ながさき歴史の旅

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第9回 龍馬が駆け抜けた長崎 その2

 今回も、前回に引き続き、坂本龍馬ゆかりの地の特集です! 好評放送中の『龍馬伝』でますます注目度アップの坂本龍馬。激動の幕末を生きた龍馬の夢は、長崎抜きには語れません。彼が残した足跡をたどりながら、幕末長崎の面影を訪ねる第2回目です。

「土日祝日・ランタンフェスティバル期間中は無料のシャトルバスが便利だね」「中央橋で降りればいいのね」 ながさき龍馬くん、今回もよろしくね。
 長崎駅付近の臨時駐車場に車を止めて、さあ出発。

※ランタンフェスティバル※
平成22年2月14日(日)〜2月28日(日)

「臨時駐車場から中央橋付近までの行き方と料金」

無料シャトルバス
土日祝日ランタンフェスティバル期間中運行
らんらんバス
バス停「長崎駅前」で乗車し、「浜の町(S東美前)」で下車。徒歩約1分で中央橋。1回100円(小人50円)
路面電車
電停「長崎駅前」で乗車し、「西浜町」で下車。徒歩約2分で中央橋。1回120円(小人60円)

スポットの紹介
01土佐商会跡

土佐商会跡 路面電車が走る長崎の風景

 土佐藩は、1866年(慶応2)に藩の経済活動を盛んにするため、この地に土佐商会を設置しました。
 土佐商会は、藩の産物を売り、西洋の武器を購入しました。岩崎弥太郎(いわさきやたろう)が主任として駐在し、龍馬の海援隊もここを拠点として活動した時期がありました。明治に入ると、弥太郎は海援隊と藩の海運事業を引き継いで、経営者として一本立ちし、のちの三菱財閥を築きます。

02長崎まちなか龍馬館

まちなか龍馬館 今回の龍馬ブームにのって、「長崎龍馬の道」と名付けられた道が誕生!“長崎くんち”で有名な「諏訪神社」から「グラバー園」までの約3キロに及ぶ道です。龍馬ゆかりの地などを中心に45の史跡がこの道の周辺に点在しています。この道のちょうど真ん中あたりに位置するのが、ここ「長崎まちなか龍馬館」です。
 「長崎まちなか龍馬館」は、2010年(平成22)1月2日にオープンしたばかりの情報センターです。

 まずは、「長崎龍馬の道」のコンセプトとイメージが、9メートルのワイドスクリーンで上映されます。道に沿って点在するスポットや名物のほか、龍馬を取り巻く人物や当時の風景(古写真)などについて、パネルやタペストリーを使ってわかりやすく紹介しています。亀山社中から望む風景を再現した空間、清風亭(せいふうてい)で使用されていた吸物膳や蒔絵五段重などの調達品の展示、岩崎弥太郎と長崎・三菱造船の歴史の紹介コーナーなども見どころです。 龍馬にまつわる長崎市のまち歩きを楽しむためのいろいろな情報が集まっていますので、この施設をスタートに歴史探訪に出かけるのもいいですね。龍馬に関するグッズやお土産も充実しています。

まちなか龍馬館 まちなか龍馬館:顔を出して記念撮影!
顔を出して記念撮影!
■入館料
一般 300円(15名以上の団体の場合 400円)
高校生 200円(15名以上の団体の場合 160円)
小中学生 150円(15名以上の団体の場合 120円)
■開館時間 10:00〜20:00(入館は閉館時間の30分前まで)
2010年1月2日(土)〜2011年2月28日(月)の期間限定
上記期間中は、年中無休


03清風亭(せいふうてい)跡

清風亭跡 1867年(慶応3)、龍馬と土佐藩の後藤象二郎との会談がおこなわれ、日本回天の舞台ともなった料亭の跡です。この会談をきっかけに船中八策提案がつくられることになり、大政奉還、そして明治維新へと時代は流れました。
 これまで清風亭がどこにあったのかわかりませんでしたが、2009年(平成21)、現代龍馬学会会員の加藤貴行氏らの調査によりその場所が特定されました。現在は駐車場になっているので面影はなく、場所もわかりづらいのですが、「長崎まちなか龍馬館」の近くです。

04大浦慶居宅(おおうらけいきょたく)跡

大浦慶居宅跡  大浦慶は、油屋の老舗に生まれました。女性の起業家として注目すべき人物で、当時は誰もおこなっていなかった日本茶の輸出事業を興します。九州各地の茶の産地の生産拡大をはかり、1856年(安政3)、イギリス商人・オルトとの間で1万斤(6トン)の貿易に成功すると、以後日本茶を海外に輸出して莫大な利益を得ました。外国人商人からも、「信用できる日本人」という評判だったそうです。彼女は、海援隊など勤王志士のスポンサーであったともいわれています。
 後に、元熊本藩士・遠山一也とオルト商会との間でおこなわれた煙草の取引の連帯保証人となったことで詐欺に遭い、没落しますが、晩年に製茶貿易の功績が認められ、明治政府から功労褒賞を贈られました。

