ながさき歴史の旅

ホーム   > ながさき歴史散歩 >   第7回 殉教の足跡を探して

ながさき歴史散歩

第7回 殉教の足跡を探して

 17世紀、徳川幕府を震撼させた日本最大の一揆「島原の乱」。飢饉と凶作のなかでの重税、築城のための過重な負担、幕府の禁教令によるキリシタンへの拷問などなど、耐えるだけ耐えた島原・天草の領民たちの苦しみは怒りへと変わりました。
キリスト教の棄教を迫る厳しい拷問のはじまり、島原の乱の原因となった背景、天草四郎率いる一揆軍が原城へと篭城するまでの歴史を追いかけます。
 雲仙岳の麓にある小浜からスタートして雲仙・島原・天草を巡り、島原の乱が勃発したきっかけを掴む今回の旅。訪れる先は、いまは風光明媚な温泉の名所ばかり。車とフェリーを乗り継いで、湯ったりのんびり歴史と温泉の旅を満喫しましょう!
歴史のとびら
 豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康へと政治の主導権が移りました。家康は慶長8年(1603)に江戸幕府を開き強力な幕藩体制を確立していきます。当初、キリスト教の布教に寛大だった幕府は、布教を条件とするポルトガルとの貿易に対して不信感を持ち、増え続ける日本のキリシタンたちに脅威を抱くようになりました。特に、西日本を中心に増えるキリシタンが豊臣方の残党勢力が結束するのを恐れ、ついに幕府は禁教令を発布。1612年には天領に、そして1614年には全国に広げ、キリシタン摘発がおこなわれます。
 1637年、このような厳しい拷問が続くなか、これに追いうちをかけるように天災、飢饉・凶作・重税などが島原半島と天草の領民を苦しめていました。同年、妊婦を拷問死させた事件や、代官が聖画像を踏みにじる事件が相次いで起こり、領民たちは激昂。おさまらない怒りに次々と島原半島南部の代官を襲いました。そして、島原半島と天草の間に浮かぶ湯島で、一揆軍の首謀者が密かに集まってキリシタンであることを表明し合い、天草四郎を総大将に蜂起することを誓った「湯島の談合」とよばれる密談がおこなわれました。一揆軍は数日後には島原城下を焼き払い、森岳城(島原城)を攻撃するも落城できず。天草では、本渡瀬で一揆軍と幕府の唐津軍が合戦、そして富岡城の総攻撃、最後の砦の本丸を陥落できず。城を落とせなかった島原と天草の領民ら約3万7千人(約2万7千人ともいわれる)は、廃城となっていた“原城”へと向かい籠城。一揆軍は若干16、17歳の天草四郎を総大将にポルトガルからの援軍を待ちながら、幕府の攻撃に耐えていました。悲愴なまでの覚悟を胸に、幕府という強大な権力に立ち向かった一揆軍の魂を感じる歴史の旅がはじまります。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:1泊2日(車)

小浜町歴史資料館(湯太夫跡)

↓車で30分

雲仙教会(雲仙市小浜町雲仙)

↓車で3分

雲仙地獄(雲仙市小浜町雲仙)

↓車で40分

島原城(島原市)

↓ 車で30分→フェリー(須川港−湯島)で約30分

湯島(熊本県上天草市)

↓→フェリー(湯島-三角)で約70分→車で60分

天草切支丹館(熊本県天草市)

↓車で40分

殉教公園(熊本県天草市)

↓車で約40分

富岡城跡(熊本県天草郡)

1小浜町歴史資料館(湯太夫跡)

森岳城(島原城)の門が残る湯の町・小浜

 今回の旅は、雲仙への登山口でもある温泉郷・小浜からスタート。雲仙地獄での厳しい拷問をおこなった島原藩主 松倉重政は、長崎からの帰り道にこの小浜の温泉の入浴を楽しんでいる最中に、長崎奉行の刺客に暗殺されたといわれています。また、小浜地域の民話では、島原の乱勃発直前に天草四郎一行がこの辺りの温泉に立ち寄ったとも伝えられています。史郎は、戦を前にして、小浜の温泉で何を思っていたのでしょうか。島原の乱には、小浜の領民の多くが参加したそうです。(写真は小浜温泉街(長崎県観光連盟)

 当時の様子を詳しく知るために、築160年を誇る温泉の番人 本多家の屋敷を利用した小浜町歴史資料館を訪れました。館内には小浜温泉を発展させた本多家の業績のほかに、島原の乱が起こったときの小浜の様子などが展示されています。資料館の入口には、明治維新の際に森岳城(島原城)解体で買い取ったという門が残っていました。この門を挟んで一揆軍と幕府軍が攻防を繰り返したのかもしれません。中庭には、昔から親しまれていた足湯や、武士や藩士が宿泊して湯地できる施設さむらい小屋などがあって、今では家族風呂として楽しめるそうですよ。


