たびながコラム

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陶芸の館

 波佐見焼は、1978年(昭和53)、日本の伝統的工芸品に指定されました。「伝統的工芸品」とは、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められているものです。

「的」とはどういうことでしょう?

“工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品”という意味が込められています。

 同年、三川内焼も伝統的工芸品に指定されています。この伝統的工芸品・波佐見焼とはどのようなものでしょうか?

 波佐見焼について詳しく資料を展示している「陶芸の館」にやってきました。早速館内へ入ってみましょう!

波佐見焼の歴史

 1598年(慶長3)、豊臣秀吉の朝鮮出兵から帰国するの際に、大村藩主大村喜前(よしあき)が朝鮮より李祐慶(りゆうけい)らの陶工を連れ帰ってきました。陶工らは波佐見町村木の畑ノ原(はたのはら)、古皿屋(ふるさらや)、山似田(やまにた)の3ヶ所に登窯を築き、やきもの作りを始めました。これが波佐見焼の始まりです。白磁や染付、青磁などの磁器の生産も始まりました。

 1630年代に入ると、肥前(現長崎県・佐賀県)では陶器生産から本格的な磁器生産へと移行します。波佐見では、白磁・染付も生産しましたが、草花などの文様を彫りだす青磁が多く製作されています。この頃には三股古窯(みつのまたこよう)や三股青磁(みつのまたせいじ)窯などが設置されました。1665年(寛文5)、藩主・大村純長(すみなが)は、三股に皿山役所を設け積極的に殖産政策を推し進めました。

 1650年代には、中国での内乱によって中国産のやきものの海外輸出が中断し、中国にかわって日本のやきものが海外へ盛んに輸出されるようになりました。肥前一帯に注文が増えました。波佐見にも多くの窯が築かれ、生産技術も向上し、海外輸出用の大きな染付鉢や青磁皿を生産しました。

海外へ渡った波佐見焼「コンプラ瓶」

 西洋や中国に開かれていた長崎から、東南アジアやヨーロッパへと輸出されたものの中には、波佐見で製作されたコンプラ瓶がありました。長崎の仲買がオランダ東インド会社を通じて輸出したものです。「仲買」をオランダ語で「コンプラドール」といいますが、そこから名付けられたといわれています。

 醤油や酒を入れて輸出されていました。醤油瓶には「JAPANSCHZOYA (ヤバンセ・ソヤー:日本の醤油)、酒瓶には「JAPANSCHZAKY(ヤバンセ・サキー:日本の酒)と書かれており、独特な形はヨーロッパ人から愛され、1874年(明治7)まで生産されました。出島からも多くのコンプラ瓶が出土しています。

 1690年代に入いると、海外向けから国内向けのやきものを多く生産するようになります。特に庶民が買える安価なやきもの作りが行われ、日本中に親しまれた「くらわんか茶碗」も大量に生産されました。

 当時、やきものは積み出す港の名をとって「伊万里焼」、明治以降には出荷駅の名をとって「有田焼」として流通していたために、「波佐見焼」という名称が知られていませんでした。しかし染付磁器の生産量は日本一であったといわれ、18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器の多くが波佐見焼であるといわれています。

「くらわんか」とは?

 江戸時代には、大坂天満・京都間の淀川を往来する船に近づき、乗船客に「餅くらわんか」「酒くらわんか」などと声をかけ、飲食の商売をしている茶船がありました。掛け声から、くらわんか舟とも呼ばれていましたが、この小舟には火床が備えられ、餅や酒、煮炊きをした料理を器に盛って販売していました。これらの器の多くが波佐見で生産されたもので「くらわんか手」とも呼ばれました。植物をはじめ動物や自然、風景、幾何文様のものが多く、大坂・江戸を中心に全国津々浦々へ運ばれ、庶民の間で親しまれました。安価な磁器であったため、波佐見の磁器は庶民に広まり、日本の食文化の歴史にも関わっています。

明治以降の波佐見焼

 明治に入り、皿山役所が廃止されると、藩の保護がなくなり、窯元やそこで働く人々は困難な道を歩むことになりました。しかし窯元同士協力しあい苦労を重ねながらも新しい技術を導入し、発展し続けました。