「そろそろお昼よねお腹すいたなぁ〜」「龍馬ゆかりの地で味わってほしい料理があるよ!」
05史跡料亭 花月
史跡料亭 花月 史跡料亭 花月
歴史を感じる玄関 卓袱料理イメージです

「ちょっと贅沢な昼食で旅気分も倍増ね」「いただきます」 卓袱(しっぽく)料理の「卓」はテーブル、「袱」はクロスを意味します。卓袱料理は、西洋や中国の影響を受けて完成した和華蘭(和・洋・中)料理で、いかにも長崎らしい食文化。さまざまな文化を受け入れてできた長崎の格別なおもてなし料理です。
 尾鰭(おひれ)と呼ばれるお吸い物に始まり、大皿に盛られた料理をみんなで楽しく分け合っていただきます。
 花月でのお食事の料金はおひとり10,080円からで予約が必要です。平日のみお昼に松華堂風卓袱料理が5,200円から味わえます。
 坂本龍馬や岩崎弥太郎、後藤象二郎なども訪れたという丸山の花月で卓袱料理を味わいながら、風情ある雰囲気を楽しみ、長崎の食文化を堪能するのも一興ですね。

もっと詳しく見る

丸山公園



 一帯は、かつて日本三大遊郭のひとつに数えられた丸山遊郭の一部だったところです。お客さんや芸妓さん、行商人、日本人だけでなく唐人やオランダ人など外国人の姿も見られ、国際的な花街だったといわれています。
 現在、丸山公園には「坂本龍馬之像」が建立されており、散策途中の憩いの場としても記念写真の撮影スポットとしても最適です。夕方ちかくになると、料亭などに向かう芸妓さんの姿も見ることができ、情緒ある雰囲気をかもし出します。

思切橋 見返り柳 坂本龍馬之像
思切橋 見返り柳
丸山入り口にある。「思切橋」と名付けられた小さな橋の一部と、遊女への未練の様子から付けられた「見返り柳」。
坂本龍馬之像
丸山公園に立つ「坂本龍馬之像」。記念写真を撮っておこう。
イカルス号事件の現場

イカルス号事件現場付近
イカルス号事件現場付近

 龍馬と土佐藩が「大政奉還」に向けて奔走していた頃、深夜の丸山の路上でイギリス軍艦イカルス号の水夫ロバート・フォードとジョン・ホッチングスの2人が斬殺されるという事件が起こります。目撃証言やさまざまな状況証拠から、イギリス公使パークスは犯人を海援隊士と断定しました。パークスの厳しい抗議に対し、土佐藩との直接談判、その後長崎奉行所での談判となりました。海援隊隊長であった坂本龍馬も土佐藩大監察・佐々木高行らとともに長崎奉行所立山役所へ出頭し、1ヶ月近くの取調べがおこなわれました。審議の結果は、「証拠不十分につき、お構いなし」。その後ただちに、龍馬は再び政治活動に戻ります。
 ちなみに、明治政府がパークスの依頼により再調査をおこなった結果、真犯人は福岡藩士の金子才吉と判明しました。

06長崎奉行所西役所跡・海軍伝習所跡・医学伝習所跡

長崎奉行所西役所跡・海軍伝習所跡・医学伝習所跡 現在長崎県庁が建っているこの場所は、幕末の時代には長崎奉行所西役所があり、海軍伝習所や医学伝習所が設置された場所です。
 海軍伝習所は、ペリーの来航で海軍の必要性を知った幕府がオランダの協力を得て実現した海軍教育の学校です。伝習生にはのちに坂本龍馬が師と仰いだ勝海舟(かつかいしゅう)のほか、榎本武揚(えのもとたけあき)らがいました。科目は地理学や物理、星学、測量学、機関学、航海術などがありました。1859年(安政6)に海軍伝習所は閉鎖しますが、この教育知識を基礎として、やがて日本各地に製鉄所が生まれ、造船所ができるようになります。
 医学伝習は、1857年(安政4)に海軍伝習所の医官として長崎を訪れたポンペによって、この場所でスタートしました。長崎奉行所西役所の一室で始まった講義は、物理学、化学、包帯学、解剖学、組織学など幅広く、系統的な指導がなされました。時間があるときは法医学や産科学もおこなったといいます。ポンペに学ぶために長崎を訪れた幕医・松本良順が、全国から集まった他藩の医師や町医らにもポンペの抗議を受けることができるように取り計らったそうです。

07唐通事会所跡(とうつうじかいしょあと)・活版伝習所跡(かっぱんでんしゅうじょあと)
唐通事会所跡・活版伝習所跡

 「唐通事」は、貿易都市長崎ならではの役職です。彼らはただの通訳だけではありませんでした。外国語を通して医学や科学に関心を持ち、海外のすぐれた学問が彼らの力で翻訳され、日本に紹介されました。幕末になると、英語やフランス語も習得して海外との交渉に活躍するものもいました。
 幕末の1857年(安政4)、本木昌造(もときしょうぞう)は、オランダ人インデマウルから活字印刷の技術を習得すると、1869年(明治2)には長崎製鉄所付属の活版伝習所を設立しました。また小形活字鋳造が堪能なガンブルに活字鋳造の伝習をうけ、鉛活字の製法に成功しました。唐通事会所跡・活版伝習所跡は現在の長崎市立図書館のそばです。

