ながさき歴史の旅

ホーム   > ながさき歴史散歩 >   第21回 「浦上村」の跡を訪ねて

ながさき歴史散歩

第21回 「浦上村」の跡を訪ねて

〜祈りのまちを歩く〜

歴史のとびら
聖マリアの山(一本木の山)にある十字架

戦国時代から続くキリシタンの里

 浦上地区は長崎市の市街地から北へ約3キロ。戦国時代には大村領として治められていましたが、1474年には島原半島を治める有馬氏の支配下となりました。そして1584年には、キリシタン大名の有馬晴信によって、浦上はイエズス会に寄進されます。それより前の1580年(天正8)、日本初のキリシタン大名 大村純忠も、長崎と茂木をイエズス会に寄進していました。

賑わう16世紀の浦上村−教会のある風景

 1587年、豊臣秀吉が伴天連追放令を発布。翌年、イエズス会に寄進されていた大村領長崎と有馬領浦上を直轄地としました。しかし、秀吉はポルトガル船の来航を奨励したので、長崎には多くの教会が次々と建ち並び、異国の文化で賑わいをみせていました。浦上村にも、サンタ・クララ教会が建ち、外国人商人も訪れるキリシタンの里として栄えていきました。

密かに信仰を守る潜伏時代に突入

 江戸時代になって、1605年のこと。長崎市街地の統治を円滑にするため、幕府は大村領長崎村をさらに幕府領に編入し、代わりに大村氏には幕府領となっていた浦上の木場村、北村、西村、家野村を代替地として与えました。こうして浦上は大村領と幕府領とに二分されてしまいました。
 ついに幕府は、1614年に禁教令を発布。長崎に建ち並んだ多くの教会は破壊され、外国人宣教師たちは国外追放になるなど、キリシタンに対する厳しい弾圧がいよいよ始まりました。浦上村山里の、馬込を除く本原郷・中野郷・里郷・家野郷の4つの郷に暮らす人々のほとんどはキリスト教を信仰するキリシタンでした。信仰を守り伝えるため、ひそかに組織をつくり、約250年もの長く苦しい潜伏時代を過ごしました。

祈りの復活

キリスト教信者発見百周年記念碑(大浦天主堂)

 幕末になって長崎港が開港されると、長崎には多くの外国人が住むようになりました。まだ日本人には信仰の自由は認められていませんでしたが、居留地には外国人のための教会堂や学校などが建ちはじめました。約250年間もの長いあいだ、信仰を守りとおしてきた浦上の人々は、1865年3月17日、意を決して大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父と出会い、自分たちがキリスト教の信徒であることを告白したのです(信徒発見)。
 浦上村では、再び信仰の自由を願う熱気が高まっていきました。村につくった4つの秘密礼拝堂「聖マリア堂」「聖ヨゼフ堂」「聖フランシスコ・ザベリオ堂」「サンタ・クララ教会」では、大浦天主堂から神父を迎えてミサや洗礼をおこない、信徒たちの心のよりどころとなりました。しかし、しだいに、寺請制度に従わず僧侶の立ち合いなしで自葬するなど、しだいに公然と信仰を表明するようになります。とうとう、長崎奉行所の知るところとなり、キリシタン取り締まりの手が秘密礼拝堂にのびて68人が捕らえられ、江戸幕府の政策を引き継いだ明治政府によって、さらに3千人を超える浦上キリシタンの総流配という厳しい信仰弾圧へとつながっていきました。キリシタンたちの潜伏組織をゆるがす一連の事件は「崩れ」といわれ、浦上でも度々起こりましたが、信徒発見以後に起こったこの大きな事件は「浦上四番崩れ」とよばれます。
 今回は、どんな状況のもとでも信仰を貫き通したキリシタンたちの里「浦上村」を散策します。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約3時間

1本原教会

↓ 徒歩で約3分 敷地内

2一本木山(聖マリアの山)

