ながさき歴史の旅

ホーム   > ながさき歴史散歩 >   第12回 学び舎の丘 東山手を歩く

ながさき歴史散歩

第12回 学び舎の丘 東山手を歩く

〜宣教師からはじまった日本の教育革命〜

 ペリーが浦賀(神奈川)に来航したことをきっかけに、日本はアメリカをはじめ世界5カ国と修好通商条約を結びました。 鎖国から開国と近代への幕開け。 徳川幕府が禁教令を出してから245年という時を経た1859年、キリスト教の宣教師たちが日本の土を踏み、プロテスタント教会は初めての宣教を、カトリック教会は再宣教をスタートさせました。 外国人宣教師たちは、布教活動とともに学校や教会を設立し、教育や福祉などにも力を注ぎました。
 やがて長崎市の東山手に建ち並んだ学校は、日本各地に点在するミッション・スクールの基盤となりました。 今回は、"学び舎の丘"となった東山手をご紹介します。


歴史のとびら
東山手の風景

 1853年(嘉永6)にペリー提督の黒船が浦賀へと入港したことを機に、1858年(安政5)、江戸幕府はアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヶ国と修好通商条約の調印をおこないました。 翌年6月30日には長崎・横浜・函館が開港。鎖国から開国へ、近代日本の幕開けです。 それは、徳川幕府が禁教令を発布してから約245年後、鎖国の完成から約220年後のことでした。
 一番乗りはプロテスタント教会の宣教師リギンズで、長崎・横浜・函館が開港される約2ヶ月前の1859年5月3日に長崎へやってきました。 まだキリスト教の信仰が認められていない日本でしたが、中国や日本での宣教の機会をうかがっていたプロテスタント教会は、「将来的にはアメリカ人による宣教活動が有利で、そのスタート地点は長崎が最適」と判断して、アメリカ監督教会の宣教師リギンズを英語教師として長崎に派遣したのです。 その後、日本聖公会初代主教となるC.M.ウィリアムズや、近代日本建設の父といわれるフルベッキなど、プロテスタント教会の宣教師たちが次々と来崎しました。
 開港直後から、大浦湾の埋め立てがおこなわれ、東山手と南山手には外国人が住む居留地がつくられました。 1862年11月、東山手に日本で初めてプロテスタント教会が建ちました。 東山手に住んだ外国人宣教師たちは自宅の一角に塾を開くなどして、そこから学校をスタートさせていきます。 東山手には、ラッセル&ギールの活水学院(プロテスタント系)、ロングのカブリー・セミナリー〔英和学校 のちの鎮西学院〕(プロテスタント系)、スタウト夫妻のスチール・アカデミー〔東山学院〕とスタージェス・セミナリー〔梅香崎女学校〕(いずれもプロテスタント系)、グッドオールの長崎女学校(プロテスタント系)、バルツの海星学校(カトリック系)、ジュスティヌの聖心女学校(いずれもカトリック系)などが誕生し、まさに学び舎の丘となったのです。 宣教師が貢献した学校の設立・運営は、日本の近代化における新しい教育革命となったのです。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約1時間30分

オランダ坂

↓ 徒歩で約1分

活水学園

↓ 徒歩で約30秒

東山手十二番館

徒歩で約30秒

英国聖公会会堂跡の碑

↓ 徒歩で約5分

鎮西学院跡の碑

↓ 徒歩で約5分

海星学園

1オランダ坂

今も昔も学生さんたちの通学路!

オランダ坂と東山手13番館

 明治時代、東山手一帯は外国人の居留地で、洋風の建物が建ち並んでいました。 教会に向かって舗装された石だたみの坂道を、日曜日の礼拝のために外国人が往来する風景が印象的だったことからオランダ坂と呼ばれるようになったそうです。 そんな石だたみのオランダ坂は、いまや長崎を代表する観光地として有名になっていますが、今も学生さんたちが賑やかに行き交う通学路として、生活のある風景が見られます。 オランダ坂をのぼった東山手の丘には活水女子大学と海星学園があるのです。 歴史的な情緒ある環境のなかにある学校に通う学生の皆さん、羨ましいですね。

オランダ坂

 オランダ坂の石碑の奥にある洋館は東山手十三番館。 フランス代理領事を務めたアンドレ・ブリキさんが住んでいた洋館です(非公開)。 観光で訪れた人たちも足を止めて記念のスナップを撮っています。

 さあ、このオランダ坂をのぼって東山手を散策しましょう。

2活水学院

生命の水湧きいづる教育をめざす<プロテスタント系>

活水学院東山手校舎(活水学院収蔵)

