ながさき歴史の旅

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歴史発見ドライブルート

第9回 龍馬が駆け抜けた長崎 その1

 このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。
 今回は、坂本龍馬ゆかりの地の特集です!好評放送中の『龍馬伝』でますます注目度アップの坂本龍馬。 激動の幕末を生きた龍馬の夢は、長崎抜きには語れません。今回は、彼が残した足跡をたどりながら、幕末長崎の面影を訪ねます。


今回、一緒に旅をしてくれるのは、「ながさき龍馬くん」です!
長崎県のPRのため、全国各地を駆けめぐっている人気者です。


スポットの紹介
01長崎歴史文化博物館(ながさきれきしぶんかはくぶつかん)・長崎奉行所立山役所跡(ながさきぶぎょうしょたてやまやくしょあと)

 鎖国政策をとった徳川幕府の時代も唯一西洋に開かれた門戸として、海外文化の受け入れに重要な役割を果たしてきた貿易都市・長崎。 長崎歴史文化博物館は、約400年にわたる長崎貿易に関する貴重な資料を収蔵し、オランダ・中国・朝鮮などとの海外交流を知ることができる博物館です。
 館内には、歴史文化展示ゾーン、長崎奉行所ゾーン、企画展示室のほか、長崎歴史情報コーナー、伝統工芸体験工房、資料閲覧室、ミュージアムショップ、レストランがあります。

 この地は、かつて長崎奉行所立山役所があった場所。発掘調査で発見された当時の遺構の一部も活かして奉行所が復元され、博物館に併設されています。 タイムリーな見どころは、大河ドラマ『龍馬伝』の放送に合わせて、この長崎奉行所復元部分にオープンした「長崎奉行所・龍馬伝館」です。 龍馬の人物像やドラマを紹介する展示館は、ドラマの展開に沿って途中展示替えもおこない、2011年1月10日までの期間限定。開館当初から龍馬ファン、 大河ドラマファン、福山雅治さんのファンなど多くの方々が訪れています。

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02迎陽亭(こうようてい)

 迎陽亭は各藩や長崎奉行所の役人の集会所御用のみに応じていた料亭ですが、のちには皇族方のご宿泊等にも使用されました。後藤象二郎や岩崎弥太郎、 夏目漱石、北原白秋なども訪れたといいます。風情ある庭などが残っていますが、通常一般に公開されていません。それでも通りにはどことなく当時の雰囲気が漂います。
 通りに面する石門は、唐船のつなぎ石門として大黒町海岸にあったのを移したものだそうです、西道仙の書が彫られています。


03聖福寺(しょうふくじ)

 鉄心道胖(てっしんどうはん)は、木庵禅師に随待して宇治黄檗山万福寺(おうばくざんまんぷくじ)で修行し、その後、長崎奉行と長崎在留唐人の支援によって、 1678年(延宝6)に聖福寺を創立しました。境内は荘厳な空気に包まれ、大雄宝殿(だいゆうほうでん)、天王殿、山門などが県の有形文化財に指定されています。 大雄宝殿の横にある瓦塀に沿って墓地へと通じる石段を上がっていくと、聖福寺の屋根越しに長崎らしい風景が広がります。 映画化された小説「夏解(げげ)」の中でも登場しました。
 そして、この聖福寺も坂本龍馬のゆかりの地のひとつです。1867年(慶応3)、坂本龍馬らが乗った「いろは丸」が、瀬戸内海で紀州藩の巨大蒸気船「明光丸(めいこうまる)」 と衝突しました。龍馬ら乗組員は全員明光丸に乗り込み無事でしたが、積荷もろとも「いろは丸」は沈没してしまいます。この海難事故の談判は長崎へと舞台を移し、 ここ聖福寺でおこなわれたのです。
 談判には土佐藩参政・後藤象二郎も加わり、後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎とのトップ会談となりました。薩摩藩の五代友厚(ごだいともあつ)の周旋(しゅうせん)もあり、 紀州藩に賠償金8万3,000両を支払わせることが決定しました(のちに7万両に減額しています)。
 龍馬はこの談判中に「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」という歌をつくって長崎で流行らせたといわれ、人々の同情を誘って海援隊を支持させるという、 彼の巧みな世論操作も功をなしたといえます。

聖福寺:大雄宝殿横にある珍しい瓦塀
大雄宝殿横にある珍しい瓦塀
聖福寺:長崎らしい風情を感じる風景
長崎らしい風情を感じる風景


04福済寺(ふくさいじ)

 1628年(寛永5)に建立され、崇福寺、興福寺とともに「長崎三福寺」とよばれる唐寺のひとつです。当時長崎の唐寺の中でも最も大きい寺院でした。 黄檗様式の建造物として国宝に指定された大雄宝殿や、同時期に建立された大観門等がありましたが、いずれも1945年(昭和20)の原子爆弾投下で焼失してしまいました。
 原爆以前の福済寺の全景のミニチュア模型が、長崎歴史文化博物館の歴史文化展示ゾーンに所蔵されています。
 1864年(文久4・元治元)、勝海舟に随行して初めて長崎の地に足を踏み入れた龍馬たち一行が、最初に停泊したのが、この福済寺といわれています。


