ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第18回 生月を旅する!(2)

〜しまに息づく かくれキリシタンの歴史〜

歴史のとびら
山田教会

 生月は、美しい海に囲まれた小さな島。長崎県の北西部に位置し、平戸島の北の沖合いに浮かびます。かくれキリシタンたちが大切に守ってきた信仰を今でも伝承する"祈りの島"でもあります。その歴史は、長崎でもいち早くキリスト教が伝えられ、一時はキリシタン文化の繁栄をみながら、その後は弾圧と迫害、脱出と潜伏……、時代に翻弄された厳しい棘(いばら)の道でした。

キリシタン時代

 1550年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸に上陸しました。松浦隆信(道可)を領主とする平戸は、これまでの大陸との交流に加え、ポルトガル船の到来によって西洋との貿易を獲得し、「西の都」と呼ばれるまでに繁栄していました。さらに、平戸・生月地方でキリスト教が浸透し、キリシタン文化が誕生したのでした。
 籠手田(こてだ)と一部(いちぶ)の両氏は、松浦隆信(道可)の家臣で、松浦氏の勢力圏のなかで生月島、度島、平戸島の西海岸を支配していました。1558年、籠手田氏の領地である生月島南部、度島、平戸島内で領民の一斉改宗がおこなわれ、改宗を指導したガスパル・ヴィレラ神父の手によって、教会や十字架が建立されました。このように多くの村を含む広い地域で一斉改宗がおこなわれたのは、籠手田領の改宗が最古の事例だそうです。しかしその際に、仏像を焼いたりしたことから、仏僧や仏教徒の反感が強まり、隆信はヴィレラ神父を追放する事態となりました。
 1561年、平戸では、日本人商人とポルトガル船員の取引上のトラブルから殺傷事件「宮の前事件」が起こり、翌年、貿易の港は、いったん大村領内の横瀬浦に移ります。しかし南蛮貿易を継続させたい松浦隆信(道可)は、平戸領内に教会の建立を許可するなど手を尽くし、1564年にはポルトガル貿易船の再入港を成功させます。しかし、宣教師の隆信に対する不信感は拭えず、結局大村の領主で、のちに日本初のキリシタン大名となる大村純忠と手を組み、翌1565年の貿易船は、大村領内の福田港に入港することとなります。平戸への貿易船の入港を期待していた隆信は、その事態に激怒し、福田に停泊していたポルトガル船に攻撃をしかけますが、敗れてしまいます。
 くしくも同年、一部氏が支配する生月島北部などで一斉改宗がおこなわれ、これによって生月の全島がキリシタンの島となりました。しかし平戸の松浦氏やその家臣と、キリシタン領主である籠手田・一部氏との間に生じた亀裂は、その後修復されることはなく、次第に深まっていったのでした。
 1587年、豊臣秀吉が伴天連追放令を発布。その時生月は、日本各地で布教活動をしていた多くの宣教師たちをかくまいました。同時にセミナリヨやコレジオも一時的に移ってきたといわれています。1596年には、秀吉の命によってキリシタン26人が西坂の丘で殉教を遂げたことを機に、キリスト教に対する処遇は厳しくなっていきます。

禁教・殉教時代

 1599年、平戸の前藩主・松浦隆信が死去。家督を継いだ息子の鎮信(法印)は、意に反して思うようにならない宣教師やキリシタンたちを嫌い、父の法要に参列するよう家臣たちに強要します。キリシタンであるため仏事に参列できないとした籠手田安一と一部正治は、信者800人を引き連れ、故郷である生月島を離れ、当時イエズス会の勢力が強かった長崎へと亡命したのでした。
 しかし、島には信仰の篤いキリシタンたちが大勢残っていました。1609年、藩から派遣された奉行の家に嫁いだキリシタンである娘が棄教しないことを理由に、生月キリシタンの指導者であったガスパル西玄可が、松浦鎮信の命令によって処刑されたのは、徳川幕府の禁教令が発布(1614年)される5年前のことでした。
 禁教令発布後にも悲劇は続きます。1622年、生月などで秘かに布教をおこなっていたカミロ神父が捕らえられ、田平の焼罪(やいざ)で処刑されました。そしてカミロ神父を助けたとして生月の人々も捕らえられ、中江ノ島で処刑(元和の殉教)。1624年にはその信者達の家族も捕らえられ、やはり中江ノ島で処刑されてしまいます(寛永の殉教)。彼らが中江ノ島に連行され処刑される光景を目のあたりにして、生月のキリシタンたちは、彼らの遺志を継ぎ、信仰を守り抜く決意をしたのではないでしょうか。殉教した人たちにオラショ(祈り)を捧げながら、子から孫へと信仰を継承していったのです。

