たびながコラム

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崎戸炭鉱の足跡をたどって

 

炭鉱の町・崎戸

崎戸橋
崎戸橋

大島町から崎戸町へ入り、製塩工場前にさしかかると、赤い色の崎戸橋が目に映ります。

崎戸橋は1967年(昭和42)に完成しました。かつて、写真の崎戸橋の下から右側に福浦桟橋があり、多くの人に利用されていたそうです。商人たちや昭和小学校・崎戸中学校に通学する生徒のために渡し船が行き交い、上空には海水科学工場と巻座を結ぶ石炭運搬用のゴンドラが稼働していたといいます。

 

崎戸橋を渡ると、そこはかつて炭鉱で栄えた崎戸の町です。

現在の「崎戸歴史民俗資料館」から「33°元気らんど」にかけては、今に残る炭鉱時代の遺構を見ながら散策することができます。
崎戸歴史民俗資料館の入口には油倉庫跡があり、資料館の向かい側にある展望台周辺にはかつて変電所がありました。今は三菱崎戸炭鉱跡記念碑が建てられています。また、資料館駐車場からはすぐ近くに一坑坑口と煙突を見ることができます。

三菱崎戸炭鉱跡記念碑 崎戸歴史民俗資料館の入口にある油倉庫跡 一坑坑口 煙突
三菱崎戸炭鉱跡記念碑 崎戸歴史民俗資料館の入口にある油倉庫跡 一坑坑口 煙突

 

炭鉱遺構 まず、崎戸歴史民俗資料館を訪れて、崎戸炭坑の歴史を知ったうえで町を散策すると、より感慨深いものがあります。
展望台から蛎浦島を見渡すと、立ち入りは禁止されているものの、煙突や赤煉瓦の建物など当時の建造物が点在している風景が目に入ります。炭鉱時代の面影を感じることができます。

 

崎戸歴史民俗資料館から、当時のメインストリートだった東峰商店街跡を目指して歩いていくと、途中に崎戸劇場跡や共楽館跡があります。そして階段を下りると、右手には700名ほどが住んでいたという独身寮・平和寮がありました。残念ながらこれらは老朽化のために取り壊されて、現在では見ることはできませんが、当時このあたりは映画や劇、買い物、ビリヤードなどを楽しむ人々で溢れかえっていたといいます。


メインストリートへ降りる階段 取り壊された平和寮 かつてのメインストリート・東峰商店街(平和寮跡に向かった写真)
メインストリートへ降りる階段 取り壊された平和寮 かつてのメインストリート・東峰商店街(平和寮跡に向かった写真)
 

「33°元気らんど」へ到着です。
ここは広大な芝生広場となっており、散策路が設置されたコースはウォーキングやジョギングに活用されています。メインストリートだった東峰商店街の通りも、今では芝生広場になってしまいましたが、かつては商店が建ち並び活気に満ちていました。市場には毎日新鮮な野菜が運ばれ、デパートの玉屋もあったので、生活に必要なものはすべて揃っていたといいます。


プール跡(立ち入り禁止になっています)
プール跡
(立ち入り禁止になっています)
東峰商店街の近くにあったプール跡がかろうじてそのまま残っています。広場のおもしろ乗り物が揃っている施設から奥の方に、当時は崎戸中学校と崎戸炭鉱病院が建っていたそうです。
昭和小学校跡(立ち入り禁止になっています)
昭和小学校跡
(立ち入り禁止になっています)
1943年(昭和18)には開坑以来最高の126万トンの出炭を記録し、翌年には従事者数も7,000人を超えました。その後、崎戸町の人口は増え続け、2万5,000人を上回り、人口密度日本一といわれた時期もありました。
昭和小学校周辺から平和寮に向かって撮影された写真(崎戸歴史民俗資料館パネルより)
昭和小学校周辺から
平和寮に向かって撮影された写真
(崎戸歴史民俗資料館パネルより)
当時の校舎が残る昭和小学校はマンモス校とよばれ、教室が足りなくて、午前と午後の二部授業をおこなっていたそうです。昭和小学校周辺から平和寮に向かって撮影された写真を見ると、社宅跡が所狭しと建ち並び、多くの人々が暮らしたいた様子をうかがえます。
 

当時の地図
当時の地図

遺構が取り壊されても残る炭鉱の記憶

美崎アパート跡
美崎アパート跡

炭鉱時代の建物が割りと最近まで残っていた崎戸でしたが、近年、老朽化のためにそのほとんどが取り壊されてしまいました。わたしたちは、小説や映画の舞台となって登場する崎戸炭鉱やその風景をとおして、かつての歴史に思いを馳せることができます。

崎戸炭鉱を舞台として描かれた小説には、1975年(昭和50)の井上光晴 著「虚構のクレーン」や2008年(平成20)に直木賞を受賞した井上荒野 著「切羽へ」があります。
また、芳田秀明監督・脚本による映画「Sweet Sweet Ghost」(2000年製作)は崎戸でロケがおこなわれ、昭和小学校跡などが登場しています。
毎年秋に崎戸地区で開催されている「スケッチ大会」においては、崎戸炭鉱時代の遺構をテーマにして描く参加者も多く、歴史の記憶は絵画というかたちで後世にも残されていくものと思います。

1906年(明治40)に採掘が始まった崎戸。閉山となった1968年(昭和43)に炭鉱の歴史は閉じましたが、今でも当時崎戸で生活していた人たちが、懐かしみ訪れるそうです。
今回の取材でお会いした崎戸歴史民俗資料館館長の尾崎さんが、「閉山後、各地に転居した人々が、いま崎戸がどうなっているかを見に来られます。今日も北海道から5,6人の方が資料館に来られる予定なんですよ」と話してくださったのが印象に残りました。
閉山から40年以上経った今でも、まだ崎戸炭鉱は人々の記憶の中で生き続けているのです。


浅間神社近くの広場から炭鉱記念公園を見た写真
浅間神社近くの広場から炭鉱記念公園を見た写真
炭鉱時代の面影を残す煙突や建物の一部が見えます。

 


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