ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第19回 深堀の城下町と善長谷教会

〜禁教令に従う佐賀藩とキリシタンの里「善長谷」〜

歴史のとびら
善長谷教会のステンドグラス

 長崎市の南西部に位置する深堀地区は、城下町の佇まいを残す風情ある港町です。海に恵まれた地の利を活かし、その昔から、往来する貿易商人との交流がおこなわれていました。
 深堀の歴史は古く、縄文時代から生活が営まれていたことが、貝塚など遺跡の発掘調査によって確認されています。
 "深堀"という地名の誕生は鎌倉時代にさかのぼります。上総国の (現・千葉)の三浦仲光は、承久の乱(1221年)で鎌倉幕府方として活躍した褒美に、この肥前国彼杵庄戸町浦(現・深堀)を拝領しました。地頭職として赴任し、姓・町名ともに深堀と改名。その後、有馬氏から西郷氏、鍋島氏の支配下へと移行したものの、初代仲光から32代にわたります。
 江戸時代、深堀は佐賀藩に取り込まれ、鍋島の姓に改名。6千石の家老職として勤める佐賀藩鍋島氏となり、居城を中心に武家屋敷などを整備した新しい城下町としての深堀を形成していきました。
 佐賀藩鍋島は、諫早、神代(国見)、深堀を領地とし、外海の出津・黒崎・三重にも飛び地が存在していました。徳川幕府の禁教令によって、キリシタン弾圧がさらに厳しさを増していくなか、大村藩が支配する「内海」と呼ばれる大村湾周辺の厳しい監視から逃れるために、1823年、外海の三重東樫山に暮らしていたキリシタン6家族が新天地を求めて海を渡り脱出しました。彼らは、マリア観音やメダイを隠し持ち、旅芸人を装って善長谷へ移住したそうです。菩提寺の檀家となりながらも、ひそかにキリスト教の信仰を守り続けました。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約4時間

1深堀武家屋敷の跡

↓ 徒歩で約10分

2深堀義士の墓

↓ 徒歩で約30秒

3深堀鍋島家の墓地

↓ 徒歩で約3分

4五官の墓

↓ 徒歩で約60分 or 車で約10分

5善長谷教会

1深堀武家屋敷の跡

江戸時代の風情が残る城下の街並み

深堀武家屋敷の跡

 今回の散策は、深堀武家屋敷の跡からスタートです。
 1592年(文禄元)、深堀純賢氏は朝鮮への出陣後、佐賀藩に組み込まれ、鍋島の姓に改名し、6万石の家老職となりました。佐賀藩鍋島の深堀領を中心として城下町を築きました。深堀武家屋敷の跡がある周辺が城下町の入口だった場所です。曲がりくねった鍵型の通りに、屋敷の重厚な練壁が当時の様子を残しています。

深堀陣屋敷の跡

 ここから約400メートルほど歩くと深堀純心幼稚園が見えてきます。この一帯に、佐賀藩鍋島氏の居城である陣屋を構えていました。

深堀神社の鳥居

恵比寿さま

 ちょっと寄り道して、深堀神社の前を通りました。長崎市役所深堀支所の先です。大きな石の鳥居には、深堀創設の由来が刻まれていました。そして、城下町のいたるところにカラフルな海の安全を祈る恵比寿さまを見つけることができますよ。

さぁ、次は菩提寺をめざして歩きましょう。

2深堀義士の墓

長崎版忠臣蔵として全国で話題になった「深堀騒動」

深堀義士の墓

深堀三右衛門の墓

 深堀小学校のグラウンドのある道沿いから、目印のお地蔵さまのところを左折してまっすぐ進みましょう。菩提寺が管理する敷地内に、深堀義士のお墓がありました。

 ズラリと並んだ義士たちのお墓。彼らは「深堀騒動」とよばれる事件で、自害したり流罪になったりした義士たちです。
 ある日のこと、事件は大音寺坂(現・長崎市万才町)で起こりました。佐賀藩鍋島の深堀領に使える武士2人と、宴会の帰りで酔っていた筆頭町年寄高木氏の使用人とが、すれ違いざまに喧嘩をはじめてしまいます。原因は、深堀三右衛門がつまづいた拍子に、高木家の使用人に泥がかかってしまったという些細なことでした。しかし、気持ちのおさまらない高木家の使用人は、その日の夕方、仲間を引き連れて五島町(長崎市)にある深堀の屋敷を襲撃したのです。
 翌日、今度は深堀の武士21人が無念をはらすために高木家に討ち入り、主人である高木彦右衛門を斬ってしまいました。