復活時代

 1873年、明治政府はキリシタン禁教令の高札を撤廃しました。各地に潜伏して信仰を守り続けていた人々は、再布教を開始したカトリックと合流した「復活キリシタン」と、先祖が大切に守ってきた信仰形態をそのまま受け継いだ「かくれキリシタン」にわかれました。かくれキリシタンの組織は、昭和初期ごろには外海地方や五島列島にも多く存在していたそうですが、平成になって平戸の組織も解散したように、現在ではきちんとした組織が存続している地域は殆どなくなり、伝統的な信仰形態を最もよく残しているのが、生月のかくれキリシタンだといわれます。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約2時間

1生月大魚籃観音

↓車で約5分

2山田教会

↓車で約10分

3焼山

↓車で約2分

4幸四郎の森

1生月大魚籃観音

生月の町並みを眺めよう!

生月の町並み

 生月大橋を渡って国道42号線を走ると、民家の屋根を越えて頭を突き出した巨大な観音さまが見えてきました。

 生月の丘の頂に、ポルトガル人宣教師のガスパル・ヴィレラ神父によって、記念すべき十字架が建てられました。"クルス(十字架)の丘"は、時世の流れに伴い、漢字であてはめ、いつしか"黒瀬の辻"と呼ばれるようになったといいます。生月のキリシタンにとって黒瀬の辻は、キリスト教信仰の出発点なのです。

 鎮座する観音さまの広場からは、舘浦港と町並みが一望できますが、よく見ると、京都の町家とちょっと様子が違います。隣どうしピッタリと壁をくっつけて、狭い道に沿って密集しています。これには、幾つか理由があるそうです。ひとつは台風などの暴風対策。ひとつは島の木材が少なかったからだといわれています。

生月大魚籃観音

生月大魚籃観音の狛犬

 生月大魚籃観音は、航海の安全を願って建てられました。観音さまの高さは台座を合わせると、なんと21メートルもあり、ブロンズ像としては世界一。活きのいい鯛を手で押さえているかのようなポーズには理由がありました。魚の霊も追悼しているのだとか。豊かな漁場の生月ならではですね。観音さまの台座の中は御堂になっていて、自由に参拝することができます。

2山田教会

明治時代に復活した信仰の光

山田教会

山田教会のバラ窓

 ザビエルによって平戸に撒かれたキリスト教の種は、キリシタンとなった生月の領主たちによって一斉改宗がおこなわれるなどして広まりました。厳しい禁教令が布かれた江戸時代でも信仰は受け継がれ、独自の信仰形態を保ち250年以上も殉教者と先祖を祀り伝承してきました。

 1850年代になって長い鎖国の時代を経て開国した日本に、海外から多くの宣教師が再布教のためにやってきました。長崎の居留地に建てられた大浦天主堂では、1865年、プチジャン神父の前で浦上村の人々が信徒であることを告白しました(信徒発見)。このことをきっかけに、潜伏しながら信仰を守ってきた人々がキリスト教に復活するようになりました。いち早くキリスト教に戻った黒島の信徒たちは、生月の人々に合流復活するよう説得にあたりました。生月ではごく一部の人々が、1878年(明治11)に平戸を訪れたペルー神父から洗礼を受けました。

 しかし、生月の大多数の人々は復活しませんでした。それは殉教者や先祖を祀る仏壇を捨てることができなかったからです。かくれキリシタンとして独自の信仰形態のまま、今でも組織ごと年中行事をおこなっています。

山田教会の煉瓦造りの構造が見える一部

山田教会のステンドグラスと空

 この教会堂は教会建築の父 鉄川与助によって大正元年に完成しました。アーチ窓の脇を見てみると剥がれた漆喰から当時の赤レンガが顔を覗かせていました。日本古来の技法と、煉瓦造りの洋の文化が融合し、モダンにみえます。


7つの悲しみのマリア像

蝶の羽でつくられた7つの秘蹟

蝶の羽でつくられた7つの秘蹟(部分)

