ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

第4回 世界遺産候補を巡る旅 長崎市街&島原編

殉教、そしてキリスト教信仰の復活した時代を読み解く
キリシタン

 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。
 このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「五島編」と、3編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「長崎市街&島原編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。

歴史のとびら
教会
 長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。

 現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。

散歩コース

スタート地点までのアクセス

◎所要時間のめやす:1泊2日

1日本二十六聖人殉教地

↓車で約5分 or 徒歩で約20分

2サント・ドミンゴ教会跡

↓車で約15分or 徒歩で約40分

3大浦天主堂

↓同じ敷地内で、隣の建物。

4旧羅典神学校

↓車で約2時間 (長崎で宿泊。朝、車で出発!)

5原城跡

↓車で約10分

6日野江城跡

↓車で約7分

7吉利支丹墓碑

1日本二十六聖人殉教地

26人の十字架上での殉教、聖なる西坂の丘

 長崎駅から歩いてすぐ、浦上街道のスタート地点に二十六聖人が殉教した丘があります。 豊臣秀吉の命によって、京都や大坂で捕らえられた24名の宣教師やキリシタンたちは、見せしめのために長崎までの道を裸足で歩かされました。道中2人が加わり、26人は処刑地の長崎へ。キリシタンの町として栄えていた長崎に住む人々への、秀吉からの警告だったのでしょう。

 1597年2月5日、港と町が見える丘に26本の十字架が一列に並び、約4000人の群衆が見守るなか、聖歌や涙ぐむ声に囲まれて、26人は殉教の死を遂げました。十字架の穴の跡に、そっと花の苗が植えられ真っ赤な椿が咲いたそうです。

 西坂の丘は「聖なる丘」「殉教者の丘」と呼ばれるようになり、1862年、この26人は聖人に列せられました。

◎この「ながさき歴史散歩」では、後日「二十六聖人が歩いた浦上街道」を企画していますので、お楽しみに!

旅人コメント

「この記念碑の裏手には、殉教の歴史がわかる日本二十六聖人記念館があります。ちょっと隠れていて見えないけど寄ってみて!」(テツヲ)

「祈念碑の26人を順に見ていくと、小さな子どもがいるのに気づきました。ルドビコ茨木という12歳の少年でした。」(みき)

2サント・ドミンゴ教会跡

小ローマの面影を訪ねて−ホントに教会があったんだ!

サント・ドミンゴ教会跡資料館 サント・ドミンゴ教会跡資料館の入口

 国道34号沿い、桜町小学校の校門の前にある教会跡の碑を見つけてください。向かって右側へグルリと回り、小学校の横道を通って歩くとサント・ドミンゴ教会跡資料館の入口があります。

 一歩入って驚きました。土の匂いがします! ここは17世紀のはじめにドミニコ会の教会があった場所。2002年の発掘調査で発見された教会遺跡が、発掘現場そのままに保存されています。大量に出土した花十字紋瓦も必見です。

 桜町小学校から長崎県庁にかけての通り沿い(いまは国道で県庁・市役所や会社の事務所が並ぶオフィス街)をはじめ、この付近一帯にはその昔にはズラリと教会が建ち並び、さながら小ローマのようだったそうです。

3大浦天主堂

居留地に建つ、フランス寺と呼ばれた教会。

 日本に現存する最古の教会で国宝に指定されており、長崎のイメージを代表するものとしてあまりに有名です。この大浦天主堂は、実は、今回最初に訪れた二十六聖人殉教地とゆかりがあります。江戸末期、安政の開国後に再布教のため訪れたパリ外国宣教会の神父によって、26人に捧げて建てられた「日本二十六聖殉教者天主堂」なのです。二十六聖人殉教地と大浦天主堂はほぼ南北軸線上にあって、昔はどちらの場所に立ってもお互いの建物がよく見えていたそうです。今ではビルが建ち並んで見えないのが残念。

そして、この大浦天主堂は、世界宗教史上の奇跡といわれる「信徒発見」の舞台。教会の中に入ったら右側の奥まで進んでみてください。浦上の潜伏キリシタンとプチジャン神父が奇跡的な出会いをし、「サンタ・マリアのご像はどこ?」と信仰表明のきっかけとなったマリア様が安置されています。

旅人コメント

「大浦天主堂と旧羅典神学校の間の、レンガ塀とゆるやかな石畳がとても好きなんです。ヨーロッパの路地裏みたいでしょ!」(椿)

4旧羅典神学校(長崎公教神学校)

「日本人の手で教会の自立を!」プチジャン神父の熱い教育

 大浦天主堂で静かな時を過ごした後、天主堂の出入口をそのまま左へ。テラス付きの二階建ての建物が、司祭を目指す少年たちの学び舎「神学校」でした。 この学校から開国後はじめての日本人司祭を輩出しました。講義が全てラテン語でおこなわれたので、羅典神学校と呼ばれました。この建物は現在、 キリシタン資料室になっていています。

旅人コメント

「建物に入って資料を展示してある各部屋の入口には、「自習室」とか「図書室」という立て札がありました。なんか懐かしい!」(ヒロ)

