれ町のプラカードといえる"傘鉾"を先頭に、八幡町の弓矢八幡祝い船と剣舞、麹屋町の川船、西濱町の龍船と本踊、興善町の本踊、万才町の本踊、五嶋町の龍踊、銀屋町の鯱太鼓の7町です。今回は、長崎っ子が熱くなったくんちの模様をお伝えするフォトアルバムをお楽しみください。
  • ながさき音楽祭2007「しまの教会コンサート」 2007年09月26日
    ながさき音楽祭2007「しまの教会コンサート」
    〜上五島の皆さんへ感謝を込めて〜  "長崎からはじまる新しい音楽祭「ながさき音楽祭2007」"が、県内各地をステージに繰り広げられているこの秋(9/4〜10/28)。 「育てる」「創る」「楽しむ」「賑わう」をテーマに、日本のトップアーティストや地元長崎の演奏家たちが贈る"音楽の祭典"の2ヶ月間です。 期間中、教会や酒蔵、美術館といった長崎らしいロケーションでのコンサートをはじめ、ヤングマーチングパレードやセミナー・講座など、各地で音楽が奏でられます。  9月15日(土)と16日(日)には、新上五島町にある美しい教会を会場とした「しまの教会コンサート」が開催され、神聖な空間に若いアーティストたちの澄んだ音色が響きました。  今回は、とっても素敵で幸せな時間を過ごした「しまの教会コンサート」の模様を、上五島の皆さんへの感謝の気持ちとともに、お届けします。  台風11号の接近で天候が心配されるなか、「しまの教会コンサート」のメンバー6人は、新上五島を訪れました。  ピアノの江川敦子さん、ソプラノの松下知子さん、フルートの村中彩也花さん、クラリネットの小田智子さんの4人と、県庁のスタッフ2人。 演奏者の4人は、初めての上五島とあって、ちょっとワクワクドキドキです。 アウトリーチ編〔第1日目(9月15日(土))午前〕  第1日目の午前中は、鯨賓館のホールを会場に、小中学生のみなさん約30人と一緒に音楽を楽しみました。  4人のお姉さんが、音楽祭のお揃いのポロシャツで登場。 それぞれ、楽器の特徴や音が出るしくみなどをわかりやすく説明し、曲を演奏します。  フルートの村中さんは「みんなにペットボトルを持ってきてね」とお願いしていました。 何をするのかな? 実は、ペットボトルを使って、音が鳴るように息を吹き込む体験をしてもらいました。  クラリネットの小田さんは、楽器をバラバラに収納したケースから部品をひとつずつ取り出して、組み立てながら説明。 リードが信じられないくらいの早さで振動して音を出しているという話にみんなビックリでした。  ピアノは誰でも見たことがある楽器ですが、意外と知らなかった!江川さんは3つのペダルがどんな役割をしているか、子どもたちをピアノの周りに集めて、どこが動いているのかじっくり観察してもらいながら紹介してくれました。  最後に松下さんが登場。あれ、楽器を持っていない!? そう、声です。 コーラス部の小学生のみなさんは、どうすればしっかり声を出して歌うことができるのか興味津々。 頭のてっぺんから出ているようなきれいな声と声量に、みんな聞き入っていました。  最後は、みんなで「千の風にのって」を大合唱。 指揮者として初デビューの県スタッフE氏も大はりきりでした。 中ノ浦教会コンサート編〔第1日目(9月15日(土))夜〕  第1日目の夜は中ノ浦教会でのコンサート。 午後2時には教会に到着。 入り江の水に姿を映す中ノ浦教会のロケーションに感動しながら教会の中へ。 赤い花のデザインが可愛らしく、神聖な中にもホッとさせてくれる優しい感じの教会です。 しばしその雰囲気を味わったあと、早速リハーサルを開始。 