たびながコラム

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拝啓、彦馬先生。ピンホールカメラ撮影に挑戦します!

〜上野彦馬の偉業に思いを馳せる〜

上野彦馬生誕地

 時は明治、大正、昭和と流れて平成の世の中になりました。今や写真技術は飛躍的な進歩を遂げ、街にはレンズ付フィルム(通称使い捨てカメラ)からフィルム不要の高画質デジタルカメラ、カメラ付き携帯電話まで溢れ、誰でも手軽にプロ顔まけの写真撮影が楽しめる時代です。
 そこで、今回は上野彦馬や先達たちに敬意を表し、少しでも当時の苦労を味わおうと、カメラの原型ともいえるピンホールカメラの撮影の挑戦してみることにしました。

ピンホールカメラって何?

 ピンホールカメラとは、レンズの代わりにピンホール(針穴)を開けた板を取り付ける単純な構造の原始的なカメラで、淡く優しい写真が撮れるのが特徴です。暗箱と針の穴ほどのピンホールとフィルム(または印画紙などの感光材料)だけの簡単な装置で撮影します。今回の撮影に使用したのは、市販されている厚紙製のピンホールカメラ組み立てキット(千円前後で入手できます)。組み立てには丁寧に丸一日かけて取り組みました。とくにピンホールに指紋や傷をつけてはいけないので、慎重に設置しました。

ピンホールカメラの仕組み

 撮影時の注意点は、露光(撮影)のためにシャッターを上下する際にカメラ本体がぶれないようにすることで、何かに固定して撮らなくてはなりません。これは現代のカメラに比べてもずいぶんと不便です。カメラ撮影でこんなに緊張したのは、子どもの頃初めて親のカメラを使った時と、仕事として初めて撮影に臨んだ時以来のことでした。しかし、このわくわくドキドキ感がピンホールカメラの魅力のひとつともいえます。

いよいよ撮影開始!

ピンホールカメラで撮影した風景

 まず撮影に選んだ場所は、長崎市の出島和蘭商館跡に建つ長崎内外倶楽部の建物。撮影日の6月17日は梅雨入り後のどんよりとした曇り空。カメラを鉄製の台上に固定して3枚撮影してみました。次に徒歩で眼鏡橋へ移動。中島川に架かる魚市橋中央の石の欄干にカメラを固定して5枚撮影しました。正直、フィルムの現像が仕上がるまでは、こんな簡単な原理でカラー写真が映るものかと半信半疑でしたが、全部で8枚撮影したうち長崎内外倶楽部の建物が2枚、眼鏡橋も2枚なんとか撮影できており、成功確率は50%という結果でした。不馴れなピンホールカメラのためピントはゆるめですが、全体が柔らかく絵画的な雰囲気に撮れていました。残り4枚の失敗の原因は、やはりピントが合っていなかったか、固定が甘くて全体がぶれているかでした。

ピンホールカメラで撮影した上野彦馬胸像

 撮影2日目は曇り時々晴れの天候でした。最初に1日目と同じく中島川に向かい、川沿いに建つ上野彦馬生誕地碑の上野彦馬と坂本龍馬の像を撮影してみました。続いて長崎歴史文化博物館に隣接する長崎県立長崎図書館の入口近くに建つ上野彦馬の胸像を撮影しました。ただ、2カ所とも近くに固定できる台がなく、三脚の上にカメラを乗せた状態で撮ったのですが、やはりぶれてしまって撮影した9枚全部のピントがかなり甘くなってしまいました。この日は、ピンホールカメラで撮影したのと同じ場所をデジタルカメラでも撮ってきましたので、実際にその違いを比べていただければと思います。

デジタルカメラで撮影した上野彦馬胸像

 以上、わずか2日間のピンホールカメラ撮影は失敗の連続でしたが、彦馬先生の苦労がほんの少しだけでも理解できたような気がします。それにしても、後世に残る彦馬撮影の写真は、ピントがきちんと合い、しかも鮮明で構図もよく考えられていますよね。今回の体験をとおして、本当にこれは尊敬に値すると思いました。みなさんも長崎を訪れる際には、上野彦馬の偉業に思いを馳せて、風景や名所旧跡をピンホールカメラで切り取ってみてはいかがでしょうか。私ももう少し腕を磨いて、長崎県内の魅力的な風景写真にどんどん挑戦してみたいと思います。

日本写真界の開祖・上野彦馬の足跡

中島川沿、上野彦馬生誕地碑の上野彦馬と坂本龍馬の像

 1838年(天保9)に長崎で生まれた上野彦馬は、1862年(文久2)、長崎で「上野撮影局」という写真館を開業し、横浜の下岡蓮杖と並び日本写真界の開祖のひとりといわれています。彦馬と写真の出会いは、長崎の医学伝習所でオランダ海軍軍医ポンペから舎密学(せいみがく=化学)を学ぶうちに写真術に興味を抱いたことがきっかけでした。以後、彦馬は写真術の研究や写真機の製作に没頭しますが、幕末の日本国内には感光材に使用する薬品などがなく、薬品の精製には人一倍苦労したといわれています。また、当時写真を撮られると「魂を抜かれる」という迷信も根強くあり、世間の無理解と誹謗中傷にさらされることも少なくありませんでした。

 彦馬が主に取り組んだ撮影技術は、一枚しかプリントできない銀板写真ではなく、複数枚プリントが可能な湿板写真でした。銀板写真は銀メッキをした銅板などを感光材料として使用するダゲレオタイプとよばれる写真技法。湿板写真とはガラス板にコロジオンという液を塗り、湿った状態で撮影・現像をする方法です。湿板写真では、ダゲレオタイプカメラの数分程度と比較して露光時間が秒単位と短くなり、当時としては画期的な撮影方法でした。ただ、その場で現像しなければならず、スタジオ以外の撮影には不便な点もあったようです。

 幾多の苦難を乗り越えて中島川畔に写真館を開いた彦馬は、坂本龍馬、後藤象二郎、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、ニコライ二世、トマース・B・グラバーといった明治維新前後に活躍した歴史上の人物を次々に写真におさめています。1874年(明治7)には長崎の大平山(現在の星取山)で行われたアメリカ隊の金星観測に助手として参加し、1877年(明治10)には西南戦争の戦跡の撮影を行うなど、カメラマンとしての実績を積んでいきました。

 彦馬が撮影した数々の写真は、幕末・明治の日本を今に伝え、当時の自然、風景、風俗、歴史上の人物を知るうえで貴重な資料となっています。また、写真術に用いた薬品精製の知識は、のちに『舎密局必携(せいみきょくひっけい)』(全編三巻)という化学の本として結実し、明治中頃まで化学の教科書として使用されました。彦馬は1890年(明治23)にはウラジオストック、上海、香港に海外支店を開設し、その活動を広げていったのです。

[文:小川内清孝]

参考文献
  • 『旅する長崎学7 近代ものがたり1』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『旅する長崎学9 近代ものがたり3』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『評伝上野彦馬 ー日本最初のプロカメラマンー』(八幡政男著 武蔵野書房)
  • 『写真の開祖 上野彦馬ー写真に見る幕末・明治ー』(産業能率短期大学出版部)
  • 『よみがえる幕末・明治 時代の風物詩』(JCIIフォトサロン)


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