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「島の館」中園成生さんインタビュー(2)

〜かくれキリシタンと聖人信仰〜

平戸市生月町博物館 島の館 中園成生さん

 生月は、長崎県の北西部にある小さな島です。16世紀中頃、フランシスコ・ザビエルによって平戸にまかれたキリスト教の種子は、生月で開花します。キリシタン文化の繁栄をみながら、迫害と弾圧、脱出と潜伏…と時代に翻弄された歴史を歩みました。生月では、約450年以上を経た今もなお、かくれキリシタンの信仰が伝承されています。
今回は、生月のかくれキリシタンの調査をしながら、歴史の新たな物語を追究する「平戸市生月町博物館・島の館」の学芸員 中園成生さんにインタビューしました。

生月の歴史については、ながさき歴史散歩 第17回「生月を旅する!(1)」(12/5更新)、中園さんがガイドをしてくれた ながさき歴史散歩 第18回「生月を旅する!(2)」(12/19更新)もお楽しみに!

"サン ジュワンさま"の正体は?

サン ジュワンさまが祀られた枯松神社(外海地区) 中江ノ島(生月)

 「外海地区の黒崎にある枯松神社には、サン ジワンさまが祀られています。また、生月では、沖合いに浮かぶ中江ノ島のことを地元のキリシタンの人々はサン ジュワンと呼び、この島で採取した聖水もその名で呼んでいます。
サン ジュワン(サン ジュワンまたはサン ジョアン)と呼ばれ、かくれキリシタンの人々に崇拝された人物とは、一体誰なのでしょうか?

洗礼者ヨハネが描かれたお掛け絵(『生月島のかくれキリシタン』より転載)

 今日の研究では、生月のかくれキリシタンが中江ノ島を聖地として崇めるのは殉教事件が起こったからだといわれていました。しかし半分は正解なんですが、他にも理由があったのです。ミサを行うなかで"サン ジョアン"や"サン セバスチャン"と呼ぶ聖人が登場するように、カトリックでは本来、聖人信仰が盛んです。 "サン"という文字に注目しましょう。"サン"とは"聖"のこと。たしかに中江ノ島で殉教した人物のなかにジョアンという洗礼名を持つ坂本左衛門などがいますが、その中で正式に聖人となっている人物はひとりもいません。実は"サン ジョアン"とは、彼らのことを指すのではなく、ヨルダン川でキリストを洗礼した"洗礼者聖ヨハネ"を指しているのではないか、と考えたのです。
その理由は幾つかあります。ひとつは、キリシタンの時代から存在する聖水信仰です。現在のかくれキリシタン信仰の中で、中江ノ島で採取された聖水は、"サン ジュアンさまの御水"と呼ばれ、神聖視されていますが、昔のキリシタン信者たちも、争うように聖水を持ち帰り、大切に壺に収めて祀り、病気のときに聖水を飲んでいたと宣教師の手紙に書かれています。聖水信仰は、殉教を起源とするものではないのです。

「お花」という行事で、神前に供えられた椿(『生月島のかくれキリシタン』より転載)

 生月の壱部地区のある津元には、絵の中の要素から、洗礼者聖ヨハネの聖画に由来すると思われるお掛け絵が祀られています。このお掛け絵に、春には椿が供えられるのですが、その理由を信者に尋ねると、このお掛け絵の人物は首を刎ねられたから、花が落ちる椿を供えるのだと説明されます。首を刎ねられた聖人といえば、まさに洗礼者ヨハネなんです。サロメという娘が、義理の父であるヘロデ王の前で、綺麗な踊りを披露しました。「何でも褒美を使わす。」と言った王様は、サロメは「洗礼者ヨハネの首が欲しい。」と答え、首が刎ねられたという聖書の物語と、かくれキリシタンの椿の花の伝承は、確実に結びつくのです。

 洗礼者ヨハネ信仰=サン ジュワン信仰が、キリシタン時代から長崎にあったんですね。もともとあった聖水を神聖視する洗礼者聖ヨハネ信仰の聖地としてあった中江ノ島が、殉教によって物語的な変化を来しつつ、かくれキリシタン信仰の聖地となっていったのです」

掛け軸のなかの聖人が持つ道具の意味

パブローさまとして祀られるお掛け絵(『生月島のかくれキリシタン』より転載)

 「カトリックの聖人図には、その人物が殉教したときに関係する品物が多く描かれています。例えば、剣で処刑された人は剣を持って描かれ、弓矢で処刑された人は、矢が刺さった様子で描かれています。

 右写真のお掛け絵は、かくれキリシタンの信者から"サンパブローさま"と呼ばれています。その読み方で解釈すれば、聖パウロの像ということになります。しかし、弓矢を持っているという点に注目すると、弓矢に射られて殉教した聖人ということで、聖セバスチャン(聖セバスティアヌス)という聖人が該当します。聖セバスチャンとは、ローマ時代に矢を射られて処刑された聖人です。その人の聖画にはよく矢が描かれていて、転じて弓矢の守護聖人ともなっています。この人の日本での呼び方がバスチャンで、外海や生月の伝説でも出てきます。恐らくはキリシタン時代から、聖セバスチャン信仰があったんでしょうね。このように、キリシタン時代の聖書などに記された物語が、断片的にかくれキリシタンの信仰の中に取り入れられて伝説化している事例は、他にもいくつか見出すことができます。」

生月の魅力

生月の町並み

 「豊かな自然のなかで、いろんな神様とか仏様とかいろんな信仰が渾然一体となって存在している島です。昔ながらに人と人とが結びついて生きている。禁教、鯨の漁が振るわなくなったり、鯨が取れなくなったり…そんな逆境のなかで、みんなで力を合わせて打ち勝っていく姿は、活力があふれています。そんな生月の島が好きですね。」

"かくれキリシタン"研究のきっかけ

ガスパル西玄可のお墓(生月・黒瀬の辻)

 高校時代に参加した離島調査で、五島列島にある宇久島などを訪れました。フィールドを歩きながら、古くから伝わる伝承を聞いて「面白い!」と思いました。いつしか、島を点々としながら研究する仕事に就きたいと考え、大学では民俗学を専攻。その後、呼子で仕事をしている間に、捕鯨の歴史を研究するようになりました。   かくれキリシタンの研究をするようになったのは、生月に来てからです。他ではほとんど無くなったと言われている貴重な信仰ですから、行事は極力映像などで記録を取り、伝承についても、高齢化が進むなかでしっかりと聞き取りでデータを残していこうと考えています。現在、長崎県では「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産にしようという活動や、生月で殉教したキリシタンの指導者ガスパル西玄可の列福式を2008年に控えていますのでがんばっています。」

 中園さんは、そのほかにもいろんなお話を聞かせてくれました。第32回(12/5更新)では、生月のかくれキリシタンとオラショのお話、第34回(12/19更新)では、海を支配する領主の哲学を考えるお話と3回に分けてご紹介します。次回もお楽しみに!

DATA
中園 成生 Shigeo Nakazono

 1963年生まれ。福岡市出身。1985年に熊本大学民俗学研究室卒業。1993年に平戸市生月町博物館 島の館で学芸員として就任。主な著書に『民具』共著・ろうきんブックレット・1997年、『かくれキリシタンの聖画』共著・小学館・1999年、『生月島のかくれキリシタン』平戸市生月町博物館 島の館・2000年、『くじら取りの系譜』長崎新聞社・2001年。



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      • 枯松神社
      • ガスパル西玄可のお墓
      • 中江ノ島
      • 平戸市生月町博物館 島の館
      その他
      • 洗礼名
      • 椿

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