ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第13回 学び舎の丘 南山手&出島を歩く

〜宣教師からはじまった日本の教育革命〜

 ペリーが浦賀(神奈川)に来航したことをきっかけに、日本はアメリカをはじめ世界5ヶ国と修好通商条約を結びました。鎖国から開国と近代への幕開け。徳川幕府が禁教令を出してから254年という時を経た1859年、キリスト教の宣教師たちが日本の土を踏み、プロテスタント教会ははじめての宣教を、カトリック教会は再宣教をスタートさせました。外国人宣教師たちは、布教活動とともに学校や教会を設立し、教育や福祉などにも力を注ぎました。やがて長崎市の南山手・東山手には学校が建ち並び、"学び舎の丘"となりました。今回は、南山手と出島を散策します。


歴史のとびら

 1853年(嘉永6)にペリー提督の黒船が浦賀へと入港したことを機に、1858年(安政5)、江戸幕府はアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヶ国と修好通商条約の調印をおこないました。翌年6月30日には長崎・横浜・函館が開港。鎖国から開国へ、近代日本の幕開けです。それは、徳川幕府が禁教令を発布してから約245年後、鎖国の完成から約220年後のことでした。
 1863年(文久2)、パリ外国宣教会(カトリック系)のフューレ神父が、長崎の居留地・南山手へとやってきました。そして、教会堂の建設に着手し、翌年には彼の後を引継いだプチジャン神父によって完成。この教会堂は「日本二十六殉教者教会」と名付けられ、当時の日本人はこの美しくめずらしい教会を「フランス寺」と呼びました。現在の国宝"大浦天主堂"です。1865年(慶応1)3月17日、まだ徳川幕府の禁教令は解かれていませんでしたが、浦上村で密かに信仰を守り続けていたキリシタンたちが、こっそり「フランス寺」にやってきました。彼らは厳しい迫害や弾圧に耐え、潜伏しながらマリア信仰をよりどころに、先祖から伝えられた「パードレ(神父)の再来」という伝承を信じ抜いていました。プチジャン神父と浦上村の信徒との出会いは、約250年もの時を越えた信仰表明の瞬間!厳しい禁教下にあった日本にキリシタンが存在していた奇跡「信徒発見」は、プチジャン神父の感動の報告によって海外でも知られるところとなりました。このできごとをきっかけに、各地で信仰を表明する信徒たちが相次ぎ、キリスト教の教理を学ぶために大浦天主堂にやってきました。日本全国から訪れる信徒のために、司祭館の天井裏を改造してつくった秘密の仮聖堂から、密かにはじまった礼拝と学習。やがて司祭を育てる〔長崎公教神学校〕が誕生しました。
 また、プチジャン神父の要請によって来日したショファイュの幼きイエズス修道会のマリー・ジュスティヌらが、居留地・大浦にカトリック系の修道院を開設し、〔伝道婦養成学校〕〔センタンファス(児童福祉施設) 〕〔聖心女学校(のち清心女学校)〕を開きました。
 長崎の居留地には外国人の宣教師たちによって多くの学校が誕生し、将来を夢見る多くの学生が勉学に励んだのでした。宣教師たちの情熱は、邦人司祭の養成によって日本カトリック教会の自立をめざすことはもちろん、布教だけでなく、「教育」や「福祉」の面にも注がれ、日本近代化の第一歩に貢献したのです。

散歩コース

1旧羅典神学校〔キリシタン資料館(大浦天主堂の敷地内) 〕

司祭を目指す少年たちの学び舎

 国宝大浦天主堂と赤煉瓦の旧司祭館の間にある建物が旧羅典神学校です(赤い矢印のところ)。現在は、キリシタン資料館として一般に公開されています。
 旧羅典神学校は、司祭を志す少年たちの学び舎で、正式な名称は「長崎公教神学校」。講義が全てラテン語でおこなわれたので羅典神学校とよばれたそうです。
 開国後の居留地に建てられた大浦天主堂で、パリ外国宣教会のプチジャン神父と浦上村の潜伏キリシタンが奇跡的な出会い(信徒発見)をしてから、キリスト教への信仰を表明する信徒たちが各地からこの教会にやってきました。まだ世間の監視の目が厳しい禁教令下。美しくめずらしい教会を見物に来る信徒以外の人々もたくさんいましたから、危険を侵してもなお訪れる信徒のために、天井裏を改造して「無原罪の御やどりの間」という秘密の仮聖堂をつくり、礼拝と学習がおこなわれました。これが始まりとなった長崎公教神学校では、司祭を目指す少年たちをかくまい、教育をおこないました。この学校から、開国後初の日本人司祭が誕生し、日本カトリック教会の自立の第一歩となりました。
 現在の建物は、1875年(明治8)、ド・ロ神父の設計・監督で新設された校舎。屋根は日本風の瓦で、窓やベランダといった開口部が西欧の意匠とうまく溶け込んだ開放的な印象の学び舎です。この校舎で学生たちは、予科と本科あわせて12年間を学んだそうです。

