ながさき歴史の旅

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歴史発見ドライブルート

第12回 韓国外交に奮闘した島

 このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。

 今月の注目エリアは『対馬』です。旅の必携アイテムは『旅する長崎学12』です。2009年7月に紹介した『韓国に一番近い島「対馬」』では主に対馬の北部を旅しましたが、今回は南部を中心に紹介します!
 対馬がはじめてという人は、先にどんなところかチェックしておこう。


今回のドライブルート
スポットの紹介
01厳原港
案内は「やんこもくん」。2009年7月に続いての登場です。よろしくね

案内は「やんこもくん」。2009年7月に続いての登場です。よろしくね。


02長崎県立対馬歴史民俗資料館

 まず対馬の歴史を知るために、県立対馬歴史民俗資料館からスタートしましょう。
 対馬の文化財、考古学資料、民俗資料、宗家文庫などを収蔵・展示しています。なかでも、日本と朝鮮の修交を目的として派遣された通信使の行列の様子がわかる絵巻など“朝鮮通信使”に関する資料が充実しています。このほか、伊能忠敬(いのうただたか)一行が測量に訪れたときに絶賛したという1700年(元禄13)完成の「対馬国絵図」など貴重なものも収蔵されています。

 資料館のそばには、「誠信之交隣」と題した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の顕彰碑や「朝鮮国通信使之碑」が建っています。

雨森芳洲顕彰碑
雨森芳洲顕彰碑
朝鮮国通信使之碑
朝鮮国通信使之碑

誠信之交隣とは?

長崎県立対馬歴史民俗資料館


TEL 0920-52-3687

開館時間 9:00〜17:00

休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月28日〜1月5日)
資料整理期間(年1回、10日間)

厳原の城下町風景

 厳原(いづはら)は、明治維新まで「府中」「府内」とよばれ、行政・文化の中心地として栄えました。 宗氏が1486年(文明18)に佐賀(さか:峰町)から移館して以降、約380年間続いた城下町です。
 対馬藩時代の館跡や石垣塀で囲まれた武家屋敷跡、朝鮮通信使ゆかりの地など、格式ある10万石の城下町の風情と歴史が感じられます。

タビーナ「うわぁ〜情緒があってステキ!」やんこもくん「来週の「テーマで歩く歴史散策」でご紹介します!」


03お船江跡

 ここは江戸時代、対馬藩が人口の入江を構築し、藩船を係留していた施設です。
 この遺構は、1663年(寛文3)に築造されたものといわれ、石垣は一部修復されていますが、当時の姿をそのまま残しています。
 満潮時には木造の大船が出入りでき、逆に干潮時には干上がって荷物の積み降ろしや船の修復を行えるよう、便利に造成されています。


04尾浦海水浴場
  貸バンガロー、テント、研修施設等設備が充実した海水浴場です。シーズンになると大勢の海水浴客が訪れ、浜辺は賑わいを見せます。

05アカハラダカ観測地
アカハラダカ

 内山峠は南北に山があり、東西が開けているため、アカハラダカの飛翔には絶好のポイント。秋になると、展望所にはアカハラダカの渡りを見ようと、早朝から人々が集まります。前日大陸から渡ってきて、対馬で休んでいたアカハラダカが一斉に山のあちこちから飛び立ちます。
 アカハラダカはハトくらいの大きさの小型のタカで、中国北部をのぞく東半分と朝鮮半島、ロシアのウスリー地方で繁殖しています。9月頃、朝鮮半島から対馬、壱岐を通って九州の西海岸をかすめるようにして南西諸島、台湾を通り、フィリピンから赤道付近まで渡ります。

 内山峠がアカハラダカの秋の渡りの通過地点として知られるようになったのは、1989年(平成元)に824羽が渡るのが確認されてからです。多い年は9月初めから末日までの1ヶ月間で約35万羽も渡っており、日本一の記録といわれています。
 またこの時期は多くの鳥が渡りをする時期で、内山峠ではチゴハヤブサ、エゾビタキ、ツルの渡りも見ることができます。


