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原城跡発掘出土品展示室

原城跡発掘出土品展示室

 島原の乱で知られる原城跡にやってきました!

 ここから出土した十字架やロザリオなど貴重な遺物は、すぐ近くにある原城文化センター内の展示室で見られるというのです!

 私たちのように、原城跡を訪れ、当時のことをもっと知りたいという方、この展示室に来ませんか?

 早速これから原城跡発掘出土品展示室へむかいます!

 原城跡で発掘された十字架やロザリオなどの貴重な遺物は、この原城文化センター内の一室に展示されています。

 遺物の中には、有馬氏の統治時代の城郭に使われていたであろうといわれる瓦や鬼瓦、使用されていた陶磁器などもあり、当時の生活の一部を見ることができます。

 2004年度(平成16)の発掘調査で本丸最北部の登城用通路下から発見された、本丸大手門跡の地表や石垣のレプリカも設置されています。

 島原の乱当時の地表付近には焼けた瓦や人骨もあり、その上に石垣などが埋められていたといいます。

 原城は島原の乱より以前にすでに取り壊されていたといわれていましたが、これまでの説とは異なり、乱が終結した後に、徹底的に壊されたという状況がわかりました。

島原の乱・原城について

 島原半島の南部に位置し、1496年(明応5)に日野江城(ひのえじょう)の支城として有馬貴純(ありまたかずみ)によって築かれたといわれます。

 原城跡は、標高20mほどの高台が有明海に突き出た場所にあり、約9万年前の阿蘇火山の大噴火に伴う大火砕流が、有明海を渡ってこの地まで流れてきたことによって作られた台地といわれています。

 三方を海に囲まれたこの高台は、まさに難攻不落の天然の要塞でした。この地形を利用して、有馬家はこの地に原城を築きました。

 この丘陵に本丸、二の丸、三の丸、出丸、天草丸などで構成された、長崎県内でも最大の平山城が築かれました。

 江戸時代初期に勃発した「島原の乱」の最後の舞台となった場所です。1638年1月(寛永14年12月)、天草の領民を含む3万7千人(2万7千人とも いわれる)が、一国一城制で廃城になっていた原城に立てこもりました。88日間に及ぶ籠城の末、ついにこの地で島原の乱は終焉を迎えました。

 

 私たちとは逆に、原城跡発掘出土品展示室で遺物や資料を先に 見て、原城跡も行きたくなってしまうという方もいると思います。車で数分のところに原城跡がありますので、ぜひとも展示室と原城跡両方を訪れてみてください。

 展示室や原城跡をガイドしてくれる地元の方々もいらっしゃいます。もっと詳しい話を聞くことができますので、お気軽にお問い合わせください。

 

◇お問い合わせ先

南島原ひまわり観光協会

〒859-2504

長崎県南島原市口之津町丙4252番地

南島原市口之津庁舎 別館2階

電話:0957-76-1800

FAX:0957-76-1801

原城一揆まつり

 2011年4月16日(土)、原城本丸および周辺において、開催されます。

 「島原の乱」終焉の地である原城跡で4万人を超える犠牲者の追悼と原城跡を顕彰するイベントです。「島原の乱」殉難者を追悼するために、市民や一般参加者による提灯追悼行列が行われます。

 お昼の部では「島原の乱」で原城跡に籠城した天草四郎をはじめとする一揆衆が、幕府軍との攻防の末に落城する様子を再現した地元中学生による演舞「落城の賦」も行われます。

 まつりのメーンとして、「島原の乱」で犠牲となった4万人を超える殉難者をキャンドルの炎で追悼します。原城跡周辺にはキャンドルが並べられ、幽玄な炎で包まれた原城跡は来る人に感動を与えます。

 会場には原城一揆まつりのシンボルで、地域住民の手作りによる高さ15メートルの城が、幻の『一夜城』として出現します。

原城跡発掘出土品展示室(原城文化センター内)

南島原市南有馬町乙1374

 

見学自由(入館無料)

【開館時間】午前9時から午後5時まで

【休館日】毎週月曜日、年末年始 

【問い合せ先】

 原城文化センター TEL:0957-85-3217

 南島原ひまわり観光協会 TEL:0957-76-1800

 

URL:http://himawari-kankou.jp/



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