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博物館のオススメ (1)

〜 長崎歴史文化博物館 南蛮屏風(左隻)〜

 

 今回ご紹介する博物館オススメの逸品は、長崎歴史文化博物館の南蛮屏風「南蛮人来朝之図屏風」の左隻です。これは、16世紀後半〜17世紀初頭ごろの狩野派の作品だといわれています。この屏風は、右隻に南蛮人の行列と教会堂、左隻に長崎港へ停泊するポルトガル・スペイン船が描かれた六曲一双で構成されています。日本絵画の手法を用いながら異国の人々を描いている南蛮屏風からは、エキゾティックな趣があふれ出ています。
屏風は、部屋を間仕切るための調度品。祝いの席など行事の目的にあわせて屏風を選び、広間に置いて特別な空間を演出します。絵師たちが腕をふるって描いた絢爛豪華な屏風は、美術品として招かれた客人たちの目を楽しませたことでしょう。また、海を渡って日本から輸出された屏風は、Biombo<ビオンボ>とよばれ、ポルトガル語として定着しました。

「南蛮屏風(左隻)」 (長崎歴史文化博物館蔵)
 
16世紀の長崎

日本初のキリシタン大名 大村純忠は、1570年に長崎港の開港を認め、翌年にはじめてポルトガル船が入港しました。開港とともに岬には新しく6つの町(大村町・島原町・平戸町・横瀬浦町・外浦町・分知(文知)町)がつくられ、岬の先端(現在は長崎県庁)には教会が建ちました。1580年、純忠は周辺の敵からの攻撃をかわすため、長崎6町と茂木を日本イエズス会に寄進し、続いて1584年にはやはりキリシタン大名であった有馬晴信も浦上を寄進しています。こうしてイエズス会領となっていた長崎・茂木・浦上は、その3年後の1587年、豊臣秀吉の伴天連追放令によって取りあげられ直轄地となります。しかし秀吉は、南蛮貿易は奨励したのでキリスト教の禁教は不徹底であり、長崎の町は徳川幕府の禁教令が発布される1614年頃まで、キリシタンの町として栄えました。長崎には日本イエズス会本部が置かれ、外国人宣教師の指導で建てられた教会、病院、学校、福祉施設がたち並び、その様子は『伴天連記』という反キリスト教の書物に「長崎は日本のローマなり」と書かれるほどに、貿易港として、さらにキリシタンの町として大きく急成長を遂げたのです。
当時の長崎港はどんな様子だったのでしょうか? ではさっそく、南蛮屏風(左隻)をみてみましょう。

長崎港に停泊する南蛮船(ポルトガル船)

「南蛮屏風(左隻)」の部分(長崎歴史文化博物館蔵)

 この南蛮屏風(左隻)には、ポルトガル・スペインを出発し、南アフリカ、インド、東南アジアを経由して長崎港に到着した南蛮船(ポルトガル・スペインの船)が描かれています。
大きな帆を降ろして停泊した船の上では、乗組員たちが貿易品の荷物を小船に積むなど、忙しく働いているようです。

現在の長崎港の風景(2007年)

 波穏やかな長崎が貿易港に適しているのではないかと目をつけたのは、イエズス会の日本布教長のコスメ・デ・トーレスでした。彼の命令で、宣教師のメルシオール・デ・フィゲイレドがポルトガル人の航海士とともに水深調査や測量をおこない、南蛮船の入港に適していることを確認しました。そして、キリシタン大名 大村純忠に長崎の港を開港するように要請したのです。1570年に純忠が開港を認め、翌年には初めてポルトガル船がやってきました。それから、屏風に描かれているような南蛮船が毎年のように入ってくるようになりました。

南蛮船上陸の地

南蛮屏風(左隻)」の部分(長崎歴史文化博物館蔵)

