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古楽器リュートの魅力(1)

〜永田さん&井上さんにインタビュー〜

「リュートを奏でる女がふたり」の永田斉子さん(右)と井上周子さん(左)。

 1582年に長崎からヨーロッパに旅立った天正遣欧少年使節は、1591年(天正19)、長い旅から帰国しました。1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を発布していたため、彼らは「インド副王使節」の一員として日本に戻り、聚楽第で秀吉と謁見しました。そこで西洋楽器による演奏を披露したといいます。4少年が持ち帰ったその楽器は、アルバ(ハープ)、クラヴォ(鍵盤楽器)、ラウテ(リュート)、レベカ(ヴィオール)でした。やさしい音色に魅了された秀吉はアンコールを所望し、演奏を3回も楽しんだそうです。 今回は、リュート奏者として活躍する永田斉子さんと井上周子さんにインタビューしました。このコラムは2回にわけてご紹介します。

リュートという楽器

永田斉子さん

 永田さん「リュートは撥弦(はつげん)楽器のひとつで、弦をはじいて音を出します。アラビアや中近東が起源といわれ、11世紀の十字軍の遠征によって、ヨーロッパへ伝わりました。当時は中近東の方が文明が進んでいたため、リュートは珍重され、それゆえヨーロッパのルネサンス絵画では天使が奏でる楽器として数多く描かれています。ヨーロッパのイギリス・フランス・ドイツ・イタリアなどの、主に宮廷などの貴族階層で、中世からバロック時代の約700年という長い間にわたって親しまれました。今、私たちがピアノやギターなどの独奏楽器、あるいは歌や他の楽器とのアンサンブルを楽しんでいるのと同じように、リュートはその時代ポピュラーな楽器だったのです。」

リュート

リュートの衰退

井上周子さん

 井上さん「リュートは、12〜18世紀にかけて、サロン文化が隆盛をみせた貴族の間で発展しました。18世紀を迎えると貴族が没落。同時に貴族が親しんだ音楽も廃れていってしまいました。また世間では、音量が大きな楽器のニーズが高まりをみせました。リュートは音量が小さな楽器ですので、18世紀になると残念ながら人気がなくなってしまったのです。
1600年代のバロック時代になると、貴族に代わって興行主が劇場を取り仕切るようになりました。音楽は、興行主による商業ベースに組み込まれていきます。フランス革命以降は、サロンで少人数を集めるより、効率よく多くの人たちを劇場に収容するようになりました。劇場でたくさんの観衆に聴こえるように、楽器が改良されて音量がだんだん大きくなっていくんですよ。例えばバロックバイオリンからモダンバイオリンへの変化もそうです。舞台上の歌い手も、小さなサロンから大きなオペラホールに合わせた発声方法へと変化しました。」

リュートの再評価

 永田さん「パワフルなものをよしとする価値観の時代を迎えて、リュートのようなか細い音の楽器は完全に絶滅してしまいました。ベートーベンやチャイコフスキーなどの時代には、もう誰もリュートを弾かなくなったのです。ところが、20世紀初頭になって、音楽学者が博物館に眠っていた古楽器を復元しはじめました。その研究によって、ルネサンス時代のリュートは、心を慰める楽器として、音楽療法のひとつとして用いられていたということもわかりました。イライラがなくなり、眠りがよくなり、メランコリックな心を癒す効果が期待できる楽器なんです。リュートを弾いたり聴いたりすることは、「薬にまさる効果がある」と文献にも書かれているのですよ。
最近では、リラクゼーション、健康ブーム、あるいはロハス的な生き方が注目されています。パワフルなものよりも、日常の疲れに心やすらぐものをという人気から、弾いてみたいと言う人も増えてきています。」

 井上さん「王様は 眠りに就くまでの間、傍らのリュート奏者に演奏させていたのです。」

リュートと出会ったきっかけは?

