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大津波を表す地名「閖上(ゆりあげ)」

地名の大切さを思う

今回の東日本大震災は、平安時代前期(869年)に起きた貞観地震とよく似ていると地震学の専門家は指摘しています。六国史の一つ『日本三代実録』は、およそ千人が貞観地震による津波で犠牲になったと記します。人々は船に乗る間もなく、山に登ることもできずに溺死しました。千人は多数を意味したかもしれませんし、たとえ実数に近いとしても当時の人口密度からすれば、これは大災害でしょう。

 東日本大震災から3日たった平成23年3月14日付の新聞一面に掲載された「大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上地区」の写真を見ていた家人が、「閖」の字に関心を持ち『大漢和辞典』を引いてみますと、意味は「水波激蕩(すいはげきとう)」とありました。「閖上」の地名には、大波が激しく沸き立つように押し寄せてくる恐ろしい情況が込められているようです。 
 かつてこの地域を襲った大津波は、まず名取川をさかのぼり、周辺の平野に広がっていったと思われます。閖上地区は名取川の河口部に位置しています。
 
 東北地方には「気仙沼」のようにアイヌ語に由来する地名も多いのですが、閖上は違います。ヤマト政府が東北支配の拠点とした多賀城に近く、その地域にはヤマトから派遣された官人・武人が駐在していたと考えられます。漢字の意味を踏まえて、彼らが付けた地名ではないでしょうか。確定はできませんが、貞観の大津波以後今日まで「水波激蕩」が「上」がってくるような自然現象は、仙台平野地域ではなかったはずです。

 これまで大津波というと、常にリアス式の三陸海岸が取り上げられてきました。湾の奥にいくほど狭くなっている地形では津波が異様に高くなり、これまで幾度となく大きな災害を受けてきました。これに対して閖上地区は仙台平野の海岸部にあり、白砂青松が続く優美な海岸だったといいます。そこが千年以上たって再び大津波に襲われたのです。もっとも発掘調査によれば、さらに千年ほど前の弥生時代の地層など何層にも大津波の堆積物が見つかっているそうです。
 
 閖上の意味を調べてみて、あらためて地名の大切さを思いました。地名は、あるときは人々の生活・文化を表し、また地形を意味し、歴史そのものを内包しているからです。
なお、東日本大震災では想定外という文字をよく目にしますが、それは歴史をどこまでさかのぼったものでしょうか。大半は史料が多く残っている近世以降を想定したもので、きわめて不十分であることはいうまでもありません。

 ところで、これまで長崎県も多くの災害に見舞われてきました。とりわけ長崎大水害、普賢岳噴火災害は記憶に新しい出来事です。長崎大水害では、郊外各地で土石流が起こり、多くの方々が巻き込まれました。現在は防災工事が施されていますが、川平のトッポ水(バス停名は「筒水平」)は、かつての鉄砲水、土石流から付けられた地名です。川平地区のこのあたり「平」が付く地名が多く、漢字から平らなイメージがしますが、実は「ヒラ」は傾斜地を意味します。長崎市内の伊良林地区「平」、また長崎港を真正面に見下ろす「浜平」も同様です。平成新山

 おわりに、普賢岳噴火で生まれた地名(山名)。よく知られている「平成新山」は、雲仙・島原観光の目玉であるとともに、溶岩ドームの形成、崩落、火砕流の発生、そして土石流災害といった普賢岳噴火災害の一連の情況を後世に語り継ぐ象徴的存在です。

【長崎県参与  本馬 貞夫】

施設詳細

宮城県名取市閖上
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