第1回 白い十字架が目印の港町「横瀬浦」の旅
小さな漁港が長崎のルーツ!?
太陽の恵みをいっぱいに受けて実ったミカン畑の間を車で走りながら横瀬浦の港へ到着。
ブルーの水面が眩しく波穏やかな港町は、その昔、平戸の次に南蛮貿易港として賑わった歴史のある場所。もし、焼き討ちにあわなければ、
ここ横瀬浦が“長崎”だったかもしれない港町。長崎の元祖・横瀬浦へと出発!地名にご注目。
歴史のとびら
今から約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦。ここは、日本の歴史のなかで”はじめて”の出来事が起こった重要な場所だったのだ。日本初のキリシタン大名として有名な大村純忠がキリスト教の洗礼を受け、宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地。瞬く間にキリシタンの町となり、港は南蛮船や商人たちの船が往来し活気に沸いた。しかし、焼き討ちにあい、わずか1年で消滅した横瀬浦。いま、この町にキリシタンは1人もいないそうです。
当時の繁栄の面影をたどりながら、散策してみよう! すがすがしい青空に波穏やかな横瀬浦の港に到着。目の前に見えてきたのは、時間を越えて、静かな港にポッカリと浮かぶ八ノ子島。その頂にある白い十字架は、太陽に直射され島の縁と一体となって、陰影のコントラストをつくりあげていた。
1八ノ子島
小さい島の頂上に輝く十字架
司馬遼太郎も饅頭のようにかわいいと称した「八ノ子島」
横瀬浦港から約300m沖合に浮かぶ八ノ子島。1562年に南蛮貿易港として開港し、繁栄した町。当時、この十字架を目印に、ポルトガルからやってきた南蛮船や日本の商人たちの船が往来していたのでしょう。当時の宣教師ルイス・デ・アルメイダが「港の入口に高くて円い島がひとつあり、その上に美しい十字架が建っていて、非常に遠くから見えます。」と伝えている。この風景は横瀬浦ならでは。「わぁー、こんな風景があったんだ!」と、ちょっと見とれてしまうくらいインパクト大です。白い十字架は1962年に復元されたもの。この島を見るには「海の駅・船番所」が絶好のポイント。八ノ子島の奥にうっすらと見えるのは佐世保市街です。
2八ノ子島を眺める(海の駅 船番所)
八ノ子島を見るならココ!
海の幸のバイキングも楽しめるスポット
高速船乗り場の先にある和風の建物が「船番所」。ここは、地元でとれた新鮮な食材を使用したバイキングレストランです。窓越しに八ノ子島を眺めながら、新鮮な魚介や山菜など横瀬浦の郷土料理に舌鼓。
旅人コメント
「海の駅 船番所」は、美味しい刺身や山の幸が食べられる食事処。出かけた日は、残念ながらお休みでした。うぅっっ、残念。定休日は火曜日なので、ご注意を!!」(たびと)
3史跡 南蛮船来航の地
碇を下ろした南蛮船碇を下ろした南蛮船
Nossa Senhora de Ajuda(御助けの聖母の港)
