ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第22回 平和を祈る長崎

〜永遠につなぐメッセージ〜

歴史のとびら
原子爆弾のきのこ雲(長崎原爆資料館)

 1945年(昭和20)8月9日午前11時2分、長崎市松山の上空約500メートルで爆発した原子爆弾は、プルトニウムによる核分裂エネルギーを放出しながら中性子が飛び出し元素の分裂が増幅するという巨大なパワーで、大量の放射線を撒き散らし熱線と爆風で都市を破壊。犠牲者は死者7万3,884人、負傷者7万4,909人(1950年長崎市原爆資料保存委員会調査)にのぼりました。一瞬にして廃墟となった焼け野原では、懸命に医療活動をしながら原爆病に関する報告書をまとめた永井隆博士たち医師の姿や、廃墟から復興しようとチカラを合わせる人々の姿がありました。みんなが願ったのは永久の平和でした。その想像を遥かに超える惨状を撮り続けたカメラマンや医師たちの膨大な記録から、現在の私たちは学ぶことができます。
 今回は、松山町や浦上に残る原爆の遺構や資料館をめぐります。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約1時間

1原爆落下中心地公園

↓ 徒歩で約1分

2長崎原爆資料館

↓ 徒歩で約18分

3国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

↓ 徒歩で約15分

4浦上教会

↓ 徒歩で約10分

5長崎市永井隆記念館

↓ 徒歩で約8分

6平和公園

1原爆落下中心地公園

グランド・ゼロ

原爆落下中心地公園のパネル

 1945年8月9日、アメリカ軍のB29ボックスカーは、原子爆弾を投下する第1目標とした小倉上空まで来たものの、焼夷弾による煙が障害となって投下を中止。第2目標の長崎上空へと旋回しました。
 午前11時2分。長崎市松山町の上空約500メートルで原子爆弾が爆発しました。

被爆3日後の長崎の街(長崎原爆資料館)

 長崎に投下された原子爆弾は、まちを破壊しました。爆風で一瞬のうちに廃墟となり、犠牲者の数は死者7万3,884人、負傷者7万4,909人(1950年長崎市原爆資料保存委員会調査)にのぼりました。

原爆で破壊された浦上教会堂の一部(原爆落下中心地公園)

 現在、原爆が落下された中心地は公園となっています。中心地の標柱がその位置を示し、横には原爆で破壊された浦上教会堂の赤レンガの一部が移設されています。

被爆当時の地層(原爆落下中心地公園)

 看板を目印に、下の川が流れる川面の方へと階段をおりると被災当時の地層を観察することができます。左の写真をクリックしてみてください。写真の地層をよくみてみると、原爆が投下された時の地層だけが熱線で黒く焦げています。そして、散乱している陶器の破片やガラス瓶、瓦などから積み重なっている様子から、一瞬に瓦礫となってしまったことがうかがえます。
 松山町だけでも約300世帯が住んでいたそうです。原爆で人々が暮らしていた家、学校、そして家族までも奪ってしまったのです。

2長崎原爆資料館

原爆投下の惨状を知って、戦争の歴史を学ぶ

長崎原爆資料館の入口

 入口にあるスパイラル状のスロープは、まるでタイムスリップするかのように資料館へと誘導してくれます。ガラスドームから見える青空を見上げながら、原爆が投下された8月9日の雲ひとつない真夏の暑い日だったそうです。ミンミンと鳴く蝉たちも一瞬に音を無くした、そんな様子を頭にめぐらせながら資料館の入口へとスロープを降りていきました。

原爆が爆発した時刻11時2分をさす柱時計、拡大画面は被爆した浦上天主堂を再現した側壁(長崎原爆資料館)

 原爆が爆発した11時2分をさす柱時計、折れ曲がった中学校の給水タンク、浦上天主堂で信徒が持っていたロザリオ、溶けたビンなど、館内に展示されている原爆の遺構が当時の惨状を語っています。
 この資料館では、核開発の歴史と人類が犠牲となった原子爆弾の投下までの歴史を学ぶことができます。

アンネのバラ

 訪れた時に「アンネのバラ」が綺麗に咲いていました。このバラは、平成18年に”ふりそでの少女像を作る会”がこのバラの接木を寄贈したそうです。「アンネのバラ」とは、ベルギーに住む園芸家が開発した新種で、ナチスに捕らわれ強制収容所で命を落としたアンネの父に贈ったことから、平和の象徴として名付けられたそうです。接木したアンネのバラが資料館の花壇で毎年みごとな花を咲かせています。

 実は花が咲いているのを初めて見たんです。この花壇の前を通る時、いつもつぼみだったので「どんな色の花が咲くんだろう?」と気になっていたのですが、オレンジとピンクが混じりあったステキなバラでした。展望台の花壇に咲いてましたよ。

