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平戸“はじめて”物語

平戸“はじめて”物語

平戸

 東シナ海の海上交通の要所として海外交易の拠点となり、かつて国際貿易港として栄えたまち「平戸」。その相手国は時代とともに中国、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと変わっていきますが、鎖国の前までは外国船が入港する賑やかな港でした。

南蛮船
南蛮船

 異国の船が運んできた珍しい品々に、平戸っ子だけでなく、貿易めあてに集まってきた京や堺の商人たちもびっくり驚いたことでしょう。輸入品のほか、外国人の習慣や風習、愛用品なども初めて目にするものばかり。 さあ、ここに日本人の好奇心が全開! 新しいものを生み出す原動力とエネルギーもみなぎったにちがいありません。  ワールドワイドな平戸の港に何が運ばれてきたのか!? これら舶来品の数々は、今でこそお馴染みのものかもしれませんが、それだけに身近でおもしろいはず。ということで、今回は「平戸“はじめて”物語」を、お国別にみていきます。

ポルトガル

 1550年、平戸にポルトガル船が初めて入港。のちに開港した長崎港への来航は1571年だから、20年も早かったんですね。ポルトガル船が運んできた“はじめて”は、「食」に関するものが圧倒的。南蛮貿易によって400年以上も前に伝えられた異国の味ですが、その料理やお菓子の名が日本語として定着しているものの多いこと! いまさらながらビックリしてしまいました。

パン

 まずはパン。語源はポルトガル語です。南蛮船の商人や船員たちの食糧として欠かせないものであると同時に、彼らが信仰するキリスト教のミサに使う「パンと葡萄酒」はなくてはならないものでした。南蛮船に乗って一緒にやってきた宣教師たちは、平戸でも熱心な布教活動をおこないましたから、キリシタンとなった平戸の人たちは、当時日本にはなかったパンや葡萄酒を口にしたことでしょう。その後パンは、南蛮人やキリシタンが多い平戸や長崎では盛んにつくられたそうですが、日本人の主食となるほどは広まらず、キリスト教禁教とともに一般にパンを食べることも禁じられたため、西洋直伝のパンづくりも行われなくなってしまいました。

葡萄酒

 さて、なんといってもポルトガルの甘いお菓子が入ってきたことは、日本の食文化を一変させる出来事だったのではないでしょうか。はるばるやってくる南蛮船には料理専門の船員さんたちがいて、港に停泊中の異国の船からはきっと甘〜い香りが漂っていたんじゃないかと想像してしまいます。これって商売上手な外国人商人たちの商品戦略のひとつでは!?。「砂糖があれば美味しいお菓子がたくさんできるよ」って、輸出品の砂糖が売れるように、日本人にアピールしていたのかもしれませんね。

カスドース

 カステラのルーツは、「パン・デ・ロー」とよばれるポルトガルのお菓子で、丸い形をしたシンプルなスポンジケーキ。現在のカステラとは形も味も異なります。スペインのカスティーリャ王国に由来するその名前だけを残し、砂糖を豊富に手に入れることができた長崎の菓子職人たちによって、長崎らしい独自の「カステラ」が生まれたのです。
平戸の「カスドース」もポルトガル語にすると「甘いカステラ」。カステラのスポンジを卵黄に浸して高温の砂糖蜜で揚げ、仕上げにグラニュー糖をまぶした甘いお菓子です。
織田信長が大変喜んだという瓶詰めのコンペイトウ(金平糖)。ルイス・フロイスの『日本史』にそのことが記されています。語源はポルトガル語のコンフェイト。星のような凸凹が不思議なかたちで、見た目もかわいらしい金平糖、16世紀のポルトガルには魚や貝のかたちをしたものもあったそうです。

アルヘイトウ

 ポルトガルから伝わった食べ物はまだまだたくさんあります。焼菓子のボウロ、砂糖菓子のアルヘイトウ、ポルトガル船の常備食だったビスケット、もともとは南蛮菓子として伝わったものが家庭料理に変化したヒロウズ(飛龍頭)、南蛮料理のヒカドやテンプラなどなどです。