06あゆもどし自然公園

 龍良山(たてらやま)原始林の山裾に、あゆもどし自然公園が整備されています。
 山深く、水量が豊かなことから鮎が多く上がります。しかし、途中に荒い急流があり、上流の内山まではさすがの鮎も上がれません。これが「あゆもどし」とよばれる理由です。


 瀬川に架かる吊り橋から見下ろすと、川全体が天然の花崗岩の岩床で、雄大な渓流の景観を眺めることができます。 水辺に近づくと、美しく澄んだ清流や、急流の流れが刻まれた岩肌など、自然の造形美を見せてくれます。夏は、友達グループや家族連れで賑わいます。


龍良山原生林
 あゆもどし自然公園から南に見える龍良山は海抜558.5メートル。天道山ともよばれ、古くから天道信仰の神体山として山全体が神地とされたため、 樹林が切られずに原始林が現在まで保存されています。1923年(大正12)に国の天然記念物に指定されています。
 アカガシを主体とし、ヤブツバキ、カクレミノ、ネズミモチなどが生育。大きな大きなスダジイが森のシンボルとして、 がっちりと根を張っています。最大1メートルにも及ぶ胸高直径、高さは25メートルにも達する巨木です。この樹林に入ると、自然の力を肌で感じ、感動すら覚えます。
 龍良山には整備された登山道がありませんので、入山される場合は案内役を地元のガイドさんにお願いすることをオススメします。また入山には事前の許可が必要です。

お問合せ先
・トレッキングコースのガイドについて
 対馬観光ガイドの会やんこも
 TEL: 0920-52-1566

・龍良山の入山許可について
 厳原森林事務所 TEL:0920-52-0243
 *約2週間前には入山申請の手続きをしてください。

07銀山上(ぎんざんじょう・しろかねの)神社

 対馬では古代より銀が産出されており、『日本書紀』の674年の記録に、対馬守忍海造大国(つしまのかみおしのみやつこのおおくに)が朝廷に銀を献上したという記述があります。 以後、対馬では銀を調(租税のひとつ)として朝廷に納めるようになりました。
 矢立山古墳の近くに式内社の銀山(かなやま)神社があり、銀之本(かねのもと)という地名があることから、 銀の産出と献納を促進した集団が存在したのではないかといわれています。
 参道の木々は高く、荘厳な雰囲気を醸し出しています。



08椎根(しいね)の石屋根

 朝鮮海峡に面するこの西海岸は、冬になると風速10数メートル以上の北西の風が吹き荒れます。自給自足が困難な対馬にとって、 食料を保存できる建物は何よりも必要なことでした。そこで考え出されたのが、対馬のどこででもとれた平たい石・頁岩(けいがん)で屋根を葺くことでした。 しかも床を高床式とすることで、風にも火にも湿気にも強い建物ができあがりました。


 この石屋根は、対馬でしか見ることのできない独特な建築物です。火災から食料などを守るため、母屋から離れたところに石屋根の倉庫群を形成し、食料や衣類、什器など生活に重要なものを保管していたといわれています。石屋根が登場したのがいつ頃なのかは明らかでありませんが、1811年(文化8)、最後の朝鮮通信使が来日した際に対馬へ渡ってきた佐賀藩多久の学者・草場珮川が著した「津島日記」の中に石屋根のことが記されています。
 しかし近年、この対馬独特の石屋根は減少の一途をたどっていますが、まだこの地域では道すがら目にすることができます。


09小茂田浜(こもだはま)神社

小茂田浜(こもだはま)神社

 1274年(文永11)、元寇・文永の役で蒙古軍の軍勢に襲われた地です。場所については諸説あり、 すぐ近くにある“体験であい塾「匠」”あたり一帯が戦場であったともいわれています。
 対馬の守護代・宗資国(そうすけくに)は、80余騎を率いて蒙古軍に応戦しましたが、 資国をはじめ全員が討ち死にしたといわれています。壮絶な戦いぶりを思わせるように、 宗資国の墓と伝えられるものが、近くの観音山の「お首塚」、法清寺の「お胴塚」、 銀山神社の「お太刀塚」、また「かいな塚」と別々にあります。

