ながさき歴史の旅

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歴史発見ドライブルート

第4回 松浦市 鷹島:元寇最後の激戦地、鷹島

橋が架かって便利になったよ!!
 このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。

 今月の注目エリアは松浦市の『鷹島』。元寇、石工業、松浦とらふぐで知られる島です。テレビや新聞の報道でご存知の方も多いと思いますが、2009年(平成21)4月18日、佐賀県唐津市肥前町との間に鷹島肥前大橋が開通して、陸続きとなりました。
 今回のテーマは、「元寇最後の激戦地、鷹島」です。さあ、元寇・ロマンの島 鷹島へ行ってみよう!
 ところでみなさんは、鷹島がどこにあるか知っていますか?まずは、鷹島のことをチェックしておこう!
鷹島って? 鷹島に行く
今回、タビーナと一緒に旅をしてくれるのは、
「ゴルゴルくん」 と「とらふぐ君」です。
「ゴルゴルくん」は、元寇という歴史をお互いに乗り越えて友好を深めようと、
鷹島とモンゴル人民共和国との友好の証として誕生したキャラクターです!
今月のゲストキャラ「ゴルゴルくん」と「とらふぐ」君
モンゴル相撲が趣味の力持ちで、やさしい心を持っています。
鷹島のモンゴル村で、キャラクターとして活躍しています。
「とらふぐ君」は、この「旅する長崎学」サイトのオリジナルキャラクターで、
松浦市の特産である“とらふぐ”がモデルです。


今回のドライブルート

松浦市 鷹島町の地図

スポットの紹介

01鷹島肥前大橋(たかしまひぜんおおはし)・道の駅 鷹ら島(みちのえき たからじま)

鷹島町から見た鷹島肥前大橋 長崎県と佐賀県の共同事業として建設が進められ、2009年(平成21)4月18日に開通しました。この大橋の完成によって、離島であった鷹島は陸続きになりました。長崎県松浦市鷹島町神崎と佐賀県唐津市肥前町星賀が結ばれ、これまで鷹島への交通手段はフェリーのみでしたが、車で渡ることができるようになったのです。
 橋の長さは1,250m。鷹島肥前大橋は、長崎県内では「女神大橋」に次いで2番目に長い橋です。歩道もあるので、ウォーキングコースとしても利用されています。
道の駅 鷹ら島(みちのえきたからじま) また、鷹島へと橋を渡ったところに、「道の駅 鷹ら島」が鷹島肥前大橋の開通とともにオープンしました。裏手にある緑地休憩広場からは大橋を望むことができ、景色が素晴らしいスポットとして見逃せません。

道の駅 鷹ら島(みちのえきたからじま)モニュメント   道の駅 鷹ら島(みちのえきたからじま)モニュメント

02兵衛次郎の墓(ひょうえじろうのはか)

兵衛次郎の墓(ひょうえじろうのはか)  元寇で戦死した兵衛次郎の墓です。車道に近く、すぐれた観望とあいまって、現在に至っても参拝する人が絶えません。
 1274年(文永11)、元軍が対馬に侵入してきた際、対馬守護代宗助国(そうすけくに)は一族80騎を率いて奮戦しましたが、遂におよばず・・・。戦死の直前、家臣の小太郎と兵衛次郎に、元軍の来襲を大宰府に知らせるようにと命じました。二人は、激戦のなかを小舟で抜け出し、博多に上陸して大宰府にその旨を報じ、その使命を果たしたそうです。 
ゴルゴルくん「道の駅 鷹ら島からまっすぐ進むと左手にあるよ」とらふぐ君「すぐ近くなので通りすぎないようにネ!」タビーナ「鷹島には、元軍と戦った場所といわれるところが多いんだね」 その後、1281年(弘安4)弘安の役のとき、小太郎・ 兵衛次郎の二人は鷹島に渡って奮戦し、この地で没したといわれ、それぞれ墓が建ちます。小太郎の墓は別の場所にあるので、あとで立ち寄ることにしましょう。

03松浦市立鷹島歴史民俗資料館・松浦市立鷹島埋蔵文化財センター
松浦市立鷹島歴史民俗資料館

 弘安4年7月30日の夜、総勢4,400隻の船と約14万人といわれる元軍の大半が鷹島周辺の海に沈みました。
 この歴史をもとに、鷹島周辺の海は水中考古学の宝庫として注目されており、これまでも調査がおこなわれてきました。沈没船の遺物調査と引き揚げ作業で発見された多数の元寇遺物が、松浦市立鷹島歴史民俗資料館に展示されています。このほか、考古資料・民俗資料も収集・展示してあります。
松浦市立埋蔵文化財センター  なお、隣接する松浦市立鷹島埋蔵文化財センターでは、遺物の調査や研究、保存処理などがおこなわれています。