台風接近のせいか、異常なまでの蒸し暑さの中で、4人の演奏家たちは汗だくになりながらも、聖堂の広さや天井の高さ、床のじゅうたんなどに微妙に影響される音の響きを確認しつつ、本番までの時間を惜しんで練習です。  夕方6時30分開演。午前中のアウトリーチに参加していた子どもたちも来てくれています。 知っている顔があるのは嬉しいですね。 第一部は、フルート、クラリネット、声楽、ピアノと、それぞれの音色をソロでお聴きいただき、第二部ではアンサンブルを楽しんでいただきました。 クラシックということで眠たくなるかなと思った方もいたかもしれませんが、どこかで聴いたことのある曲がたくさんあって、リラックスした雰囲気のなかで聴いていただけたのではないでしょうか。 教会の雰囲気にもぴったりあった曲目で、厳かながらも心地よい空気を創り出していました。  この日は、実は4人のなかのひとりの誕生日。思い出深い一日となりました。 蒸し暑いなか、最後まで聴いて、あたたかい拍手を送ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。 青砂ヶ浦教会コンサート編〔第2日目(9月16日(日))〕  第2日目は青砂ヶ浦教会でのコンサート。 到着すると、日曜日の朝のごミサがあっていて、窓から聞こえてくる祈りと聖歌に心があらわれます。 昨夜の中ノ浦教会とはまた違った、レンガづくりで荘厳なイメージの外観です。 曇りの天気にもかかわらず、中に入るとステンドグラスがやわらかな光を映しだしていました。  この教会は、もうすぐ100年を迎える歴史のある建物で、国の重要文化財に指定され、世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の候補にもなっています。 キリスト教が弾圧された禁教時代、約250年もの長い間、迫害に耐え、県内各地に潜伏していたキリシタンたちは、1865年の大浦天主堂での信徒発見後に次々と信仰を表明し、貧しいなかにも喜びのうちに信仰の証として、手づくりの教会を建てたのです。 こんな劇的な歴史性を背景に、今も信者の皆さんの手によって守られ、祈りの場として息づいている教会のすばらしさに、4人の演奏家たちの緊張も高まります。  リハーサル中に、帰りを予定していた午後の長崎行き高速艇の欠航が決定。 時間を気にすることなく演奏に集中できて、かえって良かったかも・・・。 ちょっと嬉しい足止めです。 でも、ときおり降る大雨にお客様の出足が心配。 4人の演奏家たちは昼食の時間も惜しんで、ギリギリまで練習を続けていました。 開演30分前、まだリハーサルが続く会場に、お客様が入り始めました。  お昼1時30分開演。 会場は満席。 聖堂内に、ナマの音と声が、演奏家の息づかいとともに響きわたります。 アヴェマリアに涙している方もいらっしゃいました。 じっと聴き入ってくださる優しい顔も見えました。 最後は、会場の皆さんも一緒になってアメージング・グレイスを大合唱。 みんなの心がひとつになって、そしてみんなの声がハーモニーとなって、なにか不思議な一体感に教会が包まれ、感動のうちにコンサートが終わりました。  思いがけず、高校生たちから花束を贈られた4人の若き演奏家たちの笑顔は最高に輝いていました。 忘れられない「しまの教会コンサート」となりました。 神父さま、信者のみなさん、そしてあたたかく迎えてくださった上五島の皆さん、本当にありがとうございました。 参考資料 ながさき音楽祭2007
  • 浦上そぼろを作ろう! 2007年09月12日
    浦上そぼろを作ろう!