08小曽根邸跡

小曽根邸跡 亀山社中、海援隊の援助をおこなっていた小曽根家の邸宅跡です。書家とし知られていた小曽根栄の弟の英四郎は、龍馬と親交がありました。この邸宅には、龍馬をはじめ近藤長次郎など海援隊士が出入りしていたといわれています。
 龍馬の妻・お龍は、1866年(慶応2)から小曽根邸に滞在し、幕末に流行していた中国伝来の楽器・月琴を習ったといいます。


09新町活版所跡

新町活版所跡 活版伝習所跡で紹介した本木昌造が、1870年(明治3)にこの場所活版所を設けました。経営・指導にあたりながらも、その後大阪・東京へと印刷業を発展させていきます。

■ 周辺情報 ■

タビーナとながさき龍馬くん このほかにも、少し足をのばせば「出島」や「グラバー園」があるよ。時間があったらぜひ行ってみてね!

●出島(でじま)〜長崎県庁から歩いて約5分出島
 1636年(寛永13)幕府は、南蛮貿易拠点を長崎に移す際に、ポルトガル人などの西洋人を住まわせるために扇形の人工島を作りました。それが出島です。
 1639年(寛永16)には平戸のオランダ商館が出島へ移り、安政の開国までの218年間は、日本で唯一西洋に向けて開かれた窓口となり、西洋から新しい技術や文化が日本に伝えられました。幕末になって鎖国政策がとかれたあとは、居留地に編入され、一般の外国人も居住することができるようになりました。

出島  現在は、国指定史跡「出島和蘭商館跡」に指定されており、オランダ商館員の住まいや倉庫などが忠実に復元されています。

■入場料
大人 500円(20名以上の団体の場合 400円)
高校生 200円(20名以上の団体の場合 200円)
小中学生 100円(20名以上の団体の場合 60円)
※障害者手帳(身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳)保持者及び介護者1名は5割減額します。
■開場時間 8:00〜18:00(入場は17:40まで)
■休場日 年中無休(都合により休場する場合がございます)

●グラバー園〜長崎県庁から歩いて約20分グラバー園
 現在、グラバー園には数多くの洋館が点在(移設も含む)しています。炭鉱やビール会社もつくった外国人商人トーマス・グラバーの邸宅も現存しています。グラバー商会は、幕府や雄藩に武器や艦船を売買しながら、一方で幕末の志士たちとも親交があり援助をしていたそうです。坂本龍馬ら亀山社中が薩摩藩名義で購入した艦船や武器などの多くはグラバー商会から購入しています。


グラバー園 また、グラバーと並んで有名なやり手商人のオルトの邸宅もグラバー園に残ります。オルトは、先に商会した大浦慶と組んで製茶貿易で巨大な冨を得ました。岩崎弥太郎との関係も深かったといいます。

■入園料
大人 600円(15名以上の団体の場合 500円)
高校生 300円(15名以上の団体の場合 240円)
小中学生 180円(15名以上の団体の場合 140円)
※長崎市外在住の方で下記手帳いずれかを提示して頂くと入園料が半額になります。
 ただし団体の場合、申請書と名簿を提示して頂くと窓口での手帳の提示は必要ありません。
1. 健康手帳(60歳以上の方)
2. 身体障害者手帳(介添人は障害者お一人につき一人半額)
3. 療育手帳(介添人は障害者お一人につき一人半額)
4. 精神障害者保健福祉手帳(介添人は障害者お一人につき一人半額)
※お得な特典付 長崎龍馬パスポートも使えます。どうぞご利用ください
■開園時間 4月29日(木) 〜 5月5日(水)  8:00〜21:30(最終入園21:10)
7月17日(土) 〜 10月9日(土)  8:00〜21:30(最終入園21:10)
上記特別期間以外の通常期間:8:00〜18:00(最終入園17:40)

「幕末の長崎おもしろかったわ」「エヘン、エヘン!」

参考資料

・『長崎旅本 慶応幕末「旅する長崎学講座」公式テキスト』(長崎県 文化振興課)

・「郷土史事典」(長崎県/石田 保著昌平社出版)

土佐商会まちなか龍馬館 清風亭跡 大浦慶居宅跡 史跡料亭 花月長崎奉行所西役所跡・海軍伝習所跡・医学伝習所跡 小曽根邸跡唐通事会所跡・活版伝習所跡新町活版所跡

うんちくバンク

人物
  • グラバー
  • 後藤象二郎 
  • ペリー
  • 松本良順
歴史事件
    資料
      場所
      • グラバー園
      • 出島和蘭商館
      • 唐通事会所跡
      その他
      • 海援隊
      • 長崎製鉄所

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