「弾琴図 Playing the Lyre」1596-1614年慶長期 (長崎歴史文化博物館収蔵)

 永田さん「昨日、長崎歴史文化博物館に行って子供の頃の出来事を思い出したんです。「弾琴図(だんきんず)」という絵画で、当時の南蛮絵師が描いたもの。昔はこの絵画の葉書がありまして、それを子どもの頃に見たことがあるんですよ。最初にリュートという楽器の姿を目にしたのは、その絵画だったと思います。当時の私はクラシックギターを習っていましたから、12〜13歳ぐらいの時だったかな。はじめてこの楽器を見たとき「これは何だろう?」って思ったんですね。
リュートを見て何だか懐かしい感じがするのは、私の前世の記憶かもしれません。」

 井上さん「私は3〜4歳からピアノを始めました。学生だったある日、音楽室にあったブラウトの「オペラ史」という一冊の本がきっかけで、オベラの歴史そのものに惹かれてしまいました。オペラが誕生したのは1607年。ちょうどイタリアの作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの「オルフィオ」が上演された年でした。詩人がハープなどの楽器を奏でながら歌いはじめたことがオペラの起源とする説に惹かれました。生まれたてのオペラは、きっと詩の韻にあわせて伴奏されていたはずなのです。その伴奏に使われた楽器がリュートでした。今度は伴奏のルーツを探っていくと、なんとルネッサンス(ギリシャ時代の文明復興)に起こったオペラの原点にたどり着いたんです。それで、ピアニストになるよりプロの伴奏家になろうと決めました。
昔懐かしいレーザーディスクに収録されていた作曲家モンテヴェルディの「ポッペーアの戴冠」を見てリュートに感動。さらに、高校3年の時にみたフランス映画「めぐりあう朝」の一場面に登場するリュートやビオラ・ダ・ガンバをみて、スパッと進路を決めました。しかし、古楽器をシステマティックに学べる大学が日本になく、リュートを教えてくれる先生もいませんでした。古楽器の歴史背景まで教えてくれるヨーロッパへと留学しました。リュートが存在してたのは18世紀半ばのバッハぐらいまで。楽器としての歴史でいえば、リュート→チェンバロ→ピアノとなります。」

 永田さん「私たちが奏でる楽器は古楽器ですので、その当時の社会や宗教、国同士の勢力争などの歴史の時代背景を解ったうえで、さらに曲を解釈しなくてはいけません。リュートには解明されていない謎の部分もたくさんあります。そこは歴史を学びながらあれこれ推測するしかありません。その当時の空気感というのは、ヨーロッパに行けば今でも感じることができるでしょう。しかし、音楽で行きづまったとき、日本でその空気感を知りたいと思ったら、船にのって平戸に行ってみたりします(笑)。長崎には、平戸のオランダ塀や石畳など当時の面影を残したものが今でもありますから。約400年前の空気感を取り戻して音楽と向き合うと、新しい発見をすることがあります。」

バロック・ルネッサンス時代の音楽の位置づけ

 井上さん当時の貴族や王様の子女たちは、教養のひとつとしてリュートを弾いていました。いわゆるお稽古事です。王様ももちろん習っていました。弾いたり、踊ったり、貴族としてのふるまいを身につけていました。もちろん昔はCDのように便利なものはありませんでしたから、音楽をかけて楽しむことがないわけです! 音楽は全て生音楽。舞踏会などにお客様が来れば、お抱えの楽団で音楽のおもてなしをしていたのです。
だからこそ、録音された音があふれている現代に、ひとつの空間で生の音楽を楽しむことは、お客さんにとっても私にとってもすごく贅沢な時間だと思いませんか。」

興味のある人物は、ガリレオ・ガリレイと天正遣欧少年使節!

