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特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」に寄せて

もう1つの近代日中関係史 その5

引き続き、少年時代の梅屋庄吉のことです。腕白ぶりを紹介します。
●少年梅屋の正義感、義侠心〜金比羅騒動
・上海への渡航から帰国した後、16才(数え年)の庄吉が起こした事件に金比羅騒動があります。
 
・自伝の『わが影』に
「明治十六年三月十五日、長崎金比羅山に於て侠客天田伝吉と闘ふ、天田は市井無頼の徒、慓悍にして有名也、・・・われ、深く之を慨し前後を顧慮するに遑なく、決死以てこの非常手段に出でし也」と語られています。
 
・白ドッポウ組と自称していた天田伝吉たちの行動に、町の人たちが困り果てていました。見るに見かねて庄吉たちがとった、その非常手段というのは、天田勢120人に対抗して、我が勢(家業の精米所の若手80余名)を黒ドッポウ組と呼び、金比羅山で決闘するというものでした。結果は庄吉たちの大勝利に終わり、天田たちを降伏させたとあります。
 
・庄吉自身、「往々此の無謀あり、今にしてわれ深く之を愧づ」といい、その事件は覗きからくりの「ポンポコポン」で再現されて評判になったと『わが影』には書かれています。この金比羅騒動のことは、今回の特別企画展でも覗きからくりの手法で展示しています。
 
・どれくらい、庄吉の行動が無謀だったかは、当時の新聞で、天田伝吉と白ドッポウ組の記事から拾うことができます。
 
・金比羅騒動当時、天田伝吉はある事件を起こして、裁判沙汰になっていました。年齢は34才であることが記事に見えます。なんと16才の少年梅屋が挑んだ相手とは、30代半ばの不良グループでした。不良グループというより、むしろ庄吉自身が『わが影』で「暴力団」と表現しているとおりの横暴ぶりだったようです。(明治15(1882)年12月15日付け鎮西日報など)
 
・庄吉の、まさに青年らしい、時に無謀な正義感・義侠心と、中国・東南アジアでの経験が、欧米列強の植民地政策に対するアジア諸民族の抵抗と独立という意識に結びついていったことは容易に理解できると思います。
 
(参考文献、『わが影』梅屋庄吉、『国父孫文と梅屋庄吉』車田譲治、『革命をプロデュースした日本人』小坂文乃、「鎮西日報」ほか)
【長崎県文化振興課 山口保彦】
 


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