旅人コメント

「公民館の向かいにある「上の川湧水」に行ってみて!ここはキリシタン殉教の秘話に登場する湧水だそうです。」(茜)

「小浜の小さい路地を散策していたら発見しました『炭酸泉』。ボコボコと音をたてながら湧いています。熱いのかなと思って手を入れたら冷たかったのでビックリ! 肌によさそうね!」(芳乃)


2雲仙教会

殉教者に捧げられた教会

 小浜から車で山道をうねうねと登ると、閑静な山あいに雲仙教会があります。日光に反射する赤レンガが特徴です。この教会は、雲仙地獄で長期間の拷問に耐えた後、長崎にある西坂の丘で火あぶりの刑に処せられた殉教者・アントニオ石田神父らに捧げるため、1981年に建てられました。毎年5月には殉教祭がおこなわれ、多くの巡礼者や観光客が訪れて、静かに祈りを捧げています。

3雲仙地獄

多くのキリシタンが殉教した文字通りの地獄

 雲仙教会からさらに山手へ車を進めると、雲仙地獄に到着。立ち上る湯気と硫黄の独特なにおい、無骨な岩がゴロゴロしている光景はまさに「地獄」の様相です! 1627年、なんとこの熱湯煮えたぎる地獄にキリシタンを浸けては引き上げるという非道な拷問が始まります。幕府の禁教令に従ってキリスト教を棄教させるためとは言え、悲しい出来事です…。2007年6月1日、正式に列福が決まった「ペトロ岐部と187殉教者」のなかには、キリシタン大名の有馬晴信に仕え身分の高い武士だった内堀作右衛門をはじめとする雲仙で殉教した29名も含まれています。
 時代は変わって明治になると、雲仙は外国人の避暑地として賑わいました。ゴルフやテニスといった当時ハイカラなスポーツが楽しめる温泉街。四季折々に楽しめる懐深い雲仙の自然は、日本で初めて国立公園の指定を受けました。


旅人コメント

「この看板を見て!私も大好きなんです。硫黄の燻製みたいな感じでおいしいんですよ。雲仙でしか味わえないタマゴです。」(温泉博士)

4島原城(森岳城)

一揆軍の攻撃を跳ね返した難攻不落の城

 この島原城(森岳城)は、藩主・松倉重政が1624年の完成までに7年の歳月を費やしました。石高4万石に対して立派すぎる城郭建築のための重税と労役が、ゆくゆくは島原の乱を招くことになりました。湯島の談合の2日後、い1637年旧暦の10月26日に、一揆軍は総攻撃を仕掛けましたが、ついに落城できませんでした。
 激戦の跡を、館内に展示された資料が物語っています。現在の城郭は、戦後に復元されたもの。湧水の豊かな島原! お城近くの店では、島原名物の“具雑煮”や夏限定の和のスイーツ“かんざらし”をいただくことができますよ。

旅人コメント

「城内に天草四郎の像を発見! 島原の一揆軍が籠城して最期を迎えたのが島原城だと勘違いしている人も多いとか・・。」(千秋)

5湯島

 雲仙から県道132号線を通って南島原市西有家町の須川港から湯島商船のフェリーに乗って、天草の湯島へと渡りましょう。
 目の前にぽっかりと浮かぶ「湯島」が見えてきますよ。この島は島原の乱 一揆軍の密やかな作戦会議の場となったことから「談合島」ともよばれます。1637年旧暦の10月、島原と天草の首謀者たちがこの湯島に集まり、一揆の計画を企てました。この密談で、若き天草四郎が一揆軍の総大将として決定しました。談合の翌日、一揆軍は、島原藩の代官 林兵左衛門を殺害し、2日後には森岳城(島原城)を攻めました。島原藩、幕府という強大な敵に立ち向かう時、彼らの心中にはどんな思いが交錯したのでしょうか。ちなみに湯島へは熊本の三角港から湯島商船の船で渡ることができます。夏には鯛釣り大会で賑わっています。

 静かに浮かぶ湯島を見つめながら、今度は天草の一揆をたどってみましょう。 三角から天草パールラインを通る途中にある天草四郎公園(上天草市の大矢野島) で、1637年旧暦の10月28日に一揆軍がノロシを挙げました。ここからも湯島が見えますよ。一揆軍は徐々に上島から南下して、11月14日に本渡瀬戸の合戦、11月19日に富岡城まで攻め込みます。この距離を車で走るだけでも、その凄まじい勢いが伝わってきます