 左隻の右から2・3枚目(第三・四扇)に、南蛮船と岸壁を行き来する荷物を載せた小船が描かれています。
貿易品としてもってきた積荷を載せた小船が砂浜に到着し、それを降ろしている南蛮人の様子がわかります。さて、この積荷の中身は一体何だったのでしょうか? 小船に積まれている赤・青・緑の包みには、西洋の時計や楽器、望遠鏡、金襴緞子、ブドウ酒、西洋絵画や書籍など、日本人の好奇心をかき立てる貿易品がたくさん入っていたのかもしれませんね。

県庁坂下の「南蛮船来航の波止場跡」

 現在、長崎県庁の坂を大波止の方にくだる途中に、「南蛮船来航の波止場跡」の石碑が建っています。現在は埋め立てられて、昔の港のかたちとは随分と変わってしまいましたが、当時このあたりで、屏風に描かれているような作業がおこなわれていたことを想像すると、なんだか楽しくなりました。

 南蛮屏風の絵のなかには、当時の南蛮人の風俗などがまだまだいっぱい描かれていますよ。この南蛮屏風は長崎歴史文化博物館の常設展のなかにある、歴史文化展示ゾーン"大航海時代"で展示されています。モニター画面で詳しい解説をみながら南蛮屏風を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 さて、「屏風」の歴史や美術に興味がわいた方は、ただいま長崎歴史文化博物館で開催中の"日蘭修好150周年記念特別展「屏風 -将軍からの贈り物-」"におでかけになってはいかがでしょうか。オランダ国王ウィルへルム3世より献上されたスームビング号の返礼として贈られた屏風(ライデン国立民俗学博物館所蔵)の長崎で初めての里帰り展示です。幕末から近代への過渡期における日蘭友好の架け橋となった長崎をみつめ直すことができますよ。 2008年3月31日(月)まで開催されています。

 16世紀の長崎の教会を紹介した<ながさき歴史散歩>第10回「鐘の音が鳴り響く教会ストリート〜消えた教会群〜」もあわせてお楽しみください。

「南蛮屏風(右隻)」 (長崎歴史文化博物館蔵)

次回は、この屏風と対になった右隻をご紹介します。貿易船に乗って長崎に上陸した南蛮人が行列をつくって、南蛮寺(教会堂)へと向かう様子が描かれていますよ。お楽しみに。

☆鑑賞のコツ☆

六曲一双の屏風

屏風とは?

 "風を屏(ふせ)ぐ"という意味から名づけられた屏風は、部屋を間仕切るための調度品で、装飾にも用いられるインテリアのひとつです。祝いや行事など目的にあわせて屏風を選び、広間にひろげて特別な空間を演出します。 長方形に描かれた画面を扇(せん)といい、右から第一扇、第二扇…と呼びます。2〜8枚の扇を繋ぎ、山折谷折と広げて立てます。使わない時は、折りたたんで収納することができます。 屏風は一隻、二隻…と数えます。右と左がセットの作品は一双(そう)、単独の屏風は一隻(せき)といいます。今回ご紹介した南蛮屏風の場合は、一隻(半双)が6枚の画面で構成され、右と左がセットになっているので"六曲一双(ろっきょくいっそう)"となります。
屏風には絵や書が描かれ、当時の絵師たちが腕を振るった美術品としてもてはやされました。

作品
  • 「南蛮屏風(左隻)」長崎歴史文化博物館蔵
参考文献
  • 「旅する長崎学1 キリシタン文化1
    特集2 宣教師たち長崎で動く! ザビエルの意志を継いだ人々
    特集4 「小ローマ長崎」と消えた教会
    企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「原色日本の美術 第25巻 南蛮美術と洋風画」 小学館 1970年
  • 「長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド」
    監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社2005年
  • 「ビジュアルNIPPON 江戸時代」 発行/小学館 2006年
  • 「すぐわかる日本の美術」 発行/東京美術 1999年


うんちくバンク

人物
  • 有馬晴信
  • 大村純忠
歴史事件
    資料
      場所
      • 大波止
      • 長崎歴史文化博物館
      その他
      • イエズス会
      • 南蛮人
      • 伴天連

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