ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第32回 新旧の「高麗橋」を結ぶ歴史散歩

〜歴史今昔ウォーキング〜

 長崎の総氏神である諏訪神社の鳥居横から入り、長崎大学経済学部キャンパス前を通って、西山バイパス入口に向かう大きな通りがあります。この西山通りは車道を挟む両側の歩道の道幅が広く、一年を通して街路樹や季節の花々に囲まれていますので、市民の間では気持ちよく歩けるウォーキングコースとして親しまれています。
 そこで今回は、新・高麗橋(こうらいばし)を出発し、西山通りに面する近代化遺産にふれながら、西山ダム河川公園に移築された旧・高麗橋をたずねる歴史散策に出かけてみることにしました。

歴史のとびら

移築復元された旧・高麗橋

 眼鏡橋に代表される長崎市の中島川に架かるアーチ型の石橋群は有名です。この石橋群のひとつに「高麗橋」(市指定有形文化財)がありました。高麗橋は承応元年(1652)に長崎在住の中国人の手により中島川上部の伊勢町(いせまち)と八幡町(やはたまち)の間に架橋されたと伝えられています。1866年(慶応2)には拡幅改架がなされています。しかし1982年(昭和57)に発生した長崎大水害の河川改修のために、5年後に新しい高麗橋が架設され、由緒ある旧高麗橋は解体、1993年(平成5)に西山ダム河川公園に移築復元されたのです。移築の際には旧石を使用しましたが幅が足りず、両端の石材を新しく補い、失われていた高欄を復元して完成したといいます。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:徒歩約40分

新・高麗橋<伊勢宮前>

↓徒歩5分

諏訪神社

↓徒歩約5分

料亭 富貴楼

↓徒歩約5分

西山御薬園跡

↓徒歩約10分

長崎大学経済学部

↓徒歩約15分

旧・高麗橋<西山高部水源地(西山ダム、西山高部浄水場)>

新・高麗橋

 諏訪神社や松森神社(まつのもりじんじゃ)と並び長崎三社のひとつに数えられるのが伊勢町に建つ伊勢宮(いせのみや)です。この伊勢宮では1901年(明治34)に長崎で初めての神前結婚式が行われたといわれています。その伊勢宮の鳥居の前に架かる橋が、今回の歴史散歩のスタート地点「新・高麗橋」です。この橋は1987年(昭和62)に新しく架設されました。写真は移築前の旧・高麗橋が写った「長崎伊勢の宮神社」というタイトルの絵葉書です。
*当サイトの「ふるさと写真館」に、高麗橋が写った絵葉書や、それと同じアングルで撮影した現在の写真を掲載しています。今と昔をくらべて見ることができますよ。ぜひご覧ください。

諏訪神社(すわじんじゃ)

 諏訪神社は1625年(寛永2)に諏訪・森崎・住吉の三社を再興し祀った神社です。秋の例大祭「長崎くんち」で全国的に有名な長崎の氏神でもあります。市民には「おすわさん」の愛称で親しまれています。

料亭 富貴楼(ふうきろう)

 西山通りの諏訪神社前バス停の先左手にひときわ高い石垣が見えてきます。その上には創業120年余りの老舗「料亭 富貴楼」が建っています。富貴楼の建物自体は江戸時代初期に建てられ、その後拡充されたといいます。富貴楼は2007年(平成19)に国の登録有形文化財に指定されました。この料亭「富貴楼」という屋号ですが、伊藤博文(いとうひろぶみ)が明治22年来亭の際に、経営者内田トミに「何かいい屋号はありませんか?」と依頼されて伊藤自身が命名し、当時の屋号「富士亭」から変更したものだということです。

西山御薬園跡(にしやまおやくえんあと)

西山御薬園図
(長崎歴史文化博物館蔵)