中に入ってみる

04鷹島海中ダム

鷹島海水ダム 鷹島では、安土・桃山時代から雨乞い踊りをおこなうなど、常に水不足に苦しみながら農業を営んできました。そのためダムを造る必要性がありましたが、ダム建設の適地がありませんでした。そこで、海岸の入江を締め切って、海水によるダム湖を造ったのです。
 ダム湖内の海水塩分を下部に沈殿させ、流入水を溜めて水面を海面より高くします。そうすると、塩分と水との比重差によって、堤体下部に設けられた除塩排出部分から、濃い塩分水が海へ放流され、ダム湖内は淡水化するという方式です。この鷹島のダムは、日本初の海中ダムとして、1994年(平成6)に完成しました。
鷹島海水ダム このダム湖には、一周できる遊歩道や公園が整備され、いこいの場所としても活用されています。また長い階段を登った台地広場には展望台があり、ダム湖や伊万里湾が一望できます。

05龍面庵小弐公園(りゅうめんあんしょうにこうえん)

龍面庵小弐公園(りゅうめんあんしょうにこうえん) 弘安の役の際、少弐景資(しょうにかげすけ)が本陣を置いたところと伝えられています。

06宮地嶽史跡公園(みやじだけしせきこうえん)・元寇記念之碑

宮地嶽史跡公園(みやじだけしせきこうえん) 1970年(昭和45)に史跡公園として整備されました。玄界灘が一望できる高台にあり、絶景が楽しめます。五輪塔、元寇記念之碑があります。

07鷹島モンゴル村

鷹島モンゴル村 鷹島の北部18ヘクタールの原野に、美しい自然を生かした楽園「鷹島モンゴル村」が広がります。モンゴルからはるばる運んできたゲルに宿泊することができ、遊牧民の気分を味わえます。

08白浜海水浴場

白浜海水浴場 真っ白い砂浜に穏やかな波が打ち寄せるビーチです。トイレ、更衣室、シャワー室、駐車場なども完備された海水浴場です。

龍面庵小弐公園から白浜海水浴場までは次週の「テーマで歩く歴史散策」で詳しく説明します!
09対馬小太郎の墓

対馬小太郎の墓 先に訪れた「兵衛次郎の墓」のところでご紹介した対馬の二人を覚えていますか?ここが、兵衛次郎と同じく元寇で戦死した小太郎の墓です。遠く対馬を望む小高い丘の上の頂上に築かれています。
対馬小太郎の墓から見た対馬の方角  小太郎は、元軍が再び来襲した弘安の役の際、少弐景資(しょうにかげすけ)の配下として鷹島で奮戦しましたが、途中重傷を負い、自刀しました。「我が屍を埋むるに対馬を望むべき丘陵に於いてせよ」という遺言にしたがって、この場所に墓が建てられているそうです。


元寇の役古戦場(対馬市厳原町)

小茂田浜神社 小茂田浜神社入口の元寇奮戦図

 1274年(文永11)、文永の役において、対馬の守護代宗助国は自ら親兵80余騎を従えて、佐須浦に討って出ました。現在の小茂田(こもだ)の海岸付近が、このときの激戦地であったといわれています。左の写真は、対馬を守るために戦った歴史を伝える小茂田浜神社。右は小茂田浜神社入り口に建てられた元寇奮戦図です。

10刀の元の六地蔵(とうのもとのろくじぞう)

刀の元の六地蔵(とうのもとのろくじぞう) 「対馬小太郎の墓」から南に50メートルほど離れたところにある、六地蔵と五輪塔が六つ集まっている場所を「刀の元(とうのもと)」とよんでいます。
 弘安の役の際、このあたりの戦闘で、元軍の捕虜を斬首したと伝えられています。

11オアシス村・三代浜海水浴場(みえのはまかいすいよくじょう)

オアシス村(元寇鎮魂之碑) 波静かなこの場所では海水浴や釣りを楽しむことができ、キャンプや磯遊びのスポットとして人気があります。「人」の字をモチーフにして建立された、高さ13mの元寇鎮魂之碑(石造)は、オアシス村のシンボルになっています。
 トイレ、シャワーも整備され、宿泊用のゲルもあります。

オアシス村 三代浜海水浴場(みえのはまかいすいよくじょう)

12牧の岳史跡公園(まきのたけしせきこうえん)

牧ノ岳史跡公園(まきのだけしせきこうえん) 鷹島の中で最も高い位置にあり、頂上を牧の岳と呼びます。平戸藩の頃には、付近一帯が広々とした原野で、平戸牛の放牧場であったといわれています。1970年(昭和45)に元寇の由来を記した石碑と五輪塔を建立、付近は公園化され、翌年落成しました。

13開田の七人塚(ひらきだのしちにんづか)