    −キリシタン文化が生んだ郷土料理−  キリシタンの里「浦上村」で、ポルトガル人の宣教師は信徒たちに"肉を食べる"という習慣を伝えました。 それを知った村の人たちは、長崎人の味に合うように豚肉を油炒めにした料理「浦上そぼろ」をつくったようです。 「そぼろ」とは方言で千切りの油炒めのこと。 母から子へと代々受け継がれた家庭の味となって、長崎っ子に親しまれている郷土料理となりました。  そういえば、「浦上そぼろ」は、長崎の学校給食の献立にも登場します。 小学生のころ、「どうして"浦上そぼろ"って言うんだろう?」と、疑問に思いながら給食を食べていた記憶がよみがえりました。 「懐かしい!」という声も聞こえてきそうですね。  さて、浦上そぼろは豚肉を使いますが、日本ではいつ頃からお肉を食べる習慣があったのでしょう?  豚肉好きの人物として、江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜は有名です。 ニックネームは「豚一さま」。 すこぶる豚肉が大好きだったことから呼ばれたあだ名ですが、慶喜が豚肉を食べていたのは江戸末期。 一般的に広く庶民の口に入るようなったのは明治維新後の19世紀後半のことだそうです。  もともと豚肉は唐船によって日本に持ち込まれ、豚の飼育が始まったのは室町時代からです。 日本人は全くお肉を食べなかったのではなく、一般庶民にはなかなか口にするのは難しく、お肉を食べるという習慣が根付きませんでした。  しかし、南蛮船がやってきた16世紀頃から、異文化到来の影響で日本人の食の習慣も少しずつ変化していきます。 当時の手紙や日記に記されたお肉の記述を、ちょっとピックアップしてみましょう。  平戸では、1559年ポルトガル人の司祭バルタザール・ガーゴの手紙の中に、信者から豚肉(たぶん塩漬けの豚)を貰ったという1文があります。 また13年後の1612年、イギリス商館ジョン・セーリスの日記には、平戸で豚の飼育と食用肉の販売がおこなわれていた様子が書かれています。  長崎では、ポルトガル船が港に停泊していた1600年代の初め、教会が建ち並ぶ長崎の町にはパンを焼く人、牛肉をさばく人、中国から持ち込まれた野菜や鶏など、海外の食文化が集まり、活気に満ち溢れていました。 きっと南蛮料理の美味しそうなにおいが漂っていたことでしょう。 さらに時は江戸へと移り、長崎代官 高木氏の頃、津山藩(現在の岡山)の蘭学者の箕作阮甫(みつくり げんぽ 1799-1863)が嘉永6年(1853)に長崎を訪れました。 その時の日記に、「さすが長崎の豚肉は江戸の豚肉とは大いに異なり美味にて柔らかなり。 …中国・オランダ人のために豚を土地の人々が長年飼育につとめたからであろう。」と書かれています。 この時、阮甫は「ソボロ烹を食べたい」とも話したそうです。  地域の歴史を背景に持つ郷土料理。 さてお味の方はどうでしょうか!? さっそくチャレンジしてみましょう! 材料:2人前 豚肉 (薄切りのバラ肉) 20g 揚げかまぼこ 1/7枚 (10g) 糸こんにゃく 1/4袋 (40g) もやし 1/4袋 (50g) ニンジン 1/6本 (20g) ゴボウ 1/10本 (30g) 油 少々 (0.6g) 濃口しょうゆ 小さじ2/3 (4g) 砂糖 小さじ1 (2.8g) みりん 少々 (1g) 酒 少々 塩 少々 白ゴマ 少々 作り方 (1)料理の下ごしらえをしましょう。 ニンジンは長さ約3〜4僂寮蘋擇蝓F撻丱蘰・揚げかまぼこも千切りにします。 食べやすい長さに切った糸こんにゃく・ささがきにしたゴボウ・もやしは、熱湯にひとつまみの塩を加えて軽く茹で、ザルにあげて水気を切ります。 (2)材料を炒めましょう。  鍋に油を入れて熱します。 