ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第27回 近代化のカギは「言語」習得

〜語学教育の源流を探して〜

 「Excuseme…」と突然声をかけられたら、どうしますか? 聞こえないふりをしてその場を立ち去るか、愛想笑いを浮かべて尻込みしながら逃げていくという人も結構多いのでは…。
 鎖国時代、海外との窓口だった長崎には、外国語に動じず、対応できる言語の達人たちがいました。ちょんまげに外国語。相容れない風景ですが、幕末の日本、特に長崎ではよく見られる光景だったと思われます。あるときは自然科学を探求する「科学者」、あるときは医学の知識を授ける「医学部教授」、そしてあるときは諸外国との交渉に携わる「外交官」。長崎では外国語を巧みに操るオランダ通詞や唐通事といった通訳たちが活躍していました。
 外国から伝わってくる先進的な文化や文明の受け入れは、言葉を理解できなければ不可能です。一部の人たちの知識や情報を誰でも手軽に入手できるよう、外国語の「辞書」が生まれました。主に辞書の編纂にかかわったのもこの通訳たちでした。
 今回は、外国語教育や辞書の歴史を探りながら、長崎の街を歩いてみましょう!

歴史のとびら

 蘭学や洋学が注目された江戸後期は、語学辞書の編纂の時代でした。江戸では1796年(寛政8)、約6万語を収録した日本で最初のオランダ語辞書「波留麻和解(江戸ハルマ)」が稲村三伯によって製作されました。
 1803年(享和3)に出島のオランダ商館長に就任したヘンドリック・ドゥーフは、日本人たちとうまく意思の疎通が図れないストレスを抱えていました。6年後、思い立ったのが日蘭辞書の編纂です。優秀なオランダ通詞11人を選んでスタートしました。これが「ドゥーフ・ハルマ」といわれ、日蘭合同の辞書編纂プロジェクトの始まりです。実はこの作業、オランダ語を直接日本語に訳したわけではありませんでした。オランダ人フランソア・ハルマが編纂した「蘭仏辞典」を訳したもので、約5万語を収録し、さらに2万の例文までも掲載。約24年の歳月を経て、豊富な例文が特徴の日蘭辞書が出来上がったのです。 この辞書は「波留麻和解」を「江戸ハルマ」と呼ぶのに対して、「長崎ハルマ」と言われました。
 オランダ語だけではなく、ほかの外国語を習得しなければいけない出来事がありました。対外危機です。江戸時代、幕府はオランダと中国だけの貿易を長崎の地だけに許し、オランダ通詞や唐通事がその通訳を務めていました。幕末、日本に開国を求めて外国船がつぎつぎと押し寄せ、通商(貿易)を迫ってくるようになると、諸外国の言葉の理解が急務でした。言葉の壁は日本の姿勢を決める大きな障害になったのです。長崎港に来航する船はロシア船、イギリス船とさまざまでした。
 1808年(文化5)のフェートン号事件をきっかけに、英語習得の必要性が高まり、さらに1853年(嘉永6)にロシアのプチャーチンの来航ではロシア語が必要とされました。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約3時間

1マクドナルド顕彰碑

↓徒歩10分

2長崎歴史文化博物館

↓徒歩15分

3唐通事会所跡

↓徒歩15分

4致遠館跡

↓徒歩15分

5出島和蘭商館跡

1マクドナルド顕彰碑

ネイティブ・ティーチャーとの国際交流

 諏訪神社の一の鳥居をくぐって階段を上っていくと、右側に松森神社に向かう参道があり、日本に漂着したアメリカ人青年ラナルド・マクドナルドを顕彰する碑に出会います。
 マクドナルドはアラスカを渡ってアメリカ大陸に移住したとされるネイティブ・アメリカンの血を引いていたため、そのルーツを探るべく日本探検をもくろみ、捕鯨船に乗船。北海道に漂着しましたが、役人に捕まり、長崎に護送されました。牢獄生活でも積極的に日本語を覚えようとする親日的な態度に好感を持たれ、オランダ通詞たちに英語を教えるよう、長崎奉行所から命令されました。オランダ通詞14人に“英会話教室”を開き、日本初のネイティブ・ティーチャーになりました。
 生徒のひとりで親交があった森山栄之助は後に歴史の表舞台で活躍します。黒船で浦賀に現れたペリーとの外交交渉、日米修好通商条約締結にも立ち会う優秀な通訳者となりました。

ちょっとブレイク

諏訪神社の英文おみくじを引きましょう!
外国語の話にちなんで…。諏訪神社は英文のおみくじを置いた初の神社でした。時は1914年(大正3)、外国人観光客が多く訪れたため、設置されたそうです。今でも引くことができ、10の運のランクがあります。大吉は「Best luck」。ちなみに私は「Bad luck」(凶)でした…(+_+)

長崎公園で探した面白いもの

歩き疲れて納涼を求めるなら、長崎公園の噴水へ。1874年(明治7)に開設された長崎公園の中には、日本でも古いといわれる噴水がありました(現在は復元されたものです)。池の周りの新緑の楓が涼やかさを演出します。さらに数匹の亀が足を投げ出して、甲羅を乾かしている光景には思わず頬が緩みます。写真の狛犬、表情がユニークで、手がとてもキュートでしょ。長崎公園のどこかにあるので、探してみてください。ヒントは門です。