 永田さん「ガリレオ・ガリレイ、実は代々続くリュート奏者の家系なんです。当時の人たちは世襲制で親の家業を継いでいました。ガリレオの父は有名なリュートの作曲家であり演奏者、さらに理論家として本まで出版しています。実験的な曲をたくさん書いていて、その血統と性格が息子ガリレオに引き継がれました。リュート奏者としてのガリレオは、父をしのぐほどの腕前だったと言われています。彼の作った曲は残っていませんが、糸の張力や重力などの実験にリュートの弦を使っていたといわれています。しかし、父のヴィンツェンツォ・ガリレイの家業を継いだのは一番下の息子ミケランジョロでした。その息子3人にも家業が受け継がれました。ガリレイ家は代々リュート奏者の血筋だったのです。
その当時は天動説から地動説へという価値観の変化があったので、音楽の変化にも関係があるのではないかと考えています。

天正遣欧少年使節のひとり中浦ジュリアンの像

 永田さん「ガリレオ・ガリレイ、実は代々続くリュート奏者の家系なんです。当時の人たちは世襲制で親の家業を継いでいました。ガリレオの父は有名なリュートの作曲家であり演奏者、さらに理論家として本まで出版しています。実験的な曲をたくさん書いていて、その血統と性格が息子ガリレオに引き継がれました。リュート奏者としてのガリレオは、父をしのぐほどの腕前だったと言われています。彼の作った曲は残っていませんが、糸の張力や重力などの実験にリュートの弦を使っていたといわれています。しかし、父のヴィンツェンツォ・ガリレイの家業を継いだのは一番下の息子ミケランジョロでした。その息子3人にも家業が受け継がれました。ガリレイ家は代々リュート奏者の血筋だったのです。
その当時は天動説から地動説へという価値観の変化があったので、音楽の変化にも関係があるのではないかと考えています。

豊臣秀吉を魅了した西洋音楽

 永田さん「当時の日本人が最初に西洋の音楽を聴いたときに、何に驚いたか、何に新鮮だと感じたのかということをよく質問されます。ひとつの仮説としては、日本の音楽は基本的にひとつのメロディーをみんなで一緒に演奏したりする音楽といえるでしょう。例えば読経や祭りのお囃子や庶民の鼻歌だとか。演奏する人が何人いても、メロディーはひとつ。ところが当時のヨーロッパの音楽のスタイルは、いくつものメロディーが絡み合っている様式です。ですから秀吉が天正遣欧使節の4少年の演奏を聞いたときに何に驚いたかというと、複数のメロディーが織りなす"ハーモニー"です。その和音の響きの美しさに驚き、秀吉は大喜びしたのだと思います。」

古楽器のリュートから読み解く、ヨーロッパの歴史。そして、今から400年以上も前、日本にやってきたポルトガル人の宣教師やヨーロッパを旅した天正遣欧少年使節が、楽器を通じて交流を深めていたという歴史に思いを馳せることができました。次回も、永田さんと井上さんのおふたりに、リュートの魅力をお聞きします。

DATA
永田 斉子 Seiko Nagata

 長崎県出身、東京在住。国際基督教大学卒業。フランスのストラスブール国立音楽院古学科をディプロマを取得して修了。ルネサンス、バロック時代のリュートのソリスト、アンサンブルのメンバーとして活動中。CD「ふらんすの恋歌」、映画「耳をすませば」、NHK「迷宮美術館」「ルーブル美術館」など録音多数。「コンサートプロデュース・ルミエールプロジェ」を主宰。

オフィシャルサイト

ブログ

井上 周子 Chikako Inoue

 奈良県出身、佐世保市在住。東京音楽大学器楽学科(ピアノ専攻)卒業。在学中よりリュートを水戸茂雄氏に師事。1999年リヨン国立高等音楽院古楽器科にてリュート・通奏低音をE フェレ氏に師事。2003年フランスでは日本人ではじめてリュートの高等課程修了と同時にディプロムを取得する。ヴィルウルバンヌ国立音楽学校にてチェンバロ・通奏低音をAデュバール氏に師事、2004年にチェンバロ・通奏低音のディプロム取得。在学中より・通奏低音としてフランス各地で演奏活動に参加し、ジュラやモンペリエなどの音楽祭にも参加、帰国後、リュートニストとして活動するかたわら、ルネサンス音楽、初期イタリアバロック音楽のセミナーを開催するなど普及に努めている。2007年11月にリュートソロCD『melanges』をリリース

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人物
  • 中浦ジュリアン
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      • 長崎歴史文化博物館
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      • セミナリヨ
      • 伴天連

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