 女子教育のための宣教師の要請を受けて、長崎へと派遣されてきたのはアメリカ人のラッセル女史(43歳)とギール。 2人が日本にやってきたのは、今から約130年ほど前の1879年のこと。 活水学院の本館のある場所に住んだ2人をたずねてきた女の子が第1号の生徒となって、3人でスタートした女学校です。 ラッセル女史は、アメリカへ帰国する83歳までこの学校で教鞭をとっていたそうです。

 建築家ヴォーリズが設計した洋風建築は異国情緒を漂わせ、赤い屋根は長崎港からも一目でわかる東山手のシンボル的な存在です。 さだまさし原作の映画『解夏』にも登場しました。
 ふつうは一般には非公開ですが、活水女子大学は地域と密着したイベントとしての音楽会や、長崎の歴史を学ぶ講座を開講するなどしていますので、長崎を訪れる際はチェックしてみてくださいね。

 モダンな学び舎で育った卒業生には、学習院(東京)の校医となった一期生・井上トモさんや、日本の女性ではじめて大臣となった中山マサさんたちがいます。

梅香崎女学校

グラバー園に移築された東山学院の校舎(現在はスチイル記念館)

 この活水学院の敷地内には、むかしエリザベス・スタウトさんが設立した梅香崎女学校がありました。 現在ある活水学院本館西側から1号館の間にあったそうです。 この女学校は、スタウトさんが自宅で英語や洋裁などを女性たちに教えたのがはじまりです。 のちにアメリカ改革派教会婦人外国伝道局長スタージェス夫人の支援によって、東山手十四番に「スタージェス・セミナリー(梅香崎女学校と改称)」ができ、静粛優美な婦人の養成がおこなわれました。 しかし、1914年、下関の梅光女学校(梅光学院)に合併して、長崎での歴史を閉じました。
 ちなみに夫のヘンリー・スタウトさんがはじめた英語塾は、のちに聖書や神学を教える私塾として再開され、長崎神学校となりました。 この長崎神学校と、東山手九番にアメリカ改革派教会外国伝道局長スチールの寄付によってできた「スチール・アカデミー(東山学院)」とが合併し、官立学校に並ぶ資格を持つ学校となりました。 校舎は、同じ東山手、現在の海星中学シャミナード寮と誠孝院のあいだに建っていました。 1932年に東京の明治学院と合併。 長崎での歴史は閉じましたが、校舎はグラバー園内に移築され、スチイル記念館として残っています。 次回の第13回のながさき歴史散歩でご紹介します!

3東山手十二番館

開国後、日本で最初の領事館

 活水女子大学の隣にある十二番館は、ロシア領事館(1860)、アメリカ領事館、住宅として使用された洋館です。 領事館の設置はこの建物が日本で最も古く、さらに東山手で一番古い洋館として国指定の重要文化財となっています。 現在は、東山手の歴史や当時の生活の様子が学べる資料館として活用されています。

4英国聖公会会堂(イギリス教会宣教会)跡の碑

日本で最初のプロテスタント教会

海星学園横の道

英国聖公会会堂の跡(イギリス教会)

 東山手十六番館の赤レンガに沿って坂をのぼり道路を渡ると、さらに階段が! 息を切らしながらのぼると、右手に記念碑がありました。 1862年、ここ東山手十一番に、アメリカ監督教会のC.M.ウィリアムズによって教会が建てられました。 この教会は、開国後の長崎に最初に建てられ教会だったので、建物の十字架を見た浦上の潜伏キリシタンたちが訪れたそうです。 しかし、対応した宣教師が妻帯者だったために、自分たちが待ち望んでいるローマ教皇から遣わされた独身の神父でないとして、帰っていったというエピソードがあります。 そう、この教会は、日本で最初のプロテスタント教会でした。 ウィリアムズが日本を去ると、アメリカ監督教会の活動は途絶え、この教会はイギリス人の教会(英国聖公会)となり、通称イギリス教会と呼ばれていたそうです。

C.M.ウィリアムズ宣教師館跡(鎮西学園跡の碑の横)

 この階段をのぼっていくと海星学園があります。今回は、左折して次の目的地をめざしましょう。 鎮西学院跡の碑の横にC.M.ウィリアムさんが住んでいたという石碑があります。