3国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

平和を祈って、原爆犠牲者を追悼する空間

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間

 水盤の真下には、光が差し込む吹き抜けの追悼空間があります。ここには長崎に落とされた原子爆弾によって犠牲となった方々の名簿と遺影が永久に保存されています。訪れた人びとの誰もが平和の祈りをささげることができる空間です。
 館内では、被爆者や関係者の人たちの体験をつづった手記や資料を閲覧することができます。

平和情報コーナー(国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)

 オススメしたいのが平和情報コーナーです。この一室に置かれたモニターでは、原爆被災地の長崎を体験した方々のインタビューをもとに関係資料をまじえながら詳しく学べるデータがまとめられています。原爆投下直後の長崎のまちを記録として残すために東京から派遣されたカメラマン、映画監督、画家、捕虜として長崎で働かされた時に被爆したイギリス人などの体験を学ぶことができます。さらに被爆医療の貴重な資料なども閲覧することができます。
 白いカードやパソコンに平和の想いを言葉にして残しませんか? このメッセージはホームページで世界に発信されています。あなたの書いたメッセージが来館した人たちの目にとまって言葉でつながっていくかもしれませんね。

4浦上教会

長崎大司教区のカテドラル

大正・昭和の浦上天主堂(カトリック浦上教会)

原爆で倒壊した浦上天主堂(カトリック浦上教会)

 浦上は、戦国時代からキリシタンの里でした。長く厳しい弾圧下でひそかに信仰を守りとおした人々は、居留地に建設された大浦天主堂で、1865年にプチジャン神父との出会いを果たします(信徒発見)。彼らは秘密教会をつくり信仰を続けますが、当時はまだ禁教下。浦上のキリシタンたちは捕らえられ、西日本を中心に全国へ総流罪となってしまいます(浦上四番崩れ)。1873年、キリシタン禁制の高札が撤去されて釈放となり、浦上に戻った人々の悲願は、教会堂を建てることでした。禁教時代に絵踏みや弾圧がおこなわれた庄屋の跡を買い、そこに仮聖堂を建てました。1895年になって本格的に教会堂建設がスタートし、着工から約30年の歳月を経て、当時東洋一と賞賛された美しい浦上教会を完成させます。
 しかし、それからわずか20年度、第2次世界大戦の戦況が激化したある夏の日、浦上教会は、アメリカが長崎に投下した原子爆弾によって破壊されてしまうことになるのです。教会堂の周囲を散策すると、破壊した教会堂の壁や被爆したマリア像などの一部が原爆の遺構として保存されています。

爆風で吹き飛ばされた浦上天主堂の鐘楼

 原爆の爆風で、双塔の鐘楼が教会の横を流れる小川まで飛ばされました。爆心地から教会までの距離は約500メートル。地面に突き刺さるように残るその姿が爆風の威力を物語っています。この双塔は、教会建築の父と呼ばれる鉄川与助が造ったものです。

カトリック浦上教会

 終戦を迎え、浦上の信徒たちは再び教会の復興を願って力を合わせました。左写真は手前が原爆投下で破壊された教会堂の一部で、奥が現在の浦上教会です。廃墟のなかから見つけだしたフランス製のアンジェラスの鐘は、今でも鳴り響いています。

 永井博士は、アンジェラスの鐘を題材として平和を訴えた「長崎の鐘」を書きました。 では、長崎市永井隆記念館へと行ってみましょう。

5長崎市永井隆記念館

作家として父として、戦争のない平和な世界を発信した医学博士

永井隆博士(長崎市永井隆記念館)

 永井博士は、長崎医科大学で放射技師として働いていました。戦争中、フィルム不足で直接肉眼で透視しせざるおえなかった医療の現場で大量の放射線を受け、白血病に冒されてしまいました。余命3ヶ月と宣告された、そのわずか2ヵ月後に被爆。重症を負いながらも、被爆した人たちの救護活動をおこないました。

 永井隆博士は、浦上教会に再び鐘を鳴らそうと提案しました。神父や信徒たちは、爆風で飛ばされたフランス製のアンジェラスの鐘を廃墟から掘り起こし、3本足で組んだ丸太に吊り下げました。そして、原爆が落とされて初めて迎えるクリスマス・イブの夜のこと。浦上のまちに、被災者達の気持ちを奮い立たせるかのように鐘の音が響きわたったのです。翌年、永井博士はアンジェラスの鐘を題材として平和を訴えた「長崎の鐘」を書き、ベストセラーとなりました。

如己堂(長崎市上野町)

 記念館には、永井博士の原稿や遺品が展示されています。2階の図書室には平和に関する本が自由に閲覧できますよ。

 記念館の隣には、浦上の人たちが永井博士に贈った家が保存されています。わずか2畳一間の小さな家は、博士の座右の銘「己の如く人を愛せよ」から「如己堂」と名付けられました。病が進行して床に伏した永井博士は、如己堂を病室兼書斎とし、「花咲く丘」「この子を残して」などを書き残し、平和を訴えました。