豚バラ肉を先に入れ、ゴボウ・ニンジン・糸こんにゃく・揚げかまぼこ・もやしと、煮えにくい順番に炒めます。 (3)味付けをしましょう。 濃口しょうゆ・砂糖・酒・みりんを加えてさっと煮ます。 お好みで味をととのえましょう。 (4)盛り付けて完成です! 器に盛り付けたら、白ゴマをパラパラと散らしてできあがり。 もやしとゴボウの香りがたまりません! さぁ、いただきます! ★調理のポイント★ もやしはシャキシャキっとした食感を残しましょう。 もやしは、中世のころ、中国から長崎へとやってきました。 もやしは長崎料理に欠かせない野菜です。たっぷり使いましょう。 下ごしらえ(1)で一度茹でると野菜のアクがとれて、炒めるときに余分な水分がでません。 また、調理の最後に火を止めてごま油を加えてもおいしいですよ。 おためしあれ! 浦上そぼろは、やっぱり西洋と東洋の文化がミックスされた長崎のオリジナル料理なんですね。 海外との貿易で砂糖が輸入されていた歴史の背景から、長崎の味はやや甘め。 惜しみなく砂糖を使ったふくよかな味わいが、長崎のもてなしの料理です。 浦上村では人びとが集まるときに、この浦上そぼろをつくっていたそうで、そのおいしさが話題にのぼったようです。  伝えられてきた郷土の味と手料理のもてなしの気持ちを大切にしたいなと思いながら、できあがった「浦上そぼろ」をみんなで美味しくいただきました。 ごちそうさま!! 参考文献 長崎県教育庁体育保健科「長崎の郷土料理(学校給食レシピ)HP 長崎県栄養士会 「長崎の西洋料理-洋食のあけぼの-」 著者/越中哲也 発行/第一法規出版 1982年 「長崎学・續々食の文化史-食文化をたずねて-」著者/越中哲也 発行/長崎純心大学博物館 2002年 「長崎市史 風俗編」 著者/古賀十二郎 「徳川慶喜家の食卓」 著者/徳川慶朝 発行/文藝春秋 2005年
  • 人形劇『本蓮寺の南蛮井戸』 2007年08月22日
    人形劇『本蓮寺の南蛮井戸』
    −消えた教会−  かつて、「サンジョアンの町」と呼ばれた長崎の筑後町。 今、日蓮宗聖林山本蓮寺が建っている場所には、そのむかし、サン・ジョアン・バウチスタ教会とミゼリコルディア(慈悲)の組が運営するサン・ラザロ病院がありました。  敷地の一角には生活に欠かせない大切な井戸がありました。 豊臣秀吉の伴天連追放令とともに下された教会の破壊命令と徳川幕府の禁教令によって、教会も病院も壊滅されてしまいますが、この南蛮井戸だけは、キリシタン時代の教会を偲ぶ遺構として現在でも大切に残されています。  このお話を「ながさき子ども劇場」の皆さんが、人形劇『本蓮寺の南蛮井戸−消えた教会−』として上演しました。 今回は、この人形劇をとおして16〜17世紀の長崎の歴史を紹介します。 上演台本は、「ながさき子ども劇場」の許可を得て、読みやすくリメイクしています。 <台本の構成> 第一場面 「栗拾い」 第二場面 「約400年前の長崎へとタイムスリップ!?」 第三場面 「まくらがえしの間」 第四場面 「もとの時代へ戻る」 登場人物   第一場面 「栗拾い」 【場面】 長崎駅を降りて、向かいに見える立山の裾野一帯を筑後町といいます。 この斜面の港を見下ろす高台に日蓮宗のお寺「本蓮寺」があります。 中庭には、お寺が建立される以前からあるという約400年前の「南蛮井戸」が今なお大切に保存されています。 今回は、その井戸にまつわる歴史の物語をお話ししましょう。 季節は、紅葉の美しい秋のある朝のこと。 本蓮寺の和尚さんは、落ち葉を竹ぼうきで掃きながら庭の掃除に精を出していました。 【舞台】 和尚 「皆さんおはようございます。わしゃ、見てのとおり、この寺の和尚でな。毎朝井戸のまわりを掃除して、お経をあげる事がわたしの仕事でな。 南無〜南無〜南無〜。」 男の子・女の子 「おはようございまーす。」 