7殉教公園

一揆軍の武勇を伝える資料館と史跡のある殉教公園

○天草切支丹資料館

 島原の乱における天草最大の激戦地、本渡の町へ来ました。乱で使用されたキリシタンの品々を展示している天草切支丹館。現在は本渡歴史民俗資料館に移転され、仮館として開設しています(*)。館内のスタッフさんが話してくれる見事な島原の乱の物語を聞きながら、天草四郎陣中旗など貴重な資料を拝見。天草での一揆軍の勢いが、リアルに感じられるスポットです。

*現在、天草切支丹館は改装工事のため、天草市今釜新町にある本渡歴史民俗資料館の1階に移転しています。完成の予定は平成21年頃です。

○殉教戦千人塚とキリシタン墓地(殉教公園)

 本渡の町が一望できる高台にある殉教公園は、天草氏の本渡城があった場所です。ここは、16世紀に宣教師を招いて天草氏やその家臣たちが洗礼を受けたといわれている城の跡なのです。公園内に建つ殉教戦千人塚は、1637年旧暦11月、天草四郎率いる7千人のキリシタンと、幕府の唐津軍約2万5千人が本渡で激突した時に、命を落とした人たちを手厚く祀った地蔵堂を各所から集めてひとつにしたものです。
 もう少し上の方へ歩いていくと、芝生の上に無数の白い十字架が並んだキリシタン墓地があります。ここで、日本で初めて西洋医学を伝えた宣教師ルイス・デ・アルメイダの記念碑を発見しました。長崎での布教にも活躍したアルメイダは、1583年、58歳のときにこの天草の地で亡くなったのですね。

旅人コメント

「天草四郎の像をここでも発見しました!九州には何体の像があるんでしょうね?」(バンブー)

8富岡城跡

一揆軍が攻めあぐねた山城

 この旅の最後に訪れたのは富岡城跡です。一揆軍は、この城に総攻撃をかけ攻めたてたものの、ついに落とせず、これが戦局のターニングポイントになったという城です。城下には島原の乱の戦闘で命を落としたキリシタンを祀ったという首塚(千人塚)があり、戦いの凄惨さがひしひしと感じられます。  城郭は現在改修中。天守閣付近からは、青く美しい天草灘をぐるりと見渡せて、抜群の眺望が楽しめます。特に夕暮れ時は最高! 珍しい天草の海中生物などを展示している富岡ビジターセンターもありますよ。

参考文献

『旅する長崎学1 キリシタン文化1』
特集2-第2章 アルメイダとヴィレラの足跡 長崎における布教と教会建設

『旅する長崎学5 キリシタン文化5』
特集2-第5章 雲仙地獄の拷問 そして絵踏みは始まった…
特集2 幕府をゆるがせた123日-島原の乱

『旅する長崎学6 キリシタン文化 別冊総集編』
第4章 キリシタン受難そして島原の乱 島原半島

スタート地点までのアクセス

小浜町歴史資料館(湯太夫)

所在
長崎県雲仙市小浜町北本町923-1
お問い合わせ
TEL/0957-75-0858
開館時間
9:00〜18:00
休館日
月曜日 年末年始(12月29日〜1月3日)
料金
100円(小学生以下無料)
駐車場
11台
アクセス
車…国道57線より伊勢屋旅館先を左折、つきあたりを右へ約50m(諫早ICより50分)
バス…島鉄バス[島原・雲仙・愛野駅・諫早線]《西登山口》より徒歩3分、長崎空港から約70分、諫早駅より約40分

● 長崎空港、島鉄バスのバス停[小浜]までのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
  • 天草四郎
  • 有馬晴信
  • 雲仙地獄で殉教したパウロ内堀作右衛門
  • 島原藩2代藩主の松倉勝家
  • 島原城を築城した松倉重政
  • 松倉重政
歴史事件
  • 雲仙地獄の拷問
  • 絵踏みのはじまり
  • 長崎の牢獄から雲仙へ
資料
  • 天草四郎陣中旗
  • 具雑煮
場所
  • 雲仙教会
  • 雲仙地獄
  • 小浜町歴史資料館(湯太夫)
  • 島原城
  • 殉教戦千人塚とキリシタン墓地(殉教公園)
  • 富岡城跡
  • 湯島
その他
  • 命を絶つ「処刑」から、棄教させる「拷問」へ
  • 雲仙ってどんなところ?
  • 小浜ってどんなところ?

アンケート

コメント