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枯松神社祭

〜時をこえて・宗教をこえて〜

 11月3日(土)、長崎市外海地区の黒崎で、"枯松神社祭"がおこなわれました。これは、江戸時代、キリスト教が禁止されていたとき、外海のキリシタンたちが崇拝していたサン・ジワンさまとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。枯松神社とは、日本でも珍しいキリシタン神社。弾圧のなかで、神社としてカムフラージュしながら、信仰の対象となるサン・ジワンさまを祀った場所です。

 当日はすがすがしい秋晴れ、国道202号沿いからの美しい景色を眺めながら会場に向かいます。黒崎教会を目印にすぐ脇の山道へと入ってしばらく行くと、石階段の参道がありました。青空をさえぎるような木々の小道を登り、通称"枯松さん"と呼ばれる枯松神社へとたどりつきました。

 第8回目を迎える今年の"枯松神社祭"では、カトリック教会の神父さまによる慰霊ミサ、天福寺の住職さまによる講演、旧キリシタンによるオラショ奉納が行われました。それは長い歴史の時をこえ、宗派の違いをこえた祈りの祭りでした。

神社にカムフラージュ、外海キリシタンの祈りの

 まず、はじめに中町教会主任司祭の野下千年神父によって、感謝と慰霊のミサがおこなわれました。カトリック信徒のみなさんによって捧げられた「(信徒発見の歌)殉教の血潮に」という聖歌の歌詞が心に響きます。♪「殉教の血潮に 養われて 茨の道の 三百年 真の教え 守りつぎし 遠つみ先祖の 裔ぞわれらは…」♪聖歌が林にこだまし、潜伏しながら信仰を守りとおした先祖たちを讃えました。

お寺とキリシタンの共存

 次に、曹洞宗天福寺の塩屋秀見住職が、「天福寺と隠れキリシタン」と題して講演をおこない、キリシタン弾圧時代の地域の人々の結びつきについてお話をされました。

 ある日、カトリック信者の人たちが天福寺を訪ねてきたそうです。「私たちはカトリックの教えに戻りましたが、先祖たちが隠れていたとき、天福寺さんがそれと知りながらも守ってくれたから、今に命をつなぐことができました。」お寺の改修費にあててほしいと感謝の寄付を渡されたとのこと。徳川幕府によるキリシタン弾圧のなかで、お寺に所属する仏教徒を装い、オラショ(祈りの言葉)を伝承し、キリスト教の信仰を守りながら生きることができたのは、宗教をこえて村の人々が結束して助け合うという関係があったのです。信仰の自由が認められたとき、カトリックに戻った人、天福寺にお世話になった恩で仏教徒になった人、隠れのままにオラショを奉納する人、それぞれの道にわかれました。塩屋住職の「歴史をただ考えるのではなく、現代人として何をしなくてはいけないのかを考える場所が、ここ枯松神社なのではないでしょうか。」と投げかけた言葉がとても印象的でした。

 枯松神社の脇にあるお墓を見ると、墓石に洗礼名と戒名が一緒に刻まれているものが見受けられます。宗派をこえた集落の人々の結びつきによって、各個人の精神を尊重し守ることを可能にしたという歴史を学ぶことができました。

オラショ奉納

 つづいて旧キリシタン代表の村上茂則さんによるオラショの奉納がおこなわれました。代々受け継がれてきたオラショを、枯松神社の拝殿の前に静かに座り、サン・ジワンさまとご先祖たちに捧げました。会場に集まった人々も静かにオラショの言葉に聴き入りました。

 木の葉がすれあう音の隙間をオラショの言霊が抜けるような不思議な感じです。目をとじると、オラショをひそかに伝承していた当時の様子が見えてくるような・・・。徳川幕府の禁教令のなか、キリシタンたちは、役人に見つからないように参道の途中にある"祈りの岩"とよばれる巨岩の影に集まり、オラショを伝承したそうです。

 日本にキリスト教が伝来してから約470年。仏教もキリスト教も時代の流れに翻弄されながら、その歩みにはいろいろなことがあったと思います。そんななかで同じ地域に住む人たちどうしの思いやりや絆、結束をあらためて思い起こすことができました。歴史もさることながら、宗派をこえて集い、先祖たちに感謝する枯松神社祭は、今に生きる私たちの幸せな暮らしを、人間としてごくあたりまえに感謝することを教えてくれました。

参考文献
  • 『旅する長崎学4 キリシタン文化検戞ヾ覯茵芯杭蠍 制作/長崎文献社 2006年


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        • 枯松神社
        • 黒崎教会
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