 小茂田浜そばに建てられた小茂田神社は、資国ら勇敢に戦った将兵の霊を祀っています。 毎年11月12日の祭礼の日には、その霊を慰める「元寇祭」が行われ、武者姿に扮した住民の皆さんが当時を思わせる鎧、 兜、刀、槍などで身をかため、参道を練り歩きます。その後、神官が蒙古軍が攻めてきた海に向かって弓を引き、 武者たちが「えい、えい、おー」と威勢よくときの声をあげます。最後に資国らの戦いぶりを詠んだ「小茂田浜の歌」が歌われます。

蕎麦の花  タビーナ「お腹減った〜そばが食べたい…」やんこもくん「じゃあ、そばを食べに行こうか?」


010対州そば(体験であい塾「匠」)

 農地が少なく、米がほとんど採れなかった対馬では、山の斜面を利用して蕎麦が各地で栽培されていました。中国の雲南地方から朝鮮半島を経て対馬に伝わったといわれています。

対州そば  対州そば

 小麦粉などのつなぎ粉や卵、山芋などのつなぎを一切使わないので、そば独自の風味が広がり素朴な味がいっそう引き立ち、香りが高くコシがあると評判です。
 2000年(平成12)にオープンした体験であい塾「匠(たくみ)」では、対州そばを味わうことができます。またこの施設では、自分の手でつなぎ無しの100%のそばを打って味わえる「そば打ち体験コーナー」や、長崎県の伝統工芸品に指定されている「若田石硯」を製作することができます。(体験は要予約です)

お問合せ先

体験であい塾「匠」 TEL:0920-56-0118


11金田城(かねだじょう)跡

 唐(とう)・新羅(しらぎ)の連合軍に滅ぼされた百済(くだら)が救援を求めてきたため、倭国軍(日本)は663年(天智2)、朝鮮半島の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)で唐・新羅連合軍と戦いましたが、大敗。倭国は唐や新羅の侵攻に備え、翌年に対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり)と烽(とぶひ)を設置しました。
 対馬は国防の最前基地として位置づけられ、百済の亡命貴族や軍人の協力のもと、天険の要塞である城山に金田城が築かれました。東国から派遣された防人は、唐・新羅の侵攻に備えました。壱岐そして筑紫へと危急を知らせる通信施設として、烽が山頂に築かれました。
 地元では「かねだじょう」のほか、「じょうやま」「かねたのき」ともよばれています。

湯ノ本湾  湯ノ本温泉

少し離れたところからも城山は見えます

 金田城の遺構は、東側沿岸に比較的よく残っています。天険を利用して構築された石塁は山を取り囲むように約2.8キロメートルにわたって残り、 高さは低いところで2〜3メートル、谷部では6〜7メートルにも達し、国の特別史跡に指定されています。
 北東の谷部には一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸とよばれる城門跡があり、門礎石(もんそせき)や水門を確認することができます。 1993年(平成5)からスタートした本格的な発掘調査によって、築城当時の遺構も発見されています。なかでも1999年(平成11)に調査された二ノ城戸においては、 城門跡の遺構がほぼ原型を留めて出土しました。

金田城跡登山道 金田城跡登山道 金田城跡登山道
金田城跡登山道 金田城跡登山道 金田城跡登山道

 登山道では景観や植物にも目を向け、対馬ならではの大自然を満喫しましょう。
 登山道は旧軍道ともよばれています。日露戦争の頃、頂上に砲台を設置するためにダイナマイトなどで岩を削り、道を整備しました。

最も大きい谷にある三ノ城戸 いまだに機能している水門 門礎と思われる穴があいた岩
最も大きい谷にある三ノ城戸 いまだに機能している水門 門礎と思われる穴があいた岩

動画を見る

*シーカヤックについては、2010年5月26日更新の「歴史発見コラム」でご紹介しますので、ぜひご覧ください。

参考資料
  • 旅する長崎学12 海の道I対馬 朝鮮外交への道』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『厳原町誌』
  • 『対馬国志 第2巻 中世・近世編 武門の興亡と対馬の交隣』(永留久恵著)
  • 『長崎県文化百選 壱岐・対馬編』(長崎県)
  • 『つしま百科』(平成20年3月 長崎県対馬地方局)
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  • 雨森芳洲
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