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「犯科帳」の謎

年号未詳「犯科帳」の年代を考えてみました その1

画像1 「犯科帳」第1冊の表紙長崎歴史文化博物館に収蔵されている資料に「犯科帳」というものがあります(画像1)。この「犯科帳」、『広辞苑』に「江戸時代、長崎奉行所の判決記録」と記されていることから分かるように、長崎奉行所オリジナルの資料です。しかし、池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」の影響もあり、長崎奉行所オリジナルであることを知らない人も多いようです。「鬼平犯科帳」担当編集者の花田紀凱氏は「言ってみればパクリなんですが(笑)。たまたま岩波新書から「長崎犯科帳」という一冊が出たんですよ。(中略)これで犯科帳という言葉を初めて知ったんですけれど、なかなか新鮮な言葉だった。それでそのまま頂戴して「鬼平犯科帳」というタイトルを提案したんです。池波さんも気に入って誉めてくださいました」と述べています(『歴史を歩くvol.2 池波正太郎の江戸を往く』)。

さて、この「犯科帳」には謎があります。それは年号未詳の「犯科帳」が1冊あることです。「犯科帳」の原本は、寛文6年(1666)から慶応3年(1867)までの約200年間、145冊を数えますが、なぜ1冊だけ年代が分からないのでしょうか。

画像2 年代未詳「犯科帳」まずは、年号未詳「犯科帳」の資料現状を調べてみましょう(画像2)。すると、事件番号(資料左上の朱書きの部分)「一」からはじまり、「二」、「三」と続き、そこで終わっています。つまり「四」以降が無くなっているのです。年号が確定できる記述はないのですが、干支の「亥」と「子」の文字が見えるので、亥年から子年にかけてのことが書かれていることになります。これらを手がかりに、年号未詳「犯科帳」がいつのものなのかを探っていくことにします。候補としては、次の3点が考えられます。
(1)原本の一番古い年代の寛文6年よりも古い部分にあたる。
(2)原本そのものが無くなっている期間があるので、その一部にあたる。
(3)原本の中には一部分だけ欠けているものがあるので、その部分にあたる。
の3点です。順に検討してみましょう。


(1)についてですが、現在残っている寛文6年よりも古い「犯科帳」が存在した可能性は「ゼロ」ではありません。しかし「犯科帳」が本来いつから作成されはじめたのか今のところ分かりませんので、決め手がありません。(1)は保留にしておきます。

(2)についてですが、「犯科帳」は200年間分、全て残っているわけではありません。中には原本の冊子そのものが無くなっている期間があります。原本そのものが無いのは、A:嘉永5年(1852・子年)10月〜嘉永7年8月、B:文久2年(1862・戌年)10月〜文久3年4月、C:慶応2年(1866・寅年)正月〜同年8月、D:慶応3年(1867・卯年)11月以降の4期間です。干支からすると、AとBが当てはまる可能性があります。しかし、該当しない決定的な証拠があります。それは、第119冊「犯科帳」(天保12年(1841))以降の原本には漢数字で書かれた事件番号が付いていないという事実です。AからDは全て天保12年以降に含まれていますので、「一」から「三」の漢数字番号が付けられている年号未詳「犯科帳」はこの期間には該当しないのです。よって、(2)の可能性は消えました。(つづく)

【長崎県文化振興課 石尾和貴】

施設詳細

長崎歴史文化博物館
  関連URL:http://www.nmhc.jp/

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