ここ横瀬浦は大村純忠が統括する大村領だった場所。外敵が進入しにくい静かな内海だから、この港が貿易港として選ばれたのだとか。純忠の招きに応じて、ポルトガル船が入港し、宣教師ルイス・デ・アルメイダが教会を建て、この港は「御助けの聖母の港」と呼ばれることになりました。アルメイダは、「この港を形成している入り江の右にキリシタンの村があり、その前面の高い所に私たちの修院があります。」と伝えています。南蛮船に乗ってやってきた異国の人々たちが降り立ったこの地には、歴史的な“はじめて”がいっぱいあるはず。なんだかワクワク感も高まってきたゾ。
4フロイス像(横瀬浦公園)
宣教師ルイス・フロイスが上陸した地
『日本史』の著者「ルイス・フロイス像」
横瀬浦公園の入口で、右手を差し伸べるフロイス像に出会いました。31歳で日本にやってきたフロイス。彼が最初に上陸した地が、なんとこの横瀬浦だった! このフロイス像の顔をちょっと覗いてみると、大きく見開いた眼がとっても印象的。その眼で日本を直視し、波乱に満ちた時代の中で、日本でのキリスト教布教の様子や巻き起こった事件を観察して、記録に綴ったのでしょう。フロイスが残した書で、特に有名な『日本史』には、長崎でのできごとも詳細に書かれている。日本語の翻訳版が出版されていますよ。
5天主堂跡の碑(横瀬浦公園)
祈りの天主堂があった場所
大村純忠もフロイスも皆がミサに集まった「天主堂」跡の碑
フロイス像と思わず握手をして別れを告げ、横瀬浦公園の階段を上ると、丘の上に「天主堂跡の碑」がありました。しかし、実際に建っていた場所はというと公園脇の舗装された道路沿い付近らしいとのこと。展望台からは、横瀬浦の港と町が一望できます。横瀬浦港の真向かいが佐世保港。春の小鳥のさえずりが心地よく聞こえてきます。ビデオをクリックしてみてください。夕方になると、ポツリポツリと民家の明かりが灯ってゆく。
6大村純忠の館跡
今は影も形もないけれど…。
教会に通うためにつくった別荘
横瀬浦公園の展望台からゆるやかな坂を下っていくと、「大村純忠の館跡」が、子どもたちが元気に走りまわる幼稚園の庭の隅にありました。純忠とその家臣たちは、ここ横瀬浦で神父トーレスから洗礼を受けたんです。日本人初のキリシタン大名の誕生だ!! この館は、純忠が天主堂へと通うために建てた別荘だという。館の目の前は海で船着場があり、ミサの日には大村の城から家臣を連れて船で別荘へ、小船に乗り換えて教会へと通っていたそうです。自分の悲運な生い立ちなどを神に祈っていたのかもしれませんね。
7町・下町跡の碑上
ポルトガル人と日本人が商談しながら上ったのかな…。
史跡「南蛮船来航の地」のすぐ横に「上町・下町跡の碑」を発見! 階段を境に左が下町で、右から丘に登ったエリアが上町。貿易で繁栄した商人やキリシタンたちが暮らしていた集落だった場所です。
8「長崎甚左衛門純景の居宅跡」
「長崎甚左衛門純景の居宅跡」の碑
洗礼名はベルナルドさん
上町・下町跡の碑を見ながら、ついこの階段を上りたくなるけどちょっとまった! 思案橋跡や丸山長袖さまの墓を見るなら階段と桟橋の間の脇道を行くのが近道、と教えてくれたのは港で休憩していたおじさんたち。横瀬地区のコミュニティーセンターの一角が、大村純忠の重臣だった長崎甚左衛門が住んでいた住居の跡。彼も純忠と一緒に洗礼を受けた家臣のひとりでした。純景の名は純忠からもらい、純忠の娘と結婚しています。
9思案橋跡
んっ!? どこかで聞いた名前。
ポルトガル人も日本人も「行こか、戻ろうか」思案橋。いざ、丸山へ!
