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「犯科帳」の謎

年号未詳「犯科帳」の年代を考えてみました その2

画像3 第10冊「犯科帳」(3)についてですが、「犯科帳」の中には原本そのものが残っていても、中には「落丁」といって一部分が欠けているものがあります。年号未詳「犯科帳」の事件番号が「一」から「三」なので、「落丁」があるのは冊子の前の方にあたります。この前方に「落丁」があるのは、E:第10冊「犯科帳」(享保17年(1732・子年))、F:第61冊(寛政5年(1793・丑年))、G:第100冊(文政5年(1822・午年))の3冊です。干支的にはEが該当しそうで、FとGはしないようです。Eをもう少し詳しく見てみましょう(画像3)。

E:第10冊の本文を見ると、事件番号(資料左上の朱書きの部分)が「四」からはじまっています。番号「一」から「三」までしかない年号未詳「犯科帳」と、番号「四」以降しかない第10冊「犯科帳」。事件番号からするとこの両者には連続性がありそうです。さらに両者をくらべて見ると、資料のサイズはほぼ同じ、書かれている文字もほぼ同じ筆跡のように思えます。ますます同一冊子の可能性が高くなってきました。


もちろんこれだけでは確定できませんので、書かれている内容から判断してみましょう。年号未詳「犯科帳」の事件番号「一」には、近江国梅木村出身の弥太郎が長崎を欠落し11年前の丑年に立ち帰った、と記されています(その1の画像2参照)。享保17年の第10冊と同一冊子だと仮定すると、11年前の丑年は享保6年にあたるので、この年代の第5冊「犯科帳」を見ました。すると、事件番号「百四十一」に近江国梅木村出身の弥太郎が登場しているではありませんか。これで、内容から見ても両者が連続していると、高い確率で言えると思います。これが正しいとすると、年号未詳「犯科帳」に記されている亥年は享保16年、子年は同17年を指すことになります。


画像4 年代未詳「犯科帳」と第10冊「犯科帳」「犯科帳」は江戸幕府が倒れ長崎奉行所が崩壊したあと、長崎県庁で保管され、その後県立長崎図書館へ移管、現在は長崎歴史文化博物館に収蔵されています。しかし、県立図書館へ移管された時期については第10冊「犯科帳」と年号未詳「犯科帳」では違っているようです。第10冊「犯科帳」には「大正六年一月十九日 長崎県庁ヨリ引継」の印が押されています。一方、年号未詳「犯科帳」については、県立図書館に残る古い台帳によると、昭和10年7月2日付けで県庁から移管されています。両者が別々に県立図書館へ移管されたことからすると、県庁で保管されていた時から分かれていたと考えられます。もしかするとこの年号未詳「犯科帳」と第10冊「犯科帳」は、江戸時代以来百数十年ぶりに同一冊子と認識されたのかもしれません(画像4:年号未詳「犯科帳」と第10冊「犯科帳」を重ねてみました)。(おわり)


【長崎県文化振興課 石尾和貴】

 

 

施設詳細

長崎県立長崎図書館
  関連URL:http://www.lib.pref.nagasaki.jp/

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