2東山学院校舎〔旧スチイル記念館(グラバー園内)〕

スチール・アカデミー(東山学院)として利用された学び舎<プロテスタント系>

旧スチイル記念館の正面玄関

旧スチイル記念館の1階廊下

旧スチイル記念館の階段付近 旧スチイル記念館の教室にある暖炉

 前回のながさき歴史散歩「第12回 学び舎の丘 東山手を歩く」でご紹介した東山学院(とうざんがくいん)の校舎は、現在、グラバー園内へと移築されて旧スチイル記念館として一般に公開されています。ヘンリー・スタウトさんが東山手に構えた自宅の書斎を開放して始めた英語塾は、閉鎖・再開を経て、聖書や神学を教える長崎神学校になりました。その後、この長崎神学校は、アメリカ改革派教会外国伝道局長のスチールさんの寄付で開校した「スチール・アカデミー」と合併し、官立学校に並ぶ資格を持つ学校となったのです。アカデミー自体は1932年(昭和7)に明治学院(東京)と合併し、約50年続いた長崎での歴史に幕を閉じました。旧英国領事館の跡(東山手9番)に建っていた学び舎は、長崎公教神学校、東陵中学校(現:長崎南山学園)、海星学園の校舎として利用されました。広い教室にモダンな暖炉を兼ね備えた校舎は、明るく開放的だったことでしょう。1972年(昭和47)、グラバー園内に移築されました。

喫茶「自由亭」のハートストーンプレートと窓からの眺め

旧自由亭の外観

 グラバー園内でちょっと休憩♪♪♪「自由亭」で長崎スイーツをいただきました。珈琲と「ハートストーンプレート(735円)」を注文。チョコ味のカステラにバニラアイスとビターなチョコソースがピッタリなお味です。生クリームと一緒に添えられたお菓子は、園内に敷き詰められた石だたみの中から運良く見つけることができると恋がかなうという、ハート型のラッキーストーンをイメージしています。あなたもラッキーストーンも探してみて! 長崎港の風景を眺めながらのティータイムはとってもおしゃれな時間でした。

3マリア園

"フランス学校"と呼ばれた聖心女学校<カトリック系>

マリア園の大天使ミカエル像

マリア園の外観

 今も居留地時代の面影を残す洋館が建ち並ぶ南山手の風景のなかを心地よく歩きます。グラバー園の出口から浪平小学校へと続く石だたみの「グラバー通り」を少し行くと、杠葉病院(ゆずりはびょういん)の斜め向かいに見えてくるのが、南山手の風景を代表する煉瓦づくりのマリア園です。
 この木々に囲まれた赤い煉瓦造りの3階建ての建物は、1898年(明治31)に新築移転された聖心女学校の聖堂で、東山手の海星学校と同じマリア会のセネンツの設計によって建てられました。この移転を機に「清心女学校」と改めました。
 1891年(明治24)に開校した「聖心女学校」は、大浦天主堂で浦上村の潜伏キリシタンと出会ったパリ外国宣教会のプチジャン神父の要請で、フランスに本部をもつ「ショファイュの幼きイエズス修道会」から派遣されたマリー・ジュスティヌら4人のシスターが開設した修道院がはじまりです。明治期唯一のカトリック系女学校で、宗教・国籍を問わず日本人と外国人がともに寄宿し、フランス学校と呼ばれていました。
 非公開なので写真撮影の許可をいただくために入口まで来たとき、何か視線を感じて上を見上げると・・・。目が合ったのは、羽を広げた大天使ミカエルの像。かわいらしいピンクの窓辺から矢をはなとうとする姿に、しばらく見とれていました。屋根の窓もステキです。本館の横が礼拝堂になっています。
 現在は、清心修道会(女子修道会)の本館として使用され、児童福祉施設マリア園を運営しています。

4旧出島神学校(史跡「出島和蘭商館跡」の敷地内)

