ながさき歴史の旅

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テーマで歩く歴史散策

第3回 “軍艦島”と呼ばれた炭坑の島・端島

 歴史発見ドライブルート(平成21年8月5日更新)で旅した高島。権現山(ごんげんやま)公園・展望台に向かう途中から見えた端島(はしま)は、まるで海に浮かぶ軍艦のような島でした。いったいどんな島なのだろうか? ぜひ行ってみたいっ!!
 今回の散策コースは、『軍艦島』とよばれた端島(はしま)にクローズアップします。テーマは、「“軍艦島”と呼ばれた炭坑の島・端島(はしま)」です。
 1974年(昭和49)に閉山し、無人の廃墟となった今も人々のイマジネーションをかき立てる『軍艦島』。さあ、いま話題の軍艦島に近づいてみよう!

端島(軍艦島)の紹介

 1810年(文化7)に石炭が発見され、その後鍋島藩が小規模な採炭をおこなっていました。1890年(明治23)三菱社が、旧深堀鍋島家当主鍋島孫六郎から10万円で譲り受け、1974年(昭和49)1月15日の閉山までの85年間操業を続けました。
 長崎港から南西に19kmの沖合いに位置し、南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200m、面積約63,000平方メートルという小さな島です。護岸堤防が島全体を囲い、高層鉄筋住宅が建ち並ぶその外観は世界的にも珍しく、また軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」とよばれるようになりました。1916年(大正5)、4月7日の大阪朝日新聞で「二本煙筒の巨大な軍艦に似ている」と報道されて以来、「軍艦島」という愛称は全国的に知れ渡ることになります。
 閉山後、長い眠りについていましたが、2009年(平成21)1月に世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産のひとつとして、また新しい歴史を刻もうとしています。

軍艦島クルーズに参加するには
軍艦島クルーズとは

 軍艦島クルーズには、「軍艦島クルーズ上陸コース」と「軍艦島クルーズ周遊コース」と2つのコースがあり、1日2便ずつ運航されています。全便予約制で、前日までに予約が必要です。大人気のクルーズですので、早めに予約されることをオススメします。


軍艦島クルーズ上陸コース

 長崎港を出港して帰港するまで170分のコースです。ドルフィン桟橋に上陸し、安全に整備された見学コースをガイドの案内について歩きます。料金は、大人4,300円(船運賃 4,000円・施設使用料 300円)、中高生3,500円(船運賃 3,200円・施設使用料 300円)、小人2,150円(船運賃 2,000円・施設使用料 150円)です。上陸コースに参加するために必要なことはこちらをご覧ください。


軍艦島クルーズ周遊コース

 長崎港を出港し、帰港するまで110分のコースです。船内ガイド付きで、当時の様子などの説明をききながら軍艦島をゆっくり1周します。料金は、大人3,300円、小学生1,650円です。


問合せ先

ご予約またはお問い合せについては、やまさ海運株式会社へお願いいたします。
TEL:095-822-5002 FAX:095-822-5243

コースマップ

スポットの紹介
01長崎港(乗船手続き)
長崎港ターミナル
長崎港ターミナル
港めぐりブース(やまさ海運株式会社)
港めぐりブース(やまさ海運株式会社)

 長崎港ターミナルは、JR長崎駅から車で3分のところにあります。電車をご利用の場合は「大波止電停」下車、そこから徒歩3分です。駅から歩いても15分ほどです。

 軍艦島クルーズに使用される船・マルベージャ3

 まず、出港15分前までに、乗船手続きをおこないます。ターミナル内7・8番の港めぐりブース(やまさ海運株式会社)が窓口です。「軍艦島クルーズ上陸コース」の場合は、ここで「軍艦島見学施設利用誓約書」を提出します。
 今回は「上陸コース」を申し込んでいましたが、残念ながら天候が悪く、「周遊コース」に変更しての出航となりました。乗り場は、2号桟橋です。

 船内には、軍艦島の炭坑をはじめ、町のなかや生活の様子がうかがえる資料が展示されており、ちょっとした資料館のようです。軍艦島の上陸や周遊が終わって帰港する間には、炭坑の歴史や当時の生活がわかるビデオの上映もおこなわれ、より詳しく理解することができます。

 さあ、いよいよ軍艦島に向けて出航です。
 長崎港から高島までの航路は、歴史発見ドライブルートの「近代洋式炭坑が始まった地、高島」(平成21年8月5日更新)と同じコースを辿ります。参考までにご覧ください。

 高島を通りすぎる頃、目の前に、待ちに待った軍艦島が見えてきました。

02軍艦島【北側】

◎端島小・中学校

 1893年(明治26)、三菱社の私立端島小学校が岩礁の上に設立されましたが、1921年(大正10)5月に私立から公立に移管し、高浜村立端島小学校となり、現在地に移設されました。今の学校跡は1958年(昭和33)に建てられた校舎です。
 1〜4階までが小学校で、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書館、音楽室が設けられました。1970年(昭和45)には体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶために、島で唯一のエレベーターも設置されました。
 1955年(昭和30)4月1日に高島町と高浜村端島とが合併したことにより、高浜村立端島小学校から高島町立端島小学校へ、高浜村立端島中学校は高島町立端島中学校へと変わります。1974年1月15日に閉山を迎え、生徒が全員転出したことにより、同年3月31日に閉校となりました。