5原城跡

天草四郎とともに散った一揆軍、「島原の乱」の舞台

 島原の乱のとき、天草四郎率いる一揆軍が籠城したのがこの原城です。現地を訪れて、まずビックリしたのが城郭の広さ。実際にどのくらいだと思います? 周囲4キロメートルですよ! 一揆軍の数は約3万7000人ともいわれますから、確かにこれくらいの大きさは必要かなと納得しつつも、やはり驚きでした。

 海に面した断崖にある、天然の要害「原城」。有明海を眺めながら、ゆっくりと本丸へ向かいました。目の前の天草灘の沖合いの風景に、しばし当時へと思いを馳せる。一揆軍の首謀者たちが蜂起の話し合いをしたという談合島(湯島)、幕府の援軍として参戦したオランダ船2隻の砲撃・・・。本丸には、りりしい天草四郎の像がありました。原城跡では、近年になって発掘調査がおこなわれており、検出した遺構や出土した遺物は「原城」の姿を明らかにするとともに、「島原の乱」を考察するうえでも貴重な手がかりとなっています。

 車で5分ほど走ったところにある原城文化センターには、発掘で出土した十字架やメダイ、石垣のレプリカなどが展示してあるので、時間があったら寄ってみて!

旅人コメント

地蔵

「海の向こうに見える天草の方角を向いた小さなお地蔵さまが並んでいました。」(マーチン)

6日野江城跡

有馬氏の居城と、キリシタン文化で栄華を極めた有馬の町

日野江城跡2 日野江城跡1

 戦国時代の武将でキリシタン大名だった有馬氏の居城。階段を登っていくと、平に開けた場所にでました。眼下には畑が広がる有馬の町、その先には原城が一望でき、天草灘も見渡せます。有馬氏は、島原全体を領土に持つくらい勢力をもっていた領主。

 城下には教会が建ち、セミナリヨなどのキリシタン学校もありました。当時の有馬は、西洋の音楽が流れるキリシタン文化が華開いたまちでした。小ローマといわれた時代の長崎と肩を並べるほどの繁栄ぶりだったそうです。

旅人コメント

「日野江城から、島原の乱の前に島原と天草の人たちが話し合いをした湯島が見えました!このことから別名「談合島」とよばれているんです。映像もクリックしてみてね。」(カメラマン)

7吉利支丹墓碑

花十字紋とローマ字が刻まれた、カマボコ型のキリシタンの墓

カマボコ型のお墓 白い十字架

 共同墓地の中で周囲のお墓より高い白い十字架を目指して歩いてください。見つけました! ガラス張りの小屋の中にありました。カマボコ型のお墓は、ポルトガルから伝来したローマ式。墓石の表面には「フィリ作右衛門ディオゴ」とポルトガル式のローマ字綴りで刻まれています。このローマ字は日本最古の碑文だそうです。作右衛門さんが没した年の1610年は、サント・ドミンゴ教会が建った翌年にあたります。断面が2重に縁取られていてホントにカマボコのようです。有馬でキリシタン文化が華開いた時代、年数が西暦で刻まれているのも不思議ではないのですね。

参考文献

『旅する長崎学1 キリシタン文化1』
特集2 宣教師たち長崎で動く! ザビエルの遺志を継いだ人々
特集4 「小ローマ長崎」と消えた教会

『旅する長崎学2 キリシタン文化2』
特集3 セミナリヨで咲いたキリシタン文化の華

『旅する長崎学3 キリシタン文化3』
巻頭特集 秀吉はなぜ26人のキリシタンを処刑したのか
特集3 幕府をゆるがせた123日-島原の乱

『旅する長崎学4 キリシタン文化4』
巻頭特集 「サンタ・マリアの御像はどこ?」

『旅する長崎学5 キリシタン文化5』
巻頭特集 開国日本 キリスト教再来 第一歩は長崎から
特集2 宣教師が尽くした日本の教育事業
特集3 キリシタンの夢 日本人のために天主堂が建つ

長崎県の文化財
長崎から世界遺産を「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」

スタート地点までのアクセス

日本二十六聖人殉教地

所在
長崎県長崎市西坂町7-8
お問い合わせ
日本二十六聖人記念館 TEL/095-822-6000
開館時間
9:00〜17:00
休館日
年末年始
アクセス
徒歩…JR長崎駅より徒歩5分。
路面電車…〔長崎駅前〕下車。徒歩5分。
バス…〔長崎駅前〕下車。徒歩5分。
● JR長崎駅までのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。
Webサイト
http://www.26martyrs.com/

うんちくバンク

人物
  • 天草四郎
  • 奇跡の場面に立ち会ったプチジャン神父
歴史事件
  • 聖人となった26人の殉教者
  • 26人の殉教は
資料
  • パリ外国宣教会
場所
  • 大浦天主堂
  • 旧羅典神学校(長崎公教神学校)
  • 吉利支丹墓碑
  • サント・ドミンゴ教会跡資料館
  • 日本二十六聖人殉教地
  • 原城跡
  • 原城文化センター
  • 日野江城跡
  • 湯島
その他
  • 浦上街道
  • セミナリヨ
  • 椿
  • 「天主堂」の漢字3文字に込められた

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