 この事件は長崎版忠臣蔵として当時江戸の町まで広く伝わり、大きな話題になったそうです。

大音寺坂(長崎市万才町)

 昔から貿易商人との交流があった深堀、長崎で貿易商人たちを取り仕切る元締役の高木家、双方ともかなりの力を持っていたのではないでしょうか。

 この深堀騒動が起こった大音寺坂のそばには、時代を遡ってキリシタン時代、病院や教会堂をもつミゼリコルディアの本部が1583年頃から1620年頃まであったんですよ。

3深堀鍋島家の墓地

歴代のお墓がズラリ!

深堀鍋島家の墓地の入口

深堀鍋島家の墓地

 深堀義士のお墓の横から、階段をのぼって石造のアーチをくぐります。すると、ビックリするくらい巨大で立派なお墓がいくつも並んでいました。
 この墓地には、江戸時代に佐賀藩の家老職を勤め、姓を改名して鍋島家となった18代目深堀純賢(すみまさ)から、歴代の領主と夫人たちが眠っています。

4五官の墓

朱印船貿易でアジア各国と交流した中国人

五官の墓

 明の貿易商人として活躍した林氏五官呉のお墓です。彼は1606年〜1616年にかけて、ベトナムやカンボジア、長崎のアジア各国を往来しながら貿易で財を成しましたが、1637年(寛永14)に亡くなっています。
 菩提寺の記録によると、深堀は長崎に渡来する唐人を歓迎し、貿易商人たちから受け取った寄進を、お寺のいくつかの御堂の造営にあてたとあるそうです。五官は、明の皇帝から貰った大切なお宝をお寺に喜捨してお墓の土地を購入したそうです。五官の人脈の広さとスケールの大きさが伺えます。お墓に刻まれた文字は風化して読めませんが、中国華南系の様式で造られています。
 このお墓の周辺が唐人街と呼ばれていたことから、海外との交流が盛んだった深堀の様子がうかがえます。

深堀の港の風景

 さあ、次は善長谷教会へGO!! ところが、実は道に迷ってしまいました。でも、おいしそうな干物が太陽をいっぱい浴びている、のどかな漁村の風景に出会えましたよ。それと、迷って地元の人に道を聞くのも、土地の雰囲気が伝わってきたりして、旅の醍醐味かもしれませんね!

5善長谷教会

山にある教会から、海に沈む夕日を眺める

県道224号線から農道を歩く。山の中央に小さく善長谷教会がみえる。

善長谷教会の看板。この看板からさらに約20分歩く。

 深堀から歩いたのには、ワケがあります。深堀から善長谷教会までの距離。歩くと遠くに感じますが、歴史的な背景を考えると、この1時間が短く感じるのです。それはたぶん、徳川幕府が発布した禁教令のなか、ひそかにキリシタンが信仰を守った善長谷の集落と、キリスト教を厳しく取り締まった佐賀藩の深堀の城下町が微妙な距離にあるからではないかと思います。もちろん善長谷は佐賀藩の深堀領。えもいわれぬ緊張感におそわれます。ひたすら山道をのぼりました。

長崎の果物ゆうこう

 途中、散歩をする人や教会の見学で訪れる多くの人々に会いました。

 山道の脇の畑では、ド・ロ神父が伝えたのではないかという説のある"ゆうこう"という柑橘系の果物が旬を迎え、黄色く実っていました。

善長谷教会から広がるパノラマの風景

 やっとたどりついた善長谷教会の前に立つと、なんとも素晴らしい絶景!

善長谷教会のアンゼラスの鐘

善長谷教会

 目の前に広がるのは、外海のキリシタンたちが新天地を求めて渡った海。伊王島、高島、そして五島までもが見渡せます。

 1823年(文政6)、外海の東樫山に住んでいた6家族のキリシタンが旅芸人を装って、海を渡ってきました。見つからないように隠し持ってきたマリア観音とメダイ。そして、「黒船に乗ってくる人と心ひとつになれ」という言い伝えを信じ、ひそかに信仰を守り続けました。

