たびながコラム

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長崎は、路面電車と走る町

インタビュー 長崎電気軌道株式会社 川本 大さん

 長崎の町のシンボル「チンチン電車」。公共交通機関として多くの市民や観光客に利用されています。長崎の町を走りはじめて、もうすぐ100年。「走る近代化遺産」の歴史と、近年、環境にやさしい乗りものとして注目される路面電車について、長崎電気軌道株式会社の川本大さんにお話を伺いました。

大正4年の開通から原爆、長崎大水害の苦難を乗りこえて

Q、長崎の町を初めて路面電車が走った、その記念すべき日はどのような様子だったのでしょうか?

A、長崎電気軌道株式会社は大正3年8月2日に創立しました。翌4年11月16日、大正天皇即位御大典の日に病院下(現在の長崎大学歯学部正門付近)〜築町間で開通。その日は1号車を先頭に8号車まで小豆色の電車が次々と発車したと社史に記録されています。ちなみに開業日の乗客数は約15,000人だったと東洋日之出新聞は報じています。

Q、現在、長崎の路面電車の運賃は、何区間乗っても100円ということで知られていますが、開業当時の運賃はいくらだったのでしょう?

A、一区間一銭で、別に通行税が一銭。始発から終点まで9区間乗車すると10銭でした。豆腐一丁が一銭の時代です。

Q、開業からすでに90年以上たっていますが、初めて路面電車が走ったころの名残をとどめている場所はありますか?

A、戦後の都市計画の変更や道路の拡幅などで軌道敷が当時の場所にのこっているのは、出島〜築町の直線区間だけです。

Q、現在のような路線になったのは、いつごろでしょうか?

A、思案橋から正覚寺下まで延長路線をした昭和43年6月です。大正年間に市内の主要区間の運行をほぼ完成させ、昭和に入って下の川〜大橋間、馬町(諏訪神社前)〜蛍茶屋間、大橋〜住吉間、住吉〜赤迫間を延伸しています。

Q、昭和20年8月9日の原爆や昭和57年7月23日の長崎大水害は、路面電車にどのような被害をもたらしたのでしょうか?

A、原爆の被害は甚大なものでした。従業員110余名が亡くなり、全線不通。使用可能な車両をほぼすべて失いました。電柱の倒壊折損は120本、電線、軌道の焼失は数ヵ所に及びました。電車の運行再開が"長崎市の復興の足がかり"になると復旧に力を注ぎ、わずか3ヵ月半後の11月25日に、蛍茶屋〜西浜町〜長崎駅前間の運転を再開、その後半年間でほぼ復旧することができました。これは従業員が全力をふりしぼったことと、被災後すぐに三菱電機から発電機を購入し、焼け残った変電所に設置することができたということも大きな要因です。長崎が造船の町であったからという背景もありました。

 また、原爆につづく大きな災害が昭和57年7月23日の長崎大水害です。夕方、送電をたたれた電車が全線にわたって運休、30 両を越す電車が各所で立ち往生となりました。現在のように携帯電話もない時代、運転士らは状況がわからないまま乗客の保護と避難にあたりました。車両はおよそ15t、急流に流されないよう車体をロープで電柱や電停にくくりつけた者、乗客を抱きかかえ濁流を横切って避難させた者、運転士の多くは翌朝まで現場に留まり、車両を守り続けました。損害は大きく、68両中45両が使用できず、4ヵ所ある変電所のうち3ヵ所が冠水、車庫や営業所、停留場などが被害をうけました。

 しかし、全社員、昼夜をとわず作業にあたり、水害3日後には1系統(築町〜赤迫間)と3号系統全線で運行を再開。車両メーカーや各路面電車事業者にご協力、ご支援をいただいたおかげでした。この災害でお客様、社員に一人の死傷者がなかったことが幸いでした。

路面電車の特徴と長崎の路面電車について

Q、そもそも路面電車とはどんな電車のことですか?また、「チンチン電車」と親しまれていますが、そう呼ばれるようになった由来を教えてください。

A、おおまかに言えば道路上を走る電車のことを路面電車といいます。ただし、大学病院前〜岩屋橋間の道路を走らない区間(専用軌道)があったり、他都市では逆に道路上を走る鉄道があったりと種々の例外があります。また、チンチン電車は、運転士と車掌が乗ったツーマン電車のころ、車掌が頭上にあるひもを引いて"チンチン"とベルを鳴らし出発の合図を運転士に伝えたことからそう名づけられたという説ともうひとつはチンチンと響く警鈴の音からそう呼ばれるようになったという説があります。

Q、路面電車は電気をどのように受け取って走っているのですか?

