たびながコラム

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銀嶺の橋本京子さんにインタビュー(2)

〜銀嶺を愛した人びと〜

 「レストラン銀嶺」は、1930(昭和5年)に鍛治屋町に創業し、その隣で1953年(昭和28)にバー"ボン・ソワール"をオープンしました。この店には、日本を代表する作家や俳優、芸術家たちが訪れました。ある時は恋人とお忍びで、またある時は、仲間を連れて料理やお酒を楽しみながら長崎の旅を楽しまれたようです。また、長崎の財界人からも親しまれ、長崎の夜にムードを添えていました。今回は、当時の古き良き時代を知る「レストラン銀嶺」の橋本京子さんにインタビューしました。

流儀を知る、粋な長崎の紳士たち

 「私は、宝塚歌劇団を退団後、博多へ移りRKBなどでディスクジョッキーとして仕事をし、長崎に嫁いでから、バー"ボン・ソワール"にでておりました。バー勤めの経験がなかったので「バーはちょっと。」と思ったんですけど、でもボン・ソワールのおかげで、いろんな方々に出会わせていただいて、ほんとにいい時代を過ごさせてもらったと感謝しています。なにより私が一番感謝していますのは、お客さまです。「お客は一流、お店は二流、ママは三流」といつもいわれていました (笑)。それにはこんなエピソードがあるんですよ。

 「あそこに宮様がいらっしゃるからといって覗いたり、絶対しないでくださいね。」と私の方からお願いしていないのに、気付かないふりをしてくださったり、お客様のレベルがそれだけ高かったんでしょうね。だから芸能人もお忍びで来られる方々がいらしてくださったのでしょう。みなさん、ゆっくり過ごされていかれました。

 私ね、本当に感謝してることがあるんです。某老舗のカステラ屋さんがお仲間を連れてお店にみえるでしょう。そしたら満席のところに入っていらした東京からのお客さんに「さあ、どうぞ。」と席を譲ってくださったのです。お客さんも「いや、今座られたばかりでしょうからいいですよ。」と。「いや、私たちは明日でもまた来ますから座ってください。」と席を譲ってくださったのです。帰る前に「ママがお金とれんから、みんな、一口だけでも飲みましょう。ママ、うちに請求書を送ってくださいね。」って言われてね。涙が出るくらい嬉しくて、これが日常だったの。当時のボン・ソワールのお客さまは皆「当たり前。」と言われるけど、お客様は最高に素敵な人たちでした。品格が違います。そして格式がないとバーはだめ。その当時のいわゆる長崎を代表する企業の方々によくしていただきました。そういう時代も長崎にあったんですよ。最高でした。楽しかったです。なんて素敵な殿方たちだろうと思っていました。どなたも、みなさん大物揃いですよ。本当にいいお客様ばっかりでしたね。」

銀嶺を訪れた有名人

 「みなさん銀嶺で食事して、隣のバー"ボン・ソワール"でお酒を飲みにいらっしゃいました。お店には、いろんな方々が見えました。私の義母である先代のママが「岸恵子さんとイブ・シャンピさんが長崎にいらっしゃることがあったら、絶対うちの店にお見えになるわよ。」と言っていました。日仏合作映画『忘れえぬ慕情』の撮影で長崎にいらしたんです。あの時、毎晩のようにお二人でいらしてました。人目があるというので、小さなレコード室をご案内したそうです。今のようにBGMがなかった時代ですから、その当時は女の子がレコードに針を落としていたレコード室があったんです。撮影が終わって帰られたあとは、その部屋を「イブ・シャンピの間」とみんなが呼んだりして、みんながそこに座りたがって、とうとうレコード室を客席にしたのですよ。  他には、芸術家の岡本太郎さんとか小説家の松本清張さんもいらっしゃいました。「書くものない?」と言ってサインをしてくださいました。長崎をテーマにたくさんの絵画を描いた野口弥太郎さんは、私をモデルに絵を描いてくださいました。

 そうそう、美輪明宏さんは、主人と学校が一緒で長い付き合いでした。それでもう私はビックリ。私は美輪さんのファンで、宝塚歌劇団の東京公演が終わったら、お化粧を落とす間もなくサングラスをして、劇場から「銀巴里」まで走っていって一番前で観ていたんですもの。"こうして名曲は生まれた"〜ヨイトマケの唄〜というNHKの番組は、銀嶺のお店から放送されました。

 私はいい時代にあのバーをさせてもらったと思っています。遠藤周作先生をはじめ俳優で演出家の芥川比呂志さん(芥川龍之介のご長男)、作家の故・吉村昭さんなど、いろんな作家の方たちとも、30〜40年のお付き合いをさせていただきました。本当にいい時代でした。」

 古き良き昭和の時代に佇む、当時のレストラン"銀嶺"とバー"ボン・ソワール"は、作家や俳優・画家そして長崎を代表する企業家の人たちなど、戦後復興を担った世代が集うサロン的な役割をもつ社交場だったのではないでしょうか。華々しい文壇や芸能界に立つ人びとと、長崎の財界人、銀嶺の橋本さんたちとの暖かい交流が、ある一面で、長崎の印象を良いものにしてくれていたのかもしれません。

橋本 京子 kyoko Hashimoto
1936年生まれ。福岡県柳川市京町生まれの博多育ち。宝塚歌劇団(男役)を退団後、テレビ番組のキャストや福岡RKBのラジオ番組で九州初のディスクジョッキーとして3年間活躍。銀嶺に嫁いで主にバー"ボン・ソワール"で働く。現在、「レストラン銀嶺」の代表社員。


うんちくバンク

人物
  • 遠藤周作
歴史事件
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      • レストラン「銀嶺」
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