歴史年表

梅屋庄吉 (UMEYA SHOKICHI)

年 表

孫文 (SUN YAT-SEN)

○孫文のために武器を調達
(48歳)
1916
大正 5
○第三革命のため上海へ
(50歳)

1919
大正 8
○中国国民党成立
(53歳)
1924
大正 13
○11月長崎訪問⑨
○神戸で「大アジア主義」の講演
(58歳)
1925
大正 14
○北京で死去
享年58歳
○「孫文像」を中国に寄贈
(61歳)
1929
昭和 4
○映画「大孫文」製作に奔走するが、資金不足で断念
(63歳)
1931
昭和 6
○日中和平工作のための上京途中に倒れ、死去
享年65歳
1934
昭和 9

革命いまだ成らず

長崎の鈴木天眼宅を訪れた孫文
1913年(大正2)2月22日
右から西郷四郎、鈴木天眼、孫文、鈴木タミ、福島熊次郎、宮崎滔天、金子克己
(長崎歴史文化博物館提供)

大正12年に就航した長崎−上海を結ぶ日華連絡船「長崎丸」と「上海丸」
(長崎歴史文化博物館蔵)

盟友たち

孫文の革命事業を多くの日本人、在留華僑が支援しました。長崎では東洋日の出新聞社長の鈴木天眼(てんがん)、同社記者で柔道家の西郷四郎、佐世保出身の金子克己(かつみ)や華僑たちだけでなく、ごく一般の市民も支援したことが知られています。また全国的にも犬養毅、宮崎滔天(とうてん)、内田良平など著名な人々が支援者として名を連ねています。

大アジア主義

1924年(大正13) 11月28日、孫文は神戸の旧制神戸高等女学校講堂において支援者や経済団体などを対象とした講演会を開催します。孫文が訴えたのは、アジア諸民族の連帯・団結によって、武力を基礎とした覇道を行う欧米列強のアジア侵略に対抗し、古来アジアにある仁義道徳を基礎とした王道で新しいアジアを築いていこうという「大アジア主義」の思想でした。東洋日の出新聞には、上海丸船上で孫文が語った「大アジア主義」演説の骨子が掲載されています。

孫文急逝

第一次世界大戦の戦後処理や日本が中国に対して行った21か条の要求をきっかけに五・四運動が起こりました。孫文は、この民族主義運動の動静を気にかけつつ1919年中国国民党を結成し、1924年には共産党との協力体制、国共合作も整えました。北京政府は内部分裂を起こし、孫文の第三革命完成があとわずかと見られたときに「大アジア主義」講演が行われたのでした。しかし、このとき既に孫文の体は病魔に冒されており、1925年3月に肝臓癌のため急逝してしまいます。

遺志を継ぐ者たち

孫文亡き後、梅屋庄吉は彼の遺業を讃えるため、1929年(昭和4) 中国へ4体の孫文像を贈っています。一方宋慶齢も孫文の遺志を継ぎ、三民主義実現と祖国の発展のため生涯をかけ、「国民と結婚した」と称されるほどの生涯を送りました。孫文と共に戦った同志たちやその支援者たちによって、孫文の辛亥革命は続けられたのです。

ページ先頭へ

孫文・梅屋の架けた橋

孫文の移柩祭(いきゅうさい) での写真(※)
前列中央の袴姿の人物が庄吉

庄吉が愛用した羽織(※)
(裏地は孫文の墨跡)

上海に残る写真

1924年(大正13) 11月、第三革命を目指す孫文が来日し、世に知られる「大アジア主義」の講演を神戸で行ったとき、タイミング悪く庄吉が体調を崩していたため、二人は会うことができませんでした。梅屋夫妻は、よほど心残りだったと見え「大正十三年七月十一日写之、贈呈孫文大人、恵存」と添え書きした、庄吉・トクが微笑んで寄り添う姿の写真を孫文に送っています。しかしこのとき、今後2度と会えなくなるとは想像だにしていなかったことでしょう。孫文が急逝したのはその数ヶ月後のことです。

中国に孫文像を

孫文亡き後、落胆のあまり茫然自失の状態が続いた庄吉でしたが、周囲の人々の励ましもあり、孫文の業績を後世に伝え、いまだ成っていない革命を実現へ導くため、これまでの集大成とも言うべき事業に取り組みます。残った私財をつぎ込み、4体の孫文像を制作し中国に贈るという壮大なものでした。
(※)

日中の架け橋

孫文の像は中国からも大いに歓迎され、1929年(昭和4) 庄吉は国賓級の待遇で中国に招かれます。中国政府の相談役という立場で上海に2年間滞在し、日本へ戻った後も日増しに悪化する日中関係を改善すべく尽力しました。しかし庄吉は、中国との和平交渉のパイプ役になりたいと、広田弘毅外相に談判するつもりで向かった千葉県三門駅で病に倒れ、数日後に急逝。日中の架け橋となることを願い続けての最期でした。

ページ先頭へ

長崎県と中国との交流

1971(S46)年 5月 長崎県知事(久保勘一)が中国は一つであると県議会で表明
1971(S46)年 7月 日中国交回復と貿易促進に関する要望決議 (県議会)
1972(S47)年 9月 日中国交正常化
1972(S47)年 10月 長崎県友好訪中使節団派遣 (総領事館設置要望)
1979(S54)年 6月 廖承志中日友好協会会長来県
1979(S54)年 9月 長崎・上海定期航空路開設
1982(S57)年 10月 長崎・福建友好県省締結
1983(S58)年 11月 胡耀邦中国総書記来県、総領事館開設表明
1985(S60)年 3月 胡錦濤中華全国青年連合会主席来県
1985(S60)年 5月 中国駐長崎総領事館開設
1985(S60)年 7月 王震中日友好協会名誉会長来県
1987(S62)年 11月 孫平化中日友好協会会長来県
1990(H 2)年 9月 王兆国福建省長来県
1991(H 3)年 7月 長崎県上海事務所開設
1991(H 3)年 9月 賈慶林福建省長来県
1994(H 6)年 6月 龔学平上海市副市長来県
1996(H 8)年 10月 長崎県・上海市友好交流関係樹立
1999(H11)年 12月 李瑞環政治協商会議主席来県
2000(H12)年 12月 龔学平中国共産党上海市委員会副書記来県
2001(H13)年 2月 習近平福建省長来県
2004(H14)年 11月 宋 健 中日友好協会会長来県
2010(H22)年 8月 中国駐長崎総領事館開設25周年記念・上海国際博覧会交流促進 長崎県訪問団を派遣
2010(H22)年 8月 日中韓3カ国シンポジウムを長崎で開催
2011(H23)年 10月 長崎県・湖北省友好交流関係同意書締結
2011(H23)年 10月 孫文・梅屋庄吉夫妻像(三人像)の中国政府から長崎県への贈呈
2013(H25)年 11月 日中平和友好条約締結35周年及び長崎県日中親善協議会設立
40周年を記念し、長崎県及び長崎県日中親善協議会訪問団を派遣。
ページ先頭へ
「※」印が付された写真資料は小坂文乃氏提供
ページ先頭へ