 下西山通りの西山郵便局そばに「西山御薬園跡」の石碑が建っています。江戸幕府は1810年(文化7)に小島郷十善寺から西山郷(現下西山町)へ御薬園を移転しました。敷地にオランダ船や唐人船が運んでくる舶来の薬草木を多数植えて幕府の薬草園としたのです。約1,200坪の園内には和漢洋の数百種の薬種を栽培し、効能を明らかにして幕府の需要にこたえたといいます。薬草木は園内で増産され(幕府の収入源として)高価な商品となっていきました。

長崎大学経済学部

 西山御薬園跡そばの横断歩道をわたり、右側の歩道をしばらく歩くと、長崎大学経済学部の門が見えてきます。このキャンパス内には旧長崎高等商業学校時代の3つの国指定登録有形文化財があります。一つめは1903年(明治36)に架橋された「拱橋(こまねきばし)」。橋の長さは17mで幅が約9mの石橋です。車道沿いに望む橋全体の景観は周囲の緑と調和して美しく映えています。

 二つめは拱橋を渡りまっすぐ行った突き当たりにある「長崎大学瓊林会館(けいりんかいかん)」。旧長崎高等商業学校の教官の研究館だった建物です。1919年(大正8)に建てられたもので、外観はレンガ造りで左右対称が特徴です。

 三つめは「長崎大学経済学部倉庫」。1907年(明治40)に旧長崎高等商業学校の倉庫として建てられたものです。赤レンガ造りで瓦ぶき屋根が特徴の建物です。ちなみに「料亭 富貴楼」「長崎大学瓊林会館」「長崎大学経済学部倉庫」の3件は、2007年(平成19)6月、同時に国の有形文化財に登録されました。 (注:拱橋より先の長崎大学経済学部敷地内へ入るには許可が必要です)

旧・高麗橋<西山高部水源地(西山ダム、西山高部浄水場)>

 長崎大学経済学部から長崎バイパス入口方面へ進み、片淵丸尾バス停を過ぎると左側に西山高部(にしやまこうぶ)水源地が見えてきます。西山高部水源地(西山ダム、西山高部浄水場)は1904年(明治37)に完成しました。昭和時代から桜の名所としても市民に親しまれている場所です。2001年(平成13)には長崎大水害後の治水対策として新・西山ダムが完成。新しく西山ダム河川公園として整備されました。この河川公園に中島川の旧・高麗橋が移築復元されているのです。

伊東巳代治肖像写真
(国立国会図書館蔵)

 さて、新・西山ダム下の河川公園入口には、長崎市栄町生まれの伊東巳代治(いとうみよじ)を顕彰するモニュメントと石門があります。巳代治は長崎町年寄書物役の家に生まれ、早くから蘭学、漢学、英仏語を修得し、伊藤博文の欧州憲法調査に随行した官僚であり政治家でした。彼は1900年(明治33)からおこなわれた長崎市水道の第1回拡張工事の際に国庫補助金獲得に奔走した人物です。モニュメントと石門には「寒奨濟我人(かんしょうさいがじん)」という巳代治自筆の文字が刻まれています。寒奨濟我人とは「どんなに寒いときでも、市民のために水を汲んであげましょう」という意味で、1904年(明治37)に完成した旧・西山ダムの堤体の銘板に刻まれた文字でした。生まれ故郷である長崎の市民のために水源地を造りたいという巳代治の熱い思いが伝ってくるようですね。


〔文:小川内清孝〕

参考文献・資料
  • 『旅する長崎学8 近代ものがたりII』(企画/長崎県 制作/長崎文献社)
  • 長崎大学薬学部のホームページ「長崎薬学史の研究」
  • 国立国会図書館資料

スタート地点までのアクセス

新・高麗橋<伊勢宮前>

所在
長崎県長崎市伊勢町
アクセス
 
路面電車…
「長崎駅前」電停から蛍茶屋行「諏訪神社前」電停下車
バス…
「長崎駅前」バス停から県営バスの循環(立山・浜平行、サンフランシスコ病院行、西山木場行も可)に乗り「諏訪神社前」バス停下車

うんちくバンク

人物
  • 伊藤博文
  • 伊東巳代治
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    • 御薬園
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