福済寺拝観料
大 人:200円(大人・大学生・高校生)
子ども:100円(中・小学生)

長崎駅

 長崎駅から風頭公園へは「長崎市亀山社中記念館見学タクシーパック」を利用すると便利です。


05風頭公園(かざがしらこうえん)
風頭公園:坂本龍馬像
坂本龍馬像

 この龍馬像は1989年(平成元)に「龍馬の銅像建つうで会」が建立したもので、銅像と一緒に記念撮影する観光客の姿が多く見られます。 長崎在住の彫刻家・山崎和國氏による制作です。
 ちなみに、現在「長崎奉行所・龍馬伝館」が開館(2011年(平成23)1月10日まで)している「長崎歴史文化博物館」のエントランスホールでは、 坂本龍馬像と岩崎弥太郎像(いずれも山崎和國氏制作)が一緒に設置され、来館者を迎えています。


風頭公園:司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑

 小説『竜馬がゆく』の中で、龍馬が陸奥陽之助に言った「長崎はわしの希望じゃ」という言葉が刻まれた文学碑です。 作家・司馬遼太郎氏の長崎における足跡として、1998年(平成10)に「亀山社中ば活かす会」が建立しました。


風頭公園:上野彦馬の墓
上野彦馬の墓

 上野彦馬は、俊之丞(しゅんのじょう)の子として長崎で生まれました。彦馬は、写真技術の習得と普及に多大な功績をあげた人物です。 日本で最初のプロカメラマンといわれ、彼が開業した上野撮影局には、龍馬や高杉晋作(たかすぎしんさく)、桂小五郎(かつらこごろう)など多くの幕末に活躍した志士たちが訪れました。 今に残る写真は、当時の人々や町の様子などを伝えてくれます。


風頭公園:展望台
展望台

 風頭公園の展望台からは、長崎港を一望できます。


06亀山焼窯跡(かめやまやきかまあと)

 亀山焼は、1807年(文化4)、大神甚五平ほか3名がオランダ人に売る水瓶製造の窯を築き、陶器を焼いたことに始まりました。 1814年(文化11)に白磁染付を焼くことに成功。絵付は南画家の木下逸雲(きのしたいつうん)など有名な文人墨客によるものも多く、 数々の名品をつくりました。

木下逸雲の住居跡は、中島川沿いにあります。玉川亭跡の近くです。
木下逸雲の住居跡は、
中島川沿いにあります。
玉川亭跡の近くです。

 しかし次第に衰退し、1865年(慶応元)、わずか58年でその歴史に幕を下ろすことになります。製作期間も短く作品も少ないことから、 幻の亀山焼ともいわれています。美しい南画風の絵柄は今でも愛好家たちを魅了しています。
龍馬の“亀山社中”は、亀山焼窯が閉窯した後の施設を借用したといわれています。

 風頭公園(かざがしらこうえん)から長崎市亀山社中記念館を通り、寺町通りまでへ行く小道を「龍馬通り」とよんでいます。

龍馬通り
龍馬通り

 通りには、亀山社中メンバーを紹介する説明板や手作りの案内板がところどころに立ち、 休み石等もあります。坂の多い長崎らしさを感じながら歩いてみよう!!

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07若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)

 南北朝時代に天皇に仕えた楠木正成(くすのきまさしげ)公の守護神「若宮稲荷五社大明神」が祀ってあります。亀山社中の隊士もよく参拝していたといわれており、 地元では「勤王神社」や「勤王稲荷」とも呼ばれていたそうです。
 2009年(平成21)7月には、亀山社中跡にあった高さ1メートルの龍馬の銅像が若松神社の境内へ移設されています。この神社では、オリジナル龍馬御守や祈願絵馬、 開運絵馬などが販売されています。

 毎年10月14日、15日に行われる例大祭で奉納される「竹ん芸(たけんげい)」は見ごたえがあります。しなる竹の上で、子狐、男狐、女狐に扮した人が芸を披露する、 伝統的なお祭りです。

 若宮稲荷神社参道を下りたところで、右に振り向くと藤屋跡があります。私有地のため無断で敷地内に入ることはできませんが、 龍馬が土佐藩士・佐々木高行(ささきたかゆき)とたびたび訪れていたという西洋料理店「藤屋」があったところです。
 「藤屋」は、1830年(天保元)に日本料理店として創業しましたが、1865年(慶応元)から西洋料理を手掛けたといわれています。 「福屋」や「自由亭」と並んで幕末の西洋料理店として知られています。


08亀山社中資料展示場(かめやましゃちゅうしりょうてんじじょう)

 「亀山社中ば活かす会」が、平成元年から亀山社中跡(現長崎市亀山社中記念館)にて、坂本龍馬をはじめ幕末の志士や長崎の風景の古写真など一般公開していたものを、 平成18年4月以降は亀山社中跡から徒歩2分ほどのところに「亀山社中資料展示場」を開館し、展示しています。