「長崎甚左衛門純景居宅跡の碑」から坂道を10歩ほど上れば思案橋。遊郭丸山を目の前に「行こか、戻ろか」と思案したというのが橋の名前の由来。さぁ、ここまでで登場してきた上町、思案橋、丸山といった名称は、長崎市内にもある有名な地名だけれど、ここ横瀬浦がオリジナルといわれているのです。横瀬浦の町は、開港からわずか一年あまりの1563年に、純忠への反勢力による焼き討ちによって消えてしまいますが、1571年、長崎港にポルトガル船が初めて入港し、長い岬につくられた新しい6町のなかに「横瀬浦町」が存在しました。6つの町名は移住者の出身地により名付けられ、このほか、平戸町や大村町、島原町などがあったんですよ。現在は、万才町と江戸町の一部になっています。ほかにも名称の由来を知りたいと思ったら「
歴史発見コラム第1回」を見てね。
10丸山長袖さまの墓
ワールドワイドなイベント会場・丸山の遊郭
西洋の文化を楽しんだ遊女・長袖さまが眠る墓。
「長袖さま」と呼ばれる遊女が眠る墓は、横瀬の畑が見渡せる丘の頂上、ミカン畑の中にあった。供えられた色鮮やかな花の色に、
当時の繁栄を見た気持ちになりました。華やかなこの町で、きっとポルトガル商人が持ってきたジンやワインを飲みながら、
日本の歌やポルトガルの音楽が夜毎奏でられていたのではと想像すると、すばらしく粋な町に思えてきます。ちなみに平戸にも丸山という名の遊郭があったと言われています。
11西海市西海歴史民俗資料館
ここでもフロイスとジュリアンに出会える
ここでフロイスと再会。今度は帽子をかぶったフロイス像が2体おりました。うーん、やはりなんだかちょっと無表情な感じかな。ここでは、中浦ジュリアンのコーナーや、開港した横瀬浦と南蛮貿易の歴史を学べるスクリーンがあるので、ちょっと寄ってみて。
12中浦ジュリアン顕彰の碑
海を渡る船の形をしたオブジェ
中浦ジュリアン記念公園の駐車場から坂を下ったところに、地球に帆を張った船のオブジェがある。天正遣欧使節として知られる4人の少年の名は、
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。この地は、中浦ジュリアンの出生地とされています。
大航海時代、船の旅の生還率は50パーセント以下という危険な大海原に旅立った4人の少年たち。わずか12,3歳の子どもを送り出す家族の心配もはかりしれないものがあったろうと、ちょっとセンチメンタルになってしまいました。
13中浦ジュリアン記念公園
少年像の指差す先にはローマあり
中浦ジュリアン記念公園で少年の志に出会う…
天正遣欧少年使節のひとりとして巡察師ヴァリニャーノと共にヨーロッパへと渡った中浦ジュリアン。
13歳当時の姿をした中浦ジュリアン像が建つ記念公園がある。ジュリアン少年の像が指差す方角はイタリアのローマだ。近年の異常気象のせいか、
公園内には椿と梅と桜がいっぺんに咲いていました。公園の横で農作業をしているおじさんが「ジュリアンが育ったとされる山城の跡は、樹木が生い茂り足元が危ないし、
登っても眺めはようなかよ。」と教えてくれた。ここではみかんが特産品だそうです。
今採れる野菜は何かと訪ねると「キャベツかな。もっていかんね。」と言ってもぎたてで新鮮なキャベツを1個まるごとくれた。
甘くてみずみずしいキャベツの味は、中浦での良い思い出となりました。おじさん感謝です。
旅人コメント
「西海町の特産はみかん。近くの直売所で買ったポンカンとはるか(黄色い方)という品種は、とても甘くて美味! よい旅の土産になりましたよ。」(たびと)
参考文献
『旅する長崎学1 キリシタン文化1』
特集3 キリシタン大名 大村純忠の謎
第1章 純忠、横瀬浦で受洗 日本初のキリシタン大名誕生
『旅する長崎学2 キリシタン文化2』
特集2 天正遣欧使節四人の激動と波乱の生涯
第4章 殉教者 中浦ジュリアン
スタート地点までのアクセス
- 所在
- 長崎県西海市西海町横瀬郷
- お問い合わせ
- 西海市観光協会 TEL/0959-37-4933
- アクセス(観察ポイント「海の駅 船番所」まで)
- 船の場合は、佐世保駅から新みなとターミナルへ徒歩5分。佐世保港より瀬川汽船の高速船「せがわ」で約15分、徒歩5分。
- 車の場合は、長崎駅より横瀬浦約1時間30分。国道206号線を北上し小迎交差点を左折、国道202号線を走り横瀬郷のAコープのある交差点を右折。
- ● 佐世保駅・長崎駅までのアクセス情報は「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。