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近代の長崎

長崎県が発行した紙幣 その2

 長崎県が、明治2年10月に紙幣3種類の紙幣を発行した理由は、同じく博物館に保管されている「長崎県史稿」に次のように書かれています。
「(明治二年)十月旧産物会所ヲ以テ造幣所トシ楮幣三種ヲ製ス二百文百文五百文当時民間銅銭匱乏シ日用支消ニ困ム者アリ乃チ朝栽ヲ経テ一時融通ノ便ヲ助ケ以テ管内ニ流布セシム明治三年八月ニ至リ其ノ流布ヲ禁シ該所ニ於テ尽ク之ヲ兌換ス
 つまり、長崎の市中で銅銭が不足し住民が日常生活に支障をきたしたため、紙幣を発行したということです。ちなみに、この銭不足は『長崎県史 対外交渉史編』によれば、江戸時代から続いていたようです。しかし、この紙幣は、一年足らずで使用が禁じられてしまいました。
 この紙幣が発行された場所は、「旧産物会所」を利用した造幣所とありますが、現在のどこにあたるのでしょうか。「産物会所」は、慶応元年に俵物役所と産物所、大坂俵物役所が一体となってできたとされています。産物所が慶応2年刊の「居留場全図」(大英図書館蔵)では、新地蔵所の対岸で薩摩藩蔵屋敷の隣地に表示されており、「新地築増一件」(長崎歴史文化博物館蔵)では同じ場所が「製札所」と表示されていることから、この地で紙幣が印刷されたと考えられます。この場所は、現在、商業ビルや駐車場が立ち並んでいます。
 造幣所は、明治2年11月にまた、「産物会所」となりますが、この時官営となり、翌月には廃止されます。・翌3年、債務整理を行うため、市内の商人らにより「協力社」が結成されます。この協力社から離れて「永見松田商社」ができ、後にこれが母体となって今の十八銀行が誕生します。その本店は、かつての俵物役所の跡地にありますから、この一帯が、江戸時代から現在まで貿易と金融に深くかかわりの場所であるといえるでしょう。

施設詳細

長崎歴史文化博物館
  関連URL:http://www.nmhc.jp/

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