 この頃には様々な改革がなされました。天草陶石が使用されるようになり、安定した品質の高いやきものが製作されるようになりました。陶石粉砕は、それまでの唐臼から水車へと変わりました。その後電力の利用による陶土製造がはじまり、蹴りロクロでの成形へと変化し、動力ロクロも登場するようになりました。下絵具においては、合成呉須(人工コバルト)が使われはじめ、また銅板転写も導入されました。1915年(大正4)には石灰窯が初めて導入され、燃料として石炭が使用されるようになります。この頃には石膏型による鋳込(いこみ)成形が登場し、袋物の量産が可能となります。ゴム版による絵付も始まりました。

 昭和に入ると、機械ロクロが登場し、さらに大量生産が可能となりました。

現在の波佐見焼

 江戸時代、それまで庶民の手が届かないと思われていた磁器碗を、「くらわんか茶碗」などで手頃な価格にし、庶民の人気を得て、日本の食文化の発展にも影響を与えました。

 毎日の暮らしの中で、“使えて、手軽でしかも良質な器”を消費者のニーズに合わせて提案する姿勢は、現在でも変わりません。その時代の人々のさまざまな暮らしにあわせて変化し、使われ、愛される陶磁器を製作するため、常に新しい技術に取り組んでいます。

さらに波佐見焼を楽しむには

 波佐見町では、自分だけの器を作る体験だけでなく、農業やお酒作り、そば作りなどの体験とを組み合わせた滞在プランが充実しています。このことによってより生活に身近である器に関わることができます。

 年間を通じてイベントも多く、様々な内容が盛り合わされています。

代表的なイベント

●中尾山 桜陶祭(おうとうさい)

 毎年4月第1土日には、普段は見ることの出来ない陶郷中尾山の窯元17社が一般に開放され、 焼きものの直売が行われます。また桜や波佐見ののどかな風景を眺めながら歩く窯元ウォークラリーも実施されます。

●波佐見陶器まつり

 毎年4月29日〜5月5日は、20万人もの観光客と焼きものファンで賑わい、値段交渉の声がお祭り気分を盛り上げます。陶芸の館では、波佐見焼の歴史をたどり陶芸体験もできます。

 8月には、各地区で江戸時代から続いている浮立や皿山人形浄瑠璃公演、はさみ夏まつりなどが行われます。

●鬼木棚田まつり

 案山子コンテストをはじめ、波佐見町ならではのイベントが多数開催されます。

●はさみ炎まつり

 11月には、農産物や波佐見焼の販売が行われ、500円で器を購入いただくと、郷土料理を召し上がっていただくという満足いっぱいのイベントが開催されます。絵付け体験やロクロ鋳込み体験コーナーも行われます。

●皿山「器替まつり」

 12月には「環境にやさしい」をテーマにした「器替まつり」が開催されます。ご自宅にある不用の器を持っていくと各店にてお好きな器を各店1点を定価の5割引きで購入し、交換できるというものです。御持ちいただいた器は、エコスタイルとして生まれ変わるというから面白いイベントです。

 5月下旬に酒米田植えを行い、10月下旬に稲を刈り、自分だけのお酒と酒器を作るという数ヶ月に渡って完成する贅沢な体験があります。波佐見町では、毎月何かしら参加できるイベントがたくさんあり、やきもの作りに気軽に参加することができるのです。

 また陶芸の館「くらわん館」や中尾山伝習館をはじめ、波佐見町内の様々な会場で、随時ろくろや手びねりでイチから自分の手で作る本格陶芸や絵付け体験、やきものの窯を利用したピザ焼き、石窯料理、パン作り体験が体験できます。

 さらに今後は、地元観光会社の協力を得て、博多駅を発着とした2泊3日の体験滞在ツアーや日帰りツアーをはじめ5種類のツアーが開催される予定です。四季を通して開催される予定ですので、波佐見観光協会の公式サイトをチェックしていてくださいね。

陶芸の館 観光交流センター

〒859-3711

長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2

・波佐見町観光協会

 TEL:0956-85-2290 FAX:0956-85-2856

・波佐見焼振興会

 TEL:0956-85-2214 FAX:0956-85-2856

・くらわん館

 TEL:0956-26-7162 FAX:0956-26-7163

 

【開館時間】9:00〜17:00

【休館日】1月1日のみ

※資料展示コーナーは入館料無料です

※団体見学や絵付け・ロクロ体験ご希望の方は、一週間前までに電話・FAXでお申し込みください。

※絵付け・ロクロ体験は有料です

 

URL:http://www.hasami-kankou.jp/


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