5鎮西学院跡の碑

幸福なるか名平和ならしむる者<プロテスタント系>

 活水女子大学の坂の上に石碑が建立されています。
 アメリカのメソジスト教会から男子教育のための派遣要請を受けて、1880年、長崎にやってきたのはロング先生。 自宅の書斎(東山手十六番)で塾をスタート。 翌年、東山手六番に建てた木造2階建ての校舎に、12名の塾生を迎え、授業をおこないました。 このとき、トーマス・グラバーの息子さん倉場富三郎も机を並べていました。 授業は全て英語の原書でおこなわれたそうで、かなりの英語の学力が身についたそうですよ。  当初の学校名はカブリー・セミナリー(英和学校)。 ロング先生がアメリカを出発する時、2ドルの銀貨を献金してくれたカブリー婦人の名をとって命名されました。 1906年に鎮西学院と改称されています。
 のちに浦上に移転した校舎は原爆で倒壊。 それでも小学校や教会で臨時開校したり、仮校舎で授業を続けたりして復興をめざし、現在は鎮西学院高等学校、長崎ウエスレヤン大学として諫早市にあります。 ちなみに長崎ウエスレヤン大学の学園祭は"2ドル祭"というのですが、これはロング先生を勇気づけ、学校設立のもとになったカブリー婦人の献金に感謝を込めてのことなのですね。

海星学園

海の星なる無原罪の聖母よ<カトリック系>

 丘を見上げると、屋上に純白のマリア様の像が見える校舎が印象的に目にとびこんできます。 海星学園です。
 聖母マリアを保護者とするフランスのマリア会の活動を日本に広げるため、派遣されたバルツ先生は、最初、大浦天主堂の近くに「海星学校」をつくりました。 1895年に現在の場所に移転しました。 学校では日本語禁止だったので、外国語を習得するには良い環境だったそうです。

 この2枚の写真を見比べてください。 左は明治32年の写真で、校舎は白く輝いています。 右は昭和22年の写真ですが、校舎の壁が墨のようなもので黒く塗られています。 太平洋戦争のときに、目立たないように迷彩を施された様子がよくわかる写真です。 学制改革で、1948年に海星高等学校、海星中学校として発足。のちに新校舎が完成し、旧校舎も建て直されました。
 それでも海星学園の敷地には、昔の面影がそのまま残っているところもあります。 グランド横の赤煉瓦は明治の頃のものだとか。 右の写真のゆるやかな階段の先は、旧英国領事館があった場所です。

こうして歩いてみると、東山手はまさに"学びの丘"だった・・・。 いまは、活水と海星がその姿を物語ってくれますが、そのほかの学校も移転や合併などして、それぞれの地で歴史を紡いでいます。

参考文献:
  • 「旅する長崎学5 キリシタン文化5」特集2 宣教師が尽くした日本の教育事業
  • 「長崎県 文化百選6 海外交流編」 企画/長崎県 制作/長崎新聞社 2000年
  • 活水学院HP
  • 海星学園HP
  • 鎮西学院HP

スタート地点までのアクセス

オランダ坂

所在
長崎県長崎市東山手町(活水女子大学の校門下)

アクセス

徒歩…
長崎新地ターミナルより約15分。
車…
JR長崎駅より約10分。
高速道路をご利用の場合、[ながさき出島道路]出口から国道499号線を左折、ホテルニュータンダの角を左折して約150メートル。
路面電車…
長崎新地ターミナルより、もよりの<築町>より[5番・石橋-蛍茶屋]に乗車し<市民病院前>で下車して徒歩で約10分。
JR長崎駅よりB乗り場へ、[1番・正覚寺-赤迫]に乗車し<築町>で車掌さんから「乗換券」をもらって下車します。反対側の乗り場に移動して[5番・石橋-蛍茶屋]に乗車し<市民病院前>で下車。徒歩で約10分。
電車…
博多方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約2時間)。鳥栖より約1時間40分。佐賀より約1時間25分。諫早より約20分。長崎駅からは路面電車またはタクシーをご利用下さい。
佐世保方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR佐世保駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボスより約1時間20分。大村より約35分。長崎駅からは路面電車またはタクシーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

●各空港から<長崎空港>に着陸。長崎バスもしくは県営バスの[長崎空港線エアポートライナー・出島道路経由]に乗車し<長崎新地バスターミナル>へ約35分。


うんちくバンク

人物
  • エリザベス・スタウト
  • エリザベス・ラッセル
  • キャロル・サマーフィールド・ロング
  • グラバー
  • 笹森卯一郎
  • C.M.ウィリアムズ
  • ジェニー・ギール
  • ジャック・バルツ
  • ジョン・デヴィソン
  • ヘンリー・スタウト
  • ペリー
歴史事件
    資料
      場所
      • 梅香崎女学校
      • 大浦天主堂
      • オランダ坂
      • 海星学園
      • 活水学院
      • グラバー園
      • 鎮西学院跡の碑
      • 東山学院
      その他

        アンケート

        コメント