6平和公園

平和を長崎から全世界に呼びかける

 現在、平和公園となっている場所は、長崎刑務所浦上刑務支所があったところです。原爆が落下した中心地から道を挟んですぐ近くにあり、原子爆弾のさく裂で高さ4メートルの鉄筋コンクリートの壁は根元から倒壊し、その刑務所の壁の一部が原爆の遺構として残されています。

平和記念像 旧長崎刑務所浦上刑務支所

 毎年8月9日、平和記念式典がおこなわれます。原爆で亡くなられた犠牲者の冥福を祈るとともに、長崎市長の平和宣言で、核兵器廃絶と平和のメッセージを長崎から世界へと発信しています。

 今回の歴史散策で、平和のメッセージを発信し続ける遺構や手記・本などにふれ、“LOVE&PEACE 愛と平和”の灯りが世界中にともることを願わずにはいられませんでした。多くの人々が長崎を訪れ、そのメッセージがそれぞれの心に届きますように・・・。そして、次の世代へと永遠につなぐことができますように・・・。

参考文献
  • 「旅する長崎学5 キリシタン文化編5」 特集5 巡礼地長崎で平和を考える企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「旅する長崎学4 キリシタン文化編4」 特集2 浦上キリシタンはなぜ250念も信仰を守り通せたのか企画/長崎県 制作/長崎文献社 2006年
  • 「ながさき原爆の記録」 発行/長崎市 1996年
  • 「浦上天主堂写真集」 発行/カトリック浦上教会 1999年
  • 「長崎市永井隆記念館 展示物紹介パンフレット」 企画/長崎市
  • 「長崎游学マップ1 原爆被災地跡に平和を学ぶ」 長崎文献社 2004年

スタート地点までのアクセス

原爆落下中心地公園

所在
長崎県長崎市松山町171
開館時間
常時可
駐車場
なし

アクセス

路面電車…
JR長崎駅より、[1番赤迫][3番赤迫]行きに乗車し<松山町>電停を下車し徒歩で約2分。国道206号線をわたった目の前にあります。
バス…
長崎バス…JR長崎駅よりご利用の場合。<長崎駅前>より[滑石][光風台・豊洋台][上横尾][虹が丘][西山台団地][恵の丘][女の都][桜の里ターミナル][上床][満永][時津][琴海][大串]行きに乗車し(所要時間は約8分)、<松山町>で下車し徒歩で約1分。国道206号線をわたった目の前にあります。
県営バス…JR長崎駅よりご利用の場合。<長崎駅前>より[女の都団地][西崎団地][サニータウン][6循環(三原団地・西山台団地)][西山台団地]に乗車し(所要時間は約8分)、<松山町>で下車し、徒歩で約1分。国道206号線をわたった目の前にあります。
車…
JR長崎駅より約7分。
高速バス
--昼行便--
  • 長崎空港から約35分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 佐世保から約1時間30分(長崎県営バス・西肥バス)
  • ハウステンボスから約1時間5分(西肥バス)
  • 福岡から約3時間(九州急行バス)
  • 北九州から約3時間(長崎県営バス)
  • 大分・別府から約3時間45分(長崎バス・長崎県営バス)
  • 熊本から約3時間(長崎県営バス)
  • 宮崎から約5時間20分(長崎県営バス)
--夜行便--
  • 名古屋から約12時間(長崎バス)
  • 大阪(梅田)から約10時間10分(長崎県営バス)
  • 京都・大阪から約11時間30分(長崎バス)
  • 姫路・神戸から約10時間(長崎バス)
電車…
博多駅方面から[特急かもめ]に乗る!
<JR博多駅>より[特急かもめ]に乗車し、<JR長崎駅>で下車(所用時間は約2時間)。  鳥栖駅より約1時間。佐賀駅より約1時間25分。諫早駅より約20分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。
長崎方面から[快速シーサイドライナー]に乗る!
<JR佐世保駅>より[快速シーサイドライナー]に乗車し<JR長崎駅>で下車(所要時間は約1時間45分)。ハウステンボス駅より約1時間20分。大村駅より約35分。
*JR長崎駅からは路面電車、バスまたはタクシーをご利用下さい。

飛行機で長崎へ行く!

  • 東京(羽田空港)から約1時間40分
  • 大坂(伊丹空港)から約1時間10分
  • 名古屋(中部)から約1時間20分
  • 沖縄(那覇空港)から約1時間30分
  • 宮崎から約40分
  • 鹿児島から約35分

*各空港から<長崎空港>に着陸。長崎バスもしくは県営バスの[長崎空港線エアポートライナー・出島道路経由]に乗車し<長崎新地バスターミナル>へ約35分。

●JR長崎駅・空港へのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。


うんちくバンク

人物
  • 鉄川与助
  • 永井隆
歴史事件
  • 浦上四番崩れ
資料
    場所
    • 浦上天主堂
    • 大浦天主堂
    • 原爆落下中心地公園
    • 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
    • 長崎原爆資料館
    • 長崎市永井隆記念館
    • 平和公園
    その他

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