「日本最初のたばこ種子渡来の地」の碑
「日本最初のたばこ種子渡来の地」の碑

  そういえばタバコ(煙草)も舶来品。平戸城の敷地内に「日本最初のたばこ種子渡来の地」の碑があります。今でこそ体に害のあるものとして愛煙家にとっては肩身の狭い世の中だけど、昔は薬用として喫煙され、1601年にマニラから平戸港に入ったポルトガル船によってその種子が伝えられ、徳川家康に献上されたといいます。
ちなみに、長崎市の春徳寺の手前に「煙草初植地」の碑があります。ここはもともと、長崎で最初の教会「トードス・オス・サントス教会」があった場所ですが、なんと煙草の栽培がおこなわれていたそうです。禁教令によって教会が破壊されたあとに建った春徳寺でも栽培は続けられ、「長崎煙草」「桜馬場タバコ」と呼ばれる長崎ブランドのお土産として江戸や大坂で楽しまれたんですって。

オランダ
ネールビール

 続いてオランダ。1609年にオランダ船が平戸に入港し、日本初のオランダ商館ができました。倉庫や住宅なども建ち並び、その外観を彩りよく飾ったのが、日本ではじめて使われたペンキだと言われています。建物に色を塗るなんて感覚は、きっと当時の日本人には珍しかったことでしょう。
また、大航海を続ける船には医者も乗船していました。平戸の嵐山甫庵はオランダ人から西洋医学を教わり、蘭学の先駆者となりました。その時の史料が平戸観光資料館に展示されています。  また、松浦史料博物館に併設されている喫茶「眺望亭」では、当時のレシピをもとに再現したお菓子カネールクウクKanelkoekが楽しめます。カネールはシナモン、クウクはケーキ。シナモン味の素朴なクッキーです。出島のオランダ商館で行われた「阿蘭陀正月」にも出されたお菓子だそうです。

イギリス
ビール

 お次はイギリス。1613年にイギリス船「グローブ号」が平戸に来航しました。その船内にはビールが積まれていたと『セーリス日本渡航記』に書かれています。日本にもやってきたこのビールは、17世紀のイギリスではちょうどホップが普及しはじめた時代と重なります。平戸の港へタイムスリップしたら、こんな声が聞こえてきそう…。
イギリス人「どうかねこの砂糖、この値段で買わないかね。大坂でヒットするよ。」 堺の商人「せやけど、もう少しまけてもらわんと、かなわんわ。」
イギリス人「しょうがないなー。ちょっと安くします。」 堺の商人「商談成立!明日には荷を運ぶさかいによろしゅう。」 イギリス人『商談がまとまったところで、ビールで乾杯しますか!カンパーイ。」 堺の商人「大仕事の後の一杯はたまらん!大坂でもこのビール、流行るかな?これ、なんぼ?」

中国
禅と茶

 西洋との貿易で繁栄した時代よりも、もっと以前から中国船が行き交っていた平戸。遣唐使の寄港地のひとつとして、空海や栄西なども平戸を訪れました。臨済宗の栄西がもたらしたのは茶道の基本となる教え「禅と茶」。栄西は、この地で最初の禅規を行い、宗から持ち帰った優良な茶の種を冨春園に蒔き、製茶や喫茶(抹茶)の方法を伝えたそうです。
のちに平戸藩主松浦鎮信が武家茶道「鎮信流」を打ち立てますが、こうしたベースのある風土ならではかもしれませんね。

 国際貿易港として、いろいろな国々との交流があった地だからこそ、“はじめて”がいっぱいの平戸。海外交流の窓口として栄えた平戸の歴史をあらためて感じました。

参考資料
  • 『旅する長崎学1 キリシタン文化機戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社
  • 『『歴史とロマンの島 平戸』パンフレット 平戸市観光商工課


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人物
  • 茶を伝えた栄西
  • ルイス・フロイス
歴史事件
    資料
      場所
      • 平戸観光資料館
      • 平戸城
      • 冨春園・冨春庵跡
      • 松浦史料博物館
      その他
      • 鎮信流ってどんな流派?
      • 南蛮人

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