近所の男の子と女の子が寺の裏山に向かおうとしていたところを、和尚さんがふたりを呼びとめました。 和尚 「はい、おはよう。あっ 待て待て! どこへ行く?」 男の子 「山だよー。」 女の子 「裏山の栗の木に、栗がいっぱいなってるのー」 和尚 「だめじゃ、だめじゃ。勝手にいったらいかん。それに、あぶないでのー。」 男の子 「大丈夫、大丈夫! 和尚さんにも、あとで栗をあげるからねー!」 和尚さんは考えました。 和尚 「はて裏山に、栗の木なんぞあったかな?」 一瞬不審に思いましたが、そう気にはとめず、ふたたび井戸の方へと向かい、お経を唱え始めました。 和尚 「ホー、いい天気だ。栗拾いに行った二人の子どもたちは、大丈夫かのー。」 すると、裏山の方から和尚さんを呼ぶ子どもの声が聞こえてきました。栗拾いに行った二人が戻ってきたようです。 男の子・女の子 「おしょうさまぁー、おしょうさまぁー。」 女の子 「おしょうさまぁー、ほら栗よー♪」 二人は待ちきれず、崖の上から両手に持ったかごのなかの栗を和尚さんに見せます。 男の子 「ホラ、ホラ、栗がいっぱいだよー♪ あっ、あっ、あーっ!」 和尚 「ややっ、危ない!!」 あらあら、男の子が持っていたかごをあやまって落としてしまいました。せっかく拾った栗が、なんと和尚さんの頭をめがけてコロコロ、コロコロ。和尚さんは、目をまわしながら、井戸のそばへと倒れてしまいました。 和尚 「あいたたたたたー。」 男の子・女の子 「おしょうさまー!」 あわてて和尚さんのそばにかけ寄ろうとした二人も、崖から転がり落ちて、一瞬気を失ってしまいました。 男の子・女の子 「あーん、痛かったー。」 イガイガのトゲがいっぱいの栗を頭からかぶった和尚さんも、井戸のそばで頭をさすりながら、 和尚 「あー、いたっー。」 男の子・女の子 「おしょうさま、だいじょうぶ? おしょうさまーっ。」 その瞬間、どこからともなく教会の鐘の音がカランコロンと聞こえてきました。 そして、髭を生やし胸には十字架のペンダントをした見知らぬ男性が、3人のもとへと駆け寄ってきました。 神父 「シーッ!静かに。おやッ? どなたかな? どうなされた? おや、おや。擦りむいているではないか? 誰か急いで薬をもって来なさい。」 着物の女の子 「はーい。」 神父 「大丈夫ですか?」 しばらく気を失っていた3人は、見覚えのない周りの風景と見知らぬ人の登場に戸惑いながらも、どうにか答えました。 和尚 「ありがとうございます。あれ ここはどこです? 寺は、本蓮寺はどうした?」 男の子 「えっー、ここは どこ?」 女の子 「ここ、どこなの?」 第二場面 「約400年前の長崎へとタイムスリップ!?」 【場面】 今から約400年前、長崎は、わが国で一番のキリシタンの町でした。 本蓮寺のあったところから長崎県庁あたりにかけては長い岬になっていました。 美しい海岸線に沿うように、教会がたくさん建ち並んでいました。 本蓮寺は、サン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院の跡に建てられたお寺です。 ここは、その教会。 和尚さんと男の子と女の子の3人は、栗がぶつかったり、崖からすべって転んだりした拍子に、井戸のそばでタイムスリップしてしまったのでした。 【舞台】 傷の手当てをしてもらった和尚さん。 神父 「これでよし! 大丈夫ですか?」 着物をまとった男の子や女の子が言います。 着物の男の子 「僕たちも、転んだ時はこの病院で薬をつけてもらうんだ。お腹痛いときもここに来るんだよ。」 着物の女の子 「おじいちゃんやおばあちゃんもここに来て治してもらうんだよ。」 男の子 「ふーん。」 女の子 「ここ病院みたいだね。」 神父 「ところで、この辺りでは見かけない方たちですが。