↓ 徒歩で約18分

3浦上十字架山

↓ 徒歩で約5分

4聖マリア堂(秘密教会)の跡

↓ 徒歩で約5分

5聖ヨゼフ堂(秘密教会)の跡

↓ 徒歩で約15分

6聖フランシスコ・ザベリオ堂(秘密教会)の跡

↓ 徒歩で約3分

7帳方屋敷の跡

↓ 徒歩で約7分

8ベアトス様の墓

↓ 徒歩で約5分

9サンタ・クララ教会(秘密教会)の跡

↓ 徒歩で約20分

110赤城キリシタン墓地

↓ 徒歩で約10分

111浦上教会

1本原教会

潜伏キリシタンたちの祈りの森

本原教会

 1614年、徳川幕府は全国に禁教令を発布しました。
 長崎に建ち並ぶ教会群が次々と破壊され、外国人宣教師は国外へ追放、キリシタンへの厳しい弾圧がはじまりました。

本原教会のルルド

 本原教会には、フランシスコ会の修道院、ルルド、教会堂があります。そして、潜伏時代にキリシタンたちが密かに集まって祈りを捧げていた聖マリアの山(一本木山)が教会堂の裏山にあります。

 "ビデオ"のボタンをクリックして映像もお楽しみください!
 教会堂入口の階段にある聖ペドロ・バプチスタ像の横に並んで立って見渡すと、すごくいい眺めです。本原一帯が一望できますよ。

2一本木山(聖マリアの山)

約250年の祈り、信仰を紡いだ秘密の森

本原教会にある聖マリアの山(一本木の山)の碑

聖マリアの山(一本木の山)への登り口

 江戸時代、徳川幕府の禁教令が発布され、浦上村は幕府領となりました。浦上にあったサンタ・クララ教会(1603)は、禁教令が発布されて約6年後に破壊されてしまいました。キリシタンたちは、公に十字架を持つことも禁じられ、祈る場所もなくなり、ミサをおこなう神父もいなくなりました。

聖マリアの山(一本木の山)にある十字架

 厳しい監視の目を光らせている長崎奉行所は、金比羅山を南にひと山越えた場所にあります。
 本原郷の潜伏キリシタンたちは、監視の目が届かない聖マリアの山に集まって密かに祈りを捧げました。

 今では昔の記憶を残すかのように、森の茂みの一角に白い十字架が目印としてあります。約250年もの長い間、信仰を紡いだその先に、キリシタンたちが夢見るその願いは、信仰の自由と穏やかな暮らしだったに違いありません。

3浦上十字架山

ローマ教皇が認定した公式巡礼地

十字架山

 バス停「フランシスコ病院前」の脇道から山手へと登ります。辻町(長崎市)の急な坂道を登ると芝生に建つ十字架の石碑がありました。
 この十字架の石碑は、禁教令の高札が撤廃されて、キリスト教信徒への迫害が終わりを告げたことに対する感謝のしるしとして、浦上村のキリシタンたちが建立した石碑です。この丘が、キリストが十字架に磔にされたゴルゴダの丘(エルサレム)に似ていることから「十字架山」と名づけられたといわれています。この地はローマ教皇ピオ12世によって公式巡礼地として指定されました。免償が付与される公式巡礼地として指定されている場所は長崎で3ヶ所、このほか二十六聖人が殉教した「西坂殉教地」と聖コルベ神父ゆかりの「聖母の騎士のルルド(本河内)」です。
 高台にある浦上十字架山は秘密礼拝堂の聖マリア堂跡と聖ヨゼフ堂跡へも通じる道へとつながっています。

 では、ここから秘密礼拝堂めぐりへとまいりましょう。

4聖マリア堂(秘密礼拝堂)の跡

「浦上四番崩れ」の事件当日に朝の礼拝

聖マリア堂のある坂道

 バス停「平の下」のすぐ脇に、山手へ登る階段の道があります。約10メートル進んだ先にある民家の一角に、看板と石碑が建立されていました。ビックリするくらい住宅街のド真ん中にあります。静かに見学させてもらいましょう。

聖マリア堂の碑

 浦上キリシタンが大浦天主堂で信徒であることを告白(信徒発見・1865)してから、浦上村では4つの秘密礼拝堂が活動しはじめましたが、長崎奉行所が密かに礼拝堂の内偵をおこなっていました。
 ある日、「浦上四番崩れ」の発端となる事件が、浦上十字架山(辻町)の裏側(ここから約7分ほどの場所にあったもうひとつの秘密礼拝堂「聖ヨゼフ堂」)で起こりました。深夜遅く、役人による高木家(「聖ヨゼフ堂」)への襲撃事件がありました。その当日の朝は、「聖マリア堂」では大浦天主堂からロカーニュ神父を招いて礼拝がおこなわれており、神父は危機一髪で役人から逃げることができたそうです。その後、浦上村民が一斉摘発され、流罪がくだされる大事件へと発展しました。