◎端島病院・隔離病棟

 1958年(昭和33)に、命がけで採炭に励む鉱員やその家族の健康を守るため、端島病院と隔離病棟が完成しました。


02軍艦島【西側】

 西側に進むにしたがって、防波堤がだんだん高くなっていることがわかります。西側の海域では、天候が良くない日は波が高く強く打ちつけてくるため、防波堤も高く強固に造られていましたが、閉山して人がいなくなった後は補修をしていないため、ヒビが入っています。さらに、西側にある木造建築物は、台風などの高波や暴風にさらされほとんどが崩壊していました。

 たくさんの社宅アパートや映画館などが並んで見えます。各社宅アパートは渡り廊下でつながっており、島の中のほとんどのアパートを行き来することができたといいます。「緑がない島」ともよばれましたが、アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てていました。また田んぼも作られ、田植えや収穫もおこなわれていたそうです。31号棟鉱員社宅には、地階に共同浴場があり、1階には郵便局や理髪店も設置されていました。

◎軍艦島と呼ばれた端島

 西側の海域から端島の全景を眺めると、『軍艦島』と名付けられた理由がよくわかります。そのかたちが戦艦「土佐」に似ていたことから軍艦島とよばれました。


02軍艦島【南側】

◎日本最古の7階建て鉄筋コンクリート高層アパート

 1916年(大正5)に建てられた30号アパートが確認できます。かつて「グラバーハウス」ともよばれ、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートといわれています。鉱員社宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店もあったそうです。


02軍艦島【東側】

石炭を積み込んでいた桟橋台跡や、ドルフィン桟橋跡、丘の上には、端島神社が見えます。

◎端島神社

 危険と隣り合わせの鉱員たちにとって、神社は心のよりどころでした。毎年4月3日に山神祭は、全島をあげて盛大におこなわれていました。神殿の下に拝殿もありましたが、倒壊してしまい、現在は祠(ほこら)のみが残っています。

軍艦島【東側】端島神社
軍艦島【東側】端島神社
軍艦島【東側】全景
軍艦島【東側】全景

閉山時の建物の配置図

建物 建設年代 構造・階数 建物用途
1号棟 昭和11(1936) 木造1F 神社
2号棟 昭和25(1950) RC造3F 職員住宅
3号棟 昭和34(1959) RC造4F 職員住宅
5号棟 昭和25(1950) 木造2F 鉱長住宅
6号棟 昭和11(1936) 木造2F 職員合宿
7号棟 昭和28(1953) 木造2F 職員クラブハウス
8号棟 大正8(1919) RC+木造3F 共同浴場1F+職員住宅
12号棟 大正14(1925)以前 木造3F 職員住宅
13号棟 昭和42(1967) RC造4F 公営住宅(教職員用)
14号棟 昭和16(1941) RC造5F 職員住宅(中央社宅)
16号棟 大正7(1918) RC造9F 鉱員住宅(日給社宅)
17号棟 大正7(1918) RC造9F 鉱員住宅(日給社宅)
18号棟 大正7(1918) RC造9F 鉱員住宅(日給社宅)
19号棟 大正7(1918) RC造9F 鉱員住宅(日給社宅)
20号棟 大正7(1918) RC造9F 鉱員住宅(日給社宅)
21号棟 昭和29(1954) RC造5F 鉱員住宅+警察派出所
22号棟 昭和28(1953) RC造5F 役場1F+公営住宅(公務員)
23号棟 大正10(1921) 木造2F 社宅1F+寺院2F(泉福寺)
25号棟 昭和6(1931) RC造5F 宿泊所2F+職員住宅
26号棟 昭和41(1966) プレハブ2F 下請作業員飯場(旧船頭小屋)
30号棟 大正5(1916) RC造7F 旧鉱員社宅(下請飯場)
31号棟 昭和32(1957) RC造6F 鉱員社宅+共同浴場+郵便局
39号棟 昭和39(1964) RC造8F 公民館
48号棟 昭和30(1955) RC造3F 鉱員社宅
50号棟 昭和2(1927) 鉄骨2F 映画館(昭和館)
51号棟 昭和36(1961) RC造8F 鉱員社宅
56号棟 昭和14(1939) RC造3F 職員社宅
57号棟 昭和14(1939) RC造4F 地下ピロティ商店+鉱員社宅
59号棟 昭和28(1953) RC造5F 鉱員社宅+地下購買所
60号棟 昭和28(1953) RC造5F 鉱員社宅+地下購買所
61号棟 昭和28(1953) RC造5F 鉱員社宅+地下共同浴場
65号棟 昭和20(1945) RC造9F 鉱員社宅 屋上幼稚園
66号棟 昭和15(1940) RC造4F 鉱員合宿(啓明寮)
67号棟 昭和25(1950) RC造4F 鉱員合宿
68号棟 昭和33(1958) RC造2F 隔離病棟
69号棟 昭和33(1958) RC造4F 端島病院
70号棟 昭和33(1958) RC造7F 端島小中学校
71号棟 昭和45(1970) RC造2F 体育館
参考文献
  • 旅する長崎学8』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『端島−軍艦島−』(平成16年1月15日、高島町教育委員会)
  • 『高島町の足跡−高島町閉町記念誌−』(平成16年12月 高島町)

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