2長崎歴史文化博物館

長崎奉行所内につくられた英語伝習所跡

 1858年(安政5)、現在の長崎歴史文化博物館の裏の公園あたりに「英語伝習所」がつくられました。当時は長崎奉行所の役人の屋敷内で「岩原屋敷」と呼ばれていました。その後、英語伝習所は名称を替えながら、長崎市内を転々とします。
 そうそう、長崎歴史文化博物館にも「ドゥーフ・ハルマ」が展示されています。その数はAからZまでを収録した25冊。当時はコピー機がない時代だったので、すべて手書きで写していました。かなり骨の折れる作業だったはず。あの有名な勝海舟も2部写して、1部を高額で売って生活にあてたというエピソードを残しています。

 辞書の中身を見ていくと、驚かされることがあります。オランダ通詞たちが外国の観念をよく理解して訳していたという点。例えば、「burger」(町人)を「ビュルゲル」と音訳し、「素姓正しき由緒ある町人を云なり、彼国にては此者ども政道にも与り此方の士の如くにして賤しからぬ者也、事ある時は王を助て一方を防ぐ者なり」と注解を記載。ヨーロッパのブルジョアといわれる特権階級の存在や役割、つまり近代的な市民階級をよく理解していたことがわかります。さらに面白い言葉を発見。「post」は「飛脚」と訳されており、当時の日本の郵便システムが垣間見られます。
 こうして言葉を習得する過程で、医学や自然科学、文法など、西洋から伝わった学問への理解が深まっていったわけです。

3唐通事会所跡

語学の達人はここにも 優秀な唐通事

 長崎市立図書館付近には唐通事会所、いわゆる唐通事たちの事務所がありました。「唐通事」は中国語の通訳者のことですが、「通詞」ではなく「通事」をあてるのは言葉の通訳だけでなく、貿易や長崎に住む中国人の世話など全般を担っていたためといわれています。唐通事のランクは3段階で、役職は20を越えました。長崎に出入りしていた中国人はオランダ人とは比べものにならないほど多く、新地中華街近くの唐人屋敷は一度に2000人を収容できる規模だったといいます。オランダ通詞と同じく世襲制だったのですが、開国を迫る諸外国への対応として、中国語だけではなく、ロシア語やフランス語の習得を余儀なくされました。

4到遠館跡

佐賀藩独自の英語伝習所 早稲田大学の前身

 西洋の技術に一足早く着目していた佐賀藩は独自に海軍伝習を始め、さらに英語の習得に取り組みました。五島町には各藩の蔵屋敷があったので、佐賀藩出身の大隈重信は諫早屋敷を借りて、藩独自の語学伝習所「致遠館」をつくりました。大隈重信といえば、東京6大学の一つ、早稲田大学の創立者。致遠館での運営経験が後の大学構想に生かされます。校長に宣教師フルベッキを迎えて、藩内外から30人を受け入れました。語学の習得だけではなく、世界の情勢に触れることができたので、100人の大所帯になるほど人気の塾でした。当時の若者たちは、日本の将来を背負って立つという志にあふれていたんでしょうね!

5出島和蘭商館跡

オランダ商館員ブロンホフの活躍

 日本の語学教育のあけぼのは出島にあります。「ドゥーフ・ハルマ」の編纂のきっかけをつくったオランダ商館長ドゥーフ。そしてもうひとり、英語教育の扉を開いたヤン・コック・ブロンホフを忘れてはいけません。
 日本人の英語との出会いは1808年(文化5)のフェートン号事件がきっかけでした。イギリス船がオランダ船を装って、長崎に入港。オランダ商館員を人質にとり、食料と水を要求しました。この対外危機をきっかけに英語習得の機運が高まり、幕府はオランダ商館の荷倉役だったブロンホフを英語教育の指導にあたらせました。
 辞書の編纂をサポートし、オランダ通詞たちは1814年(文化11)に英和辞書「譜厄利亜語林大成」(あんげりあごりんたいせい)を完成させました。

ちょっと寄り道

ドゥーフの忘れ形見 道富丈吉の墓
道富丈吉はオランダ商館長ドゥーフの息子と丸山の遊女瓜生野の間に誕生。「みちとみ」は「どうふ」とも読めます。「唐物目利」という地役人になりますが、17歳で早世しました。長崎市の皓台寺に墓があります。

悲劇の長崎奉行 松平康英の墓
フェートン号事件のとき、長崎奉行だった松平康英。イギリスの要求に屈して、国威を失墜させたとして切腹しました。悲劇の長崎奉行は長崎市の大音寺で静かに眠っています。

〔文:大浦由美子〕

参考文献
  • 『旅する長崎学7 近代化ものがたり1』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 『蘭学に命をかけ申し候』杉本つとむ著(発行/皓星社)
  • 『江戸長崎紅毛遊学』杉本つとむ著(発行/ひつじ書房)

スタート地点までのアクセス

鎮西大社 諏訪神社

所在
長崎県長崎市上西山町18-15
お問い合わせ
095-824-0445
駐車場
あり

アクセス

路面電車…
<長崎駅前>より[3番・蛍茶屋]行きに乗車し(所要時間は約20分)、<諏訪神社下>を下車。徒歩約2分
車…
JR長崎駅より約5分

うんちくバンク

人物
  • 稲村三伯
  • 大隈重信
  • オランダ通詞
  • ヘンドリック・ドゥーフ
  • ペリー
  • 森山栄之助
  • ヤン・コック・ブロンホフ
  • ラナルド・マクドナルド
歴史事件
  • フェートン号事件
資料
    場所
    • 致遠館跡
    • 出島和蘭商館
    • 唐通事会所跡
    • 長崎歴史文化博物館
    その他

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