5聖ヨゼフ堂(秘密礼拝堂)の跡

「浦上四番崩れ」の発端となった高木家の襲撃

聖ヨゼフ堂の碑

 幕末の頃、この場所には高木仙右衛門の屋敷がありました。奥座敷には祭壇を祀り、ミサや洗礼をおこなった秘密礼拝堂でした。

 ある日のこと、みんなが寝静まった深夜に事件は起こりました。この家にいた仙右衛門とその息子が、役人の襲撃に遭い捕らえられてしまったのです。このことをきっかけに、浦上村の村民全員が一斉摘発され、西日本を中心とする各地へと流罪となった「浦上四番崩れ」が起こりました。しかし、信仰心の厚い高木仙右衛門は、転宗を頑なに拒み続けました。

 現在、この石碑はお告げのマリア修道会十字修道院の私有地にあります。静かに門の外から見学させていただきましょう。

6聖フランシスコ・ザベリオ堂(秘密礼拝堂)の跡

浦上村の秘密礼拝堂のひとつ

聖フランシスコ・ザベリオ堂の碑

 "信徒発見"のあと、浦上村のキリシタンたちは、「信仰の自由を認めてほしい。なんとかこの願いを実現できないか」と村全体で話しあいました。結果、浦上村山里4郷の総代は、檀那寺との関係を絶って寺請制度には従わないとする文面を庄屋に提出しました。しかし、このことが徳川幕府の政策に反する行為とみなされてしまいました。長崎奉行所は浦上村のキリシタンの状況を密かに偵察し、「聖マリア堂」、「聖ヨゼフ堂」、「サンタ・クララ堂」、「聖フランシスコ・ザベリオ堂」の4つの秘密礼拝堂の存在が見つかってしまいました。再び信仰弾圧に火が点き「浦上四番崩れ」をまねくことになりました。

7帳方屋敷の跡

潜伏キリシタンの指導者 孫右衛門

帳方屋敷の跡の碑

 「聖フランシスコ・ザベリオ堂」の跡から坂をのぼって右へ、さらに信号を右へ曲がって"サントス通り"へ向かいましょう。永井隆記念館のところに石碑が建っています。

 禁教令発布の以前から、キリシタンたちは信心会(コンフラリア)などとよばれる組織をつくったりして、共同体としての信仰を守っていました。そして、禁教令が発布されると、コンフラリアの経験から潜伏組織をつくり、何代にもわたって信仰を伝えていきました。組織の浦上村山里4郷を取りまとめたのが、「惣頭(帳方)」でした。

 この石碑は、初代惣頭の孫右衛門の住んでいた屋敷の跡にたっています。
 この地は、長崎大学医学博士で、第2次世界大戦で長崎に落とされた原子爆弾によって被爆した永井隆博士が暮らした場所でもあります。平和を願って病床で書いた「長崎の鐘」や「この子を残して」などベストセラーとなりました。彼の愛した妻みどりさんは、孫右衛門の子孫で、最後の惣頭(帳方)7代目吉蔵の曾孫にあたる人物です。

8ベアトス様の墓

キリシタン一家の悲しい物語

ベアトス様のお墓

 山里小学校の近くにベアトス様とよばれるお墓があります。その昔、ここに敬虔なキリシタンの家族が住んでいました。
 徳川幕府の禁教令によって、キリシタンの親子3人が長崎奉行所の役人に捕らわれてしまいました。子どもにも容赦なく、親子は水責めにされました。それでもキリスト教の信仰を棄てない彼らに対し、今度は火あぶりの刑。とうとう3人は命を落としてしまいました。こうして殉教を遂げたジョアン、ジョアンナ、ミカエルは、村の人々によって手厚く葬られました。

 ベアトスとはポルトガル語で"福者"の意味。いつしか村人たちは、殉教したこの家族のことをベアトス様とよぶようになりました。毎年、殉教の日には祈りが捧げられています。

