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幕末を駆け抜けた男・小松帯刀

幕末を駆け抜けた男・小松帯刀

小松帯刀(こまつ たてわき)
1835年〜1870年 鹿児島県出身 薩摩藩士・官僚

ん〜、イケメンばいね

温泉好き。龍馬の新婚旅行に同行して、温泉に行ったという話もあるほど

 今回紹介すっとは小松帯刀。ちょっと前までは名前の読み方も知らん人が多かったとじゃなかやろか?2008年放映のNHK大河ドラマ「篤姫」ですっかり有名になった帯刀ばってん、これまでは西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬ら、幕末の大スターの陰に隠れてちょっとジミな感じで、あんまりスポットば当てられんやった。大政奉還、王政復古に大活躍した人ばい。

 小松帯刀は、薩摩藩の喜入領主・肝付主殿兼善(きもつき とのも かねよし)の三男として誕生。小さか頃から学問好きで、10歳から儒学ば勉強したって。夜中に目が覚めると、そんまま朝まで起きとって読書ばしたりするほど勉強が好いとったっていうけんね。本当に賢か子やったらしか。そいだけじゃなかとよ。薩摩藩には昔から伝わっとる示現流という剣術があるとけど、小さか時からそれば習って、一生懸命鍛錬したとって。文武両道たいね。こがんふうに努力家やったとけど、体は弱くてすぐ風邪ひいたりしよったけんが、心配しなったお母さんは、毎年温泉に保養にやったりしたとって。だけん帯刀も温泉が好きで、あちこちの温泉に行っとったらしかよ。温泉でただぬっかお湯に浸かってるだけじゃなかとばい。温泉に入る時はみんな裸になって、どこの誰かわからんもん同士が一緒に入るわけたいね。みんな、ゆったり気持ちようなって、思わずいろんな話ばすっとって。坊ちゃん育ちの帯刀にとっては、よか勉強の場所やったらしか。「湯船の中では、ためになる話や世間話が聞けて教えらるっことの多か。生きた学問ができるばい」って言よったって。

勉強家。長崎に遊学した人には多かったタイプたいね。

 真面目で勉強家やった帯刀の人格形成に、大きな影響ば与えたとが薩摩藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)。今でも名君として知られとったいね。島津斉彬は人材育成にも心ば砕いとったけん、見込んだ若者たちば集めては、世界情勢や日本が置かれている現状ば話して聞かせ、わっかもんの目を、世界へと向けるようにしなさった。そん中に、後に帯刀が養子に入る小松家の嫡男・小松相馬清猷(こまつ そうま きよもと)もおったと。
 その小松相馬清猷が、赴任先の琉球(現・沖縄県)で急死。清猷の将来に大きな期待をよせて琉球へやった斉彬は、大変なショックば受けた。斉彬は単に家臣というばっかりじゃなくて、“将来の日本を背負ってたつ男”と見込んどったけんね。そいけん、ショックば受けただけじゃなく、大事な長男ば亡くした小松家に対しても申し訳なか気持ちの強うあったとって。そいで抜擢されたとが帯刀。清猷には妹がおって、そこへ婿にいってくれないか、と斉彬はもちかけた。最初は驚いた帯刀けど、決心して小松家の千賀さんと結婚。小松家ば継いだとさ。小松家は肝付家よりは数段大きか家やったけん、三男の帯刀にとっても悪か話ではなかったとね。そいに、お千賀さんにとっても・・・。帯刀の写真は今でも残っとるけど、イケメンばい。お千賀さんは一目で、帯刀ば好きになったらしかよ。結婚してますます役目に邁進した帯刀。持ち前の知力と人望の高さで、どんどん出世していった。

長男・武朗が受けたスパルタ教育、武術に馬術にテーブルマナー

 武は武家の出やったし、当時の時代背景もあってか、長男の武郎に対してそれはそれは厳しいスパルタ教育ばしたとって。有島家の長男として恥ずかしくなかごと育てんばという親心やったと思うばってん、西洋風の食事のマナーから礼儀作法、武術、馬術、外国語教育などなど。他の兄弟たちはけっこう伸び伸びと育ったらしかけど、武郎だけは違うとった。武郎は相当辛か毎日ば送っとったらしかよ。作家で成功するくらいの感受性ば持っとった武郎のことやっけんが、もちろん父親である武への尊敬の念もある反面、自分と他の兄弟に課せられていることの違いや厳しさへの反発っていうか、大きな葛藤もあったとじゃなかろうか。武郎が抱いたこの葛藤に、武が気づいとったかどうかはようわからん。でも、優秀やった武郎が大正天皇のご学友として、同席するようとのお達しがあった時には、えらい喜んだらしかよ。

影響を与え合い、助け合い・・・共に早世した帯刀と龍馬

 病気療養中に、大政奉還の功労者として明治天皇から招待ば受けたとけど、こん時には病気が重うなっとったけん、とても行ける状態ではなかった。帯刀の病気ば心配した天皇からお見舞いが届いたとって。帯刀は嬉しかったやろね。やがて治療のかいも無く、帯刀は亡くなった。まだ36歳の若さやった。若い帯刀の死は可哀想な気もすっけど、悲願やった大政奉還の実現ば見届けることのできたけんが、安心したとじゃなかかな。長くない一生やったけど、日本の歴史の中で、大きな働きをしたことは事実。今の時代に続く歴史の立役者やったとばい。

じげにゃん

 小松帯刀は坂本龍馬と深い親交があった。豪放磊落なイメージのある龍馬、繊細で人格者だった帯刀。イメージはずいぶん違う感じのするけど、お互いに共感するもんがあったとやろうね。龍馬の亀山社中結成後も、帯刀は何かと援助しとったらしかよ。日本の大きな変革の時代を共に駆け抜け、同じ三十代でこの世ば去った二人。でも後の時代につないだもんは大きかったにゃー。

[原文:林すみこ / 切り貼り画:田中今日子]

参考文献
  • 『幻の宰相 小松帯刀伝』瀬野冨吉著(発行/宮帯出版社)
  • 『長崎遊学者事典』平松勘治著(発行/渓水社)
  • 『鹿児島大百科事典』(発行/南日本新聞社)
  • 『コンサイス人名事典』三省堂編集所(発行/三省堂)


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