善長谷より夕日(長崎市大籠町) 長崎県観光連盟

 その後、開国した日本には、再布教のため、外国から宣教師たちがやってきますが、まだ日本人の信仰の自由は認められていませんでした。1864年、パリ外国宣教会によって、長崎の居留地に大浦天主堂が完成しました。1865年、献堂式を終えて間もないこの天主堂を訪れた浦上村の人々が、プチジャン神父に信徒であることを告白します(信徒発見)。やがて善長谷の人々も言い伝えを確認するために大浦天主堂を訪れ、信仰の復活を果たしました。
 明治になってからもキリスト教徒の弾圧は続きますが、諸外国からの抗議もあり、1873年、新政府によって幕府の禁教令の高札は撤廃され、キリスト教は黙認されることとなりました。
 樹木に掛けられたアンゼラスの鐘、キリシタンたちが住む島々の海の向こうにローマがある。しばらく、その風景を眺めながら、夕日を待つことにしました。

 実際に歩いたことで、歴史物語をリアルに体感できた今回の旅。人里離れた辺境にしか暮らせず、ひそかに信仰を守り続けなければならなかったキリシタンたち。しかし、彼らの心をなぐさめたのは、他では味わえない最高の眺望だったのではないでしょうか。それこそ人間業ではない神の存在を信じさせてくれたのかもしれません。海に沈んでいく美しい夕日を見ながら、善長谷のキリシタンたちも、この美しい風景にゆるぎない信仰と固い結束を誓ったのではないかと思いました。
 絶景を望むところに教会あり。長崎には、まだまだ知られていない魅力がたくさん隠されています。

参考文献
  • 「旅する長崎学1 キリシタン文化1」企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 特集4-第4章 慈善・福祉事業の発祥 ミゼリコルディアの組
  • 「旅する長崎学4 キリシタン文化4」企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 特集4-第2章 外海キリシタン物語
  • 「旅する長崎学5 キリシタン文化5」企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年 特集4-第1章 山にある天主堂
  • 「長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド」 監修/カトリック長崎大司教区 編/長崎文献社 2005年
  • 「文化財めぐり 深堀散策」発行/長崎市教育委員会生涯学習部文化財 2004年
  • 「長崎さるくマップブック」 編集発行/長崎さるく博'06推進委員会 2006年
  • 長崎市の文化財

スタート地点までのアクセス

深堀武家屋敷の跡

所在
長崎県長崎市深堀町5-191
長崎市深堀体育館と深堀公園の裏
開館時間
見学は武家屋敷通りのみ

アクセス

車…
JR長崎駅より約20分
バス…
<長崎新地ターミナル>より長崎バス[恵里][深堀]行きに乗車(所要時間は約30分)、<深堀>で下車、徒歩で約10分。または、<茂里町〜長崎駅前>より長崎バス[香焼恵里]に乗車(所要時間約40分)、<深堀>で下車、徒歩で約10分。
高速バス
--昼行便--
  • 長崎空港から約35分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 佐世保から約1時間30分(長崎県営バス・西肥バス)
  • ハウステンボスから約1時間5分(西肥バス)
  • 福岡から約3時間(九州急行バス)
  • 北九州から約3時間(長崎県営バス)
  • 大分・別府から約3時間45分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 熊本から約3時間(長崎県営バス)
  • 宮崎から約5時間20分(長崎県営バス)
--夜行便--
  • 名古屋から約12時間(長崎バス)
  • 大阪(梅田)から約10時間10分(長崎県営バス)
  • 京都・大阪から約11時間30分(長崎バス)
  • 姫路・神戸から約10時間(長崎バス)
電車…
博多駅方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し、<JR長崎駅>で下車(所用時間は約2時間)。  鳥栖駅より約1時間。佐賀駅より約1時間25分。諫早駅より約20分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。
長崎方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR佐世保駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボス駅より約1時間20分。大村駅より約35分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

*各空港から<長崎空港>に着陸。長崎バスもしくは県営バスの[長崎空港線エアポートライナー・出島道路経由]に乗車し<長崎新地バスターミナル>へ約35分。

●●JR長崎駅・長崎新地バスターミナル・JR佐世保駅・空港へのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
    歴史事件
      資料
      • パリ外国宣教会
      • 町年寄
      場所
      • 大浦天主堂
      • 五官の墓
      • 善長谷教会
      • 深堀義士の墓
      • 深堀陣屋敷の跡
      • 深堀鍋島家の墓地
      • 深堀武家屋敷の跡
      • ミゼリコルディア本部の跡(長崎地方法務局の付近)
      その他
      • 教会見学のQ&A
      • 善長谷の由来
      • 深堀ってどんなところ?
      • ミゼリコルディアの組

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