9サンタ・クララ教会(秘密礼拝堂)の跡

信徒のよりどころとなった教会跡地で盆踊り

サンタ・クララ教会の跡地に建つ石碑

 この教会は1603年に完成し、スペイン人の宣教師が司牧を務め、ミサに訪れる海外の商人たちで賑わっていました。教会で働く人のなかには、のちに潜伏組織をまとめた惣頭(帳方)の孫右衛門もあったそうです。幕府の禁教令による教会の破壊命令がくだされ、この教会の姿も消え、敷石だけが残りました。

 禁教令でキリシタンに対する弾圧が厳しくなっても、浦上キリシタンたちは信仰を棄てず、盆踊りと称して毎年夏にはこの場所に集まったといいます。サンタ・クララの祝日が日本のお盆と同じ時期だったからです。取り締まる役人の目をごまかすために、お囃子に祈りの言葉を込めて、跡地に残る教会の敷石の上で踊っていたそうです。教会の跡地はキリシタンたちの心のよりどころとなりました。

10赤城キリシタン墓地

潜伏キリシタンが眠る墓地

赤城キリシタン墓地から見える浦上の風景(右の墓石が聖職者の墓碑、中央の赤レンガが浦上教会、奥は稲佐山)

 高尾小学校と山里中学校のあいだにある墓地には、潜伏キリシタンのお墓で「野石」がみられます。これは、仏教の戒名を彫らないように、あえて置いた自然石です。この赤城キリシタン墓地からは浦上の景色を眺めることができます。

11浦上教会

浦上一番崩れの発端となった庄屋の跡

浦上教会の敷地に残る庄屋の石垣

 浦上教会が建つ場所には、むかし庄屋があったことをご存知ですか?
 写真をご覧ください。庄屋が建っていた頃のままの石垣が遺構として残されています。

 潜伏時代、高谷永左衛門の庄屋では、絵踏みや弾圧がおこなわれていました。さらにこの庄屋の屋敷が、潜伏キリシタンの組織を揺るがす「崩れ」を起こした歴史の舞台でもあります。

「浦上一番崩れ」

 1790年、仏像建立の費用を経済的な理由で断った村人をキリシタンだと疑った庄屋 高谷永左衛門は長崎奉行所に訴えましたが、証拠不十分で村人は釈放。逆に永左衛門が庄屋免職になりました。彼はその後も異宗の証拠をつかむための内偵を続け、奉行所に提出された報告書によって10人が捕らえられ、再びキリシタンの存在が問題化することとなりました。これが浦上で潜伏キリシタンの組織を揺るがす「崩れ」が起こった最初の事件でした。この後、断続的に3件の崩れが起こりました。

「浦上四番崩れ」浦上キリシタンの一斉摘発

 1865年、大浦天主堂のプチジャン神父の前で、浦上村のキリシタン十数名は信徒であることを告白しました(信徒発見)。信仰の自由を認めてほしいと願う村人の意見をまとめ、浦上村山里4郷の総代は、檀那寺との関係を断って寺請制度には従いたくないという気持ちを書面で庄屋に送りました。しかし、この願いは幕府への反逆行為とみなされてしまい、1867年7月、秘密礼拝堂への摘発がはじまり、浦上の村民が一斉に捕らえられてしまいました。

 徳川幕府の禁教政策を引き継いだ明治政府が下したのは、浦上キリシタンたちを西日本を中心とする各地への流罪にするという厳しい処罰でした。1870年には約3,280人が20藩22ヶ所に移送されていきました。浦上キリシタンたちはこの流配のことを"旅"とよびました。

"旅"から帰ってきた浦上キリシタン

流配50周年に信仰の碑を建立した生存者たち(カトリック浦上教会)

 現在、浦上教会の前庭にある「信仰の碑」。モノクロの写真は、1920年(大正9)、流配50周年の節目に、"旅"の生存者が集まった時の様子です。

 1873年(明治6)、禁教令の高札が撤廃されました。浦上キリシタンは釈放され、次々と故郷の浦上へと帰ってきました。しかし、住む家などを失った彼らは、苦しい生活を強いられることになります。そんななかでも、浦上を復興させていきました。高札の撤廃は黙認というかたちではありますが、念願の信仰の自由が得られた瞬間でした。浦上キリシタンたちは、高谷の庄屋の敷地を買い取って仮聖堂をつくり、ここに後に浦上教会が建ちます。