開田の七人塚(ひらきだのしちにんづか) 文永の役のとき、東浜に上陸した元軍は、島民のほとんどを虐殺しました。日本軍が博多湾の守備に重点を置き、鷹島は手薄になっていました。

 船唐津免の開田というところの一軒家は、人目につきにくい山の中にありましたが、飼っていたニワトリが鳴いてしまったため、元軍に見つかってしまいます。「ニワトリがいるなら人も住んでいるはずだ」と元軍は山の中を捜したのでした。8人家族のうち7人が殺され、灰だめに隠れていたお婆さんひとりだけが助かったということです。

 それ以来、開田ではニワトリを飼わないと伝えられています。

14今宮神社・広久山満福寺(こうきゅうざんまんぷくじ)跡

墓標や五輪塔、宝篋印塔など 1148年(久安4)、松浦直(なおし)が父・久(ひさし)のために、満福寺境内の一隅に建てたと伝えられています。松浦久は、松浦党の祖とされる人物です。境内には、元寇のときに鷹島を守るために戦い、重傷を負ってここで自刀したという松浦答(こたう)の墓があります。このほか、五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)がたくさんあります。
今宮神社の大銀杏 また、樹齢400年といわれる大銀杏(おおいちょう)は、枝から乳柱が垂れ下がっており、昔からその皮を煎じて飲むと乳が出ると言い伝えられています。この大銀杏は、1957年(昭和32)、「鷹島の公孫樹(たかしまのいちょう)」という名称で、長崎県の天然記念物に指定されました。

15銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう)

銅造如来坐像  江戸時代の終わり頃、鷹島の船唐津の漁師が、原の海岸に“アオギタ(魚群で海の色が変わること)”が生じた夢を見たので、翌朝さっそく網をおろしてみたところ、この仏像が網にかかったそうです。元寇で襲来した元軍が船に安置して礼拝していた仏像で、大暴風雨時に船とともに海底に沈んだものではないかと考えられています。

 また、こんな話も伝わります。ある時、盗人がこの仏像を盗みましたが、仏像が「原(はる)の釈迦は原に帰る」と叫んだため、盗人はたいそう驚き、仏像の頭や額にはめこんであった黄金や宝石を取って逃げたと・・・。

 この銅造如来坐像は、1974年(昭和49)、長崎県の有形文化財に指定されました。

タビーナ「そろそろおなかがペコペコ…です!」ゴルゴルくん「じゃあ、鷹島の特産のとらふぐを食べようか」!

鷹島のとらふぐ

  鷹島の養殖とらふぐは出荷量・品質ともに全国でもトップクラスを誇っており、松浦市を代表する特産となっています。

鷹島のとらふぐを食べる

  毎年10月から翌年3月まで『松浦とらふぐまつり』が開催されます。鷹島をはじめ、松浦市一帯でとらふぐ料理をいろいろ味わうことができます。

タビーナ「そういえば、鷹島を巡ってみて、石碑や石のモニュメントが目についたんだけど・・・」ゴルゴルくん「よく気づいたね!鷹島は石工業も盛んなんだよ!」元寇で犠牲になった多くの人々の墓石や慰霊塔がつくられたでしょ。そこから石工業の歴史が始まったともいわれているんだ。「歴史発見コラム」で詳しく説明するからネ!お楽しみに!

参考文献
  • 『鷹島郷土誌』(昭和50年発行)
  • 『元寇ロマンの島 鷹島史跡めぐり』(鷹島町教育委員会)
  • 『松浦党研究 第三号』 特集 元寇と松浦党(松浦党研究連合会)
  • 『松浦党研究 第六号』 (松浦党研究連合会)
取材協力
鷹島肥前大橋・道の駅 鷹ら島 兵衛次郎の墓 兵衛次郎の墓 松浦市立鷹島歴史民俗資料館・松浦市立鷹島埋蔵文化財センター 松浦市立鷹島歴史民俗資料館・松浦市立鷹島埋蔵文化財センター 鷹島海中ダム 龍面庵小弐公園 宮地嶽史跡公園・元寇記念之碑 鷹島モンゴル村 白浜海水浴場 対馬小太郎の墓 対馬小太郎の墓 刀の元の六地蔵 オアシス村・三代浜海水浴場 牧の岳史跡公園 開田の七人塚 今宮神社・広久山満福寺跡 銅造如来坐像 銅造如来坐像

うんちくバンク

人物
    歴史事件
    • 元寇
    資料
      場所
      • 鷹島モンゴル村
      • 松浦市立鷹島埋蔵文化財センター
      • 松浦市立鷹島歴史民俗資料館
      • 女神大橋
      その他
      • 鷹島の公孫樹
      • 鷹島のとらふぐ
      • 銅造如来坐像

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