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里田原歴史民俗資料館

 弥生時代の低湿地遺跡である里田原遺跡から出土した遺物等の収蔵及び展示を目的として、1982年(昭和57年)11月に開館した里田原歴史民俗資料館です。

 この里田原遺跡は、長崎県平戸市田平町にあり、もともと大陸に近いという地理的環境から日本文化の起源を探るうえでも重要な位置にあります。

 さて、この資料館ではどんな資料を見ることができるのでしょうか?早速入館してみましょう!

里田原遺跡

 1972年(昭和47)7月、国道沿いの工事現場から弥生土器と木製の道具が発見され、2006年(平成18)3月までに51次にわたる調査が行われています。その結果、弥生時代の遺跡であることがわかりました。

 “日本の米作り”が行われ始めた頃の木製の道具が多く出土していることから、全国的にも注目を集めました。水門や樫の実の貯蔵穴(ちょぞうけつ)、しゃもじや藤籠といった生活用具など多数の木製品が見つかりました。水田下の湧き水の影響で、通常では残らない縄文時代終わり頃や弥生時代の木製品がそのままの形で数多く出土しました。この館内に展示されている木製品のほとんどが複製品ではなく、弥生時代に使用されていたものだというので、一見の価値があります。

 鍬(くわ)や鋤(すき)などは農耕の存在を示すものですが、それを作った工具と思われる斧(おの)や手斧(ちょうな)の柄や鋤の未完成品なども見つかりました。このことによって、木器を作っていた人がいたこともわかります。さらに魚やクジラ、鹿の骨、樫の実、うり・ひょうたんなどの種、米と籾(もみ)も出土しており、弥生時代にどんなものを食べていたのかもわかります。さらに食物を盛るための皿や漆塗りの祭器のようなものも出土しており、階級社会の成立を伺わせるものまであります。この館内の展示物をみると、弥生時代の生活がより具体的にわかり、身近に感じられるから面白いですね。

 里田原の水田の中には支石墓(しせきぼ)と呼ばれるお墓があります。縄文時代の終わり頃(約2700年前頃)、朝鮮半島から伝わったといわれるお墓の形で、土壙(どこう)や石棺(せっかん)、甕棺(かめかん)などの埋葬主体の上に大きな上石(うわいし)を載せたお墓です。その上石を支える石(支石)があることから「支石墓」と呼ばれています。甕棺からは朝鮮半島系の鏡なども見つかり、朝鮮半島との交流があったことを示しています。現在里田原には、2群3基の支石墓が残っています。里田原歴史民俗資料館に隣接しているやよい幼稚園の裏手に支石墓1号基があります。

 また資料館駐車場のすぐ側には、里田原の天満宮前でみつかった2基と荻田中野ノ辻遺跡(おぎたなかののつじいせき)の石棺が復元されています。資料館に寄った際には、ぜひ見てくださいね。

 里田原遺跡のほかには、田平町の日の岳(ひのたけ)遺跡から発掘された台形石器(だいけいせっき)や田平熊野神社の懸仏(かけほとけ)など面白い展示物もあります。

 また平戸瀬戸に面した岬の岩礁近くに「つぐめのはな遺跡」という縄文時代の遺跡があります。この遺跡から見つかった有茎石銛なども展示されており、この頃すでに捕鯨を行っていたのではないかといわれています。当時の生活がこれだけ具体的に見えてくると、今後の調査がますます楽しみになってきますね。

里田原歴史民俗資料館

【開館時間】

午前9時〜午後5時

【入館料】

一般・・・200円

(団体・10人以上・・・160円)

小・中高校生・・・100円

(団体・10人以上・・・80円)

【休館日】

毎週水曜日及び12月29日〜1月3日

【お問い合わせ】

里田原歴史民俗資料館

〒859-4807 長崎県平戸市田平町里免236-2

TEL:0950-57-1474


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