流配50周年の記念式典で建立された信仰の碑(浦上教会)

 浦上は、キリシタン大名の有馬晴信がイエズス会に寄進した年から数えると、約420年以上もキリシタンによって祈りが捧げられてきた里です。
 今回の歴史散歩で訪れた浦上のあちこちで見かけた祈りの姿は、昔も今も変わらない平和を願う祈りなのかもしれません。

参考文献
  • 「旅する長崎学1 キリシタン文化1」
    企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「旅する長崎学3 キリシタン文化3」
    企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「旅する長崎学4 キリシタン文化4」
    企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「長崎の教会」 発行/カトリック長崎大司教区 1989年
  • 「浦上天主堂写真集」 発行/カトリック浦上教会 1999年

スタート地点までのアクセス

本原教会

所在
長崎県長崎市三原2-23-12
お問い合わせ
095-844-0566
開館時間
常時可能
休館日
なし

*見学のマナーを守って拝観してください。

アクセス

車…
長崎駅より約15分。国道206号線を北上し岩屋橋の三叉路で右へ、浦上署の角を右折し県道235号線を直進して約5分、左手にあります。
路面電車…
<松山町>電停で下車しバスに乗り換えましょう。国道206号線にある<松山町バス停から長崎県営バス[6循環(三原団地・西山台団地)]に乗車し約25分、<本原教会前>で下車し徒歩で約3分。
バス…
<長崎駅前>バス停より、長崎県営バス[6循環(三原団地・西山台団地)]に乗車し約25分、<本原教会前>で下車し徒歩で約3分
高速バス
--昼行便--
  • 長崎空港から約35分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 佐世保から約1時間30分(長崎県営バス・西肥バス)
  • ハウステンボスから約1時間5分(西肥バス)
  • 福岡から約3時間(九州急行バス)
  • 北九州から約3時間(長崎県営バス)
  • 大分・別府から約3時間45分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 熊本から約3時間(長崎県営バス)
  • 宮崎から約5時間20分(長崎県営バス)
--夜行便--
  • 名古屋から約12時間(長崎バス)
  • 大阪(梅田)から約10時間10分(長崎県営バス)
  • 京都・大阪から約11時間30分(長崎バス)
  • 姫路・神戸から約10時間(長崎バス)
電車…
博多駅方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し、<JR長崎駅>で下車(所用時間は約2時間)。  鳥栖駅より約1時間。佐賀駅より約1時間25分。諫早駅より約20分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。
長崎方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR佐世保駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボス駅より約1時間20分。大村駅より約35分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

*各空港から<長崎空港>に着陸。長崎バスもしくは県営バスの[長崎空港線エアポートライナー・出島道路経由]に乗車し<長崎新地バスターミナル>へ約35分。

●JR長崎駅・空港へのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
  • 有馬晴信
  • 大村純忠
  • 奇跡の場面に立ち会ったプチジャン神父
  • 聖コルベ神父
  • 高木仙右衛門
  • 永井隆
  • 福者
  • ペドロ・バプチスタ
歴史事件
  • 浦上一番崩れ
  • 浦上キリシタンによる「信徒発見」の瞬間
  • 浦上三番崩れ
  • 浦上二番崩れ
  • 浦上四番崩れ
  • 秘密礼拝堂とは?
  • ポルトガル船の来航
資料
  • 長崎の公式巡礼地
場所
  • 赤城キリシタン墓地
  • 浦上十字架山
  • 浦上天主堂
  • 大浦天主堂
  • サンタ・クララ教会の跡
  • 聖母の騎士
  • 聖母の騎士のルルド
  • 聖マリア堂(秘密礼拝堂)の跡
  • 聖マリアの山 (一本木山)
  • 聖ヨゼフ堂(秘密礼拝堂)の跡
  • 帳方屋敷の跡
  • ベアトス様の墓
  • 本原教会
その他
  • イエズス会
  • 浦上の潜伏組織
  • 「浦上四番崩れ」に諸外国が抗議!
  • 教会見学のQ&A
  • 教会見学のマナー
  • 伴天連
  • フランシスコ会

アンケート

コメント