 展示場の建物はもともと民家であるため、アットホームな空間です。龍馬に関してのいろんな話を聞けたり、室内の撮影もできますので、 全国の歴史ファンや坂本龍馬ファンにもたいへん好評となっています。


入館料 無料
  電話番号  095-828-1454

開館時間 毎週土日、祝日の午前10:00〜12:00、13:00〜15:00
※平成22年1月4日〜平成22年12月28日は無休(10:00〜17:00)

09龍馬のぶーつ像

 亀山社中創設から130年を記念し、1995年(平成7)、歴史ファンや長崎の街を愛する市民の会「亀山社中ば活かす会」が建立しました。

龍馬のぶーつ像

 航輪(だりん)と大きなブーツがあります。
 実際に足を入れ、舵輪を握って龍馬の気持ちになって記念写真を撮ろう!ここから見渡せる長崎の街並みを一望しながら、 龍馬の気持ちにひたってみてはいかがでしょうか。


10長崎市亀山社中記念館(ながさきしかめやましゃちゅうきねんかん)

 1865年(慶応元)、幕府機関である神戸海軍操練所が解散すると、龍馬が中心となって薩摩藩の資金援助を受け、 この地に社中を結成しました。これが日本初の商社といわれ、拠点とした地名“亀山”と、仲間・結社を意味する“社中”をあわせて、「亀山社中」と呼ばれたといわれています。
 亀山社中には、神戸海軍操練所の出身者が多く、航海技術を生かして武器などを含む物資の運搬や貿易の仲介をおこないました。1866年(慶応2)には、 対幕府軍との下関海戦に参加し、長州藩の勝利に貢献しました。当時、反幕府の立場にあった長州藩に対し、薩摩藩名義で武器や艦船の購入を斡旋するなど、 薩長同盟へとつながる大きな役割を果たしたのです。

 「長崎市亀山社中記念館」は、亀山社中の遺構として現在に伝わる建物を所有されている方のご厚意により、長崎市が当時の姿により近いかたちで復元・整備し、 2009年(平成21)8月1日に開館しました。隠れ部屋などもあり、館内には龍馬にまつわる資料などが展示されています。 当時流行していた中国伝来の楽器“月琴(げっきん)”も必見です。ぜひ音色を聴いてみたいという方は、受付へ申し出ると演奏してもらえます。 その場で弾き方を教えてもらい、月琴演奏を体験することもできますよ。

入館料
  一般 個人300円 団体240円
  高校生 個人200円 団体160円
  小・中学校  個人150円 団体120円
  電話番号 095-823-3400
  開館時間 9:00〜17:00
  休館日 なし
  ※専用駐車場はありません

11玉川亭跡

 目の前に中島川が流れる料亭「玉川亭」は川魚料理で有名だったそうです。1867年(慶応3)、龍馬の斡旋によって佐々木高行と長州藩士・桂小五郎、 伊藤俊輔が面会した場所として知られています。


12上野撮影局跡

 中島川を渡ってそのまま川沿いに歩いて行き、長崎聖堂跡を通り過ぎたところに、日本初の商業写真館・上野撮影局の跡があります。 彦馬の父である俊之丞は、この地に別荘を構え、薬品や中島更紗などをつくっていたそうです。
 彦馬は、オランダ人医師のポンペに舎密学(せいみがく・化学)を学び、それをきっかけに写真に興味をもつようになりました。 堀江鍬次郎(ほりえくわじろう)とともに写真術を研究し、1858年(安政5)、二人の共同による手製写真機で撮影に成功しました。 このときのモデルは幕府医官の松本良順で、白粉をあつくぬり、5分ほど直立不動の姿勢をとったといいます。当時、写真術に使う薬液も自分で作らなければならず、 もともと化学者であった彦馬にして可能なことだったといえます。
 1862年(文久2)、彦馬はこの地に上野撮影局を開設しました。また彦馬は、西南戦争を写真報道したことでも知られています。


参考資料
  • 『長崎旅本 慶応幕末「旅する長崎学講座」公式テキスト』(長崎県 文化振興課)
  • 「郷土史事典」(長崎県/石田 保著昌平社出版)
五島観光歴史資料館 五島邸 心字ヶ池 梶谷城跡 不老山総合公園 調川道路公園調川道路公園 平戸切支丹資料館 平戸切支丹資料館 平戸城下町焼罪史跡公園焼罪史跡公園平戸城下町不老山総合公園 日本最西端の駅「たびら平戸口駅」日本最西端の駅「たびら平戸口駅」 大崎海水浴場 道の駅「松浦海のふるさと館」 亀山焼窯跡亀山社中資料展示場 若宮稲荷神社上野撮影局跡 亀山社中記念館風頭公園 龍馬のぶーつ像 長崎歴史文化博物館・長崎奉行所立山役所跡迎陽亭 長崎歴史文化博物館・長崎奉行所立山役所跡 若宮稲荷神社玉川邸跡聖福寺福済寺

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人物
  • 桂小五郎
  • 後藤象二郎 
  • 高杉晋作
  • 松本良順
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      • 風頭公園
      • 長崎歴史文化博物館
      その他
      • 海援隊

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