まっ、いいです。一緒に朝のお祈りをいたしましょう。今日一日、みんなが元気で過ごせますように。アーメン。」 着物の男の子 「あー、お腹すいた。」 着物の女の子 「ご飯だ、ご飯だ!」 神父 「あなたたちもどうぞ。ほかの子どもたちもお腹をすかせて待っていることでしょう。」 女の子 「子どもたち?」 神父 「はい。この教会には、お父さんやお母さんと一緒に暮らせない子どもたちが、みんなで生活しているのですよ。」 着物を着た男の子・女の子 「神父様ぁー、はやくぅー。」 神父 「はい、はい。」 すっかり変わってしまった景色と周囲の見知らぬ人たち。この不思議な現象に納得のいかない和尚さんは、神父さんを呼びとめて尋ねました。 和尚 「あのぉー、この井戸は?」 神父 「この教会の井戸ですよ。子どもたちがたくさんおりますので、水もたくさん必要なのです。」 「かーごめ、かーごーめ…。」教会の鐘の音が町中に響き、子どもたちが遊ぶ元気な歌声が聞こえてきました。 着物の女の子 「今度は、かくれんぼして遊ぼうよ。」 木に両腕を伏せて数をかぞえはじめました。 着物の男の子 「もーいいよー。」と言いながら井戸の中へと隠れます。 空がオレンジ色に染まった夕暮れに、どこからともなく、ほら貝を吹く音が聞こえてきました。 着物の男の子 「アッ!南蛮船がやって来る合図よ。」 着物の女の子 「南蛮船が来たー。港へ行こうー!」 和尚さんと男の子と女の子は、着物を着た子どもたちの後を追って、様子をうかがってみることにしました。 しばらくすると、テレビの時代劇で見るような服装のお役人さんがやってきて、民衆の前で徳川家康から発布されたというおふれを読み上げました。 役人 「よっこらショッと。おっほん。みんなよぉーく聞けぇー。 『スペインやポルトガルから来た南蛮人は、わが国を奪って自分たちのものにしようとしている。 そのような者たちが教えるキリスト教を絶対に信じてはいけない。この命令にそむいた者には、すべてに罰をあたえる。 徳川家康。』 以上、よいか、わかったな! どっこいしょと。」 大きな声で偉そうにした役人は、その場に立て札を立てて行ってしまいました。 1614年、徳川家康は禁教令を発布して長崎に建っている教会の破壊を命じました。長崎の美しい教会が次々と焼き払われ、キリシタンたちは行き場を失っていきました。 着物の男の子 「こっち、こっち。」 着物の女の子 「待って。大事なものは、井戸の中へ!」 着物の男の子 「大事なものは、井戸の中へ!」 子どもたちはこう言いながら、手に持っていた袋を、教会にある井戸の中へと投げ入れました。 その様子を不審に思ったお役人さんは、井戸へと駆け寄ってきました。 役人 「なんだ、何をやっているんだ?」 井戸をのぞきこんで、怖い形相で追いかけてきました。 和尚さんも男の子も女の子も、お役人さんに捕まらないようにと、一目散に逃げました。 サン・ジョアン・バウチスタ教会とサン・ラザロ病院も、命令どおりに壊されてしまいました。 役人 「おっほん!みんなよぉーく聞けぇー! この度、このサン・ジョアン・バウチスタ教会のあった場所に、寺を建てることになった。 村の者たちは一生懸命に働くようと、おかみからのおいいつけじゃ。寺の名前は、本蓮寺とする。」 第三場面 「まくらがえしの間」 【場面】 こうして、教会の焼けた跡地に建てられた本蓮寺。 井戸の隣の部屋「まくらがえしの間」では、夜な夜な、ある摩訶不思議なことが起こるのでした。タイムスリップしてしまった3人にも、やっぱり・・・! 【舞台】 夜の読経を終えた和尚さん、遊びつかれた子どもたちは、「まくらがえしの間」へと向かい寝床に着きました。 和尚 「そろそろ寝るとしよう。」 男の子・女の子 「はーい。和尚さま、おやすみなさーい。」 