たびながコラム

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名プロデューサーの平賀源内さん、ちょっと早過ぎたばい。

名プロデューサーの平賀源内さん、ちょっと早過ぎたばい。

いろいろなお店の味を楽しんでほしか

 7月に入って、「暑かぁ〜、なんも食べとうなかぁ」て思う頃にやってくっとが「土用の丑の日」。串ば通されて、備長炭の上でジワ〜っと焼かれた鰻。火の通ったところにタレば何重にも塗られて、ふくっ〜とした身の表面には独特の照りのある。思い浮かべるだけで、よだれのずっごたんね。
 確かにさ、食が細る夏こそ食べとうなる鰻。栄養価も高かかとやろうけど、値段もちょっとばっかし高うなって。もっとも年に何回もなかけんね、「土用の丑の日」は。なんとはなしに財布のヒモも緩るうなっとやもんねー。
 そいけど、なんで夏の暑か盛りに鰻の蒲焼きんごと、コッテリしたもんば食ぶっとやろか? なんでこがん習慣のできたかというと、ここで平賀源内さんが登場すっとさね。

 ある日のこと、源内さんの家ば鰻屋の旦那が訪ねてきたとって。
源) 誰かと思うたら鰻屋じゃなかね。入らんね!

 そがんいわれて、そっと中に入ったげな。
源) どがんしたと? えらい元気のなかね。

 突然サメザメと泣き出す鰻屋・・・、鰻屋がサメザメもおかしかとけど、そう泣いたらしかよ。そんでね、源内にこう言うたとって。
鰻) もう駄目んごたっ!。私の店もおしまいんごとある。
源) いったい、どがんしたと?
鰻) 毎年毎年、夏になると客足のグンと減ってしもうて。そいでも何とか必死で今日まで持ち堪えたとさ。でも、でも、もう駄目ばい。今日なんて、夕方近くになっても誰も来ならん。暖簾を覗く人もおんならん。近所の野良犬でさえ素通りすっとよ。犬にまで見捨てられてしもうた。もう駄目ばい。

と、またここで大泣き。こまか子どもや色っぽか女の人ならまだしも、大の男に目の前で泣きつかれてもやぜかだけたい。困った源内さんは、ここで妙案ば思いついたとって。
源) 何事も宣伝が肝心に決まっとっ。よ〜し、良か事ば考えた!

 と言うやいなや、筆ば取り出して、サラサラと紙に何か書き付けた。
源) どがん?

 見ればそこには「土用の丑の日には鰻を」とあったげな。
鰻) これってどがん意味ね?
源) まぁよかけん!これば店の前に張り出して、蒲焼きば焼く匂いを盛大にまき散らさんですか。

 どうにもこうにも困っとった鰻屋さんは、源内さんの言うごとすっしかなかたいね。そしたら、さぁ大変!! 夏の暑か盛り、土用の丑に店は押すな押すなの大繁盛。しばらくして鰻屋と会った源内さんが「おう、その後どがんね?」と尋ねたら、鰻屋のいうことには、
鰻) おかげ様で大繁盛ばい。そいばってん、あんまり忙しかけん、鰻より私の方が身の細うなるごたっ…。

長崎県は諫早の鰻が名物ばい

 うらめしや、源内さんのおもいつき。鰻の身になればたまったもんじゃなかけど、窮地の鰻屋さんを救った源内さんのアイデアはたいしたもんやねー。

 さて、この名プロデューサー・平賀源内さんは、1728年、今の香川県で高松藩士の子として生まれたとって。実家は農業ばしながら藩の御蔵番をしよったとやけど身分の低くうして、源内さんは随分と苦労しなったらしかよ。しかし、そこは日本のダヴィンチ・平賀源内さん。14歳にして本草学を学び、藩の薬園の手伝いばしよった。そがん源内さんの賢か噂ば聞いた高松藩主・松平頼恭(まつだいら よりたか)様は、源内さんを長崎遊学させなった。そんとき24歳(1752年)やったげな。長崎では西洋文化に触れ、医学、動植物、鉱物、物理、科学、地理など山んごと勉強したとってよ。こんときの遊学はわずか1年ほどやったけど、1770年にもまた長崎ば訪れたらしか。源内さんにとって当時の長崎は、知識欲を刺激するよか町やったばいねー。
 さて、もともと頭の良かった源内さんやけど、長崎で最先端の勉強ばしよるときに、突然、藩から呼び戻されて故郷・高松に戻ったとって。しばらくはおとなしゅうしとったけど、何を思ったか妹に婿ばとって家ば譲り、一人でとっとと江戸へ出なったげな。
 江戸に出た源内さんは本草学の大家の下へ入門して、数年もたたんうちに師匠ば追い越すほどの本草学者となったとって。やっぱすごかねー。

源内さんは「おなら」の研究もしなったげな

 そうそう。エレキテルの復原、オランダ焼きの製陶や西洋画の制作、戯作、鉱山の採掘など、あらゆるジャンルに才能ば発揮した源内さんばってん、一からコツコツと勉強すっとは苦手だったらしかばい。長崎に遊学したときも外国語は苦手で、たいていは通詞(通訳)さんばアテにしとったらしかよ。なんかホッとするエピソードやね。そいとね、ちょっとおもしろか話ばひとつ。外国語が苦手て言うても、遊学時代に多少は横文字ば勉強しなった源内さん。いろんな物に西洋風の名前ばつけて呼んどったとか。鰻の蒲焼きは「サイテヤーク」て。ん〜? なんやろね? 水道のことば「ヒネルトジャー」て言うたり、饅頭ば「オストアンデル」って言うたようなもんかね。シャレはあんまり上手じゃなかったごたるね。

 ところで、残念なんやけど、源内さんの晩年はあまり良かことのなかったらしか。良か事も悪か事も、人には同じだけ来るとか言うけど、源内さんには人生の終了間際に一度に悪かことの来たとかもしれんね。誰かと共同でやっとった鉄山が閉山になったりとか、いろいろと良くなかことが続いたある日、源内さんは殺傷事件ば起こしてしもうたとって。そんで牢に入れられて、しばらくしてから破傷風にかかって、そのまま獄死しなったとげな。ただ、源内さんの晩年にはいろんな話のあって、誰かの手引きで牢から出て、江戸の片隅で天寿ばまっとうしなさったという説もあっとさね。結末のようわからん、不思議なとこも源内さんらしかよね。
 いずれにしても源内さんがこの21世紀におったら、きっとすごか名プロデューサーになっとったと思うとさねー。生まれてくっとが少し早かったばいね。

じげにゃん

今回の「平賀源内」さんのお話はどがんやった? 今から200年前の長崎には、こがん勉強好きの人がたくさん出入りしとったよ。
これからもおもしろか人ば見つけて紹介していくけん、楽しみに待っとってニャン。

[原文:林すみこ / 切り貼り画:田中今日子]

参考文献
  • 『旅する長崎学7 近代化ものがたり1』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『平賀源内を歩く ー江戸の科学を訪ねてー』奥村正二著(発行/岩波書店)
  • 『歴史の群像11 先駆』尾崎秀樹著(発行/集英社)
  • 『長崎遊学者事典』平松勘治(発行/渓水社)
  • 『おなら考』佐藤清彦著(発行/青弓社)
  • 『江戸時代人名控1000』山本博文監修(発行/小学館)


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