A、路面電車の架線には直流600Vの電気が流れています。電車の上についているパンタグラフ(アルファベットのZのような形)で電気を受け取って、モーターに繋げているのです。架線からはプラスの電気を受け、レールにはマイナスの電気を流しています。車輪とレールは鉄でできているので電気を流すことができます。

Q、路面電車のスピードは、最速どれくらいまで出るのでしょうか?

A、最高で時速40km。法令で決まっています。長崎は電停の区間が短いので特に繁華街では最高時速より遅いスピードで走っています。

Q、昨今は物価上昇の時代ですが、何区間乗っても100円という運賃設定はなぜ可能なのでしょう?

A、長崎の路面電車は中心市街地と観光名所の近くを通り、また坂の多い地形でマイカー保有台数が少なく、通学、通勤、観光客の方々が多くご利用くださっています。昭和59年から約24年間、値上げなしでやっていけるのはひとえにお客様のお陰です。

Q、近年は、深緑にベージュの定番電車のほかに、カラフルな広告電車をよく見かけますが?

A、いまでは当たりまえのようになった広告電車ですが、全国に先がけてはじめたのが長崎です。昭和39年9月に初のカラー広告電車が長崎の町を走りました。広告収入の他に、早ければ2ヶ月程度でおこなう車体の塗り替え費用が節減されるなど増収に貢献しています。

Q、長崎の路面電車は他都市を走っていた電車が多く、電車博物館ともいわれていますね?

A、旧東京都交通局や旧箱根登山鉄道、旧熊本市交通局、旧仙台市交通局、旧西日本鉄道と他都市からの電車が活躍しています。とくに旧西日本鉄道の電車は明治44年製造で現役最古級の木造電車となっています。

 これらの電車は一回片道7,700円(過半数が小児の場合は半額)で一両を貸し切りすることができます。例えば、結婚式の二次会会場への移動や電車好きなお子さまの誕生日など記念の日に、様々にご利用いただければと思います。

 なお多客期、天候状況、車両検査などでご希望に添えない場合がありますのでご利用の際は、なるべくお早めにお申し込みいただければ幸いです。(運転課 095-845-4113)

Q、長崎ランタンフェスティバルなどのイベントに登場する電車は、どういった種類の電車ですか?

A、花電車です。電車開通90周年記念、ランタンフェスティバルなどで利用されました。形式は87形で"ハナ"と命名されています。ちなみに旧仙台市交通局からの電車は1051号。"仙台(千番台)から昭和50年代にやってきた"ということで名づけられた電車もあります。

Q、現在の車両数を教えてください。

A、80両です。うち2両が花電車です。

Q、数年前より、3つに分かれている新しい電車を目にします。近未来的な形ですね。

A、超低床路面電車3000形です。純国産の超低床路面電車としては初めて台車部分を含む100%の低床化を実現しました。これによって電停と乗降口の段差は従来の30〜40cmから約7cmとなり車椅子利用やご高齢の方やベビーカーでの利用が楽になりました。平成16年に導入を開始し、現在は計3両を運行しております。3000形は、グッドデザイン賞やローレル賞なども受賞しています。また、名称をリトルダンサータイプUといい、"小さい段差"という意味も込められています。前出の87形や1051号などの数字や名称に注目してみるのも面白いですね。

Q、何区間乗っても100円運賃、全国にさきがけてはじめた広告電車など、お話をうかがってきましたが、他によそにはない長崎独自のものはありますか?

A、日本でただひとつ、路面電車のトンネルが長崎にあります。浜口町の長崎西洋館一階部分です。桜町〜公会堂前間にも似た構造のものがありますが、 トンネルは西洋館のみです。

Q、大勢が利用する路面電車には、忘れものも多いのではないでしょうか?

A、季節によって変わりますが、夏は帽子、寒くなると手袋。手袋は片方のみのお忘れものが多いですね。また、変わったものでは、学生カバンや入れ歯などがありました。一年通して多いのは、やはり傘です。車内のお忘れものは警察に届けますが、保管期間が終了した傘などは、急な雨にお困りのお客様に正覚寺下、浦上車庫前、蛍茶屋の各電停で無料提供しております。

Q、近年、路面電車は環境にやさしいと注目されていますね。

A、車社会は都市に交通渋滞や排気ガスなど様々な問題をもたらしました。路面電車は定時運行ができ、二酸化炭素排出などの環境負荷が小さい公共交通機関として見直されています。今後とも人と地球にやさしい路面電車を目指し車両・設備の近代化やバリアフリーを進め、輸送サービスの向上に努めていきます。

[インタビュー・文:高浪利子 / 取材協力・写真提供:長崎電気軌道株式会社]



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