ながさき歴史の旅

ホーム   > ながさき歴史散歩 >   第31回 大正・昭和の長崎へ

ながさき歴史散歩

第31回 大正・昭和の長崎へ

〜当時の市街地図をたずさえて〜
昭和6年長崎市街地図全体
(長崎歴史文化博物館蔵)

 鶴が羽を広げた形に似ていたことから、「鶴の港」と称された長崎港。多くの国際観光客船が寄港する風景は今も昔も変わりません。
 明治時代から始まった港の改修工事によって大型客船の接岸が可能になり、また埋め立てによって長崎の街は土地を広げてきました。残念なことに、江戸時代に西洋との窓口だった出島は埋められ、特徴的な扇の形は失われてしまいました。
 今回の旅のナビゲーターは大正、昭和初期に発行された「長崎市街地図」。大正13年、大正15年、昭和6年の地図を見くらべながら、長崎観光と長崎港の埋め立ての変遷を追ってみましょう。

歴史のとびら
大正13年地図
(長崎歴史文化博物館蔵)

 幕末、長崎港には土砂が堆積しやすく、大型船の寄港や海上交通などに支障をきたしていました。明治維新後の1886年(明治19)から昭和初期にかけて、近代的な港を目指し、長崎港の改修工事が3回に分けて始まりました。かつてポルトガル人を収容するためにつくられ、後にオランダ人たちが住んでいた人工の島「出島」も明治中期から徐々に埋め立てられ、その姿を変えていきました。現在のJR長崎駅周辺を中心に大幅に埋め立てられて、第2次、第3次と埋め立て工事は進んでいきます。
 1924年(大正13)、大型船を接岸できる出島岸壁が完成しました。それまで大きな蒸気船や帆船などは長崎港に浮かび、ハシケやサンパンと呼ばれる手漕ぎの小型船で上陸していました。出島岸壁完成の前年の1923年(大正12)、長崎と上海をつなぐ日本郵船の定期便「長崎丸」が就航。出島岸壁がのちに発着場となって、港は賑わいを見せました。
 長崎駅と出島岸壁の間には臨港鉄道が敷設され、1930年(昭和5)、出島岸壁に長崎港駅がオープン。こうして日華連絡船が鉄道と連結され、上海―東京間を大幅短縮し、当時としては快適な海外旅行を実現しました。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:約2時間

1元船遊歩道

↓徒歩約10分

2長崎港駅までのレール

↓徒歩約3分

3出島

↓徒歩約10分

4新地中華街

↓徒歩約15分

5大徳寺

↓徒歩約15分

6祟福寺

↓電車「正覚寺下」から約10分「大浦天主堂下」下車

7長崎市香港上海銀行長崎支店記念館

1元船遊歩道

 現在のJR長崎駅から大波止まで遊歩道があります。実はこの遊歩道の場所を、以前は長崎駅と長崎港駅を結ぶ臨港鉄道が走っていました。大正15年の地図には線路はまだ描かれていませんが、昭和6年にははっきりと描かれています。
 木々が植えられた遊歩道には、甘い金木犀の香りが漂っていました。

2長崎港駅までのレール

 中島川の入り口付近には、臨港鉄道の車輪とレールが残り、当時の面影を残しています。現在の出島ワーフから長崎税関の間には日華連絡船の発着所だった長崎港駅の駅舎がありました。大正後期から昭和初期にかけて、長崎と上海を結ぶ日本郵船の姉妹船「上海丸」と「長崎丸」が岸壁に接岸していました。日華連絡船が開通していた時代を知る人たちは、古きよき時代と口をそろえていいます。週2回の運行で、26時間で上海に行くことができたため、「下駄履きで上海へ」といわれるほど身近な土地でした。新天地へ希望を膨らませて旅立った人、見送る人たちの歓声が聞こえてきそうです。

3出島

 建物の再現などが進んでいる復元された出島(国史跡 出島和蘭商館跡)。水門(入場口)側に行くと、国道にかつての出島の形跡が描かれていることに気付くでしょう。現在の長崎が埋め立てられて形成されていることを実感できます。さらに出島の南側に整備されたガラス張りの歩道を歩くと、扇形の石垣をのぞくことができます。下の方は発掘された当時のものだそうです。

4新地中華街

 中華街の門に着くと「ハイチーズ!」。ここでは観光客が記念写真を撮っている光景をよく目にします。江戸時代、長崎に来ていた中国人を唐人屋敷に集めて住まわせていました。1698年、長崎の大火によって、五島町や大黒町にあった荷蔵が焼失。新しく唐人屋敷前を埋め立て、荷蔵の土地を造成しました。これが新地の始まりです。明治になって、唐人屋敷は廃止され、長崎に在住の中国人たちは新地に移り住むようになりました。こうして新地の中華街ができたのです。

5大徳寺

 「寺はないのに大徳寺」。神仏分離の際に神社信仰を選んだために廃寺となり、現在は梅宮天満宮となっています。小高い丘に広がる大徳寺はかつて、長崎の景勝地でした。名物の焼餅は今も食べることができます。3軒あった焼餅の店も今は1軒だけになってしまいました。明治創業の「菊水」は注文を受けてから焼き始めます。あんこは薪を使ってじっくりと炊き上げた手づくり。外皮がパリッ、中はもっちり、あんこの後味はあっさり。とりこになる人も多いそうですよ。楠の大木も有名で、樹齢は800年を超えるといわれています。

6祟福寺
大釜
『華の長崎』ブライアン・バーフガフニ著
(長崎文献社)より

 崇福寺は明治、大正、昭和初期、外国人たちの定番の観光地として人気がありました。このお寺には、1681年の大飢饉のときにつくられ、粥を炊いて多くの命を救ったといわれる大釜が残っています。1日1000人以上の米を炊いたそうです。当時の絵葉書に大釜の写真が載っていました。「コンナオオキナオカマ、ミタコトナイネ!」と外国人の驚いた顔が目に浮かぶようです。

7長崎市香港上海銀行長崎支店記念館

 少しコースから離れて大浦地区へ。ギリシャの建物を思わせるような、大きな石造りの近代建築物に出会うはずです。長崎市香港上海銀行長崎支店記念館。1904年(明治37)、香港上海銀行長崎支店の社屋としてオープンしました。明治期の長崎の港の様子を伝える貴重な建物です。設計を手掛けたのは鉄骨鉄筋コンクリート構造の工法を日本に紹介した下田菊太郎でした。3階には上海航路の歴史を伝える展示があります。

〔文:大浦由美子〕

スタート地点までのアクセス

元船遊歩道

所在
長崎県長崎市元船町
徒歩…
長崎駅から約5分

うんちくバンク

人物
    歴史事件
      資料
        場所
        • 大波止
        • 出島和蘭商館
        その他
        • 上海航路
        • 長崎港駅

        アンケート

        コメント