しばらくすると、不気味な風の音とともに、どこからかうめき声みたいなものが聞こえてきました。 和尚さんも、一緒に寝ていた男の子も女の子も恐ろしくなって、「ぎゃー。」と叫んでしまいました。 男の子 「なんだ なんだ?」 女の子 「なんか、今動かなかったー?」 和尚 「うおー、寝ていた向きが反対になってるぞー!」 お互いをよく見ると3人とも逆向きです。 驚いた3人は「みんなだ!」と叫んで、一斉に布団にもぐり込んでしまいました。 不気味な風の音もうめき声もなかなか鳴り止みません。隣の部屋で寝ていた小僧さんも、震えながらやってきました。 小僧 「この部屋、やっぱり怖いよ〜。」 男の子 「エッ、なんでー?なにがー?」 女の子 「ねえ、井戸のほうから何か聞こえるよ。」 そして、起きあがった3人がおそるおそる井戸に近づいてみると、落雷のように凄まじい音とともに辺り一帯がピカッと光りました。 「きゃー!」 第四場面 「現代に戻る」 【舞台】 和尚さんと男の子と女の子の3人が、最初にいた本蓮寺の井戸のそばに倒れています。 井戸のまわりには、栗が散乱しています。現代へと戻ってきたのです。 崖から滑り落ちた男の子と女の子が先に気がついて、横を見ると、和尚さんが目を回して倒れていました。 女の子 「おしょうさま。しっかりしてー。」 和尚 「う〜ん。あいたたたたた。」 和尚さんも気がついて、竹ぼうきを拾い、起きあがりました。 男の子 「あー、びっくりした。石につまずいたみたい。」 女の子 「ねえ、今、井戸の中がピカッと光らなかった?」 男の子と女の子は顔を見合わせて、おそるおそる井戸の中をのぞき込みました。でも何ともありません。 和尚 「寺の栗など、取るから、ばちがあたったのじゃ。さぁさ、一緒にお参りじゃ。南無〜南無〜南無〜南無。」 男の子と女の子は、和尚さんのお経にあわせて、一緒にお参りしました。 男の子・女の子 「はーい。南無〜南無〜南無。」 ずっとむか〜し、長崎がキリシタンの町だったときも、キリスト教を信じてはいけないと禁教令が出たときも、むごくて悲しい殉教の町へと変わっていったときも、原爆でなにもかもが無くなったときも、本蓮寺の井戸はその長い歴史をずっと見てきました。 そしてこれからもこの南蛮井戸は、歴史を見守っていくことでしょう。 おしまい ◎協力(台本提供、ビデオ提供・人形の写真など):ながさき子ども劇場 ながさき子ども劇場 "子どもに夢を!たくましく豊かな創造性を!!" 「ながさき子ども劇場」は、子どもたちの健やかな成長のために結成された会です。 プロの舞台鑑賞をはじめ、キャンプやあそびの会・バザーなど、みんなで企画した様々なイベントを親子で楽しんでいます。 こうした活動をとおして、子育てで悩む親や思春期で悩む子どもたちが話せる関係をつくるきっかけになったり、お互いに話し合える場になったりしながら、地域での子育て支援やネットワークづくりにも役立っているそうです。 1967年に創設した「ながさき子ども劇場」も今年で40周年を向かえ、親から子、孫へと世代を越えたつながりを大切にしながら活動しています。 所在/長崎市大黒町4-26北村第一ビル302号 お問い合わせ/TEL/095-825-0533 FAX/095-825-6151 開局日/月・火・木・金の10:00〜17:00 メールアドレス/sukisuki@bird.ocn.ne.jp ホームページ/ http://www5.ocn.ne.jp/~n.kogeki/ 会費/入会金…200円。1ヶ月1,300円(4歳以上) 入会の手続き/「入会申込書」に必要事項をご記入のうえ、入会金と会費を添えて、お近くの会員か事務所までお持ちください。 アクセス/JR長崎駅より徒歩で約5分。 県営バスターミナルの脇道を通り、突き当たりを右折、ナガサキストアのある北村第一ビルの3階。