 教会に入ると、木造のリブ・ヴォールト天井と細部のデザイン、世界中の蝶の羽を集めてつくられた7つの秘蹟、キリストを失った親としての悲しみを表した心臓に7つの刃が刺さった「7つの悲しみのマリア像」など目に映るものすべてが印象的です。ステンドグラスからやさしい光が射し込んでいました。

3焼山

教会があった山

焼山の入口

焼山の脇に建つ御堂

 ここからは、「島の館」の中園成生さんに案内してもらいながら見学しました。

 生月小学校の近くの植栽のアーチの門をくぐっていきましょう。ここは、民家の建つ脇道を通りますので、地元の方のご迷惑にならないよう、静かに見学させてもらいましょう。

 見たところ、焼山は、どこにでもある木々に覆われた丘に見えますが…。

中園成生さん

 中園さん「焼山は、キリシタン時代に教会が建っていた場所だと言われています。豊臣秀吉の伴天連追放令が発布されると、外国人の宣教師たちが生月に避難してきて、その時セミナリヨ(神学校)も移転してきました。江戸時代になって、平戸藩が本格的な禁教政策に転じた時、切り捨てたキリシタンたちを穴に放り込んで火をかけたことから"焼山"と呼ばれています。」

 隣には、御堂がありました。ここでは境目(さかいめ)のかくれキリシタンが集まって年中行事をおこなっています。

4幸四郎の森

裸足で歩く神聖な森

幸四郎の森

幸四郎の森の入口

 焼山からさらに山手へ歩くこと約5分。先ほどの焼山と同じように、木々が生い茂る小さな丘が現れました。

 中園さん「この石段からは靴を脱ぎましょう。この幸四郎の山は聖地なんです。」との説明を受けました。靴を脱いで、いざ森の中へと入りました。中には落ち葉が敷き詰められ、中央には石の祠がありました。 しばし、祈りを捧げます。

 ところで、幸四郎さまとは、一体誰なんです?

幸四郎の森での中園成生さん

幸四郎の森にある祠

 中園さん「地元の言い伝えによると、幸四郎さまという人物は、徳川幕府の禁教令によって、平戸藩から派遣されたキリシタン取締りの役人です。ある時、彼は、踏絵を「踏めない」と逃げたキリシタンに向かって矢を放ちます。しかし、その矢が旋回して自分に当たってしまいました。この不思議な現象から幸四郎はキリシタンに改宗して、後に殉教し、サンパブローさまと呼ばれたそうです。
 この森は、昭和初期まで松の大木が茂っていました。昔から履物をしたままの入場を禁じ、薪を拾うこともゆるされなかった聖地でした。堺目には幸四郎様を描いた掛け軸を御神体としてまつる、かくれキリシタン信者の講(組)もありますが、その絵の男性武人像には弓矢が描かれています。サンパブローは聖書に出てくる聖パウロの名前と同じですが、彼は聖画に描かれる場合は本を持った姿などで描かれていて、弓矢と一緒に描かれるのは聖セバスチャンの像です。外海や生月ではバスチャン様という殉教者も信仰されていますが、キリシタン時代に聖セバスチャンの説話が伝えられ、信仰がおこなわれていた名残かも知れず、弓矢のお掛け絵も、実は聖セバスチャンを祀ったものだったのかも知れません。」

 生月は、キリスト教の種が日本ではじめて撒かれた平戸の領内にある島で、キリシタン時代、禁教時代、復活時代、そして現代と450年にわたってキリシタンの信仰を守り続けています。時代の流れによって独自のカタチに変化していく信仰は、大切に子から孫へと伝承され、つつましくささやかな祈りが、日々捧げられています。

参考文献
  • 「旅する長崎学1 キリシタン文化1」 企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 巻頭特集 ザビエルが平戸にまいた キリスト教の種子
  • 「旅する長崎学4 キリシタン文化4」 企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 特集4 平戸・生月のかくれキリシタン
  • 「旅する長崎学6 キリシタン文化6」 企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 キリシタン文化の旅 長崎へのいざない 第1章 布教はここから始まった 平戸ガイド編 生月探訪 土地に息づく かくれキリシタンの歴史
  • 「生月島のかくれキリシタン(改訂版)」 制作/平戸市生月町博物館・島の館 発行/平戸市生月振興公社 2000年

