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外海と五島をつなぐ「温石」

〜キリスト教の信仰を守る生活のツール〜

聖ヨハネ五島像の台座にはめ込まれた温石(水ノ浦教会) 撮影/犬塚明子

 第9回で紹介した"長崎巡礼センター"のインタープリターとして活動している犬塚明子さんにインタビューしました。彼女は、長崎にある教会堂を調べていくなかで、「温石(おんじゃく)」と呼ばれる石と、新たな出会いをしたそうです。
温石」とは、結晶片岩に分類される天然石です。暮らしに役立つ道具として、日本の生活のなかで古くから様々な用途に使われていました。カイロ(懐炉)のない時代、寒さをしのぐために、火や熱湯で暖めた温石を布などでくるみ、懐に入れて体を暖めていました。さらに、患部を温めて血行を促進しながら治療する温熱療法にも使われました。また、禅宗の僧が、胃の部分に温石を当てて空腹をしのいだことから、茶の湯では、茶会で客人をもてなす「懐石料理」の由来にもなっています。

 犬塚さんが外海(そとめ)と五島で出会った、同じ「温石」。海を越えて点在する石を結ぶ先には、いったいどのような物語が隠されていたのでしょうか。さっそく、聞いてみましょう!

外海の神話『天地始之事』-テンチハジマリノコト-

外海の風景(遠藤周作記念館より撮影)

 「1614年、徳川幕府が発布したキリスト教の禁教令のもと、外海地方などのキリシタンに語り継がれた『天地始之事』という物語があります。これは、聖書が元になっているようですが、日本の土着的な要素が加わった物語へと変化した内容でまとめられています。外海地方のキリシタンたちによっていくつか書きとめられています。現在残されている資料の一部を少し読みました。

 その中に、禁断の実を食べるという罪を犯したアダムとエバの子孫が地上に降りるとき、神様に『合石(温石の方言)のある土地を目指して行きなさい。』と言われる場面があるのです。温石というのは、外海地方の地盤を形成する結晶片岩(けっしょうへんがん)という石のことを指しているそうです。

犬塚明子さん

 キリシタンたちが潜伏していた外海は、急斜面で自然条件が厳しく、生活が大変な土地柄で、ある意味、陸の弧島といったところ。そのような場所で、自分たちが必死に信仰を守って生きていけたのは、『神様がそこ(温石のあるところ)に行きなさいと言ったから、ここ(温石のある外海地方)に住んでいる。だから、今は大変だけど、いつかきっといいことがある』と信じることができたからではないか、そういう願いが『天地始之事』にはこめられているのではないかと思いました。」

海を渡った温石(おんじゃく)
水ノ浦教会(五島)長崎県観光連盟

 「温石は、外海地方など西彼杵半島で多く産出される石です。外海地方では、かまどや家の周りの石垣などに用いられてきた生活道具のひとつ。出津(しつ)に暮らす農家の方に温石について尋ねると、畑を掘ったらゴロゴロと出てくるということでした。ノミを入れると簡単に割れることから加工がしやすい石だそうです。
外海地方の出津出身の故・田中千代吉神父さまの話を書きとめたものを見ていて、この温石がなんと、海を渡って五島へと運ばれていったということを知りました。 寛政年間に五島藩の要請で、大村藩の人たちが五島へと移住したのです。その多くは秘かにキリスト教を信仰していた農民だったようです。その時、外海の人たちは、五島へ向かう舟に、この温石を乗せて運んだそうなんです。五島列島では温石(結晶片岩)は産出されません。もし五島で温石を見かけたら、それは外海から運ばれてきた石だというのです。

民家の井戸の上に置かれた温石(五島市岐宿町)

 ある日、偶然にも水ノ浦教会堂(長崎県五島市岐宿町)の上にある、昔の水方の(潜伏キリシタンの間でのリーダー的な存在)屋敷に行きました。ここは"五島崩れ"という最後のキリシタン迫害がおきたときに、牢屋となった場所だったんですが、そこで温石を見ることができました。ここに住んでおられる方から、『外海から運ばれた石』として語り継がれていると伺うことができました。1865年(慶応1)、長崎の大浦天主堂において、浦上の信徒がローマからやってきた神父と歴史的な再会を果たすと、五島の人たちも自分たちも信徒だということを伝えたくて大浦天主堂へと向かいます。その時に、水ノ浦のキリシタンも、舟底の重りとして、この温石を再び積んで大浦へと漕いで行ったそうなんです。

 でも、なぜ重たい石を小舟に乗せてわざわざ運んだのかが不思議でした。最近知ったのですが、かつて外海地方の漁師さんは、舟の上で煮炊きをする携帯かまどを『温石』でつくり、舟底や延縄の重り、錨などとして『温石』を利用していたのだそうです。それなら、移住するときに舟で石が運ばれても不思議ではなかったと思いました。

 水ノ浦にあったのは、徳川幕府の厳しい禁教令のなか、"キリシタンの楽園"を夢見て五島を目指した潜伏キリシタンが、200年以上も昔に外海から一度海を渡ってきて、そしてその約70年後に、潜伏から信仰の復活を願って、再び海を渡って長崎へ行き、そしてもどってきた『温石』だったのでした。単に実用品としてそこにあるとは思えません。『信仰の出発点』であり、『神様が約束してくれたふるさと』から運んできた石として、『この場所にある』のだと思えました。
今、『海を渡った温石』のことを外海でも五島でもご存知の方は少ないようです。記憶のかなたに消えかけている石・・・。しかし、きっと、寛政年間に多くの人が"神様が約束してくれたふるさと"の石を運んだのではないかと思うのです。私は、今、キリシタンたちが命をかけて伝えてきた信仰と温石との関わりを追いかけてみたいという思いに駆られています。」

 まったく思いがけないお話でした。石までが長崎のキリシタンの歴史を物語っているとは、新たな発見でした。便利な電化製品や機械などがたくさんある社会になって、自然に対する生活の知恵は忘れ去られていく世の中、私たちの生活に石とのかかわりはあまりないような気がします。今回、海を渡った温石のお話を通して、キリシタンの方々の当時の暮らしや思いを垣間見たような気がしました。

DATA

犬塚明子 Akiko Inuzuka

 1956年生まれ。長崎県諫早市出身。長崎市在住。市内の某百貨店の広報担当として勤務。『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社)を担当。 2006年5月『旅する長崎学2 キリシタン文化2』(長崎文献社)、同年11月『旅する長崎学5 キリシタン文化編5』の構成・文を担当。2007年5月から長崎巡礼センターのインタープリターとして活動中

参考文献
  • 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 監修/カトリック長崎大司教区 発行/長崎文献社
  • 『日本思想大系25 キリシタン書 排耶書』 発行/岩波書店
写真提供
  • 「聖ヨハネ五島像の台座にはめ込まれた温石(水ノ浦教会)」犬塚明子
  • 「民家の井戸の上に置かれた温石(五島市岐宿町)」犬塚明子
  • 水ノ浦教会(五島) 長崎県観光連盟


うんちくバンク

人物
  • 遠藤周作
歴史事件
    資料
      場所
      • 大浦天主堂
      • 長崎市遠藤周作文学館
      • 長崎巡礼センター
      その他
      • キリシタンたちが五島へ移住
      • 五島ってどんなところ?
      • 外海ってどんなところ?
      • 水方

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