聖アンデレ神学校から出島英和学校としてスタート<プロテスタント系>

旧出島神学校

ベランダ側から眺めた旧出島神学校

 昔は扇の形をしていた出島。復元整備が進む史跡「出島和蘭商館跡」を訪ねました。
 十字架を仰ぐ薄いブルーの建物は、出島英和学校、聖アンデレ神学校の校舎として使われた旧出島神学校です。イギリス教会宣教会のバーンサイドの女学校設立への思いを引き継いだ後任のモンドレルは、1879年(明治12)に、混血児や日本人児童のための出島英和学校をつくりました。しかし生徒数の減少で閉鎖し、ここへ1877年(明治10)から自宅で開いていたと思われる「聖アンデレ神学校」を移して校舎としましたが、モンドレルの意に反して、長崎の神学生は大阪聖三一神学校へと編入させられることになり、1886年(明治19)に閉校。廃校となったこの学び舎は民間病院として一時利用されましたが、半解体修理工事によって復元され、現在、史跡「出島和蘭商館跡」の敷地内で、1階は料金所、お土産品店、企画展示室、2階では17世紀の出島の様子が描かれた絵図をもとに再現したビリヤード台やカルタなど、オランダ商館員たちの文化や遊びを体験できる展示室として一般公開されています。

旧出島芯学校の暖炉

今回、ご紹介した学校は、東京・大阪・福岡の学校へと合併され、長崎での歴史には幕を閉じてしまいましたが、外国からやってきた多くの宣教師たちが蒔いた教育の種は、情熱のうちに長崎で育まれ、その活動が全国へと遷り各地で開花しました。今では昔の建物が当時の面影を残し、その歴史を語りかけてくれます。

参考文献:
  • 『旅する長崎学5 キリシタン文化5』企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年

スタート地点までのアクセス

大浦天主堂

所在
長崎県長崎市南山手町5-3
お問い合わせ先
095-823-2628
大浦天主堂HP
http://www9.ocn.ne.jp/~oura/
開館時間
8:00〜18:00(入館17:45迄)
休館日
なし
料金
大人300円 中・高校生250円 小学生200円
*キリシタン資料館の旧羅典神学校の見学料を含む。

アクセス

車…
JR長崎駅より国道499号線を南へ走り約7分「松が枝駐車場」に車をとめて、徒歩で約10分。
長崎自動車道をご利用の場合は〔ながさき出島道路〕出口を左折して国道499号線を約500m進み「松が枝駐車場」で車をとめて、徒歩で約10分。
路面電車…
<長崎駅前>電停のAホームより〔1番・正覚寺-赤迫〕行きに乗車、<築町>で乗換券をもらって下車。反対側のホームに移動して〔5番・石橋-蛍茶屋〕行きに乗車し<大浦天主堂下>で下車、徒歩で約10分。
バス
長崎バスの[小ヶ倉][ダイヤランド][香焼][深堀]行きに乗車し≪グラバー園入口≫で下車し、徒歩で約8分。もしくは長崎バス[田上・太平橋]行きに乗車して≪大浦天主堂≫で下車し、徒歩で約5分。
高速バス
--昼行便--
  • 長崎空港から約35分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 佐世保から約1時間30分(長崎県営バス・西肥バス)
  • ハウステンボスから約1時間5分(西肥バス)
  • 福岡から約3時間(九州急行バス)
  • 北九州から約3時間(長崎県営バス)
  • 大分・別府から約3時間45分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 熊本から約3時間(長崎県営バス)
  • 宮崎から約5時間20分(長崎県営バス)
--夜行便--
  • 名古屋から約12時間(長崎バス)
  • 大阪(梅田)から約10時間10分(長崎県営バス)
  • 京都・大阪から約11時間30分(長崎バス)
  • 姫路・神戸から約10時間(長崎バス)
電車…
博多駅方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し、<JR長崎駅>で下車(所用時間は約2時間)。鳥栖より約1時間。佐賀より約1時間25分。諫早より約20分。JR長崎駅からは路面電車・バスまたはタクシーをご利用下さい。
佐世保方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR佐世保駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボスより約1時間20分。大村より約35分。長崎駅からは路面電車またはタクシーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

*各空港から<長崎空港>に着陸。長崎バスもしくは県営バスの[長崎空港線エアポートライナー・出島道路経由]に乗車し<長崎新地バスターミナル>へ約35分。

●各出発点へのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
  • 奇跡の場面に立ち会ったプチジャン神父
  • グラバー
  • 外海に生涯を捧げたド・ロ神父
  • ハーバート・モンドレル
  • ヘンリー・スタウト
  • ペリー
  • マリー・ジュスティヌ
歴史事件
    資料
    • パリ外国宣教会
    場所
    • 大浦天主堂
    • 海星学園
    • 旧出島神学校
    • 旧羅典神学校(長崎公教神学校)
    • グラバー園
    • 出島和蘭商館
    • 東山学院
    • マリア園
    その他

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