協力

  • 平戸市生月町博物館・島の館 学芸員 中園成生

スタート地点までのアクセス

生月大魚籃観音

所在
長崎県平戸市生月町山田免570-1
開館時間
台座内部の入場8:30〜17:00 *11〜2月の期間は〜16:30迄。
料金
無料
駐車場
あり
休み
なし

アクセス

車…
生月大橋より県道42号線を北上し約5分。舘浦の信号(比売神社の角)を左折、一つ目の信号(農協ストアの角)を左折。
高速道路をご利用の場合…
長崎自動車道<武雄北方IC>を下車、国道498号線を通り伊万里で国道204号線へ、平戸大橋を渡り国道383号線から県道19号線へ、生月大橋を渡り県道42号線を北上して約5分。生月大橋より県道42号線を北上し約5分。比売神社(舘浦)の角の信号を左折、一つ目の信号を左折(角に農協ストアあり)。
*所要時間のめやす…長崎より長崎自動車道を利用して約2時間30分。
バス…
生月バス<舘浦漁協前>を下車し徒歩で約5分。

生月までのアクセス

車…*所要時間のめやす
福岡より唐津経由で約2時間30分
(国道202号線→国道204号線→平戸大橋→国道383号線→県道19号線→生月大橋)
佐世保より約1時間
(国道204号線→平戸大橋→国道383号線→県道19号線→生月大橋)
平戸より約25分(国道383号線→県道19号線→生月大橋)
長崎より高速道路を利用して約2時間30分
高速道路をご利用の場合…
長崎自動車道<武雄北方IC>を下車、国道498号線を通り伊万里で国道204号線へ、平戸大橋を渡り国道383号線から県道19号線へ、生月大橋を渡り県道42号線を北上して約7分。生月バス<正田>バス停より右折して約30メートル。*所要時間のめやす…長崎より長崎自動車道を利用して約2時間30分。
生月大橋の通行料・片道(2007年12月現在)
普通車200円 中型250円 大型(1)350円 大型(2)550円 軽自動車・バイク(125cc以上)150円 軽車両等20円
平戸大橋の通行料・片道(2007年12月現在)
普通車100円 大型車150円 特大車300円 軽車両等10円
バス…
<佐世保駅前>より西肥バス[(特急バス)平戸]行きに乗車し<平戸新町>で乗り換え(所要時間は約1時間)。生月バス[一部桟橋・御崎]行きに乗車しバスで約30分。
高速バス
--昼行便--
  • 長崎空港から約35分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 佐世保から約1時間30分(長崎県営バス・西肥バス)
  • ハウステンボスから約1時間5分(西肥バス)
  • 福岡から約3時間(九州急行バス)
  • 北九州から約3時間(長崎県営バス)
  • 大分・別府から約3時間45分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 熊本から約3時間(長崎県営バス)
  • 宮崎から約5時間20分(長崎県営バス)
--夜行便--
  • 名古屋から約12時間(長崎バス)
  • 大阪(梅田)から約10時間10分(長崎県営バス)
  • 京都・大阪から約11時間30分(長崎バス)
  • 姫路・神戸から約10時間(長崎バス)
電車…
博多駅方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し、<JR長崎駅>で下車(所用時間は約45分)。鳥栖駅より約25分。佐賀駅より約10分。諫早駅より約8分。
*JR佐世保駅からは、バスまたはタクシーをご利用下さい。
長崎方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR長崎駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR佐世保駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボス駅より約20分。大村駅より約1時間。
JR佐世保駅からは、バスまたはタクシー・レンタカーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

*長崎空港からは、バスまたは電車・タクシー・レンタカーをご利用ください。

●JR佐世保駅・生月へのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
  • 大村純忠
  • ガスパル・ヴィレラ
  • 鉄川与助
  • 平戸にザビエルがやってきた!
  • 平戸の領主
  • ペルー
  • 松浦鎮信
  • 松浦鎮信
  • 松浦隆信
  • マルマン神父
歴史事件
  • 生月でのキリシタン一斉改宗
  • 宣教師を平戸から追放
  • 伴天連追放令と禁教令による教会破壊
  • ポルトガル船の来航
  • 「宮の前事件」でポルトガル船、平戸を去る
資料
    場所
    • 生月大橋
    • 生月大魚籃観音
    • 大浦天主堂
    • 幸四郎の森
    • 中江ノ島
    • 平戸市生月町博物館 島の館
    • 焼山
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